私、魔王軍の四天王(紅一点)なんですが、敵であるはずの勇者が会うたびに口説いてきます

夏見ナイ

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第4話 混乱と撤退

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時間という概念が、グレンデル平原から消失したかのように思えた。
風の音も、遠くで聞こえるはずの負傷者の呻き声も、何もかもが意識の外へと追いやられる。私の世界には、目の前で跪く金髪の男と、彼の口から放たれた信じがたい言葉だけが存在していた。

結婚。

その単語が、私の頭の中で意味もなく反響する。今まで考えたこともない、自分とは無縁のはずの言葉。それを、今まさに殺し合っていた敵から、真剣極まりない表情で告げられている。

理解が、追いつかない。

私の沈黙を、彼はどう解釈したのだろうか。アルフレッドと名乗った勇者は、差し伸べた手を引っ込めることなく、さらに言葉を続けた。

「もちろん、君が魔王軍の四天王であることは知っている。僕が勇者であることも、君は知っているだろう。でも、そんなことは関係ない」

彼の空色の瞳が、真っ直ぐに私を見つめる。その瞳には、私の魔力や地位ではなく、ただ私自身だけを映しているかのようだった。

「初めて君を見た瞬間、運命を感じたんだ。この人こそ、僕が生涯をかけて守り、愛するべき女性だと」

やめて。
そんな目で、私を見ないで。

胸の奥が、奇妙な感覚に襲われる。それは痛みでも、苦しみでもない。熱いような、むず痒いような、今まで一度も経験したことのない感情。

「……ふざけないで」

ようやく、私の喉から絞り出すように声が出た。それは四天王の威厳など欠片もない、ただ震えたか細い声だった。

「ふざけてなどいないさ。僕は本気だ」

彼はきっぱりと言い切った。その自信に満ちた声に、私の混乱はさらに深まる。

駄目だ。このままでは、この男のペースに呑まれてしまう。私は魔王軍四天王、リディア。煉獄の魔女。人間ごときの戯言に、心を乱されるわけにはいかない。

私は奥歯を強く噛み締め、無理やり意識を戦闘へと引き戻した。魔力を練り上げる。この無礼な男を、今度こそ灰燼に帰すために。

しかし、どうしたことか。さっきまで意のままに操れたはずの魔力が、上手く制御できない。彼の真っ直ぐな視線が、私の集中力を容赦なく削いでいく。

「な……何を企んでいるの! 私を油断させるための策略でしょう!」

私は叫んだ。そうだ、そうに違いない。こんな馬鹿げた求婚、敵を混乱させるための芝居に決まっている。そうでなければ、説明がつかない。

私の言葉に、アルフレッドは心外だというように僅かに眉を寄せた。

「策略だって? ひどいな。僕の純粋な愛を、そんな風に疑うなんて」

彼は悲しげに言うと、すっと立ち上がった。そして、あろうことか、私に向かってさらに一歩近づいてくる。反射的に身構える私を意に介すこともなく、彼はうっとりとした表情で溜息をついた。

「ああ、でも怒った顔もまた魅力的だ。まるで気高く咲き誇る深紅の薔薇のようだね。その棘さえも愛おしい」

「ひっ……!?」

訳の分からない賛辞に、思わず変な声が出た。顔にカッと血が上るのが分かる。羞恥と怒りで、今にも頭が沸騰しそうだった。

この男、本気で言っている。その事実が、何よりも私を混乱させた。

この異常事態に、ようやく周囲が動き出す。先に我に返ったのは、私の配下である魔族たちだった。

「リディア様を誑かすな、人間の痴れ者が!」
「無礼であろう! その汚らわしい口を閉じよ!」

屈強な魔族の戦士たちが、怒りの形相でアルフレッドに襲いかかった。しかし、彼は私から視線を外さない。ただ、まるで背中に目があるかのように聖剣を振るい、魔族たちの攻撃を軽々と、しかし確実にいなしていく。

強い。それは間違いない。私の魔法を防ぎきった時点で分かっていたことだ。だが、その強さの使い方がおかしい。彼は魔族たちを殺そうとせず、ただ無力化するだけに留めている。まるで、私との会話の邪魔をされたくないとでも言うように。

「さて、返事を聞かせてもらえないだろうか」

彼は涼しい顔で、再び私に問いかけた。
「もちろん、答えを急かすつもりはないよ。君の心を射止めるためなら、僕はどんな努力も惜しまない。これから毎日、君に愛を伝え続けると誓うよ」

毎日。

その言葉に、私は背筋が凍る思いがした。これから戦場で会うたびに、この男は同じことを繰り返すというのか。

地獄だ。それはどんな拷問よりも、私の精神を削るに違いない。

「リディア様! ご決断を!」

指揮系統の麻痺を悟った側近が、悲痛な声で叫んだ。勇者の奇行に戸惑っていた人間軍も、この好機を逃すまいと、徐々に陣形を立て直し始めている。戦場の流れが、明らかに魔王軍にとって不利な方向へと傾きつつあった。

これ以上、ここに留まるのは危険だ。何より、私の精神が持たない。

私は唇を噛み、屈辱に震えながら決断した。

「……撤退するわ」

「リディア様!?」

「全軍、撤退! グレンデル平原を放棄します!」

私の命令に、魔族たちが動揺する。圧倒的に優勢だったはずの戦況。それを覆したのは、たった一人の勇者。そして、その常軌を逸した行動だった。

私は不本意な命令を下すと、憎々しげにアルフレッドを睨みつけた。しかし、彼は私の敗北宣言を聞いても、勝ち誇った顔一つしない。それどころか、その顔には微かな寂しさのようなものが浮かんでいた。

「もう行ってしまうのかい? もっと君と話がしたかったのだけれど」

「だ、黙りなさい!」

私は耐えきれず、叫んだ。
「覚えておきなさい、勇者! この屈辱は決して忘れないわ! 次に会う時が、あなたの本当の最期よ!」

渾身の力を込めて言い放った捨て台詞。これで少しは怯むだろう。そう思った私の期待は、次の瞬間、木っ端微塵に打ち砕かれた。

彼は、花が綻ぶように嬉しそうに微笑んだのだ。

「次も会ってくれるんだね! 約束だよ、リディア! 楽しみにしているよ、僕の未来のお妃様!」

ぶん、と効果音がつきそうなほど、彼は大きく手を振った。

その屈託のない笑顔が、最後の一撃だった。私のなけなしの威厳も、四天王としてのプライドも、全てが粉々に砕け散った。

「~~~~っ!!」

言葉にならない叫びを上げ、私は咄嗟に転移魔法を発動させた。逃げるように。恥ずかしさから顔を背けるように。

ぐにゃりと空間が歪み、私の意識が戦場から離れていく。その最後の瞬間まで、彼の爽やかすぎる笑顔と、きらきらと輝く瞳が、私の網膜に焼き付いて離れなかった。



魔王城の自室に戻った私は、勢いよく扉を閉めると、そのまま壁に背中を預けてずるずると床にへたり込んだ。

心臓が、まだドクドクと大きく脈打っている。戦場で感じたことのない種類の高揚感と疲労感が、全身を支配していた。

今日の出来事を、頭の中で反芻する。

私の最大魔法が、全く通じなかった衝撃。
そして、それ以上に衝撃的だった、戦場の 한복판でのプロポーズ。
彼の真摯な瞳。甘い言葉。屈託のない笑顔。

「……なんなのよ、アイツは……」

考えれば考えるほど、訳が分からない。彼の行動には、一貫して敵意というものが感じられなかった。あるのはただ、私に対する真っ直ぐすぎる好意だけ。

だが、そんなことがあるだろうか。敵同士なのだ。殺し合うべき相手なのだ。

私は混乱する頭で、必死に答えを探した。そして、ようやく一つの結論に辿り着く。

「そうよ……頭がおかしいのよ」

私は自分に言い聞かせるように、何度も頷いた。

「ただの狂人。危険な異常者。そうに決まってるわ!」

そうでなければ、あの行動の全てが説明できない。うん、そうだ。きっとそう。彼は聖剣の力に心を蝕まれた、哀れな狂人に違いない。

そう結論づけたはずなのに、私の頬はまだ熱を持ったままだった。心臓の鼓動も、一向に落ち着く気配がない。

今回の戦闘は、魔王軍の事実上の敗北。しかも、四天王である私が出陣しながら、敵の勇者一人に戦況をひっくり返されたという、前代未聞の失態だ。

この結果を、魔王様にどう報告すればいいのか。

私は深く、深いため息をつき、しばらく床から動くことができなかった。
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