この男子校の生徒が自分以外全員男装女子だということを俺だけが知っている

夏見ナイ

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第95話 学園長からの言葉

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チョコレートの甘い香りに包まれたバレンタイン戦争が過ぎ去り、学園には卒業という静かで、しかし抗うことのできない現実の足音がはっきりと聞こえ始めていた。卒業式まで、あと一週間。教室の空気はどこかそわそわとしていて、名残惜しさと未来への期待が入り混じった不思議な雰囲気に満ちている。

俺たち五人の関係はもはや日常の一部として完全に溶け込んでいた。毎日のように俺の部屋に集まり、他愛もない話で笑い合う。その光景はもう誰にとっても当たり前のものになっていた。だが、その当たり前がもうすぐ終わる。そのことを誰もが心のどこかで痛いほど理解していた。

そんなある日の放課後、俺は学園長室に呼び出されていた。
「失礼します」
重厚なマホガニーの扉をノックし、中に入る。そこには窓の外に広がる夕焼けを静かに眺めている学園長の姿があった。
「……来たかね、相葉君」
彼女はゆっくりとこちらを振り返ると、優しい笑みを浮かべた。
「まあ、そこに座りなさい」

俺は促されるまま、来客用の革張りのソファに深く腰を下ろした。目の前のテーブルには既に湯気の立つ紅茶が二人分用意されている。
「……俺に、何か御用でしょうか」
緊張で声が少しだけ上ずってしまう。
「なに、そう緊張することはない。ただ、卒業を前に君と少しだけ話がしておきたくてね」
学園長はそう言って俺の向かいの席に座った。

「……早いものだな。君が、あの合格通知を手に不安そうな顔でこの学園の門をくぐったのが、つい昨日のことのようだ」
彼女は懐かしむように目を細めた。
「……本当に。俺の人生で最も濃い三年間でした」
俺は正直な気持ちを口にした。

「……君をこの学園に招き入れたこと。それが正しかったのかどうか。正直に言うと、私にも確信はなかったのだよ」
彼女は静かに告白を始めた。
「君というたった一人の『イレギュラー』が、この閉鎖された世界に何をもたらすのか。それは一種の賭けだった。もしかしたら、全てを壊してしまう劇薬になる可能性もあった」

俺は何も言わずに彼女の言葉に耳を傾けていた。
「だが」と彼女は続けた。その瞳には温かい光が宿っている。
「君は私の想像を遥かに超える『奇跡』を起こしてくれた」

「奇跡……ですか?」
「そうだ。奇跡だよ」
彼女は力強く頷いた。
「君は彼女たちの固く閉ざされた心の扉を、いとも簡単に開けてしまった。玲君の孤独を。葵君の葛藤を。湊君の諦めを。そして、雅君の絶望を。……君は、その全てを君のその温かい優しさで包み込んでやった」

学園長の言葉が俺の胸にじんわりと染み込んでいく。
俺はそんな大したことをしたつもりは全くなかった。ただ、彼女たちの隣にいて、話を聞いて、笑い合っただけだ。

「彼女たちは変わった。見違えるほどにな」
学園長は心の底から嬉しそうに微笑んだ。
「自分の運命から逃げるのではなく、立ち向かう強さを手に入れた。自分の夢を追いかける勇気を持った。……そして何より、人を信じ、愛することを思い出した。……それは全て、君という存在があったからなのだよ」

俺は俯いて自分の膝の上で固く拳を握りしめた。
胸が熱い。目頭が熱い。
俺のこの三年間は無駄じゃなかった。
俺は確かに彼女たちの力になれていたのだ。

「……相葉君」
学園長は静かに立ち上がると俺の前に立った。
そして、俺がこの学園に来て最も予想しなかった行動に出た。
彼女は俺に向かって深く、深くその頭を下げたのだ。

「君というイレギュラーが、この学園に奇跡を起こしてくれた。……一人の教育者として、そして彼女たちの未来を案じる一人の老婆として。……心から感謝する。……ありがとう、相葉君」

そのあまりにも真摯な感謝の言葉。
俺はもう込み上げてくる感情を抑えることができなかった。
「……やめてください、学園長。頭を上げてください」
俺の声は情けないほど震えていた。
「俺は……俺は何も。ただ、あいつらが好きだっただけで……」

顔を上げた学園長の瞳もわずかに潤んでいた。
「……それで、十分なのだよ」
彼女はそう言って、最高の優しい笑顔を見せてくれた。

学園長室からの帰り道。
夕焼けはいつの間にか深い夜の闇へと変わっていた。廊下の窓から見える星空がやけに綺麗だった。
俺の心は感謝と誇らしさと、そしてもうすぐ終わってしまうこの学園生活へのどうしようもない愛おしさでいっぱいになっていた。

俺がこの学園に来た意味。
その答えを俺は確かに受け取った。
俺は彼女たちの奇跡だったのだ。
そして彼女たちもまた、俺の人生にとっての最高の奇跡だったのだから。
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