この男子校の生徒が自分以外全員男装女子だということを俺だけが知っている

夏見ナイ

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第45話 【体育祭の夜】勝利のキス

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打ち上げの賑わいが嘘のように、部屋には静寂が戻っていた。葵たちがそれぞれの部屋に帰っていき、残されたのは俺と玲の二人だけ。体育祭の熱気と、打ち上げの優しい余韻が、部屋の空気の中に溶け込んでいるようだった。

俺は、床に散らばったお菓子の袋やジュースのコップを片付けていた。玲は、それを手伝うでもなく、自分のベッドに腰掛けたまま、じっと俺の姿を目で追っている。その視線は、どこか熱っぽくて、俺は少しだけ気まずさを感じていた。

「……お疲れ、玲。今日はすごかったな」
片付けを終えた俺が、沈黙に耐えかねてそう声をかけると、玲は「ええ」と短く応えた。そして、すっと立ち上がると、俺の目の前まで歩み寄ってくる。
「祐樹」
「ん?」
「今日の、優勝のご褒美……まだ、もらっていないのだけれど」

その言葉に、俺の心臓がどきりと跳ねた。
ご褒美。そういえば、テストの後にそんな話があった。あの時は、一日恋人ごっこをしたり、頭を撫でたりと、甘くて恥ずかしい要求をされた記憶が蘇る。まさか、今回も……?

俺が身構えていると、玲は俺の胸に、そっと自分の額をこてんと預けてきた。
「……疲れたわ」
その声は、いつもの凛とした響きはなく、心の底から安堵したような、甘えた響きを持っていた。
「一日中、完璧な橘玲を演じているのは、思った以上に疲れるものなのね」
「……お疲れ様」
俺は、そっと手を伸ばし、彼女の絹のような銀髪を優しく撫でた。彼女は、猫のように気持ちよさそうに、俺の胸にさらにすり寄ってくる。

「でも、楽しかった」
くぐもった声で、彼女は呟く。
「あなたが見ていてくれたから。……あなたの声が、聞こえたから。だから、最後まで走り切れた」
「俺は、応援してただけだよ」
「それが、一番の力になったのよ」

彼女は、ゆっくりと顔を上げた。その紫色の瞳は、潤んでいて、熱を帯びている。至近距離で見つめられ、俺は呼吸をするのも忘れそうになった。部屋の小さなランプの光が、彼女の長いまつ毛の影を、その白い頬に落としていた。

「ねえ、祐樹」
彼女は、俺の制服の裾を、小さな手できゅっと握りしめた。
「今日の私……かっこよかった?」
その問いは、まるで子供が親に褒めてもらいたがるような、純粋で、健気な響きを持っていた。完璧な王子様が見せる、ほんの一瞬の、素顔。

俺は、込み上げてくる愛おしさを抑えきれずに、ふっと微笑んだ。
「ああ。最高にかっこよかったよ」
俺がそう言うと、玲の顔が、ぱあっと輝いた。そして、今まで見たこともないくらい、幸せそうに、はにかんだ。

「……そっか」
彼女は、満足そうにそう呟くと、再び俺の胸に顔をうずめた。しばらく、二人だけの穏やかな時間が流れる。俺の心臓の音が、やけに大きく響いていた。

「……だから」
しばらくして、玲が再び顔を上げた。その表情は、先ほどまでとは違う。何かを、強く決意したような、真剣な眼差しだった。
「……だから、ご褒美をちょうだい。ヒーローが、勝利の女神にキスをするのは、物語の王道でしょう?」

「……き、キス!?」
俺は、思わず素っ頓狂な声を上げた。
「ええ、キスよ」
彼女は、顔を真っ赤にしながらも、しかし決して目を逸らさなかった。
「もちろん、唇じゃなくていいわ。……おでこに、ほんの少しだけでいいの。それくらい、許してくれるでしょう? 私、今日、一番頑張ったのだから」

そう言って、彼女は少しだけ背伸びをすると、俺の目の前に、自分の白い額を差し出してきた。そして、ぎゅっと、きつく目を瞑る。長いまつ毛が、微かに震えていた。
その無防備で、あまりにも健気な姿に、俺はもう、抗うことなどできなかった。

俺は、ごくりと唾を飲み込んだ。
そして、震える手を、そっと彼女の頬に添える。彼女の肌は、驚くほど滑らかで、そして熱かった。
ゆっくりと、顔を近づけていく。シャンプーの甘い香りが、俺の理性を麻痺させていくようだった。

そして。
俺の唇は、彼女の滑らかな額に、そっと、触れた。

「……っ」

唇が触れた瞬間、玲の肩がびくりと大きく跳ねた。俺の唇を通して、彼女の熱が、驚きが、そして喜びが、じわりと伝わってくる。それは、ほんの数秒にも満たない、淡雪のように儚いキスだった。

俺がゆっくりと顔を離すと、玲はまだ、目を瞑ったままだった。その顔は、耳まで真っ赤に染まり、長いまつ毛は濡れているようにも見えた。やがて、彼女はおそるおそる目を開ける。その潤んだ紫色の瞳は、夢見るように、俺を映していた。

「……ありがとう、祐樹」
か細い声で、彼女はそう言った。
「……私の、ヒーロー」

その言葉と、表情に、俺は完全に心を射抜かれてしまった。
体育祭の夜。興奮と熱狂の果てに待っていたのは、今まで経験したどんな出来事よりも、甘くて、そして切ない、勝利のキスだった。

俺たちの秘密の関係は、この夜を境に、また新たなステージへと進んでいくことになる。
その時の俺は、そんな予感を胸に抱きながら、ただ目の前の美しい勝利の女神から、目を離すことができずにいた。

**【第二部:絆深まる体育祭編 完】**
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