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第18話 魔王の沈黙
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商業都市アークライトでの任務は、結局のところ失敗に終わった。
接触対象であった裏組織は、アルフレッドの介入によって壊滅。私が駆けつけた時には、既に衛兵たちが後処理をしている段階だった。
魔王城に戻った私は、苦心の末に報告書を書き上げた。
『対象組織、王国側の介入により既に壊滅。接触不可』
嘘ではない。だが、真実の全てでもない。報告書を提出する指先が、罪悪感に微かに震えた。
これで四度目だ。
私が関わった任務に、必ずあの勇者が現れる。そして、その度に私は任務を完遂できずにいる。偶然にしては、出来すぎている。まるで、見えない運命の糸に手繰り寄せられているかのようだ。
以前の私なら、こんな非科学的な思考は一笑に付しただろう。だが、今の私にはその糸の存在を、否定しきることができなかった。
それから数日、私は自らを罰するように訓練に明け暮れた。
疲れ果てて意識が朦朧とするまで魔法を放ち続ければ、あの男の顔も、声も、一時的に忘れられる気がしたからだ。しかし、それも気休めにしかならない。夜、ベッドに横になれば、背中を預けた時の温もりや、共に戦った時の奇妙な高揚感が、鮮明に蘇ってくるのだ。
そんなある日、ついに恐れていた時が来た。
魔王ザルディアス様からの、直々の召喚命令。
謁見の間へ向かう長い廊下を、私は死刑台へ向かう罪人のような心地で歩いていた。一歩進むごとに、足枷のように罪悪感が重くなっていく。
魔王様は、全てお見通しに違いない。
私の度重なる失態も、その裏にある心の揺らぎも。レヴィでさえ気づいたのだ。全てを見通す力を持つ我が君が、気づかないはずがない。
厳しい叱責が待っているだろう。あるいは、四天王の任を解かれるかもしれない。最悪の場合、裏切り者として処断されることも……。
そこまで考えて、私は自嘲の笑みを浮かべた。それも、仕方ないのかもしれない。魔王様への絶対の忠誠を誓ったこの身で、敵である男に心を動かされているのだから。
謁見の間の重厚な扉が開かれる。
広大な空間に、私一人。遥か先の玉座に、我が君は静かに座しておられた。その姿はいつものように影に覆われ、表情を窺い知ることはできない。
私は玉座の前まで進み、深く跪いた。冷たい黒曜石の床が、私の額に現実を突きつける。
「……お呼びにより、参上いたしました。魔王様」
声が、震えた。
玉座からの返事はない。
ただ、静寂だけが支配していた。それは、嵐の前の静けさのようにも感じられた。
私は覚悟を決め、口を開いた。
「度重なる任務失敗、誠に申し訳ございません。私の不徳の致すところ。いかなる罰も……」
「リディア」
私の言葉を遮り、初めて魔王様が私の名を呼んだ。
地の底から響くような、威厳に満ちた声。
「顔を上げよ」
「……は」
私は恐る恐る顔を上げた。
玉座の上の影が、じっと私を見つめている。そう、感じた。物理的な視線ではない。魂の奥底まで見透かすような、絶対者の視線。
私はその視線に射抜かれ、身動き一つ取れなくなった。
さあ、断罪の言葉が下される。私は固く目を閉じた。
しかし。
一秒が、一分のように長く感じる。
一分が、一時間のように感じられる。
魔王様は、何もおっしゃらなかった。
叱責も、詰問も、罰の宣告も、何一つない。
ただ、静かに、私を見つめている。
その沈黙が、私の心を締め上げた。
何を考えておられるのか、全く分からない。その意図が読めないことが、何よりも恐ろしかった。
怒り。失望。憐憫。あるいは、試練。
その視線の奥にある感情が読み取れず、私の心は混乱の極みに達した。
どんな罵詈雑言を浴びせられた方が、どれだけマシだっただろう。どんな厳しい罰を与えられた方が、どれだけ救われただろう。
この沈黙は、私という存在そのものを否定されているかのようだった。お前には、言葉をかける価値すらないと、そう言われているようで。
私の額から、冷や汗が流れ落ちる。呼吸が浅くなり、指先が冷えていく。
耐えられない。この重圧に、私の精神は押し潰されそうだった。
どれほどの時間が、経ったのだろうか。
永遠にも思える沈黙を破ったのは、やはり魔王様だった。
「……下がれ」
たった、一言。
その声には、何の感情も含まれていなかった。
「……は……はい」
私はかろうじて返事をし、ふらつく足で立ち上がった。背を向けるのが、これほど怖いと感じたことはない。一歩、また一歩と、謁見の間を後にする。その間もずっと、魔王様の視線が私の背中に突き刺さっているような気がしてならなかった。
ようやく扉の外に出た瞬間、私は壁に手をついて、その場に崩れ落ちそうになった。全身から力が抜け、立っているのがやっとだった。
「……ひどい顔だね」
いつの間にか、そこにレヴィが立っていた。彼は私の様子を見て、少しだけ眉をひそめている。その表情には、いつもの面白がるような色合いはなかった。
「魔王様は、何と?」
「……何も」
私は掠れた声で答えた。「ただ、下がれ、と」
その言葉を聞き、レヴィは全てを察したようだった。彼は深いため息をつくと、珍しく同情するような視線を私に向けた。
「そうか。一番、堪えるやつだ」
その通りだった。
あの沈黙は、私の心を確実に蝕んでいた。
魔王様は気づいている。私の変化の全てに。
そして、その上で、何も言わずに私を泳がせている。私がこれからどう動くのか、どちらに転ぶのかを、試しているのだ。
魔王様への忠誠か。
それとも、この芽生えてしまった、名前のない感情か。
私は、試されている。
私の全てを捧げた主に、その存在価値そのものを、問われている。
自室に戻った私は、ベッドに倒れ込んだ。
もう、何も考えたくなかった。
アルフレッドのことも、魔王様のことも。
しかし、私の心は休むことを許してはくれない。
光と闇、その両方が私の心の中でせめぎ合い、私を引き裂こうとしていた。
私は道具のはずだった。魔王様の、完璧な道具。
感情などという不純物は、必要ないはずだった。
なのに、この心臓は、痛みと、そして微かな甘さを伴って、確かに鼓動している。
この心は、私をどこへ連れて行こうとしているのだろう。
栄光か、それとも破滅か。
その答えは、まだ深い闇の中に沈んでいた。
接触対象であった裏組織は、アルフレッドの介入によって壊滅。私が駆けつけた時には、既に衛兵たちが後処理をしている段階だった。
魔王城に戻った私は、苦心の末に報告書を書き上げた。
『対象組織、王国側の介入により既に壊滅。接触不可』
嘘ではない。だが、真実の全てでもない。報告書を提出する指先が、罪悪感に微かに震えた。
これで四度目だ。
私が関わった任務に、必ずあの勇者が現れる。そして、その度に私は任務を完遂できずにいる。偶然にしては、出来すぎている。まるで、見えない運命の糸に手繰り寄せられているかのようだ。
以前の私なら、こんな非科学的な思考は一笑に付しただろう。だが、今の私にはその糸の存在を、否定しきることができなかった。
それから数日、私は自らを罰するように訓練に明け暮れた。
疲れ果てて意識が朦朧とするまで魔法を放ち続ければ、あの男の顔も、声も、一時的に忘れられる気がしたからだ。しかし、それも気休めにしかならない。夜、ベッドに横になれば、背中を預けた時の温もりや、共に戦った時の奇妙な高揚感が、鮮明に蘇ってくるのだ。
そんなある日、ついに恐れていた時が来た。
魔王ザルディアス様からの、直々の召喚命令。
謁見の間へ向かう長い廊下を、私は死刑台へ向かう罪人のような心地で歩いていた。一歩進むごとに、足枷のように罪悪感が重くなっていく。
魔王様は、全てお見通しに違いない。
私の度重なる失態も、その裏にある心の揺らぎも。レヴィでさえ気づいたのだ。全てを見通す力を持つ我が君が、気づかないはずがない。
厳しい叱責が待っているだろう。あるいは、四天王の任を解かれるかもしれない。最悪の場合、裏切り者として処断されることも……。
そこまで考えて、私は自嘲の笑みを浮かべた。それも、仕方ないのかもしれない。魔王様への絶対の忠誠を誓ったこの身で、敵である男に心を動かされているのだから。
謁見の間の重厚な扉が開かれる。
広大な空間に、私一人。遥か先の玉座に、我が君は静かに座しておられた。その姿はいつものように影に覆われ、表情を窺い知ることはできない。
私は玉座の前まで進み、深く跪いた。冷たい黒曜石の床が、私の額に現実を突きつける。
「……お呼びにより、参上いたしました。魔王様」
声が、震えた。
玉座からの返事はない。
ただ、静寂だけが支配していた。それは、嵐の前の静けさのようにも感じられた。
私は覚悟を決め、口を開いた。
「度重なる任務失敗、誠に申し訳ございません。私の不徳の致すところ。いかなる罰も……」
「リディア」
私の言葉を遮り、初めて魔王様が私の名を呼んだ。
地の底から響くような、威厳に満ちた声。
「顔を上げよ」
「……は」
私は恐る恐る顔を上げた。
玉座の上の影が、じっと私を見つめている。そう、感じた。物理的な視線ではない。魂の奥底まで見透かすような、絶対者の視線。
私はその視線に射抜かれ、身動き一つ取れなくなった。
さあ、断罪の言葉が下される。私は固く目を閉じた。
しかし。
一秒が、一分のように長く感じる。
一分が、一時間のように感じられる。
魔王様は、何もおっしゃらなかった。
叱責も、詰問も、罰の宣告も、何一つない。
ただ、静かに、私を見つめている。
その沈黙が、私の心を締め上げた。
何を考えておられるのか、全く分からない。その意図が読めないことが、何よりも恐ろしかった。
怒り。失望。憐憫。あるいは、試練。
その視線の奥にある感情が読み取れず、私の心は混乱の極みに達した。
どんな罵詈雑言を浴びせられた方が、どれだけマシだっただろう。どんな厳しい罰を与えられた方が、どれだけ救われただろう。
この沈黙は、私という存在そのものを否定されているかのようだった。お前には、言葉をかける価値すらないと、そう言われているようで。
私の額から、冷や汗が流れ落ちる。呼吸が浅くなり、指先が冷えていく。
耐えられない。この重圧に、私の精神は押し潰されそうだった。
どれほどの時間が、経ったのだろうか。
永遠にも思える沈黙を破ったのは、やはり魔王様だった。
「……下がれ」
たった、一言。
その声には、何の感情も含まれていなかった。
「……は……はい」
私はかろうじて返事をし、ふらつく足で立ち上がった。背を向けるのが、これほど怖いと感じたことはない。一歩、また一歩と、謁見の間を後にする。その間もずっと、魔王様の視線が私の背中に突き刺さっているような気がしてならなかった。
ようやく扉の外に出た瞬間、私は壁に手をついて、その場に崩れ落ちそうになった。全身から力が抜け、立っているのがやっとだった。
「……ひどい顔だね」
いつの間にか、そこにレヴィが立っていた。彼は私の様子を見て、少しだけ眉をひそめている。その表情には、いつもの面白がるような色合いはなかった。
「魔王様は、何と?」
「……何も」
私は掠れた声で答えた。「ただ、下がれ、と」
その言葉を聞き、レヴィは全てを察したようだった。彼は深いため息をつくと、珍しく同情するような視線を私に向けた。
「そうか。一番、堪えるやつだ」
その通りだった。
あの沈黙は、私の心を確実に蝕んでいた。
魔王様は気づいている。私の変化の全てに。
そして、その上で、何も言わずに私を泳がせている。私がこれからどう動くのか、どちらに転ぶのかを、試しているのだ。
魔王様への忠誠か。
それとも、この芽生えてしまった、名前のない感情か。
私は、試されている。
私の全てを捧げた主に、その存在価値そのものを、問われている。
自室に戻った私は、ベッドに倒れ込んだ。
もう、何も考えたくなかった。
アルフレッドのことも、魔王様のことも。
しかし、私の心は休むことを許してはくれない。
光と闇、その両方が私の心の中でせめぎ合い、私を引き裂こうとしていた。
私は道具のはずだった。魔王様の、完璧な道具。
感情などという不純物は、必要ないはずだった。
なのに、この心臓は、痛みと、そして微かな甘さを伴って、確かに鼓動している。
この心は、私をどこへ連れて行こうとしているのだろう。
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