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第15話 天才ハッカー・湊
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玲と葵。二人の秘密の共犯者となった俺の学園生活は、以前にも増して濃密なものになっていた。玲とは文芸作品について語り合い、葵には夜食を振る舞う。傍から見れば、クールな王子様と快活な人気者に気に入られている、ただの幸運なやつだろう。その裏側にある甘くてハラハラするような関係を知っているのは、世界で俺だけだ。その事実が、俺の心を奇妙な優越感で満たしていた。
そんなある日の夜。俺は一つの大きな壁にぶち当たっていた。
「現代社会における情報セキュリティの脆弱性とその対策について……レポート、五千字以上……」
無慈悲な課題を前に、俺は頭を抱えていた。獅子王院のレポートは、ネットで調べた程度の知識では到底太刀打ちできない。専門的な文献やデータベースへのアクセスが必須だった。
「仕方ない、行くか……」
俺は重い腰を上げ、部屋を出た。向かう先は、学内に二十四時間開放されているPCルームだ。高性能なPCと、学園が契約している膨大なデータベースを使える、レポート作成の駆け込み寺のような場所である。
深夜の校舎は、しんと静まり返っていた。自分の足音だけが、長い廊下に不気味に響く。PCルームのドアをそっと開けると、中は薄暗く、サーバーの駆動音だけが低く唸っていた。数十台あるPCのうち、明かりが灯っているのはほんの数台。こんな時間まで課題に追われているのは、俺だけではないらしい。
俺は他の生徒の邪魔にならないよう、入り口から一番遠い奥の席へと向かった。その時、視界の隅に、見慣れた小柄な後ろ姿が映った。ふわふわした栗色の髪。少し大きめのジャージ。間違いなく、後輩の篠宮湊だった。
彼もレポートだろうか。俺は声をかけようか一瞬迷ったが、ヘッドホンをつけて何かに没頭している様子を見て、やめることにした。邪魔をしたら悪い。俺は彼の二つ隣の席に静かに座り、自分のPCを起動させた。
しばらくレポート作成に集中していたが、ふと、隣から聞こえてくるかすかな音に気づいた。
カタカタカタ、ではない。タタタタタタタタキキキッ、ターン!
それは、常軌を逸したタイピングの音だった。まるで、指が鍵盤の上でダンスを踊っているかのような、軽快で、しかし圧倒的な速度と正確性。俺がキーボードを一回叩く間に、彼は十回は叩いているのではないだろうか。
気になって、俺はそっと湊の席の方を盗み見た。ヘッドホンで音楽を聴いているのか、彼は小さくリズムを取りながら、楽しそうに指を動かしている。その横顔は、普段の人懐っこい笑顔とは違う。獲物を見つけた猫のように、瞳が爛々と輝いていた。
そして、俺は見てしまった。彼のモニターに映し出されている、信じられない光景を。
そこに表示されていたのは、レポートの文章などではなかった。黒い画面に、緑色の文字が滝のように流れ落ちていく。意味不明な文字列、複雑なプログラムコード、そして時折表示される『獅子王院学園 機密サーバー』『アクセス承認』『セキュリティレベルA 解除』といった、恐ろしい単語の羅列。
これは、まずい。
理屈は分からない。だが、PCに詳しくない俺でも、湊が今やっていることが、とんでもなく危険で、違法なことだということだけは直感的に理解できた。彼は、学園のサーバーに不正アクセス、つまりハッキングをしているのだ。
俺は息をのんだ。身体が、まるで凍りついたかのように動かない。声をかけるべきか。いや、でも、もしこれがバレたら彼は退学じゃ済まないかもしれない。見なかったことにして、この場を去るべきか。でも、もし彼が何か危険なことに巻き込まれているとしたら……。
俺が葛藤している間にも、湊の指は止まらない。彼は一つのウィンドウを閉じると、今度は別のウィンドウを開いた。そこに映し出されたのは、学園の生徒全員の個人情報が並んだデータベースだった。橘玲、五十嵐葵、九条雅……そして、相葉祐樹。俺たちの顔写真付きのプロフィールが、画面上をスクロールしていく。
ぞくり、と背筋に悪寒が走った。可愛い後輩だと思っていた彼の、底知れない一面を垣間見てしまった。彼は一体、何者なんだ。
その時だった。俺が動揺のあまり、椅子をわずかに後ろに引いてしまう。
ギッ、と小さな、しかし静寂の中ではやけに大きく響く音がした。
しまった。
その音に、湊の指がぴたりと止まった。彼はゆっくりとヘッドホンを外し、そして、まるでスローモーションのように、静かにこちらを振り返った。
俺が彼と目が合った瞬間、彼は驚くべき速さでキーボードを操作し、モニターの画面を普通のデスクトップ画面に切り替えた。だが、もう遅い。俺が見てしまったことは、彼にも分かっているはずだ。
二人の間に、重く、張り詰めた沈黙が流れる。
いつもは愛らしく細められる彼の瞳が、今は感情の読めない、ガラス玉のような光を宿して俺を真っ直ぐに見つめていた。可愛い後輩の仮面が、音を立てて剥がれ落ちていく。
やがて、湊がその小さな唇をゆっくりと開いた。
「……見てました?」
その声は、普段の甘えた響きとは全く違う。平坦で、どこか冷たい、温度のない声だった。
俺は、彼の問いに答えることができなかった。ただ、彼の底知れない瞳に見つめられたまま、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
そんなある日の夜。俺は一つの大きな壁にぶち当たっていた。
「現代社会における情報セキュリティの脆弱性とその対策について……レポート、五千字以上……」
無慈悲な課題を前に、俺は頭を抱えていた。獅子王院のレポートは、ネットで調べた程度の知識では到底太刀打ちできない。専門的な文献やデータベースへのアクセスが必須だった。
「仕方ない、行くか……」
俺は重い腰を上げ、部屋を出た。向かう先は、学内に二十四時間開放されているPCルームだ。高性能なPCと、学園が契約している膨大なデータベースを使える、レポート作成の駆け込み寺のような場所である。
深夜の校舎は、しんと静まり返っていた。自分の足音だけが、長い廊下に不気味に響く。PCルームのドアをそっと開けると、中は薄暗く、サーバーの駆動音だけが低く唸っていた。数十台あるPCのうち、明かりが灯っているのはほんの数台。こんな時間まで課題に追われているのは、俺だけではないらしい。
俺は他の生徒の邪魔にならないよう、入り口から一番遠い奥の席へと向かった。その時、視界の隅に、見慣れた小柄な後ろ姿が映った。ふわふわした栗色の髪。少し大きめのジャージ。間違いなく、後輩の篠宮湊だった。
彼もレポートだろうか。俺は声をかけようか一瞬迷ったが、ヘッドホンをつけて何かに没頭している様子を見て、やめることにした。邪魔をしたら悪い。俺は彼の二つ隣の席に静かに座り、自分のPCを起動させた。
しばらくレポート作成に集中していたが、ふと、隣から聞こえてくるかすかな音に気づいた。
カタカタカタ、ではない。タタタタタタタタキキキッ、ターン!
それは、常軌を逸したタイピングの音だった。まるで、指が鍵盤の上でダンスを踊っているかのような、軽快で、しかし圧倒的な速度と正確性。俺がキーボードを一回叩く間に、彼は十回は叩いているのではないだろうか。
気になって、俺はそっと湊の席の方を盗み見た。ヘッドホンで音楽を聴いているのか、彼は小さくリズムを取りながら、楽しそうに指を動かしている。その横顔は、普段の人懐っこい笑顔とは違う。獲物を見つけた猫のように、瞳が爛々と輝いていた。
そして、俺は見てしまった。彼のモニターに映し出されている、信じられない光景を。
そこに表示されていたのは、レポートの文章などではなかった。黒い画面に、緑色の文字が滝のように流れ落ちていく。意味不明な文字列、複雑なプログラムコード、そして時折表示される『獅子王院学園 機密サーバー』『アクセス承認』『セキュリティレベルA 解除』といった、恐ろしい単語の羅列。
これは、まずい。
理屈は分からない。だが、PCに詳しくない俺でも、湊が今やっていることが、とんでもなく危険で、違法なことだということだけは直感的に理解できた。彼は、学園のサーバーに不正アクセス、つまりハッキングをしているのだ。
俺は息をのんだ。身体が、まるで凍りついたかのように動かない。声をかけるべきか。いや、でも、もしこれがバレたら彼は退学じゃ済まないかもしれない。見なかったことにして、この場を去るべきか。でも、もし彼が何か危険なことに巻き込まれているとしたら……。
俺が葛藤している間にも、湊の指は止まらない。彼は一つのウィンドウを閉じると、今度は別のウィンドウを開いた。そこに映し出されたのは、学園の生徒全員の個人情報が並んだデータベースだった。橘玲、五十嵐葵、九条雅……そして、相葉祐樹。俺たちの顔写真付きのプロフィールが、画面上をスクロールしていく。
ぞくり、と背筋に悪寒が走った。可愛い後輩だと思っていた彼の、底知れない一面を垣間見てしまった。彼は一体、何者なんだ。
その時だった。俺が動揺のあまり、椅子をわずかに後ろに引いてしまう。
ギッ、と小さな、しかし静寂の中ではやけに大きく響く音がした。
しまった。
その音に、湊の指がぴたりと止まった。彼はゆっくりとヘッドホンを外し、そして、まるでスローモーションのように、静かにこちらを振り返った。
俺が彼と目が合った瞬間、彼は驚くべき速さでキーボードを操作し、モニターの画面を普通のデスクトップ画面に切り替えた。だが、もう遅い。俺が見てしまったことは、彼にも分かっているはずだ。
二人の間に、重く、張り詰めた沈黙が流れる。
いつもは愛らしく細められる彼の瞳が、今は感情の読めない、ガラス玉のような光を宿して俺を真っ直ぐに見つめていた。可愛い後輩の仮面が、音を立てて剥がれ落ちていく。
やがて、湊がその小さな唇をゆっくりと開いた。
「……見てました?」
その声は、普段の甘えた響きとは全く違う。平坦で、どこか冷たい、温度のない声だった。
俺は、彼の問いに答えることができなかった。ただ、彼の底知れない瞳に見つめられたまま、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
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