19 / 100
第19話 雅の優しさ
しおりを挟む
湊の膝枕事件から数日が経った。彼女のイタズラは相変わらずだったが、どこか手加減が感じられるようになった。俺が本当に困るようなタイミングでの遠隔操作は減り、代わりにロック画面が頻繁に彼女の作ったお弁当の写真に変わるようになった。『食べさせてあげますよ♪』というメッセージ付きで。それはそれで心臓に悪かったが、以前の無差別攻撃に比べれば遥かにマシだった。
玲と葵との関係も良好だ。玲は俺の前ではすっかり甘えん坊になり、葵は毎晩のように俺の作る夜食を幸せそうに頬張っている。三人の共犯者となった俺の学園生活は、秘密とドキドキに満ちてはいるが、不思議と充実していた。
しかし、俺の心の中には、ずっと一つの引っかかりがあった。
九条雅のことだ。
あの日、中庭で見た子猫を愛でる彼の優しい横顔。そして、それを見られたと知った時の、激しい怒りと拒絶。彼のあの極端な態度の変化が、どうしても頭から離れなかった。
教室での彼は、相変わらずだった。誰とも話さず、一人で窓の外を眺めている。その全身から放たれる「俺に近づくな」というオーラは、他の生徒たちを寄せ付けない強固な壁となっていた。俺も、あの日以来、彼に話しかける勇気は持てずにいた。
本当に、彼はただの怖いだけの男なのだろうか。いや、違う。あの子猫に向ける眼差しは、本物だった。彼の中には、間違いなく優しさがある。それを、なぜあんなにも頑なに隠そうとするのか。俺は、彼のことがもっと知りたくなっていた。
放課後。俺は、まるで何かに導かれるように、再びあの中庭へと足を運んでいた。前回、あれだけ脅されたというのに、懲りないやつだと自分でも思う。だが、あの静かな場所が、彼の素顔に触れられる唯一の場所のような気がしたのだ。
茂みの影からそっと中を覗くと、やはり彼はいた。
しかし、その様子は前回とは少し違っていた。彼は地面にしゃがみ込んでいるが、そこに子猫の姿はない。彼は、中庭の隅にある、打ち捨てられて荒れ果てた花壇の前にいた。
そして、驚くべきことに、彼はその花壇の手入れをしていた。
軍手をはめた手で、黙々と雑草を抜いている。硬くなった土を、小さなシャベルで丁寧に耕している。その手つきは驚くほど優しく、まるで壊れ物を扱うかのようだった。
しばらくすると、彼は持参したらしいペットボトルの水を、か細い花の芽にそっと注ぎ始めた。その花は、まだ小さくて弱々しい。それでも、懸命に空に向かって伸びようとしている。九条は、その小さな命を愛おしそうに見つめていた。その横顔は、やはり穏やかで、教室で見せる険しい表情とはまるで別人だった。
俺は、息をのんでその光景を見つめていた。
彼は、ただ優しいだけじゃない。弱いもの、小さなもの、声なきものの痛みが分かる人間なんだ。だからこそ、自分の優しさを他人に知られることを極端に恐れている。それが、彼の強固な鎧の正体なのかもしれない。
俺は、彼の邪魔をしたくなかった。このまま静かに立ち去ろう。そう思った時だった。
「……きれいな、花だな」
俺の口から、無意識に言葉がこぼれ落ちていた。しまった、と思った時にはもう遅い。
俺の声に、九条の肩がびくりと大きく跳ねた。彼は弾かれたように振り返り、その鋭い瞳が俺の姿を捉える。
「……てめぇ、またか」
地を這うような低い声。だが、その声には前回のような殺気だった怒りよりも、むしろ戸惑いや羞恥の色が濃く滲んでいるように聞こえた。彼の顔は、怒りよりも先に、赤く染まっていた。
「あ、いや、ごめん! 本当に邪魔するつもりはなくて……」
「言い訳はいい」
九条は立ち上がると、俺を睨みつけた。だが、胸ぐらを掴みかかってくるようなことはしない。ただ、その場で俺を射殺さんばかりの視線で威嚇している。
「俺に関わるなと言ったはずだ」
「……ああ。でも、気になったんだ。お前が、いつもここで何をしてるのか」
俺が正直にそう言うと、九条は一瞬だけ虚を突かれたような顔をした。そして、チッと鋭く舌打ちをする。
「……お前には関係ねえだろ」
そう言うと、彼はペットボトルとシャベルを乱暴に掴み、俺の横を通り過ぎて行った。その瞬間、俺は勇気を振り絞って、彼の背中に声をかけた。
「花、好きなのか?」
九条の足が、ぴたりと止まった。彼は振り返らない。ただ、その広い背中が、何かを必死に堪えているように見えた。
しばらくの沈黙の後、彼は何も答えず、再び歩き出した。そして、そのまま中庭から逃げるように去っていった。
一人残された俺は、彼が手入れをしていた花壇に近づいた。雑草が取り除かれ、土がふかふかになっている。小さな花が、夕暮れの風にそっと揺れていた。
俺は、また彼を怒らせてしまっただろうか。いや、それ以上に、傷つけてしまったのかもしれない。自己嫌悪に陥りながら、俺は重い足取りで教室へと戻った。
翌朝。
教室に入り、自分の席に向かった俺は、思わず足を止めた。
俺の机の真ん中に、小さなガラス瓶がちょこんと置かれていたのだ。それは、理科室で使う薬品の空き瓶を綺麗に洗ったものらしかった。そして、その即席の一輪挿しには、一本の可憐な花が挿してある。
それは、昨日、九条が手入れをしていた花壇に咲いていたのと同じ、小さな青い花だった。
誰が、これを?
俺は、はっと息をのみ、教室の隅にある九条の席に視線を送った。
彼は、いつもと同じように窓の外を眺めていた。その横顔からは、何も読み取ることはできない。
だが、俺は見逃さなかった。
窓ガラスに反射した彼の耳が、ほんのりと赤く染まっているのを。
俺は、自分の机に置かれた小さな花に視線を戻した。言葉ではない。態度でもない。ただ、この一本の花に込められた、彼の不器用で、精一杯の優しさ。それが、じんわりと俺の胸に広がっていく。
俺は、誰にも気づかれないように、そっと口元を綻ばせた。
孤高の一匹狼と俺の間に、見えないけれど確かな、細い細い糸が結ばれたような気がした。
玲と葵との関係も良好だ。玲は俺の前ではすっかり甘えん坊になり、葵は毎晩のように俺の作る夜食を幸せそうに頬張っている。三人の共犯者となった俺の学園生活は、秘密とドキドキに満ちてはいるが、不思議と充実していた。
しかし、俺の心の中には、ずっと一つの引っかかりがあった。
九条雅のことだ。
あの日、中庭で見た子猫を愛でる彼の優しい横顔。そして、それを見られたと知った時の、激しい怒りと拒絶。彼のあの極端な態度の変化が、どうしても頭から離れなかった。
教室での彼は、相変わらずだった。誰とも話さず、一人で窓の外を眺めている。その全身から放たれる「俺に近づくな」というオーラは、他の生徒たちを寄せ付けない強固な壁となっていた。俺も、あの日以来、彼に話しかける勇気は持てずにいた。
本当に、彼はただの怖いだけの男なのだろうか。いや、違う。あの子猫に向ける眼差しは、本物だった。彼の中には、間違いなく優しさがある。それを、なぜあんなにも頑なに隠そうとするのか。俺は、彼のことがもっと知りたくなっていた。
放課後。俺は、まるで何かに導かれるように、再びあの中庭へと足を運んでいた。前回、あれだけ脅されたというのに、懲りないやつだと自分でも思う。だが、あの静かな場所が、彼の素顔に触れられる唯一の場所のような気がしたのだ。
茂みの影からそっと中を覗くと、やはり彼はいた。
しかし、その様子は前回とは少し違っていた。彼は地面にしゃがみ込んでいるが、そこに子猫の姿はない。彼は、中庭の隅にある、打ち捨てられて荒れ果てた花壇の前にいた。
そして、驚くべきことに、彼はその花壇の手入れをしていた。
軍手をはめた手で、黙々と雑草を抜いている。硬くなった土を、小さなシャベルで丁寧に耕している。その手つきは驚くほど優しく、まるで壊れ物を扱うかのようだった。
しばらくすると、彼は持参したらしいペットボトルの水を、か細い花の芽にそっと注ぎ始めた。その花は、まだ小さくて弱々しい。それでも、懸命に空に向かって伸びようとしている。九条は、その小さな命を愛おしそうに見つめていた。その横顔は、やはり穏やかで、教室で見せる険しい表情とはまるで別人だった。
俺は、息をのんでその光景を見つめていた。
彼は、ただ優しいだけじゃない。弱いもの、小さなもの、声なきものの痛みが分かる人間なんだ。だからこそ、自分の優しさを他人に知られることを極端に恐れている。それが、彼の強固な鎧の正体なのかもしれない。
俺は、彼の邪魔をしたくなかった。このまま静かに立ち去ろう。そう思った時だった。
「……きれいな、花だな」
俺の口から、無意識に言葉がこぼれ落ちていた。しまった、と思った時にはもう遅い。
俺の声に、九条の肩がびくりと大きく跳ねた。彼は弾かれたように振り返り、その鋭い瞳が俺の姿を捉える。
「……てめぇ、またか」
地を這うような低い声。だが、その声には前回のような殺気だった怒りよりも、むしろ戸惑いや羞恥の色が濃く滲んでいるように聞こえた。彼の顔は、怒りよりも先に、赤く染まっていた。
「あ、いや、ごめん! 本当に邪魔するつもりはなくて……」
「言い訳はいい」
九条は立ち上がると、俺を睨みつけた。だが、胸ぐらを掴みかかってくるようなことはしない。ただ、その場で俺を射殺さんばかりの視線で威嚇している。
「俺に関わるなと言ったはずだ」
「……ああ。でも、気になったんだ。お前が、いつもここで何をしてるのか」
俺が正直にそう言うと、九条は一瞬だけ虚を突かれたような顔をした。そして、チッと鋭く舌打ちをする。
「……お前には関係ねえだろ」
そう言うと、彼はペットボトルとシャベルを乱暴に掴み、俺の横を通り過ぎて行った。その瞬間、俺は勇気を振り絞って、彼の背中に声をかけた。
「花、好きなのか?」
九条の足が、ぴたりと止まった。彼は振り返らない。ただ、その広い背中が、何かを必死に堪えているように見えた。
しばらくの沈黙の後、彼は何も答えず、再び歩き出した。そして、そのまま中庭から逃げるように去っていった。
一人残された俺は、彼が手入れをしていた花壇に近づいた。雑草が取り除かれ、土がふかふかになっている。小さな花が、夕暮れの風にそっと揺れていた。
俺は、また彼を怒らせてしまっただろうか。いや、それ以上に、傷つけてしまったのかもしれない。自己嫌悪に陥りながら、俺は重い足取りで教室へと戻った。
翌朝。
教室に入り、自分の席に向かった俺は、思わず足を止めた。
俺の机の真ん中に、小さなガラス瓶がちょこんと置かれていたのだ。それは、理科室で使う薬品の空き瓶を綺麗に洗ったものらしかった。そして、その即席の一輪挿しには、一本の可憐な花が挿してある。
それは、昨日、九条が手入れをしていた花壇に咲いていたのと同じ、小さな青い花だった。
誰が、これを?
俺は、はっと息をのみ、教室の隅にある九条の席に視線を送った。
彼は、いつもと同じように窓の外を眺めていた。その横顔からは、何も読み取ることはできない。
だが、俺は見逃さなかった。
窓ガラスに反射した彼の耳が、ほんのりと赤く染まっているのを。
俺は、自分の机に置かれた小さな花に視線を戻した。言葉ではない。態度でもない。ただ、この一本の花に込められた、彼の不器用で、精一杯の優しさ。それが、じんわりと俺の胸に広がっていく。
俺は、誰にも気づかれないように、そっと口元を綻ばせた。
孤高の一匹狼と俺の間に、見えないけれど確かな、細い細い糸が結ばれたような気がした。
13
あなたにおすすめの小説
手が届かないはずの高嶺の花が幼馴染の俺にだけベタベタしてきて、あと少しで我慢も限界かもしれない
みずがめ
恋愛
宮坂葵は可愛くて気立てが良くて社長令嬢で……あと俺の幼馴染だ。
葵は学内でも屈指の人気を誇る女子。けれど彼女に告白をする男子は数える程度しかいなかった。
なぜか? 彼女が高嶺の花すぎたからである。
その美貌と肩書に誰もが気後れしてしまう。葵に告白する数少ない勇者も、ことごとく散っていった。
そんな誰もが憧れる美少女は、今日も俺と二人きりで無防備な姿をさらしていた。
幼馴染だからって、とっくに体つきは大人へと成長しているのだ。彼女がいつまでも子供気分で困っているのは俺ばかりだった。いつかはわからせなければならないだろう。
……本当にわからせられるのは俺の方だということを、この時点ではまだわかっちゃいなかったのだ。
隣の席のクールな銀髪美少女、俺にだけデレるどころか未来の嫁だと宣言してきた
夏見ナイ
恋愛
平凡な高校生、相沢優斗。彼の隣の席は『氷の女王』と噂のクールな銀髪美少女、雪城冬花。住む世界が違うと思っていたが、ある日彼女から「私はあなたの未来の妻です」と衝撃の告白を受ける。
その日から、学校では鉄壁の彼女が、二人きりになると「未来では当然です」と腕を組み、手作り弁当で「あーん」を迫る超絶甘々なデレモードに!
戸惑いながらも、彼女の献身的なアプローチに心惹かれていく優斗。これは未来で結ばれる運命の二人が、最高の未来を掴むため、最高の恋をする糖度MAXの青春ラブコメディ。
クラスで3番目に可愛い無口なあの子が実は手話で話しているのを俺だけが知っている
夏見ナイ
恋愛
俺のクラスにいる月宮雫は、誰も寄せ付けないクールな美少女。そのミステリアスな雰囲気から『クラスで3番目に可愛い子』と呼ばれているが、いつも一人で、誰とも話さない。
ある放課後、俺は彼女が指先で言葉を紡ぐ――手話で話している姿を目撃してしまう。好奇心から手話を覚えた俺が、勇気を出して話しかけた瞬間、二人だけの秘密の世界が始まった。
無口でクール? とんでもない。本当の彼女は、よく笑い、よく拗ねる、最高に可愛いおしゃべりな女の子だったのだ。
クールな君の本当の姿と甘える仕草は、俺だけが知っている。これは、世界一甘くて尊い、静かな恋の物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
小さい頃「お嫁さんになる!」と妹系の幼馴染みに言われて、彼女は今もその気でいる!
竜ヶ崎彰
恋愛
「いい加減大人の階段上ってくれ!!」
俺、天道涼太には1つ年下の可愛い幼馴染みがいる。
彼女の名前は下野ルカ。
幼少の頃から俺にベッタリでかつては将来"俺のお嫁さんになる!"なんて事も言っていた。
俺ももう高校生になったと同時にルカは中学3年生。
だけど、ルカはまだ俺のお嫁さんになる!と言っている!
堅物真面目少年と妹系ゆるふわ天然少女による拗らせ系ラブコメ開幕!!
俺にだけツンツンする学園一の美少女が、最近ちょっとデレてきた件。
甘酢ニノ
恋愛
彼女いない歴=年齢の高校生・相沢蓮。
平凡な日々を送る彼の前に立ちはだかるのは──
学園一の美少女・黒瀬葵。
なぜか彼女は、俺にだけやたらとツンツンしてくる。
冷たくて、意地っ張りで、でも時々見せるその“素”が、どうしようもなく気になる。
最初はただの勘違いだったはずの関係。
けれど、小さな出来事の積み重ねが、少しずつ2人の距離を変えていく。
ツンデレな彼女と、不器用な俺がすれ違いながら少しずつ近づく、
焦れったくて甘酸っぱい、青春ラブコメディ。
クラスメイトの王子様系女子をナンパから助けたら。
桜庭かなめ
恋愛
高校2年生の白石洋平のクラスには、藤原千弦という女子生徒がいる。千弦は美人でスタイルが良く、凛々しく落ち着いた雰囲気もあるため「王子様」と言われて人気が高い。千弦とは教室で挨拶したり、バイト先で接客したりする程度の関わりだった。
とある日の放課後。バイトから帰る洋平は、駅前で男2人にナンパされている千弦を見つける。普段は落ち着いている千弦が脚を震わせていることに気付き、洋平は千弦をナンパから助けた。そのときに洋平に見せた笑顔は普段みんなに見せる美しいものではなく、とても可愛らしいものだった。
ナンパから助けたことをきっかけに、洋平は千弦との関わりが増えていく。
お礼にと放課後にアイスを食べたり、昼休みに一緒にお昼ご飯を食べたり、お互いの家に遊びに行ったり。クラスメイトの王子様系女子との温かくて甘い青春ラブコメディ!
※特別編4が完結しました!(2026.2.22)
※小説家になろうとカクヨムでも公開しています。
※お気に入り登録、いいね、感想などお待ちしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる