この男子校の生徒が自分以外全員男装女子だということを俺だけが知っている

夏見ナイ

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第19話 雅の優しさ

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湊の膝枕事件から数日が経った。彼女のイタズラは相変わらずだったが、どこか手加減が感じられるようになった。俺が本当に困るようなタイミングでの遠隔操作は減り、代わりにロック画面が頻繁に彼女の作ったお弁当の写真に変わるようになった。『食べさせてあげますよ♪』というメッセージ付きで。それはそれで心臓に悪かったが、以前の無差別攻撃に比べれば遥かにマシだった。

玲と葵との関係も良好だ。玲は俺の前ではすっかり甘えん坊になり、葵は毎晩のように俺の作る夜食を幸せそうに頬張っている。三人の共犯者となった俺の学園生活は、秘密とドキドキに満ちてはいるが、不思議と充実していた。

しかし、俺の心の中には、ずっと一つの引っかかりがあった。
九条雅のことだ。
あの日、中庭で見た子猫を愛でる彼の優しい横顔。そして、それを見られたと知った時の、激しい怒りと拒絶。彼のあの極端な態度の変化が、どうしても頭から離れなかった。

教室での彼は、相変わらずだった。誰とも話さず、一人で窓の外を眺めている。その全身から放たれる「俺に近づくな」というオーラは、他の生徒たちを寄せ付けない強固な壁となっていた。俺も、あの日以来、彼に話しかける勇気は持てずにいた。

本当に、彼はただの怖いだけの男なのだろうか。いや、違う。あの子猫に向ける眼差しは、本物だった。彼の中には、間違いなく優しさがある。それを、なぜあんなにも頑なに隠そうとするのか。俺は、彼のことがもっと知りたくなっていた。

放課後。俺は、まるで何かに導かれるように、再びあの中庭へと足を運んでいた。前回、あれだけ脅されたというのに、懲りないやつだと自分でも思う。だが、あの静かな場所が、彼の素顔に触れられる唯一の場所のような気がしたのだ。

茂みの影からそっと中を覗くと、やはり彼はいた。
しかし、その様子は前回とは少し違っていた。彼は地面にしゃがみ込んでいるが、そこに子猫の姿はない。彼は、中庭の隅にある、打ち捨てられて荒れ果てた花壇の前にいた。

そして、驚くべきことに、彼はその花壇の手入れをしていた。
軍手をはめた手で、黙々と雑草を抜いている。硬くなった土を、小さなシャベルで丁寧に耕している。その手つきは驚くほど優しく、まるで壊れ物を扱うかのようだった。

しばらくすると、彼は持参したらしいペットボトルの水を、か細い花の芽にそっと注ぎ始めた。その花は、まだ小さくて弱々しい。それでも、懸命に空に向かって伸びようとしている。九条は、その小さな命を愛おしそうに見つめていた。その横顔は、やはり穏やかで、教室で見せる険しい表情とはまるで別人だった。

俺は、息をのんでその光景を見つめていた。
彼は、ただ優しいだけじゃない。弱いもの、小さなもの、声なきものの痛みが分かる人間なんだ。だからこそ、自分の優しさを他人に知られることを極端に恐れている。それが、彼の強固な鎧の正体なのかもしれない。

俺は、彼の邪魔をしたくなかった。このまま静かに立ち去ろう。そう思った時だった。
「……きれいな、花だな」
俺の口から、無意識に言葉がこぼれ落ちていた。しまった、と思った時にはもう遅い。

俺の声に、九条の肩がびくりと大きく跳ねた。彼は弾かれたように振り返り、その鋭い瞳が俺の姿を捉える。
「……てめぇ、またか」
地を這うような低い声。だが、その声には前回のような殺気だった怒りよりも、むしろ戸惑いや羞恥の色が濃く滲んでいるように聞こえた。彼の顔は、怒りよりも先に、赤く染まっていた。

「あ、いや、ごめん! 本当に邪魔するつもりはなくて……」
「言い訳はいい」
九条は立ち上がると、俺を睨みつけた。だが、胸ぐらを掴みかかってくるようなことはしない。ただ、その場で俺を射殺さんばかりの視線で威嚇している。
「俺に関わるなと言ったはずだ」
「……ああ。でも、気になったんだ。お前が、いつもここで何をしてるのか」

俺が正直にそう言うと、九条は一瞬だけ虚を突かれたような顔をした。そして、チッと鋭く舌打ちをする。
「……お前には関係ねえだろ」
そう言うと、彼はペットボトルとシャベルを乱暴に掴み、俺の横を通り過ぎて行った。その瞬間、俺は勇気を振り絞って、彼の背中に声をかけた。

「花、好きなのか?」

九条の足が、ぴたりと止まった。彼は振り返らない。ただ、その広い背中が、何かを必死に堪えているように見えた。
しばらくの沈黙の後、彼は何も答えず、再び歩き出した。そして、そのまま中庭から逃げるように去っていった。

一人残された俺は、彼が手入れをしていた花壇に近づいた。雑草が取り除かれ、土がふかふかになっている。小さな花が、夕暮れの風にそっと揺れていた。
俺は、また彼を怒らせてしまっただろうか。いや、それ以上に、傷つけてしまったのかもしれない。自己嫌悪に陥りながら、俺は重い足取りで教室へと戻った。

翌朝。
教室に入り、自分の席に向かった俺は、思わず足を止めた。
俺の机の真ん中に、小さなガラス瓶がちょこんと置かれていたのだ。それは、理科室で使う薬品の空き瓶を綺麗に洗ったものらしかった。そして、その即席の一輪挿しには、一本の可憐な花が挿してある。

それは、昨日、九条が手入れをしていた花壇に咲いていたのと同じ、小さな青い花だった。

誰が、これを?
俺は、はっと息をのみ、教室の隅にある九条の席に視線を送った。
彼は、いつもと同じように窓の外を眺めていた。その横顔からは、何も読み取ることはできない。

だが、俺は見逃さなかった。
窓ガラスに反射した彼の耳が、ほんのりと赤く染まっているのを。

俺は、自分の机に置かれた小さな花に視線を戻した。言葉ではない。態度でもない。ただ、この一本の花に込められた、彼の不器用で、精一杯の優しさ。それが、じんわりと俺の胸に広がっていく。

俺は、誰にも気づかれないように、そっと口元を綻ばせた。
孤高の一匹狼と俺の間に、見えないけれど確かな、細い細い糸が結ばれたような気がした。
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