この男子校の生徒が自分以外全員男装女子だということを俺だけが知っている

夏見ナイ

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第32話 【準備②】葵と応援団

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種目決めから数日後。体育祭の熱気は、学園全体を包み込んでいた。放課後のグラウンドや体育館は、各種目の練習に励む生徒たちの熱気で溢れている。俺も、玲との二人三脚の練習に付き合わされる毎日だったが、それはまた別の話だ。

そんな中、俺たちのクラスに一つの大きな役割が与えられた。クラス対抗の応援合戦で、俺たちのクラスが赤組のリーダーを務めることになったのだ。そして、その応援団長に、満場一致で推薦されたのが、五十嵐葵だった。
彼女の持つ天性のカリスマ性とリーダーシップは、応援団長という役にまさにうってつけだった。

「よっしゃー! やるからには、絶対優勝するぞ、お前ら!」
放課後の教室で、教壇の前に立った葵が拳を突き上げると、集まった応援団のメンバーたちも「おう!」と力強く応える。その姿は、既に頼もしい団長そのものだった。

だが、応援団の練習が始まって数日後。俺は、葵の様子に異変があることに気づいた。
練習中、彼女は誰よりも熱心に動き回り、キレのあるダンスやパフォーマンスで団員たちを引っ張っている。しかし、一番の見せ場である「応援の口上」になると、途端に歯切れが悪くなるのだ。

「赤組ー! 勝利を掴むぞー! おー!」
彼女が絞り出す声は、確かに大きい。だが、どこか上ずっていて、深みがない。男らしい、腹の底から響くような「ドスの効いた声」が出せていないのだ。本人もそれを気にしているのか、口上の練習になると、途端に表情が曇り、自信なさげな態度になる。

「……五十嵐、もっと腹から声出せ!」
「なんだか、猫なで声みたいだぞ!」
応援団のメンバーたちから、容赦ないヤジが飛ぶ。葵は「う、うるせえ! やってるだろ!」と強がって見せるが、その顔は悔しそうに歪んでいた。

その日の練習終わり。俺が一人で教室の片付けをしていると、葵がとぼとぼと戻ってきた。いつもの太陽のような輝きはすっかり影を潜め、その肩は力なく落ちている。
「……よお、祐樹」
「お疲れ、葵。どうしたんだ、元気ないな」
俺がそう言うと、葵は大きなため息をついた。
「……見てたんだろ、さっきの練習。俺、やっぱ団長向いてねえのかもな」
弱々しい声でそう言って、彼女は机に突っ伏してしまった。

「声だよ、声。どうしても、男みてえな野太い声が出ねえんだ」
彼女の悩みは深刻だった。女の子である彼女が、無理に男らしい声を出そうとしても、限界があるのは当然だ。だが、周りは彼女が女の子だなんて夢にも思っていない。
「このままじゃ、団長失格だ。みんなの期待、裏切っちまう……」
その声は、震えていた。ヒーローであるはずの彼女が、今にも泣き出しそうに見えた。

俺は、彼女の隣に椅子を持ってきて座った。そして、その茶色い髪を、優しく撫でてやる。
「……そんなことないだろ」
「……祐樹」
「葵は、声だけが取り柄じゃない。お前のその熱意とか、一生懸命な姿が、みんなを引っ張ってるんだ。声なんて、二の次だよ」

俺の言葉に、葵は少しだけ顔を上げた。その瞳は、潤んでいる。
「でも……」
「それに、発声練習すれば、今よりは良くなるかもしれないだろ? 俺でよければ、付き合うぜ。マンツーマンでさ」

俺の提案に、葵はきょとんとした顔で俺を見つめていた。そして、次の瞬間。その顔が、ぱあっと輝いた。
「……マジか!? 祐樹、付き合ってくれるのか!?」
「ああ。もちろん」
「やったー! さすが俺のダチだぜ!」
さっきまでの落ち込みが嘘のように、葵は勢いよく立ち上がった。そして、俺の手をがしりと掴む。
「よし! 早速やろうぜ! ここじゃなんだから、屋上行こう!」

俺たちは、夕暮れの屋上へと向かった。オレンジ色の光が、街を優しく染めている。二人きりの空間に、少しだけ気恥ずしい空気が流れた。
「で、どうすりゃいいんだ? 発声練習なんて、やったことねえぞ」
「そうだな……まずは、腹式呼吸からだ。腹に手を当てて、ゆっくり息を吸って……」

俺は、演劇部だった中学時代の知識を総動員して、彼女に発声の基礎を教え始めた。葵は、驚くほど素直だった。俺の言うことを、真剣な顔で一つ一つ実践していく。
「もっと腹を意識して! そう、そこだ!」
俺が彼女の下腹部を軽く指で突くと、彼女は「ひゃっ!?」と可愛らしい声を上げて飛び上がった。
「な、何すんだよ、いきなり!」
「いや、腹筋に力入れろって意味で……」
「……ばか」
顔を真っ赤にして俯く彼女の姿は、普段の快活なヒーローとは程遠い、ただの恥ずかしがり屋な女の子だった。

そんな甘酸っぱいハプニングを挟みながらも、俺たちの秘密の特訓は続いた。
「いいか、葵。一番大事なのは、技術じゃない。気持ちだ。誰に、何を伝えたいか。それを強く思うんだ」
「……誰に、何を」
「ああ。お前が応援したいのは、誰だ?」

俺の問いに、葵はしばらく黙り込んでいた。そして、夕日を真っ直ぐに見つめながら、ぽつりと呟く。
「……祐樹に、かな」
「え?」
「お前に……俺の、一番かっこいいとこ、見てほしいから」

そう言って振り返った彼女の横顔は、夕日に照らされて、今まで見たどんな彼女よりも綺麗だった。俺は、心臓が大きく音を立てるのを感じながら、彼女から目を離すことができなかった。

「……いくぜ、祐樹!」
葵は、一度大きく深呼吸をすると、フェンスの向こうに広がる街に向かって、ありったけの声で叫んだ。
「赤組ー! 絶対に、優勝するぞぉぉぉぉぉっ!!」

その声は、まだ少しだけ高いかもしれない。だが、そこには確かな力が宿っていた。迷いのない、まっすぐな想いが込められた、魂の叫びだった。それは、どんな野太い声よりも、ずっとずっと、俺の胸に強く響いた。

「……どうだ?」
息を切らしながら、葵が誇らしげに笑う。
俺は、満面の笑みで、親指をぐっと立てて見せた。
「……最高だよ、葵」

俺の言葉に、彼女は心の底から嬉しそうに、はにかんだ。
夕暮れの屋上。二人だけの秘密の特訓は、俺たちの距離を、また一歩、確実に縮めてくれたのだった。
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