私、魔王軍の四天王(紅一点)なんですが、敵であるはずの勇者が会うたびに口説いてきます

夏見ナイ

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第90話 最後の守護者

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この子を、渡すものですか……!」

母としての本能が私の魂に火をつけた。
臨月間近の重い体。力を失って久しい魔力回路。しかし、そんなことは関係なかった。愛する我が子を狙う冒涜的な存在を前に、私の心は燃え盛る怒りの炎で満たされていた。

私の全身から、押さえ込んでいたはずの魔力が奔流となって溢れ出した。それはかつてのような破壊の闇ではない。守るべきものを守るための気高い光と、そして全てを焼き尽くす煉獄の怒りが混じり合った、白と黒のオーラだった。

「リディア! 無理をするな!」
アルフレッドが悲痛な声を上げる。出産間近の私がこれほどの魔力を使えば、母子ともに危険な状態に陥ることは火を見るより明らかだった。

しかし、私はもう止まらない。
私の手の中に、光と闇が渦巻く小さな、しかし凝縮されたエネルギー球が生み出されていく。

その時だった。
私とアビス・ウォーカーの司令官との間に、突風のように割り込む影があった。

「―――させん!」

鋼の音が響き渡り、司令官が伸ばした歪な腕を一本の長剣が弾き返した。
その剣の主は、血塗れになりながらも決して倒れない不屈の騎士。

「ダリウス……!」

「ここは我ら近衛騎士団が命に代えても守り抜く!」
彼は私とアルフレッドを背にかばい、吼えた。「陛下は王妃様をお連れして、ここからお逃げください!」

「しかし!」

「これは王命です!」
ダリウスは振り返ることなく叫んだ。「王と次代の王をお守りすること! それこそが我ら騎士の最高の誉れ!」

彼の背後で、生き残っていた騎士たちが次々とその前に立ちはだかる。彼らの体は傷つき、数は圧倒的に不利。しかし、その瞳には恐怖も絶望もなかった。ただ、自らの命を賭して主君を守り抜くという騎士としての絶対的な誇りだけが輝いていた。

「……すまない、ダリウス」
アルフレッドは唇を強く噛み締めた。そして、決断する。
逃げるのではない。仲間たちの覚悟を未来へと繋ぐのだ。

彼は私の腕を取り、寝室の奥にある秘密の通路へと向かった。
「行くぞ、リディア!」

「でも、ダリウスたちが!」

「彼らの覚悟を無駄にするな!」
アルフレッドの言葉が私の胸に突き刺さる。

私は涙を堪えながら一度だけ振り返った。
そこには、押し寄せる絶望の闇の前に自らの命を盾として立ちはだかる、気高い守護者たちの姿があった。
ダリウスの長剣が最後の輝きを放つのが遠目に見えた。

「ありがとう……ダリウス……」
私のか細い感謝の言葉は、激しい剣戟の音の中にかき消されていった。



秘密の通路を、私たちは無我夢中で駆け抜けた。
この通路は王城が万が一陥落した際に王族が脱出するために作られた最後の砦だ。その出口は王都の地下深く、古代の水道橋へと繋がっている。

通路を抜けた時、私たちは愕然とした。
外は地獄だった。
深い霧に覆われた王都は既にアビス・ウォーカーの群れによって半ば制圧されていた。あちこちから火の手が上がり、人々の悲鳴が響き渡る。
衛兵たちは必死で応戦しているが、敵の数はあまりにも多い。

「なんて、ことだ……」
アルフレッドが絶望に顔を歪ませる。「僕が、王都を守れなかった……」

その彼の絶望を打ち砕く声が天から響いた。
「―――いいや、まだ終わってはいませんわ、陛下!」

見上げると、霧の晴れ間から数体のグリフォンが舞い降りてきた。
その背には魔法師団を率いたエルザと、そして聖女イリーナの姿があった。

「エルザ! イリーナ!」

「ダリウス殿からの連絡を受け、すぐに駆けつけました!」
エルザが叫んだ。「陛下と王妃様を安全な場所へとお連れします!」

「あなたたちこそ、早く逃げて!」
私は叫び返した。「敵の狙いはこの子よ! 私がここにいてはあなたたちまで危険に!」

「だからこそ、ですわ!」
エルザはきっぱりと言った。「その希望の光を、我らが死んでも消させはしません!」

グリフォンが私たちの前に着地する。
しかし、その行く手を新たなアビス・ウォーカーの群れが塞いだ。空からも翼を持つ異形の怪物が次々と襲いかかってくる。

「くっ……キリがない!」
アルフレッドが聖剣を振るい、敵を薙ぎ払う。

その時だった。
私の下腹部に、鋭い突き刺すような痛みが走った。

「……あ……っ!」

思わずその場にうずくまる。
額に脂汗が滲んだ。

「リディア!?」
アルフレッドが血相を変えて駆け寄ってくる。

「……始まった、みたい……」
私は痛みの中でかろうじて呟いた。「産まれる……この子が……」

最悪のタイミングだった。
この絶望的な戦場のど真ん中で。

「なんてことだ……!」
アルフレッドの顔から血の気が引いていく。
イリーナが慌てて私の元へと駆け寄り、治癒魔法をかけようとする。しかし、陣痛の痛みは魔法で和らげられるものではない。

「イリーナ様! 王妃様を!」
エルザが巨大な炎の壁を作り出し、敵の足止めをしながら叫んだ。「ここは私が食い止めます! その間に陛下たちを安全な場所へ!」

彼女はたった一人で絶望的な数の敵の前に立ちはだかるつもりなのだ。

「エルザ……あなたまで……!」

「行きなさい、アルフレッド!」
その時、私の背後から厳かで、しかし力強い声が響いた。
振り返ると、そこに王家の近衛兵に守られながら前王アルベールと宰相たちの姿があった。彼らもまた、この最後の脱出路を通ってここまで逃れてきていたのだ。

「父上……!」

「王がうろたえるな!」
アルベールは息子を叱咤した。「お前の為すべきことはただ一つ。王妃と次代の王を守り抜くことだ。それ以外のことは我らが何とかする!」

彼の瞳にはもはや息子の恋を憂う父の顔はなかった。
自らの命を賭してでも王家の血筋と国の未来を繋ごうとする、先王としての気高い覚悟が宿っていた。

アルフレッドは唇を強く、強く噛み締めた。
仲間が、父が、臣下が。
誰もが自分とリディアと、そしてまだ生まれぬ我が子のためにその命を盾にしようとしている。
この覚悟を無駄にしてはならない。

「……行くぞ、リディア」
彼は私を横抱きに抱き上げた。
そして、イリーナが乗ってきたグリフォンの背に飛び乗る。

「イリーナ、頼む!」

「はい!」

グリフォンが大きく翼を広げ、天へと舞い上がった。
眼下ではエルザが、前王が、そして名も知らぬ多くの兵士たちが黒い絶望の波に飲み込まれていくのが見えた。

「いや……! いやあああっ!」
私は叫んだ。
自分のせいで多くの者が死んでいく。その事実に私の心は張り裂けそうだった。

「見るんじゃない、リディア!」
アルフレッドが私の顔を強く自らの胸に押し付けた。「前だけを見るんだ。生き延びて子供を産むことだけを考えろ。それが彼らの死に報いる唯一の道だ!」

彼の言葉は非情なほどに正しかった。
私は彼の胸の中でただ嗚咽を漏らすことしかできなかった。
私たちの未来のためにあまりにも多くのものが失われていく。

グリフォンは夜の闇を切り裂き、ただひたすらに東へと向かった。
その先にある最後の希望の地。
人間と魔族、そのどちらの支配も及ばない中立地帯を目指して。

その背後では、炎に包まれた王都がまるで巨大な墓標のように黒い煙を天に上げていた。
私たちの愛の巣が、思い出が、そして多くの仲間たちが炎の中に消えていく。

それはあまりにも悲しい夜だった。
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