私、魔王軍の四天王(紅一点)なんですが、敵であるはずの勇者が会うたびに口説いてきます

夏見ナイ

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第32話 魔王軍の不和

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リディアがその姿を消してから、魔王城には奇妙な静けさが漂っていた。
彼女が住んでいた西塔の一室は、主を失い、冷たい闇に閉ざされている。あれほど強大な魔力の気配を放っていた場所は、今やただの石造りの箱となり、城の一部に埋没していた。

しかし、その静けさは、水面下で渦巻く不穏な流れを覆い隠す、薄い氷膜に過ぎなかった。

その日、魔王ザルディアスは、四天王と主だった軍団長たちを謁見の間に召集した。リディアが追放されて以来、初めての公式な集会だった。誰もが、その議題が何であるかを察しており、広間には張り詰めた緊張が満ちていた。

玉座の上の影は、いつもと変わらぬ威厳をもって、そこに鎮座していた。

「集まってもらったのは、他でもない。四天王の一角、リディア・ノワールについてだ」

魔王様の静かな声が、広間に響き渡る。
ガレスは固く拳を握りしめ、レヴィは涼しい顔で、その言葉の続きを待っていた。

「リディアは、我らを裏切った」

その宣告は、あまりにも直接的で、そして無慈悲だった。
広間に、動揺のどよめきが広がる。

「敵である勇者アルフレッドと再三にわたり接触。あまつさえ、奴の甘言に乗り、我らが捕らえた捕虜を逃がすという愚を犯した。もはや、彼女に四天王を名乗る資格はない」

魔王様は、淡々と事実だけを語る。しかし、その言葉の裏には、裏切り者への冷たい怒りが込められていた。

「よって、リディア・ノワールを魔王軍より永久追放とする。今後、彼女の名をこの城で口にすることは許さん。もし、彼女に与する者がいれば、同罪とみなし、厳罰に処す」

それは、完全な絶縁宣言だった。
彼女の存在そのものを、魔王軍の歴史から抹消しようという、絶対者の意思表示。

ほとんどの者が、その決定に恐怖し、ただひれ伏すだけだった。
しかし、その中で一人だけ、その決定に異を唱えようとする者がいた。

「お待ちください、魔王様!」

声を上げたのは、ガレスだった。彼は憤怒に顔を赤く染め、一歩前に進み出る。

「リディアが、我らを裏切るなど……! 何かの間違いです! 全ては、あの勇者が仕組んだ罠に違いありません! 彼女は、騙されているだけなのです!」

ガレスの悲痛な叫びが、広間に木霊する。
しかし、魔王様の反応は、氷のように冷たかった。

「ガレス。お前は、私の決定に異を唱えるか」

地の底から響くような低い声に、ガレスの体がびくりと震えた。絶対的な主からの、無言の圧力。それに逆らうことは、死を意味する。

「……っ! し、しかし……!」

「彼女が自らの意思で捕虜を逃がしたのは、事実だ。その事実だけで、断罪するには十分」

ガレスは、言葉に詰まった。
事実を突きつけられ、彼は何も言い返せない。悔しさに奥歯をギリギリと鳴らし、巨大な拳を震わせることしかできなかった。

レヴィは、その一連のやり取りを、冷静な瞳で静観していた。
(やはり、こうなったか。魔王様は、リディアを切り捨てることで、軍の引き締めを図るつもりらしい。だが、本当にそれだけだろうか……?)
彼の頭脳は、この粛清劇の裏にある、さらなる深意を探ろうと、高速で回転していた。

魔王様の宣告は、魔王軍全体に大きな波紋を広げた。
最強と謳われた煉獄の魔女の、突然の失脚。その理由は、敵である勇者への内通。
そのニュースは、兵士たちの間に様々な憶測と感情を呼び起こした。

リディアを姉のように慕っていた若い魔族たちは、信じられないという顔でただ動揺していた。
彼女の厳格な指導に不満を抱いていた者たちは、ほくそ笑み、これで自分たちの時代が来ると息巻いた。
そして、彼女の実力を妬んでいた他の幹部たちは、空いた四天王の席を虎視眈々と狙い始める。

一つの大きな柱が失われたことで、魔王軍という巨大な組織は、内側から軋み始めたのだ。
今までリディアが一人で担当していた広大な戦線には、急遽、後任が派遣された。しかし、彼女の代わりが務まる者など、どこにもいない。戦線はみるみるうちに押し込まれ、人間軍に勢いづくきっかけを与えてしまった。

リディアの不在は、彼女の存在がいかに大きかったかを、皮肉にも証明する結果となった。

その夜。
ガレスは一人、荒れ狂っていた。
訓練場にあった巨大な岩石を、素手で殴りつけては粉々に砕いていく。しかし、どれだけ拳を振るっても、彼の心の中の怒りと無力感は、少しも晴れなかった。

「なぜだ……リディア……!」

彼の脳裏に、幼い頃のリディアの姿が蘇る。
魔王様に拾われたばかりで、誰にも心を開かず、ただ黙々と魔法の訓練に打ち込んでいた小さな少女。そんな彼女が、初めて自分にだけ見せた、はにかんだような笑顔。

あのリディアが、裏切り者?
馬鹿な。ありえない。全て、あの勇者が悪いのだ。
あいつが、リディアの純粋な心につけ込んだに違いない。

「勇者……アルフレッド……!」

ガレスの瞳に、憎悪の炎が燃え盛る。
「貴様だけは……貴様だけは、この俺が必ず地獄へ叩き落としてやる……!」

彼の怒りは、もはや魔王軍のためでも、魔族の未来のためでもなかった。
ただ、奪われた大切な妹を取り戻すため。そして、彼女を誑かした元凶を滅ぼすため。
その個人的な復讐心が、彼の新たな戦いの原動力となっていた。

一方、レヴィは自室で、静かにチェス盤に向き合っていた。
黒のクイーンの駒を、盤上から取り除く。最強の駒を失った黒の陣営は、一気に劣勢に見えた。

「さて……。最強の駒を、自ら捨てるとはね、魔王様」

彼は、独り言のように呟いた。
「よほど、自信がおありのようだ。あるいは、このクイーン以上に強力な、『切り札』をお持ち、と見るべきか」

彼の指が、盤上の別の駒をゆっくりと動かす。それは、誰にも注目されていなかった、端の方にあるポーンの駒だった。

「リディアという大きな変数が消えたことで、盤面は一度リセットされた。だが、ゲームはまだ終わらない。むしろ、ここからが本番だ」

彼は、窓の外に浮かぶ二つの赤い月を見上げた。その瞳には、これから始まるであろう、より大きな混乱と陰謀を、冷静に見据える光が宿っていた。

「せいぜい、楽しませてもらうとしようか。君も、そして……勇者殿もね」

リディアという共通の存在を失ったことで、魔王軍の不和は決定的となった。
怒りに燃える者、静かに策を巡らせる者。
それぞれの思惑が交錯する中、魔王軍は、見えない崩壊への道を、ゆっくりと歩み始めていた。
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