この男子校の生徒が自分以外全員男装女子だということを俺だけが知っている

夏見ナイ

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第78話 【本番⑧】学園長のお忍び視察

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の不器用なオムライス事件は、俺のためだけの特別サービスという名の甘い戦いに静かな終止符を打った。玲も葵も湊も、雅のあまりにも純粋で不器用な一撃には何も言い返すことができなかったようだ。彼女たちはそれぞれのやり方で俺への好意を示した後、満足したのか、それとも戦い疲れたのか、再び完璧な執事の仮面を被り通常業務へと戻っていった。

俺の周りにもようやく平穏が訪れた。俺は、四人の想いが詰まった(物理的にも)テーブルの上で、雅が作ってくれたオムライスの最後の一口を名残惜しそうに味わっていた。
周囲の客たちも先ほどまでの熱狂が嘘のように、今は静かに紅茶を飲んだり談笑したりしている。まるで嵐が過ぎ去った後の穏やかな午後のようだった。

その時だった。
店の入り口のベルが、カランと軽やかな音を立てた。
「いらっしゃいませ、お嬢様」
ドアマン役の生徒が練習通りの完璧な挨拶をする。俺は誰が来たのだろうと、何気なく入り口の方に視線を向けた。

そして、その人物の姿を認めた瞬間、俺は飲んでいた紅茶を噴き出しそうになった。
そこに立っていたのは、いつもの厳格なスーツではなく、上品なツイードのジャケットにハンチング帽というダンディな老紳士の出で立ちをした……学園長だった。

「が、学園長!?」
俺が思わず素っ頓狂な声を上げると、学園長は人差し指をそっと自分の唇に当て、「しーっ」というジェスチャーをした。どうやらお忍びで視察に来たらしい。
ホールにいた玲たちも一瞬だけ驚きの表情を浮かべたが、すぐにプロの執事としての顔に戻り、他の客と変わらない丁寧な態度で彼女を迎えた。

「これはこれは、旦那様。ようこそお越しくださいました」
玲が完璧なエスコートで学園長を席へと案内する。その姿はもはや高校生の文化祭レベルではない。本物の高級レストランの光景だった。

学園長は俺の隣のテーブルに腰を下ろすと、楽しそうに店内を見渡した。
「……ふむ。これは、想像以上の出来栄えだな」
その声には確かな満足感が滲んでいる。
「君たちのクラスの出し物は、学園中でも大変な評判になっていると聞いたものでね。私も一人の客として、見届けに来たのだよ」

そう言うと、彼女は俺に向かって悪戯っぽく片目をつぶって見せた。
俺の正体を知る数少ない協力者。その存在は、この熱狂の中で俺に一服の清涼剤のような安心感を与えてくれた。

学園長は客として、俺たちの店のサービスをじっくりと堪能し始めた。
玲が淹れる完璧な紅茶。
葵が運んでくる太陽のような笑顔。
湊が説明する愛嬌たっぷりのメニュー紹介。
そして、雅が少しだけ緊張しながらも黙々とテーブルの上を片付ける、その真摯な姿。

彼女はその全てを、温かい、しかし鋭い観察眼で見つめていた。
そして、時折俺の方を見ては満足げに小さく頷く。

やがて、俺が作った『プリンセス・オムライス』が学園長のテーブルへと運ばれていった。
彼女はその美しい見た目に「ほう」と感嘆の声を漏らすと、スプーンを手に取りゆっくりと一口、口に運んだ。
そして、数秒間その味を確かめるように目を閉じる。

俺は生きた心地がしなかった。この学園のトップに俺の料理が試されている。緊張で心臓が張り裂けそうだった。

やがて彼女はゆっくりと目を開けると、俺の方を見てにっこりと微笑んだ。
そして、誰にも聞こえないような小さな声でこう言った。
「……美味い。君の優しさが、よく出ている味だ」

その一言に、俺の全身からすうっと力が抜けていく。
よかった。認めてもらえた。
それと同時に、胸の奥からじわりと熱いものが込み上げてくるのを感じた。

会計を済ませ、店を出ていく間際。
学園長は俺の隣でふと足を止めた。
「……相葉君」
「はい」
「君というイレギュラーな存在が、この学園に何をもたらすか。私はずっと見てきた」
彼女はホールで働く四人の執事たちの姿に、優しい視線を送る。
「……彼女たちは変わったな。強くなった。そして、何より笑うようになった」

その言葉は、俺への何物にも代えがたい賛辞だった。
「良いチームになった。君と、彼女たちは。……これからも、頼んだぞ。我らが厨房の主(マスター)殿」
彼女はそう言って悪戯っぽく笑うと、ハンチング帽を少しだけ持ち上げ颯爽と店を後にして行った。

一人残された俺は、しばらくの間その場に立ち尽くしていた。
学園長に認められた俺たちの絆。
俺がこの学園に来た意味。
それは決して偶然や間違いなどではなかったのだ。

俺は再びホールで輝く、四人の仲間たちの姿を見つめた。
玲、葵、湊、雅。
俺のかけがえのない、共犯者たち。

俺は彼女たちのヒーローで、厨房の主(マスター)で、そして唯一無二の理解者だ。
その役割を、俺は心の底から誇りに思った。
文化祭はもうすぐ終わる。だが、俺たちの物語はまだ始まったばかりなのだから。
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