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第72話 【本番②】バックヤードは秘密の場所
しおりを挟む執事喫茶『Royal Crown』は開店と同時に学園中の話題を独占した。店の前には常に長蛇の列ができ、廊下の向こうまでその列が続いている。ホールはイケメン執事たちに熱狂するお客様たちの黄色い声援で、常に飽和状態だった。
俺のいる厨房も戦場そのものだった。
「マスター! オムライス、三つ追加!」
「紅茶の茶葉、なくなりそうです!」
次から次へと舞い込んでくるオーダーに、俺は休む暇もなくフライパンを振り、紅茶を淹れ続けた。だがその忙しさは心地よい充実感に満ちていた。俺の作った料理が誰かを笑顔にしている。その事実が俺の身体を動かす何よりの燃料となっていた。
厨房とホールを繋ぐのは小さなカウンターと、その横にあるバックヤードへの扉だ。ホール係の生徒たちが慌ただしくその扉を出入りしている。
そして時折、接客の合間に一息つきに、四人の執事たちもその扉をくぐってバックヤードへとやってきた。
バックヤードは普段はただの教室の備品置き場だ。だが今日だけは特別な意味を持つ空間となっていた。
それは、彼らが、いや彼女たちが完璧な執事の仮面を脱ぎ捨て、ほんの少しだけ本当の自分に戻れる秘密の場所だった。
「はーっ! 疲れた! 笑顔作るのって意外と体力使うんだな!」
最初にバックヤードに駆け込んできたのは葵だった。彼女はホールでの太陽のような笑顔とは裏腹に、ぐったりとした様子で壁に寄りかかる。
「祐樹! なんか飲み物くれ! 喉カラカラだ!」
「はいはい。麦茶でいいか?」
「おう!」
俺が自分のために用意していた冷たい麦茶を渡すと、彼女はそれを一気に飲み干した。そして、ぷはーっと満足げな息をつく。
「生き返るー! やっぱ祐樹がいねえと俺はダメだな!」
そう言って彼女は俺の頭をわしゃわしゃと撫でてきた。ホールでは決して見せない、気の置けないダチとしての素の姿だった。
次にふらりと入ってきたのは玲だった。
「……少し休憩させてもらうわ」
彼女はホールでの完璧な王子様のオーラを消し去り、疲れた顔で椅子に深く腰掛けた。そしてきつく結んでいたアスコットタイを少しだけ緩める。その仕草が妙に色っぽくて、俺はドキリとした。
「お疲れ、玲。すごい人気だな」
「……ええ。ありがたいことだけれど、少しだけ息が詰まるわね」
彼女はそう言って小さくため息をついた。
「……祐樹」
「ん?」
「……紅茶、淹れてくれる?」
彼女が俺にだけ見せる、甘えたような上目遣い。俺はその頼みに逆らえるはずもなかった。
「ああ。とびきり美味いやつな」
俺が淹れた紅茶を、彼女は幸せそうにゆっくりと味わっていた。その横顔は孤高のプリンスではなく、ただの俺に甘えたい一人の女の子の顔だった。
「せんぱーい! 大変ですー!」
ばたばたと駆け込んできたのは湊だ。
「お客様に連絡先をしつこく聞かれちゃって! 僕、せんぱい以外の連絡先なんて誰にも教えたくないのに!」
そう言って彼女は俺の腰にぎゅっと抱きついてきた。
「せんぱい、僕のことちゃんと守ってくださいね?」
その甘えた声と態度はホールで見せる計算され尽くした小悪魔キャラとは違う。ただ大好きな先輩に構ってほしい、純粋な甘えだった。
最後に静かに入ってきたのは雅だった。
彼女は何も言わずに厨房の隅で俺が作業しているのをじっと見つめている。
「どうした、雅? 疲れたか?」
俺が声をかけると彼女は小さく首を振った。
「……別に」
そして、ぼそりと呟く。
「……さっき、お前が作ったオムライス、お客様がすごく美味しそうに食べてた」
「そうか? それは良かった」
「……だから、その……なんだ」
彼女はしばらく言葉を探していたが、やがて小さな声で言った。
「……よくやったな」
その不器用すぎる労いの言葉。俺は思わず笑ってしまった。
「サンキュ、雅」
俺がそう言うと彼女はぷいっと顔を背けたが、その口元は確かに綻んでいた。
ホールでは完璧なイケメン執事としてお客様たちの夢を守る彼女たち。
だが、この狭いバックヤードでだけは彼女たちは年相応の普通の女の子に戻るのだ。
俺にだけ弱音を吐き、甘え、そして素直な気持ちを見せてくれる。
「マスター! そろそろ休憩終わりですよ!」
ホールから声がかかる。
「「「「はーい」」」」
彼女たちはまるで示し合わせたかのように同時に返事をした。そしてすっと表情を引き締め、再び完璧な執事の仮面を被る。
「じゃあ、行ってくるな、祐樹!」
「ええ。また後で」
「せんぱい、浮気しちゃダメですよ?」
「……行くぞ」
彼女たちはそれぞれのキャラクターに戻り、再び華やかな戦場へと戻っていった。
一人残されたバックヤード。
俺は彼女たちが残していった甘くて温かい空気の中で、再びフライパンを握りしめた。
この場所は俺と彼女たちだけの秘密のオアシス。
ホールで輝く彼女たちを支えるこの厨房の主(マスター)という役割が、俺は心の底から誇らしかった。
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