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第3話 初めまして、僕と結婚してください
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グレンデル平原は、人間と魔族の勢力圏が複雑に入り組む戦略上の要衝だ。この地をどちらが制するかで、今後の戦局は大きく左右される。故に、双方が大規模な軍を投入し、雌雄を決するべく激突していた。
もっとも、その均衡は既に崩れ去っている。
「進め! 魔王様の栄光のために、人間共を蹂躙せよ!」
巨躯の魔族将軍が雄叫びを上げる。その声に呼応し、魔物の軍勢が津波となって人間たちの防衛線を飲み込んでいく。
私は戦場の喧騒から少し離れた丘の上から、その光景を静かに眺めていた。今回の私の役目は、敵の主力、特に強力な魔法師団や騎士団長クラスが現れた際のカウンターだ。それまでは、部下たちの働きを見守るだけでいい。
空は鉛色の雲に覆われ、血と鉄の匂いが立ち込めている。いつもの戦場。いつもの光景。人間たちの断末魔の叫びも、今や私の耳には心地よいBGMとしてしか届かない。
「リディア様。敵陣、間もなく崩壊します」
背後に控えていた側近が報告する。
「そう。けれど、油断は禁物よ。人間は追い詰められると、時折信じられない力を発揮することがあるから」
「はっ。肝に銘じます」
私は赤い瞳を細め、戦況を注意深く観察する。人間たちの抵抗は弱々しい。このまま押し潰してしまえば、勝利は確定するだろう。しかし、私の胸には微かな違和感が燻っていた。
静かすぎる。
エトラ平原での大敗を受け、人間たちがこの重要拠点をやすやすと明け渡すとは思えない。何かを待っている。何かを隠している。そんな予感がした。
その時だった。
戦場の空気を切り裂くように、甲高い風切り音が響いた。次の瞬間、魔族軍の最前線で巨大な爆発が起こる。いや、違う。爆発ではない。聖なる光の奔流が、一帯の魔物たちを塵も残さず消し去ったのだ。
「なっ……!?」
側近が息を呑む。私も、思わず目を見開いた。戦場の中心に、いつの間にか一人の男が立っていた。
輝く金髪。純白の鎧。その手に握られた白銀の剣は、この薄暗い戦場で太陽のように眩い光を放っている。
間違いない。あれが、魔王様が仰っていた人間たちの最後の希望。
「勇者……」
私の口から、無意識に言葉が漏れた。
彼の姿を確認した人間軍から、割れんばかりの歓声が上がる。崩壊寸前だった士気が、嘘のように回復していくのが遠目にも分かった。希望の象B.OL.D.そのもの。実に陳腐で、そして厄介な存在だ。
「リディア様、いかがいたしますか」
「決まっているでしょう」
私は静かに立ち上がった。私の仕事の時間だ。
「私が相手をするわ。あなたたちは持ち場を離れないで」
私はゆっくりと丘を下り、戦場の中心へと歩を進める。私の姿を認めた魔族たちが、畏敬の念を込めて道を開けた。対照的に、人間たちは恐怖に顔を歪ませ、後ずさる。
「『煉獄の魔女』だ……!」
「なぜ、四天王自ら……!」
雑音は無視する。私の視線の先には、ただ一人、勇者だけを捉えていた。
彼もまた、私に気づいたようだ。魔物の群れを一薙ぎで浄化した後、まっすぐにこちらを見つめてくる。距離はまだ数百メートルある。だが、その空色の瞳が、確かに私を射抜いているのが分かった。
面白い。あの程度の浄化魔法、確かに脅威ではある。けれど、私の煉獄の前では児戯に等しい。人間たちの儚い希望。今ここで、私が叩き潰してあげましょう。
私は歩みを止め、両腕を広げた。全身の魔力が活性化し、私の周囲の空間が陽炎のように揺らめき始める。
「さあ、見せてあげるわ。本物の絶望というものを」
詠唱を開始する。私の魔法の中でも最大級の殲滅魔法。かつて古代竜の群れすら一夜にして焼き払った禁忌の呪文。世界の理すら書き換えるその術式が、私の脳内で組み上がっていく。
空が泣き、大地が震える。魔力の奔流が天に昇り、鉛色の雲を深紅に染め上げた。巨大な魔法陣が、空を覆い尽くすほどに広がっていく。
勇者は、その光景をただ静かに見上げていた。逃げようとも、防御しようともしない。その余裕が、私を微かに苛立たせた。
「後悔なさい。私の前に立ったことを!」
術式が完成する。世界から音が消えた。私の指先から放たれる破壊の意思が、天の魔法陣へと到達する。
「――煉獄劫火(ヘルプロミネンス)」
宣告と共に、天が落ちてきた。
それは炎ではない。破壊そのものが具現化したエネルギーの塊だ。深紅の光柱が、空を埋め尽くした魔法陣から放たれ、勇者を中心に地上の全てを飲み込んでいく。
轟音。衝撃。熱波。
大地はガラスのように融解し、蒸発していく。半径一キロメートル圏内に存在した全てのものが、原子レベルで分解されていく。魔族も人間も関係ない。私の魔法の射線上にいた不運な者たちは、悲鳴を上げる間もなく消滅した。
これほどの魔法をまともに受けて、立っていられる生物など存在しない。
私は魔力の消耗による僅かな眩暈を覚えながらも、口元に満足の笑みを浮かべた。これで終わり。勇者という不確定要素は排除された。
光が収まり、熱波が過ぎ去る。そこには、巨大なクレーターだけが残されているはずだった。
「…………え?」
私の喉から、間抜けな声が漏れた。
炎の中心。融解し、赤熱した大地の真ん中に、勇者は立っていた。
無傷で。
彼の前に突き立てられた聖剣が、淡い光の半球状のドームを形成している。その神聖な障壁が、私の煉獄劫火を完全に防ぎきっていた。一筋の炎すら、彼の純白の鎧に届いていない。
ありえない。私の魔法が、防がれた? この私が、全霊を込めて放った一撃が、かすり傷一つ与えられなかった?
思考が停止する。理解が追いつかない。私の魔法は絶対のはず。魔王様に次ぐこの力は、誰にも破れないはずだった。
勇者は聖剣を地面から引き抜くと、光の障壁を霧散させた。そして、赤熱した大地をものともせず、ゆっくりと私の方へ歩いてくる。その顔には、穏やかな笑みさえ浮かんでいた。
私は動けなかった。次の魔法を組み立てなければならないのに、指一本動かせない。目の前の信じがたい光景に、完全に呑まれてしまっていた。
やがて、彼は私の目の前で立ち止まった。
間近で見る彼は、想像以上に整った顔立ちをしていた。太陽のような金髪は、戦場にあっても輝きを失わず、空色の瞳はどこまでも澄み切っている。
「初めまして、煉獄の魔女リディア」
彼の声は、戦場の喧騒とは無縁の、落ち着いた優しい響きだった。
「僕は勇者アルフレッド。君の噂は聞いていたけど、想像以上の美しさだ」
は?
今、この男は何と?
「漆黒の髪は夜の闇より深く、赤い瞳は燃える宝石のようだ。一目見た時から、心を奪われてしまった」
私の混乱をよそに、彼は流れるような動作で私の前に跪いた。そして、泥の付いていない手袋に包まれた手を、私に差し出す。
その仕草は、まるで王宮の舞踏会で、王子が姫にダンスを申し込むかのようだった。
「どうか、僕と結婚してください」
しん、と静まり返った戦場の真ん中で、彼の真摯な声だけが響き渡った。
私の頭は、真っ白になった。
結婚? けっこん? なぜ? どうして? 敵でしょう? 殺し合っていたはずでしょう?
理解不能な言葉と行動に、私の思考回路は焼き切れた。策略? 侮辱? それとも、この男は……本当に、ただの狂人なのだろうか。
周囲を見渡せば、生き残った人間も魔族も、皆が皆、口をあんぐりと開けて固まっている。誰もがこのシュールすぎる光景を、現実のものとして受け止めきれずにいた。
アルフレッドと名乗った勇者は、跪いたまま、キラキラと輝く瞳で私を見上げている。その瞳には、嘘や冗談の色は微塵も感じられない。ただ純粋な好意と、真剣な願いだけが込められていた。
それが、余計に私の混乱を加速させた。
答えなければ。何か言わなければ。四天王として、魔王軍の幹部として、このふざけた申し出を一笑に付し、この男を塵も残さず消し去らなければならない。
そう頭では分かっているのに、私の口からは何の言葉も出てこなかった。
もっとも、その均衡は既に崩れ去っている。
「進め! 魔王様の栄光のために、人間共を蹂躙せよ!」
巨躯の魔族将軍が雄叫びを上げる。その声に呼応し、魔物の軍勢が津波となって人間たちの防衛線を飲み込んでいく。
私は戦場の喧騒から少し離れた丘の上から、その光景を静かに眺めていた。今回の私の役目は、敵の主力、特に強力な魔法師団や騎士団長クラスが現れた際のカウンターだ。それまでは、部下たちの働きを見守るだけでいい。
空は鉛色の雲に覆われ、血と鉄の匂いが立ち込めている。いつもの戦場。いつもの光景。人間たちの断末魔の叫びも、今や私の耳には心地よいBGMとしてしか届かない。
「リディア様。敵陣、間もなく崩壊します」
背後に控えていた側近が報告する。
「そう。けれど、油断は禁物よ。人間は追い詰められると、時折信じられない力を発揮することがあるから」
「はっ。肝に銘じます」
私は赤い瞳を細め、戦況を注意深く観察する。人間たちの抵抗は弱々しい。このまま押し潰してしまえば、勝利は確定するだろう。しかし、私の胸には微かな違和感が燻っていた。
静かすぎる。
エトラ平原での大敗を受け、人間たちがこの重要拠点をやすやすと明け渡すとは思えない。何かを待っている。何かを隠している。そんな予感がした。
その時だった。
戦場の空気を切り裂くように、甲高い風切り音が響いた。次の瞬間、魔族軍の最前線で巨大な爆発が起こる。いや、違う。爆発ではない。聖なる光の奔流が、一帯の魔物たちを塵も残さず消し去ったのだ。
「なっ……!?」
側近が息を呑む。私も、思わず目を見開いた。戦場の中心に、いつの間にか一人の男が立っていた。
輝く金髪。純白の鎧。その手に握られた白銀の剣は、この薄暗い戦場で太陽のように眩い光を放っている。
間違いない。あれが、魔王様が仰っていた人間たちの最後の希望。
「勇者……」
私の口から、無意識に言葉が漏れた。
彼の姿を確認した人間軍から、割れんばかりの歓声が上がる。崩壊寸前だった士気が、嘘のように回復していくのが遠目にも分かった。希望の象B.OL.D.そのもの。実に陳腐で、そして厄介な存在だ。
「リディア様、いかがいたしますか」
「決まっているでしょう」
私は静かに立ち上がった。私の仕事の時間だ。
「私が相手をするわ。あなたたちは持ち場を離れないで」
私はゆっくりと丘を下り、戦場の中心へと歩を進める。私の姿を認めた魔族たちが、畏敬の念を込めて道を開けた。対照的に、人間たちは恐怖に顔を歪ませ、後ずさる。
「『煉獄の魔女』だ……!」
「なぜ、四天王自ら……!」
雑音は無視する。私の視線の先には、ただ一人、勇者だけを捉えていた。
彼もまた、私に気づいたようだ。魔物の群れを一薙ぎで浄化した後、まっすぐにこちらを見つめてくる。距離はまだ数百メートルある。だが、その空色の瞳が、確かに私を射抜いているのが分かった。
面白い。あの程度の浄化魔法、確かに脅威ではある。けれど、私の煉獄の前では児戯に等しい。人間たちの儚い希望。今ここで、私が叩き潰してあげましょう。
私は歩みを止め、両腕を広げた。全身の魔力が活性化し、私の周囲の空間が陽炎のように揺らめき始める。
「さあ、見せてあげるわ。本物の絶望というものを」
詠唱を開始する。私の魔法の中でも最大級の殲滅魔法。かつて古代竜の群れすら一夜にして焼き払った禁忌の呪文。世界の理すら書き換えるその術式が、私の脳内で組み上がっていく。
空が泣き、大地が震える。魔力の奔流が天に昇り、鉛色の雲を深紅に染め上げた。巨大な魔法陣が、空を覆い尽くすほどに広がっていく。
勇者は、その光景をただ静かに見上げていた。逃げようとも、防御しようともしない。その余裕が、私を微かに苛立たせた。
「後悔なさい。私の前に立ったことを!」
術式が完成する。世界から音が消えた。私の指先から放たれる破壊の意思が、天の魔法陣へと到達する。
「――煉獄劫火(ヘルプロミネンス)」
宣告と共に、天が落ちてきた。
それは炎ではない。破壊そのものが具現化したエネルギーの塊だ。深紅の光柱が、空を埋め尽くした魔法陣から放たれ、勇者を中心に地上の全てを飲み込んでいく。
轟音。衝撃。熱波。
大地はガラスのように融解し、蒸発していく。半径一キロメートル圏内に存在した全てのものが、原子レベルで分解されていく。魔族も人間も関係ない。私の魔法の射線上にいた不運な者たちは、悲鳴を上げる間もなく消滅した。
これほどの魔法をまともに受けて、立っていられる生物など存在しない。
私は魔力の消耗による僅かな眩暈を覚えながらも、口元に満足の笑みを浮かべた。これで終わり。勇者という不確定要素は排除された。
光が収まり、熱波が過ぎ去る。そこには、巨大なクレーターだけが残されているはずだった。
「…………え?」
私の喉から、間抜けな声が漏れた。
炎の中心。融解し、赤熱した大地の真ん中に、勇者は立っていた。
無傷で。
彼の前に突き立てられた聖剣が、淡い光の半球状のドームを形成している。その神聖な障壁が、私の煉獄劫火を完全に防ぎきっていた。一筋の炎すら、彼の純白の鎧に届いていない。
ありえない。私の魔法が、防がれた? この私が、全霊を込めて放った一撃が、かすり傷一つ与えられなかった?
思考が停止する。理解が追いつかない。私の魔法は絶対のはず。魔王様に次ぐこの力は、誰にも破れないはずだった。
勇者は聖剣を地面から引き抜くと、光の障壁を霧散させた。そして、赤熱した大地をものともせず、ゆっくりと私の方へ歩いてくる。その顔には、穏やかな笑みさえ浮かんでいた。
私は動けなかった。次の魔法を組み立てなければならないのに、指一本動かせない。目の前の信じがたい光景に、完全に呑まれてしまっていた。
やがて、彼は私の目の前で立ち止まった。
間近で見る彼は、想像以上に整った顔立ちをしていた。太陽のような金髪は、戦場にあっても輝きを失わず、空色の瞳はどこまでも澄み切っている。
「初めまして、煉獄の魔女リディア」
彼の声は、戦場の喧騒とは無縁の、落ち着いた優しい響きだった。
「僕は勇者アルフレッド。君の噂は聞いていたけど、想像以上の美しさだ」
は?
今、この男は何と?
「漆黒の髪は夜の闇より深く、赤い瞳は燃える宝石のようだ。一目見た時から、心を奪われてしまった」
私の混乱をよそに、彼は流れるような動作で私の前に跪いた。そして、泥の付いていない手袋に包まれた手を、私に差し出す。
その仕草は、まるで王宮の舞踏会で、王子が姫にダンスを申し込むかのようだった。
「どうか、僕と結婚してください」
しん、と静まり返った戦場の真ん中で、彼の真摯な声だけが響き渡った。
私の頭は、真っ白になった。
結婚? けっこん? なぜ? どうして? 敵でしょう? 殺し合っていたはずでしょう?
理解不能な言葉と行動に、私の思考回路は焼き切れた。策略? 侮辱? それとも、この男は……本当に、ただの狂人なのだろうか。
周囲を見渡せば、生き残った人間も魔族も、皆が皆、口をあんぐりと開けて固まっている。誰もがこのシュールすぎる光景を、現実のものとして受け止めきれずにいた。
アルフレッドと名乗った勇者は、跪いたまま、キラキラと輝く瞳で私を見上げている。その瞳には、嘘や冗談の色は微塵も感じられない。ただ純粋な好意と、真剣な願いだけが込められていた。
それが、余計に私の混乱を加速させた。
答えなければ。何か言わなければ。四天王として、魔王軍の幹部として、このふざけた申し出を一笑に付し、この男を塵も残さず消し去らなければならない。
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