この男子校の生徒が自分以外全員男装女子だということを俺だけが知っている

夏見ナイ

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第38話 【本番②】借り物競走のお題

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体育祭の火蓋が切って落とされ、グラウンドは瞬く間に熱狂の坩堝と化した。午前中のプログラムは、徒競走や玉入れといったオーソドックスな種目が続く。俺は、足の遅さをクラスメイトに笑われながらも、玲の刺繍ハンカチを握りしめて最後まで走りきった。

そして、午前の部のハイライトともいえる種目、『借り物競走』の時間がやってきた。
「さあ、続いての競技は、何が起こるか分からないドキドキの借り物競走だー!」
アナウンス担当の生徒が、興奮気味にマイクで叫ぶ。各クラスから選抜された選手たちが、スタートラインにずらりと並んでいた。その中にはもちろん、俺たちのクラス代表として、篠宮湊の姿もある。

「せんぱい! 見ててくださいね!」
スタートラインから、湊が俺に向かって小さく手を振った。その笑顔は自信に満ち溢れている。彼女がこの日のために、どれだけのシミュレーションを重ねてきたかを知っているのは、俺だけだ。

パンッ!と乾いたピストルの音と共に、選手たちが一斉に走り出した。最初の障害物は、コースの中央に置かれた巨大な段ボール箱。選手たちは、その中から一つだけ、お題の書かれた紙を引かなければならない。

湊は、小柄な身体を生かして人混みをすり抜け、いち早く箱にたどり着いた。そして、迷うことなく一枚の紙をひったくるように抜き取る。その動きには、一切の無駄がない。おそらく、どの位置の紙を取れば最短時間でコースに戻れるかまで、計算済みだったのだろう。

彼女は、紙を開いてその内容を確認すると、ぱあっと顔を輝かせた。そして、くるりと踵を返し、ゴールとは逆方向、俺たちがいる応援席に向かって、一直線に走り出した。
その表情は、まるで宝物を見つけた子供のように、キラキラと輝いている。

(来たか……!)

俺の心臓が、どくんと大きく跳ねた。彼女が引いたお題は、間違いなく、彼女がシミュレーションで最も出現確率が高いと予測していた、あのお題のはずだ。

だが、その時。俺は信じられない光景を目にした。
湊だけではない。他のクラスの選手たちも、次々とお題の紙を確認すると、まるで示し合わせたかのように、一斉に俺たちのクラスの応援席に向かって殺到してくるではないか。

その先頭を走っているのは、赤組のライバルである白組のエース、葵だ。彼女もこの種目に出ていたのか! 彼女は、紙を高く掲げながら、獣のような速さで俺に向かって突進してくる。
「祐樹ぃぃぃぃぃっ!!」
その叫び声は、もはや応援というよりは求愛に近い。

さらに、そのすぐ後ろから、青組代表として出場していた玲が、普段のクールな姿からは想像もできないような、鬼気迫る形相で追いかけてくる。
「待ちなさい、五十嵐さん! 祐樹は私が借りる!」
その声は、嫉妬の炎で燃え上がっていた。

そして、極めつけは、黄色組の選手として、なぜか出場していた雅だった。彼女は応援のはずではなかったのか。おそらく、直前で欠員が出て、無理やり出場させられたのだろう。彼女は、顔を真っ赤にしながらも、誰よりも真剣な眼差しで、俺だけを見つめて走ってくる。

湊、葵、玲、そして雅。
四人の男装女子たちが、それぞれの組の命運を背負い、たった一人の「借り物」である俺に向かって、猛然とダッシュしてくる。
その異様な光景に、グラウンド中の生徒たちが、何事かとざわめき始めた。

「な、なんだあれ!?」
「なんで全員、相葉のところに向かってるんだ!?」

俺は、その場で完全に固まっていた。四方向から迫りくる、美少女(男装)たちの愛の弾丸。逃げ場など、どこにもない。
「せんぱい、捕まえました!」
「祐樹、俺のもんだ!」
「離しなさい!」
「……どけ」

あっという間に、俺は四人に捕獲された。腕を引かれ、背中に抱きつかれ、服を掴まれ、俺の身体はもはや俺のものではなかった。壮絶な、祐樹の奪い合いが勃発したのだ。

「一体、お題は何なんだよ!?」
俺たちのクラスの実行委員が、困惑しながらマイクで叫ぶ。
その声に、四人ははっと我に返った。そして、それぞれが手に持っていたお題の紙を、見せつけるように広げて見せた。

そこに書かれていた文字は、四人とも、全く同じだった。

『この世で一番、大切なもの』

そのお題を見た瞬間、グラウンドは割れんばかりの歓声とどよめきに包まれた。
「うおおおおお! なんだこれ、青春かよ!」
「相葉、愛されすぎだろ!」

俺は、顔から火が出そうなくらい恥ずかしかった。彼女たちは、迷うことなく、俺を選んでくれたのだ。その事実は、たまらなく嬉しくて、そして死ぬほど気まずい。

「どうすんだよ、これじゃ勝負にならねえだろ!」
審判の先生も、この前代未聞の事態に頭を抱えている。
しばらくの協議の結果、前代未聞のジャッジが下された。
「……えー、協議の結果。四人とも、相葉君と一緒にゴールした場合のみ、得点を認める!」

その瞬間、俺を巡る争いは、新たなステージへと移行した。
「祐樹、私の手を」
「いや、俺の肩を組め!」
「せんぱい、お姫様だっこしてあげます!」
「……黙って、ついてこい」

結局、俺は四人に囲まれ、まるで神輿のように担がれながら、ゴールへと向かうことになった。右手は玲に、左手は葵に。背中には湊がしがみつき、前は雅が先導する。
俺たちは、四つの組が手を取り合う(物理的に)という、体育祭史上、最も奇妙で、そして最も温かい形で、一緒にゴールテープを切った。

結果は、前代未聞の四組同時一位。
俺は、四人の勝利の女神たちに囲まれ、照れくさそうに笑うことしかできなかった。
借り物競走は、彼女たちの想いを再確認する、甘くて、少しだけ騒がしいイベントとなったのだった。
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