この男子校の生徒が自分以外全員男装女子だということを俺だけが知っている

夏見ナイ

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第48話 葵の個人レッスン

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プールでの楽しい一日を終え、俺たちの夏休みはさらに活気づいていた。だが、あの一件で、俺は自分の致命的な弱点を改めて思い知らされていた。
そう、俺は全く泳げないのだ。いわゆる、カナヅチというやつだ。
プールでは、足がつく浅い場所で、なんとか溺れているフリをしてごまかしていたが、葵や玲が軽快に泳ぐ姿を見るたびに、劣等感と羨ましさが胸をよぎっていた。

「はぁ……情けねえ」
その日の夜。俺は部屋で一人、体育の教科書に載っているクロールの連続写真を眺めながら、深いため息をついていた。
「どうしたんだよ祐樹、そんな難しい顔して」
ひょっこりと部屋に顔を出したのは、風呂上がりでまだ髪が少し濡れている葵だった。彼女は、俺の手元を覗き込むと、すぐに合点がいったようにニヤリと笑う。

「なんだ、泳ぎの練習か? お前、もしかして泳げねえのか?」
「……うるさい。放っておいてくれ」
図星を突かれ、俺はむきになって教科書を閉じた。
「ははっ、図星だな! ダッセーの!」
葵は、腹を抱えて笑っている。だが、その目にはからかう色だけでなく、どこか温かい光が宿っていた。
「……まあ、しょうがねえな」
彼女はひとしきり笑った後、ポンと俺の肩を叩いた。
「俺が、直々に教えてやるよ。感謝しろよな?」

その提案は、俺にとって渡りに船だった。だが、同時に危険な予感もしていた。葵に、マンツーマンで、水中で、泳ぎを教えてもらう。それは、理性と煩悩の壮絶な戦いを意味していた。
「……いいのか?」
「おう、任せとけ! 俺にかかれば、お前なんて三日で魚にしてやるぜ!」
彼女は、自信満々に胸を叩いた。その頼もしい姿に、俺はつい頷いてしまっていた。

翌日。俺たちは、再び二人きりで貸し切り状態のプールに来ていた。昨日とは違う、静かで、少しだけ緊張感のある空気が漂っている。
「よし、じゃあまずは基本のバタ足からだ! プールサイドに掴まって、やってみろ!」
葵先生の、熱血指導が始まった。俺は言われるがまま、プールサイドに掴まって必死に足を動かす。だが、身体がうまく浮かず、ただ虚しく水を蹴るだけだ。

「違う! もっと、太ももから動かすんだよ!」
葵は、プールの中から俺の足首を掴んだ。
「こう! もっとしなやかに!」
彼女の大きな手が、俺の足首を優しく、しかし力強く動かしていく。その感触に、俺の心臓がどきりとした。
「……わ、分かった! もう自分でできる!」
俺は、慌てて彼女の手を振り払った。葵は、「なんだよ、照れんなって」と笑っている。

バタ足の次は、息継ぎの練習。そして、腕の動かし方。葵の指導は、驚くほど的確で、分かりやすかった。スポーツ万能な彼女は、教えるのも上手いらしい。
「よし、じゃあ、いよいよ泳いでみるか!」
数時間の基礎練習を終え、葵は最終テストを言い渡した。
「俺が向こう岸で待ってるから、ここまで泳いでこい。途中で足ついちゃダメだぞ」
「む、無理だろ、いきなりは……」
「大丈夫だって! 俺がちゃんと見ててやるから!」

彼女の有無を言わさぬ笑顔に、俺は覚悟を決めるしかなかった。
俺は、大きく息を吸い込むと、プールの壁を蹴って、恐る恐る水の中に身体を預けた。教わった通りに、手と足を動かす。
最初の数メートルは、なんとか進めた。だが、足が着かない場所まで来た途端、急激な恐怖心が俺を襲った。
(沈む……!)
身体が強張り、手足の動きがバラバラになる。そして、案の定、俺の身体は無様に水の中へと沈んでいった。

「ごぼごぼっ……!」
口の中に、大量の水が入ってくる。苦しい。パニックになった俺は、必死にもがいた。
その時だった。
俺の身体を、誰かが力強く、しかし優しく、水中から抱き上げてくれた。

「……ぷはっ!」
水面に顔を出すと、そこには心配そうな顔をした葵がいた。彼女が、溺れた俺を助けてくれたのだ。
「大丈夫か、祐樹!?」
「……ああ、なんとか」
俺は、彼女の腕に支えられたまま、必死に咳き込んだ。

「……たく、見てらんねえな」
葵は、呆れたようにため息をついた。そして、とんでもないことを言い出す。
「しょうがねえ。俺が、お前の身体、支えててやるよ」

「え?」
俺が聞き返す間もなく、彼女は俺の背後に回り込むと、その両腕を俺の脇の下から通し、俺の胸の前で、しっかりと組んだ。
つまり、俺は後ろから、彼女に完全にホールドされた状態になったのだ。
俺の背中には、彼女の柔らかく、そして豊かな胸の感触が、これでもかというほどに押し付けられている。水着一枚隔てただけの、ダイレクトな感触。
「……っ!」
俺の身体は、完全に硬直した。

「ほら、これなら沈まねえだろ? このまま、ゆっくり手足を動かしてみろ」
葵の声が、すぐ耳元で聞こえる。彼女の吐息が、俺の首筋をくすぐった。
「お、おい、葵……これ、は……」
「なんだよ、文句あんのか? こうでもしねえと、お前、一生泳げねえぞ」
彼女は、俺の動揺などお構いなしに、ぐいぐいと俺の身体を押していく。

背中に伝わる、信じられないほどの柔らかさと温かさ。
耳元で囁かれる、優しい指導の声。
水中で密着した、互いの肌の感触。
それは、もはや泳ぎの練習ではなかった。俺の理性を試す、甘すぎる拷問だ。

「そうそう、その調子! 腕の動き、良くなったじゃんか!」
葵は、純粋に俺の上達を喜んでくれている。その無邪気さが、余計に俺を罪悪感と興奮の渦に叩き込んだ。
俺は、頭を真っ白にしながら、ただ言われるがままに手足を動かし続けた。

どれくらいの時間が経っただろうか。
俺たちが、プールの向こう岸にたどり着いた時。俺は、いつの間にか、彼女の支えなしで、水に浮いていることに気づいた。
「……あれ?」
「な? 言っただろ? もう泳げるようになってんじゃんか」
葵は、満足そうに笑って、俺から身体を離した。

背中から柔らかな感触が消え、俺は少しだけ寂しさを感じている自分に気づく。
俺は、ゆっくりと、自分の力だけで、スタート地点まで泳いで戻ってみた。ぎこちないながらも、身体は確かに水に浮き、前に進んでいる。
「……泳げてる」
「おう! やればできんじゃんか!」
葵が、プールサイドから嬉しそうに声をかけてくれる。

カナヅチだった俺が、泳げるようになった。
その達成感と、彼女への感謝の気持ちで、胸がいっぱいになった。
だが、それ以上に。
あの、背中に感じた忘れられない感触が、俺の脳裏に、夏の思い出として、強烈に、そして甘く、焼き付いてしまったのだった。
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