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第20話 雨の日の子猫
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机の上に置かれた青い花。それは、俺と九条雅の間に生まれた、言葉のない秘密のサインとなった。教室で目が合っても、彼は相変わらずそっぽを向く。廊下ですれ違っても、無視を決め込む。だが、週に一度か二度、俺の机の上には、彼が世話をしている花壇で咲いた花が、そっと置かれるようになった。その度に、俺は彼の不器用な優しさに触れ、心が温かくなるのを感じていた。
玲も葵も湊も、その花の送り主が誰なのか不思議がっていたが、俺は何も言わなかった。これは、俺と九条だけの秘密だ。そう思うと、少しだけ特別な気持ちになった。
そんなある日の放課後。朝から降り続いていた雨が、夕方になってさらに勢いを増していた。ざあざあと音を立てて降り注ぐ雨粒が、窓ガラスを叩いている。委員会がある玲、部活の助っ人に行った葵、そして後輩と約束があるという湊。今日は珍しく、俺の周りには誰もいなかった。
一人で寮に戻るのも味気ない。俺は、雨が小降りになるまで教室で本でも読んでいようと、図書室に向かうことにした。傘を差して校舎を出ると、冷たい雨風が吹き付けてくる。
中庭を通り抜けようとした、その時だった。
茂みの奥から、か細い鳴き声が聞こえてきた。みゃあ、みゃあ、と助けを求めるような、弱々しい声だ。俺は、はっとして足を止めた。あの声は、間違いない。以前、九条が世話をしていた、あの子猫の声だ。
俺は傘を放り出し、声がする方へと駆け寄った。茂みをかき分けると、そこには案の定、ずぶ濡れになった三毛の子猫がいた。雨に打たれ、寒さで身体をぶるぶると震わせている。その瞳は弱々しく、今にも命の灯火が消えてしまいそうだった。
「おい、大丈夫か!」
俺が手を伸ばそうとした、まさにその瞬間。俺の背後から、バシャバシャと水を跳ねる大きな足音が聞こえてきた。振り返るよりも早く、俺の横を影が駆け抜けていく。
「……っ!」
それは、九条だった。彼は傘も差さずに雨の中に飛び込んできたようで、その黒髪はぐっしょりと濡れて頬に張り付いている。制服も、雨水を吸ってずっしりと重そうだった。だが、そんなことはお構いなしに、彼は子猫の元へと駆け寄り、その小さな身体をそっと抱き上げた。
「馬鹿野郎……! なんでこんなとこにいるんだ……!」
その声は、怒っているというよりも、悲痛な叫びに近かった。彼は自分のブレザーのボタンを外すと、その内側に子猫をそっと入れて、自分の体温で温めようとする。
「九条……」
俺が声をかけると、彼は俺の存在にようやく気づいたようだった。その瞳には、一瞬だけ動揺の色が浮かぶ。だが、今はそれどころではないというように、彼はすぐに厳しい表情に戻った。
「見てねえで、手伝え。このままじゃ、こいつ死んじまう」
その言葉は、命令だった。だが、俺はそれが嬉しかった。彼が、俺に助けを求めてくれた。俺を、拒絶しなかった。
「ああ、分かった! どうすればいい!?」
「保健室だ。あそこなら、タオルも暖房もある」
「よし、行こう!」
俺たちは、雨の中を走り出した。俺は自分の傘を九条の頭上に差し出し、彼と、その胸に抱かれた小さな命を雨から守る。九条は、俺の行動に少しだけ驚いたようだったが、何も言わずに前だけを見据えて走っていた。
保健室に駆け込むと、幸いにも先生は不在だった。俺たちは鍵の開いていたドアから中に入ると、すぐに暖房のスイッチを入れる。
「タオル、タオル!」
「こっちにあった!」
俺たちは、棚からありったけの乾いたタオルを引っ張り出した。そして、九条がおそるおそるブレザーの内側から子猫を取り出す。子猫はぐったりとして、もう鳴き声を上げる元気もないようだった。
「しっかりしろ……!」
九条は、震える手で、子猫の濡れた身体を優しく、しかし手早く拭いていく。俺も、別のタオルで彼の足や尻尾を拭いてやった。
「ドライヤーがあったはずだ!」
俺は棚を探し、ドライヤーを見つけ出すと、一番弱い温風で、子猫の身体から距離を離してゆっくりと乾かし始めた。
二人とも、必死だった。無我夢中だった。言葉を交わす必要はなかった。ただ、目の前の小さな命を救いたい。その一心で、俺たちの心は一つになっていた。
しばらくすると、子猫の身体が少しずつ温かさを取り戻してきた。ぶるぶると震えていた身体が、少しずつ落ち着いてくる。そして、弱々しく「みゃう」と一声鳴いた。
「……!」
俺と九条は、顔を見合わせた。そして、どちらからともなく、ほっと安堵のため息をつく。
「……助かった、みたいだな」
「……ああ」
九条は、乾いたタオルで子猫をくるむと、自分の膝の上に乗せた。子猫は、安心したように、彼の膝の上で小さな寝息を立て始めた。その光景を見ながら、俺は床に座り込んだ。緊張の糸が切れて、どっと疲れが押し寄せてくる。
窓の外では、まだ雨が降り続いている。だが、保健室の中は、暖房の温かさと、俺たちの安堵感で、穏やかな空気に満たされていた。
俺は、隣に座る九条の横顔を盗み見た。濡れた髪、真剣な眼差し。その顔には、いつものような険しさはない。ただ、一つの命を救えたことに、静かな喜びを感じているようだった。
この共同作業を通じて、俺は初めて、九条雅とまともに会話をした。いや、会話らしい会話はしていない。だが、言葉以上に確かな何かが、俺たちの間に通い合った気がした。
雨の日の子猫が、孤高の一匹狼と俺の間に、新たな架け橋を架けてくれたのだ。
玲も葵も湊も、その花の送り主が誰なのか不思議がっていたが、俺は何も言わなかった。これは、俺と九条だけの秘密だ。そう思うと、少しだけ特別な気持ちになった。
そんなある日の放課後。朝から降り続いていた雨が、夕方になってさらに勢いを増していた。ざあざあと音を立てて降り注ぐ雨粒が、窓ガラスを叩いている。委員会がある玲、部活の助っ人に行った葵、そして後輩と約束があるという湊。今日は珍しく、俺の周りには誰もいなかった。
一人で寮に戻るのも味気ない。俺は、雨が小降りになるまで教室で本でも読んでいようと、図書室に向かうことにした。傘を差して校舎を出ると、冷たい雨風が吹き付けてくる。
中庭を通り抜けようとした、その時だった。
茂みの奥から、か細い鳴き声が聞こえてきた。みゃあ、みゃあ、と助けを求めるような、弱々しい声だ。俺は、はっとして足を止めた。あの声は、間違いない。以前、九条が世話をしていた、あの子猫の声だ。
俺は傘を放り出し、声がする方へと駆け寄った。茂みをかき分けると、そこには案の定、ずぶ濡れになった三毛の子猫がいた。雨に打たれ、寒さで身体をぶるぶると震わせている。その瞳は弱々しく、今にも命の灯火が消えてしまいそうだった。
「おい、大丈夫か!」
俺が手を伸ばそうとした、まさにその瞬間。俺の背後から、バシャバシャと水を跳ねる大きな足音が聞こえてきた。振り返るよりも早く、俺の横を影が駆け抜けていく。
「……っ!」
それは、九条だった。彼は傘も差さずに雨の中に飛び込んできたようで、その黒髪はぐっしょりと濡れて頬に張り付いている。制服も、雨水を吸ってずっしりと重そうだった。だが、そんなことはお構いなしに、彼は子猫の元へと駆け寄り、その小さな身体をそっと抱き上げた。
「馬鹿野郎……! なんでこんなとこにいるんだ……!」
その声は、怒っているというよりも、悲痛な叫びに近かった。彼は自分のブレザーのボタンを外すと、その内側に子猫をそっと入れて、自分の体温で温めようとする。
「九条……」
俺が声をかけると、彼は俺の存在にようやく気づいたようだった。その瞳には、一瞬だけ動揺の色が浮かぶ。だが、今はそれどころではないというように、彼はすぐに厳しい表情に戻った。
「見てねえで、手伝え。このままじゃ、こいつ死んじまう」
その言葉は、命令だった。だが、俺はそれが嬉しかった。彼が、俺に助けを求めてくれた。俺を、拒絶しなかった。
「ああ、分かった! どうすればいい!?」
「保健室だ。あそこなら、タオルも暖房もある」
「よし、行こう!」
俺たちは、雨の中を走り出した。俺は自分の傘を九条の頭上に差し出し、彼と、その胸に抱かれた小さな命を雨から守る。九条は、俺の行動に少しだけ驚いたようだったが、何も言わずに前だけを見据えて走っていた。
保健室に駆け込むと、幸いにも先生は不在だった。俺たちは鍵の開いていたドアから中に入ると、すぐに暖房のスイッチを入れる。
「タオル、タオル!」
「こっちにあった!」
俺たちは、棚からありったけの乾いたタオルを引っ張り出した。そして、九条がおそるおそるブレザーの内側から子猫を取り出す。子猫はぐったりとして、もう鳴き声を上げる元気もないようだった。
「しっかりしろ……!」
九条は、震える手で、子猫の濡れた身体を優しく、しかし手早く拭いていく。俺も、別のタオルで彼の足や尻尾を拭いてやった。
「ドライヤーがあったはずだ!」
俺は棚を探し、ドライヤーを見つけ出すと、一番弱い温風で、子猫の身体から距離を離してゆっくりと乾かし始めた。
二人とも、必死だった。無我夢中だった。言葉を交わす必要はなかった。ただ、目の前の小さな命を救いたい。その一心で、俺たちの心は一つになっていた。
しばらくすると、子猫の身体が少しずつ温かさを取り戻してきた。ぶるぶると震えていた身体が、少しずつ落ち着いてくる。そして、弱々しく「みゃう」と一声鳴いた。
「……!」
俺と九条は、顔を見合わせた。そして、どちらからともなく、ほっと安堵のため息をつく。
「……助かった、みたいだな」
「……ああ」
九条は、乾いたタオルで子猫をくるむと、自分の膝の上に乗せた。子猫は、安心したように、彼の膝の上で小さな寝息を立て始めた。その光景を見ながら、俺は床に座り込んだ。緊張の糸が切れて、どっと疲れが押し寄せてくる。
窓の外では、まだ雨が降り続いている。だが、保健室の中は、暖房の温かさと、俺たちの安堵感で、穏やかな空気に満たされていた。
俺は、隣に座る九条の横顔を盗み見た。濡れた髪、真剣な眼差し。その顔には、いつものような険しさはない。ただ、一つの命を救えたことに、静かな喜びを感じているようだった。
この共同作業を通じて、俺は初めて、九条雅とまともに会話をした。いや、会話らしい会話はしていない。だが、言葉以上に確かな何かが、俺たちの間に通い合った気がした。
雨の日の子猫が、孤高の一匹狼と俺の間に、新たな架け橋を架けてくれたのだ。
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