この男子校の生徒が自分以外全員男装女子だということを俺だけが知っている

夏見ナイ

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第37話 【本番①】開会式

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空は、どこまでも突き抜けるような青だった。絶好の体育祭日和。グラウンドに響き渡るブラスバンドの勇ましいマーチが、俺の心臓を高鳴らせる。クラスごとに色分けされたテントがずらりと並び、生徒たちの熱気と興奮が陽炎のように立ち上っていた。

「祐樹、準備はいい?」
部屋を出る直前、玲が鏡の前で最終チェックをしながら俺に問いかけた。その横顔は、いつも通りのクールで完璧な王子様。だが、俺には分かった。きつく結ばれたハチマキの下で、彼女の瞳が期待と緊張に微かに揺れていることを。
「ああ、ばっちりだ」
俺はそう言って、ズボンのポケットを軽く叩いた。そこには、彼女が作ってくれた獅子の刺繍入りハンカチが、お守りのように収まっている。その仕草に気づいた玲は、一瞬だけ視線を泳がせ、そしてふっと口元を緩めた。
「……そう。ならいいわ」
その小さな反応だけで、俺の胸は温かい気持ちで満たされた。

グラウンドに出ると、俺たちのクラスは既に応援の準備を始めていた。その中心にいるのは、もちろん葵だ。
「いいかお前ら! 今日は声嗄らすまで叫ぶぞ! 俺たちのクラスが一番だってこと、学園中に見せつけてやろうぜ!」
太陽のような笑顔で、彼女が拳を突き上げる。その腕には、俺と同じ赤と白のミサンガが揺れていた。俺の姿を認めた彼女は、ニカッと笑って駆け寄ってくる。
「よお、祐樹! 寝坊しなかったか! そのミサンガ、ちゃんと付けてるな!」
「当たり前だろ。お前こそ、団長なんだからしっかりやれよ」
「おう、任せとけ! お前に、俺の一番かっこいいとこ見せてやるからな!」
力強く俺の背中を叩くその手から、彼女の熱い想いが伝わってくるようだった。

少し離れた場所では、湊が後輩たちに囲まれて何やら指示を出していた。借り物競走の必勝法でも伝授しているのだろうか。彼女は俺の視線に気づくと、人垣の向こうから、いたずらっぽく片目をつぶってウインクを送ってきた。その唇が『見ててね』と動いた気がした。

そして、雅。彼女は一人、テントの影で黙々とストレッチをしていた。誰とも馴れ合わないその姿は、いつも通りだ。だが、俺が彼女の方を見ると、彼女はストレッチを止め、一瞬だけ俺と目を合わせた。そして、こくりと小さく、しかし力強く頷いて見せた。言葉はない。だが、その眼差しは『お前も、やれよ』と、俺を鼓舞しているようだった。

四人からの、それぞれの激励。俺の胸に、静かな闘志が燃え上がった。
運動音痴の俺が、この学園のヒーローたちと同じ舞台に立つ。無様な姿は見せられない。彼女たちのために、俺は俺のできる全てを出し切ろう。

やがて、開会式の始まりを告げるファンファーレが鳴り響いた。全校生徒が、クラスごとにグラウンドの中央へと整列していく。その光景は、圧巻の一言だった。見渡す限り、イケメン、イケメン、イケメン。少女漫画の世界に迷い込んだかのような、非現実的な光景が広がっている。

開会式は、厳かに進行していく。生徒会長の開会の辞、学園長からの激励の言葉。そして、式のクライマックスである、選手宣誓の時が来た。
「選手代表、前へ」
その声と共に、二人の生徒が全校生徒の前へと進み出る。一人は、三年生の生徒会役員。そしてもう一人。銀色の髪を風に揺らし、背筋をぴんと伸ばして壇上へと向かうその姿に、会場からひときわ大きな歓声が上がった。
橘玲だ。

「きゃーっ! 橘様ー!」
「こっち向いてー!」
黄色い声援、という表現がこれほど似合う場面もないだろう。生徒たちは、まるでアイドルのコンサートに来たかのように、熱狂的な視線を壇上の玲に送っている。その誰もが、彼女が完璧な王子様だと信じて疑っていない。

壇上に上がった玲は、一度深く息を吸い込むと、マイクに向かって、澄み渡るような声で言葉を紡ぎ始めた。
「宣誓! 我々選手一同は、スポーツマンシップにのっとり、正々堂々、最後まで戦い抜くことを誓います!」

その力強く、凛とした声が、グラウンドの隅々にまで響き渡る。揺るぎない眼差し、堂々とした立ち姿。どこからどう見ても、それは誰もが憧れる完璧なリーダーの姿だった。

俺は、その光景を少し離れた列の中から、静かに見つめていた。周囲の熱狂を、まるで他人事のように感じながら。
そして、俺の心の中には、ある感情がふつふつと湧き上がっていた。
それは、圧倒的なまでの、優越感だった。

(お前たちが熱狂しているその完璧な王子様は)
俺は、心の中で呟く。
(本当は、女の子なんだぞ)

俺の脳裏に、昨夜の玲の姿が蘇る。俺のために夜なべしてハンカチを縫い、少しだけ照れながらそれを手渡してくれた彼女。二人三脚の練習中、わざとバランスを崩して俺の胸に飛び込んできた、悪戯っぽい笑顔の彼女。そして、俺のベッドに潜り込んできて「僕だけを見て」と、涙ながらに訴えた、甘えん坊で独占欲の強い彼女。

壇上で凛として立つ、あのクールな王子様の姿と、俺だけが知っている、か弱くて可愛い女の子の素顔。そのとてつもないギャップを知っているのは、この広い学園の中で、ただ一人、俺だけだ。

俺は、そっと葵に視線を移す。クラスの中心で誰よりも大きな声を出し、仲間を鼓舞するヒーロー。だが、彼女の本当の姿は、男らしい声が出せないと一人で悩み、俺の作る夜食を幸せそうに頬張る、食いしん坊で乙女な女の子だ。

湊に目を向ける。後輩たちに慕われる、人懐っこい弟キャラ。だが、その裏の顔は、世界レベルのハッキング能力で運命さえも操作しようとする、狡猾で甘えん坊な小悪魔だ。

そして、雅。誰をも寄せ付けない、孤高の一匹狼。だが、その鎧の下には、雨に濡れた子猫を必死で助けようとし、不器用な手でクッキーを焼いてくれる、誰よりも優しい心を持った少女がいる。

彼女たちの、本当の姿。その全てを知っているのは、俺だけ。
この秘密を共有しているという事実が、俺に何物にも代えがたい特別感を与えてくれていた。

選手宣誓を終えた玲が、壇上から降りてくる。そして、自分のクラスの列に戻る、まさにその一瞬。彼女は、俺の方にだけ視線を向けた。そして、他の誰にも気づかれないように、ほんのわずかに、口の端を上げて微笑んでみせた。

それは、俺だけが意味を理解できる、共犯者だけの秘密のサインだった。
俺は、彼女に向かって小さく頷き返す。

開会式が終わり、競技開始を告げるスターターピストルの乾いた音が、青空に響き渡った。
さあ、始まる。
俺たちの、そして俺だけの、特別な体育祭が。
俺は、これから始まる戦いへの期待に、胸を大きく高鳴らせていた。
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