この男子校の生徒が自分以外全員男装女子だということを俺だけが知っている

夏見ナイ

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第34話 【準備④】湊の障害物競走計画

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玲との甘酸っぱい二人三脚、葵との熱血発声練習。俺の放課後は、体育祭の練習という名目の甘いイベントで埋め尽くされていた。精神的な充足感は高い。だが、肉体的な疲労は確実に蓄積していた。

その日の練習終わり。俺はへとへとになって、中庭のベンチに座り込んでいた。スポーツドリンクを飲み干し、大きく息をつく。玲も葵も、練習となると一切手加減がない。彼女たちの期待に応えるためとはいえ、俺の身体はそろそろ悲鳴を上げそうだ。

「お疲れ様です、せんぱい」
不意に、頭上から可愛らしい声がした。顔を上げると、そこには湊がにこやかな笑みを浮かべて立っていた。その手には、冷えたペットボトルのお茶が二本握られている。
「はい、これ。差し入れです」
「お、サンキュ。助かるよ」
俺はありがたくお茶を受け取った。湊は、当たり前のように俺の隣にちょこんと座る。

「毎日大変そうですね。玲先輩と葵先輩に、こき使われてるんじゃないですか?」
「こき使われてるってわけじゃ……まあ、否定はしないけど」
俺が苦笑すると、湊は「やっぱり」と言ってくすくすと笑った。
「僕なら、せんぱいをそんなに疲れさせたりしませんけどねぇ」
その言葉には、どこか意味深な響きがあった。

「そういえば、篠宮は何の練習してるんだ? あんまり見かけないけど」
俺がそう尋ねると、湊は待ってましたとばかりに顔を輝かせた。
「僕ですか? 僕は、借り物競走と、障害物競走に出ますよ」
「障害物競走か。大変そうだな。網をくぐったり、壁を越えたりするんだろ?」
「はい。でも、僕にとってはただのゲームみたいなものです」
彼女は、こともなげにそう言ってのける。その自信はどこから来るのだろうか。

「それで、せんぱいにお願いがあるんですけど」
湊は、こてんと可愛らしく首を傾げた。その仕草に、俺の心臓が少しだけ跳ねる。
「お願い?」
「はい。障害物競走の本番、ゴール地点で僕のこと、待っててくれませんか?」

「ゴールで? 俺が?」
予想外のお願いに、俺は戸惑った。
「はい。せんぱいがゴールで見ててくれたら、僕、すっごく頑張れると思うんです。ダメ、ですか?」
潤んだ瞳で上目遣いに見つめられる。こんな顔でお願いされて、断れる男がいるだろうか。いや、いない。
「……分かったよ。いいぜ、待ってる」
俺がそう答えると、湊は「やったー!」と嬉しそうに声を上げた。

「じゃあ、約束ですよ! 絶対ですからね!」
彼女はそう念を押すと、俺の手を引いて立ち上がった。
「約束の印に、今から僕の秘密の特訓場所へご招待します」
「え、どこへ行くんだよ」
「いいからいいから♪」
俺は、楽しそうな彼女に手を引かれるまま、夜の校舎へと向かった。

連れてこられたのは、いつかのPCルームだった。
「ここが特訓場所?」
「はい。まあ、見ててください」
湊は、一番奥の自分の定位置に座ると、凄まじい速さでキーボードを叩き始めた。モニターには、複雑な3Dグラフィックが次々と表示されていく。そして、数分後。目の前の巨大なスクリーンに映し出されたのは、俺たちの学校のグラウンドを完全に再現した、バーチャル空間だった。

「これ……」
「僕が作った、障害物競走の完璧なシミュレーションプログラムです」
彼女は得意げに胸を張る。スクリーンの中では、湊そっくりのアバターが、障害物を次々とクリアしていく。平均台を驚異的なバランス感覚で渡り、麻袋ジャンプを軽快なリズムでこなし、最後のネットくぐりも、最短ルートを計算してあっという間に抜けていく。その動きは、もはや人間のそれではない。

「……すげえな」
俺は、ただただ感嘆の声を漏らすことしかできなかった。
「でしょ? 過去十年間の獅子王院の体育祭のデータを全部解析して、最も出現確率の高い障害物のパターンを1024通り洗い出しました。どのパターンが来ても、0.1秒単位で最適解を導き出せるように、僕の身体と思考はプログラムされています」
もはや、特訓というレベルではなかった。これは、勝利のための完璧な方程式だ。

「でも、篠宮。どうして、ここまで……」
「決まってるじゃないですか」
シミュレーションを終えた湊は、椅子をくるりと回転させ、俺に向き直った。そして、とろけるように甘い笑みを浮かべる。

「一位になったら、ご褒美がもらえるからです」
「ご褒美?」
「はい。ゴールで待っててくれるせんぱいに、思いっきり、ぎゅーってしてもらうんです」
彼女は、自分で自分を抱きしめるような仕草をして見せた。

「……は、ハグ!?」
俺は、顔から火が出そうになった。
「はい、ハグです。僕、せんぱいに抱きしめてもらうためなら、どんな努力もできますから。そのための、完璧な計画とシミュレーションなんです」

運命的な出会いも、この障害物競走も。全ては、この小さな小悪魔によって計算され、計画された、俺を攻略するための壮大なプロジェクトの一部だったのだ。
俺は、彼女のその恐るべき計画性と、あまりにも可愛らしい最終目標とのギャップに、頭がクラクラしてきた。

「だから、せんぱい」
湊は、俺の前に立つと、その大きな瞳で俺をじっと見上げてきた。
「僕、絶対に一位を取りますから。最高の笑顔で、せんぱいの胸に飛び込んでいけるように」

その真剣な眼差しと、揺るぎない勝利宣言。
俺は、もう彼女を応援する以外の選択肢など、どこにも残されていなかった。
この小さな天才ハッカーは、体育祭という舞台さえも、自分と俺のためだけの甘いステージに変えてしまおうとしている。俺は、その計画の共犯者として、本番の日を待つことになったのだった。
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