2 / 98
第2話:投げつけられた罪状
しおりを挟む
静寂が、まるで重い鉛のようにホールに満ちていた。私の名前を呼んだアレン様の声の残響だけが、耳の奥で冷たく響いている。誰も息をせず、誰も動かない。シャンデリアのきらめきだけが、この異常な空間で変わらずに輝き続けていた。
アレン様の腕の中で、エリアーナ様が小さく震えている。その姿はひどく痛々しく、か弱く見えた。アレン様は彼女の肩を優しく抱き、慈しむような視線を一瞬だけ彼女に落とす。そして再び、私に氷の刃のような視線を向けた。
「貴様は、その侯爵令嬢という立場を傘に着て、か弱い者を虐げることを何とも思わぬ悪女だ」
悪女。その言葉が、私の頭の中で理解を結ぶのに数秒かかった。誰が、誰のことを言っているのだろうか。アレン様は、一体誰に向かって話しているのだろう。まるで他人事のように、私の思考は現実から乖離していく。
「エリアーナが、どれほど貴様に苦しめられてきたか。私は全て聞いている」
アレン様の声には、確固たる信念が宿っていた。正義を執行する者の、揺るぎない声。彼は続けた。罪状を一つ一つ、数え上げるように。
「貴様はエリアーナの教科書を隠し、彼女が授業で恥をかくように仕向けた。違うか」
身に覚えがない。私はそんなことをしていない。しかし、私の声は出なかった。喉が凍りついたように動かない。
「夜会の招待状が届かなかったのも、貴様の差し金だろう。慣れない貴族社会で孤立させようという、陰湿ないじめだ」
知らない。私は何も知らない。必死に首を横に振ろうとするが、体は石のように固まっていた。
「つい先週は、階段の上から彼女を突き落とそうとさえした。幸い、彼女に怪我はなかったが、一歩間違えば大惨事になっていたのだぞ!」
アレン様の糾弾は止まらない。彼の言葉が、見えない鞭となって私を打ちのめす。周囲の貴族たちがひそひそと囁き始めるのが聞こえた。
「ああ、なんてことだ…」
「やはり、あの男爵令嬢は侯爵令嬢に目をつけられていたのね」
「アレン様が庇ってくださらなければ、どうなっていたことか」
違う。何もかもが、事実ではない。
「アレン様、お待ちください!」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く、震えていた。
「私は、そのようなことは一切しておりません。何かの間違いです」
私の必死の訴えに、アレン様は鼻で笑った。その表情は、私が見たこともないほど冷酷なものだった。
「間違いだと?しらを切るつもりか。エリアーナは、涙ながらに全てを私に打ち明けてくれたのだ。これ以上、彼女を苦しめるのはやめろ」
そう言ってアレン様がエリアーナ様を見ると、彼女はびくりと体を震わせた。そして、潤んだ瞳で私を見つめ、か弱い声で呟く。
「ごめんなさい、リリアンナ様…私が、私がアレン様とお話ししていたから、リリアンナ様をお怒らせしてしまったのですよね…。私が、身の程をわきまえなかったせいで…」
まるで、全ての原因が自分にあるかのように振る舞う彼女の姿。その言葉は、私が嫉妬に狂って彼女をいじめたのだと、雄弁に物語っていた。ああ、なんてことだ。この人は、なんて巧みに人の心を操るのだろう。
「エリアーナ、君は何も悪くない」
アレン様は、彼女を慰めるように優しく囁く。その声の甘さが、私には毒のように感じられた。
「悪いのは全て、嫉妬という醜い感情に心を支配されたこの女だ」
「違います!」
私は叫んだ。淑女にあるまじき、甲高い声だった。
「私はエリアーナ様に嫉妬などしておりません!彼女を害するようなことなど、決して…!」
「では、この証拠をどう説明する!」
アレン様が一人の侍従に目配せをすると、侍従が銀の盆に乗せた何かを運んでくる。盆の上にあったのは、一枚のハンカチ。そして、インクで汚れた一冊の古い本だった。
「これはエリアーナの私物だ。どちらも、貴様の私室のゴミ箱から見つかった。これでもまだ、偶然だと言い張るのか?」
私の部屋から?ありえない。誰かが、意図的に仕組んだとしか思えない。
「誰かの罠です!私は存じ上げません!」
「見苦しいぞ、リリアンナ!」
アレン様の怒声がホールに響き渡った。
「悪事が露見した今になっても、まだ嘘を重ねるか。貴様のその腐りきった性根には、心底うんざりさせられる」
彼の青い瞳には、失望と軽蔑の色が濃く浮かんでいた。かつて、その瞳が私に穏やかな光を向けてくれていたことなど、遠い昔の夢のようだ。
もう駄目だ。何を言っても信じてもらえない。彼はもう、私の言葉を聞く気などないのだ。私という存在を断罪すること。それが、彼の揺るぎない決意なのだ。
周囲の視線が痛い。憐れみ、嘲り、好奇心。様々な感情を含んだ視線が、私に突き刺さる。味方は、どこにもいない。この広いホールの真ん中で、私は完全に孤立していた。
アレン様は深く息を吸い込むと、最終宣告を下すように、はっきりとした声で言った。
「リリアンナ・フォン・アルクライド。本日この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」
婚約破棄。その言葉の重みが、私の全身にのしかかる。ああ、やはりこうなるのか。覚悟していなかったわけではない。彼の態度を見た時から、心のどこかで予感していた。
それでも、実際に告げられると、心臓を直接鷲掴みにされたような衝撃が走る。足元から崩れ落ちていく感覚。立っているのがやっとだった。
「そして、貴様のような悪女を、このエルミール王国に置いておくわけにはいかない。王家の名において、貴様に国外追放を命じる!」
国外追放。その言葉は、婚約破棄よりもさらに重く、私の未来を完全に打ち砕いた。この国から、出ていけと。生まれ育ったこの場所から、私を消し去ろうというのか。
呆然と立ち尽くす私を、アレン様は最後の裁きを下した裁判官のように見下ろしている。彼の隣で、エリアーナ様はそっと顔を伏せ、その表情を隠していた。けれど、一瞬だけ見えた彼女の口元が、微かに吊り上がっていたのを、私は見逃さなかった。
ああ、そうか。全ては、この人の筋書き通りだったのか。
絶望が、冷たい水のように私の心を満たしていく。もう、何も考えられない。何も感じない。ただ、目の前で繰り広げられる茶番劇を、魂の抜けた人形のように見つめていることしかできなかった。
アレン様の腕の中で、エリアーナ様が小さく震えている。その姿はひどく痛々しく、か弱く見えた。アレン様は彼女の肩を優しく抱き、慈しむような視線を一瞬だけ彼女に落とす。そして再び、私に氷の刃のような視線を向けた。
「貴様は、その侯爵令嬢という立場を傘に着て、か弱い者を虐げることを何とも思わぬ悪女だ」
悪女。その言葉が、私の頭の中で理解を結ぶのに数秒かかった。誰が、誰のことを言っているのだろうか。アレン様は、一体誰に向かって話しているのだろう。まるで他人事のように、私の思考は現実から乖離していく。
「エリアーナが、どれほど貴様に苦しめられてきたか。私は全て聞いている」
アレン様の声には、確固たる信念が宿っていた。正義を執行する者の、揺るぎない声。彼は続けた。罪状を一つ一つ、数え上げるように。
「貴様はエリアーナの教科書を隠し、彼女が授業で恥をかくように仕向けた。違うか」
身に覚えがない。私はそんなことをしていない。しかし、私の声は出なかった。喉が凍りついたように動かない。
「夜会の招待状が届かなかったのも、貴様の差し金だろう。慣れない貴族社会で孤立させようという、陰湿ないじめだ」
知らない。私は何も知らない。必死に首を横に振ろうとするが、体は石のように固まっていた。
「つい先週は、階段の上から彼女を突き落とそうとさえした。幸い、彼女に怪我はなかったが、一歩間違えば大惨事になっていたのだぞ!」
アレン様の糾弾は止まらない。彼の言葉が、見えない鞭となって私を打ちのめす。周囲の貴族たちがひそひそと囁き始めるのが聞こえた。
「ああ、なんてことだ…」
「やはり、あの男爵令嬢は侯爵令嬢に目をつけられていたのね」
「アレン様が庇ってくださらなければ、どうなっていたことか」
違う。何もかもが、事実ではない。
「アレン様、お待ちください!」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く、震えていた。
「私は、そのようなことは一切しておりません。何かの間違いです」
私の必死の訴えに、アレン様は鼻で笑った。その表情は、私が見たこともないほど冷酷なものだった。
「間違いだと?しらを切るつもりか。エリアーナは、涙ながらに全てを私に打ち明けてくれたのだ。これ以上、彼女を苦しめるのはやめろ」
そう言ってアレン様がエリアーナ様を見ると、彼女はびくりと体を震わせた。そして、潤んだ瞳で私を見つめ、か弱い声で呟く。
「ごめんなさい、リリアンナ様…私が、私がアレン様とお話ししていたから、リリアンナ様をお怒らせしてしまったのですよね…。私が、身の程をわきまえなかったせいで…」
まるで、全ての原因が自分にあるかのように振る舞う彼女の姿。その言葉は、私が嫉妬に狂って彼女をいじめたのだと、雄弁に物語っていた。ああ、なんてことだ。この人は、なんて巧みに人の心を操るのだろう。
「エリアーナ、君は何も悪くない」
アレン様は、彼女を慰めるように優しく囁く。その声の甘さが、私には毒のように感じられた。
「悪いのは全て、嫉妬という醜い感情に心を支配されたこの女だ」
「違います!」
私は叫んだ。淑女にあるまじき、甲高い声だった。
「私はエリアーナ様に嫉妬などしておりません!彼女を害するようなことなど、決して…!」
「では、この証拠をどう説明する!」
アレン様が一人の侍従に目配せをすると、侍従が銀の盆に乗せた何かを運んでくる。盆の上にあったのは、一枚のハンカチ。そして、インクで汚れた一冊の古い本だった。
「これはエリアーナの私物だ。どちらも、貴様の私室のゴミ箱から見つかった。これでもまだ、偶然だと言い張るのか?」
私の部屋から?ありえない。誰かが、意図的に仕組んだとしか思えない。
「誰かの罠です!私は存じ上げません!」
「見苦しいぞ、リリアンナ!」
アレン様の怒声がホールに響き渡った。
「悪事が露見した今になっても、まだ嘘を重ねるか。貴様のその腐りきった性根には、心底うんざりさせられる」
彼の青い瞳には、失望と軽蔑の色が濃く浮かんでいた。かつて、その瞳が私に穏やかな光を向けてくれていたことなど、遠い昔の夢のようだ。
もう駄目だ。何を言っても信じてもらえない。彼はもう、私の言葉を聞く気などないのだ。私という存在を断罪すること。それが、彼の揺るぎない決意なのだ。
周囲の視線が痛い。憐れみ、嘲り、好奇心。様々な感情を含んだ視線が、私に突き刺さる。味方は、どこにもいない。この広いホールの真ん中で、私は完全に孤立していた。
アレン様は深く息を吸い込むと、最終宣告を下すように、はっきりとした声で言った。
「リリアンナ・フォン・アルクライド。本日この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」
婚約破棄。その言葉の重みが、私の全身にのしかかる。ああ、やはりこうなるのか。覚悟していなかったわけではない。彼の態度を見た時から、心のどこかで予感していた。
それでも、実際に告げられると、心臓を直接鷲掴みにされたような衝撃が走る。足元から崩れ落ちていく感覚。立っているのがやっとだった。
「そして、貴様のような悪女を、このエルミール王国に置いておくわけにはいかない。王家の名において、貴様に国外追放を命じる!」
国外追放。その言葉は、婚約破棄よりもさらに重く、私の未来を完全に打ち砕いた。この国から、出ていけと。生まれ育ったこの場所から、私を消し去ろうというのか。
呆然と立ち尽くす私を、アレン様は最後の裁きを下した裁判官のように見下ろしている。彼の隣で、エリアーナ様はそっと顔を伏せ、その表情を隠していた。けれど、一瞬だけ見えた彼女の口元が、微かに吊り上がっていたのを、私は見逃さなかった。
ああ、そうか。全ては、この人の筋書き通りだったのか。
絶望が、冷たい水のように私の心を満たしていく。もう、何も考えられない。何も感じない。ただ、目の前で繰り広げられる茶番劇を、魂の抜けた人形のように見つめていることしかできなかった。
362
あなたにおすすめの小説
「そうだ、結婚しよう!」悪役令嬢は断罪を回避した。
ミズメ
恋愛
ブラック企業で過労死(?)して目覚めると、そこはかつて熱中した乙女ゲームの世界だった。
しかも、自分は断罪エンドまっしぐらの悪役令嬢ロズニーヌ。そしてゲームもややこしい。
こんな謎運命、回避するしかない!
「そうだ、結婚しよう」
断罪回避のために動き出す悪役令嬢ロズニーヌと兄の友人である幼なじみの筋肉騎士のあれやこれや
「お前との婚約はなかったことに」と言われたので、全財産持って逃げました
ほーみ
恋愛
その日、私は生まれて初めて「人間ってここまで自己中心的になれるんだ」と知った。
「レイナ・エルンスト。お前との婚約は、なかったことにしたい」
そう言ったのは、私の婚約者であり王太子であるエドワルド殿下だった。
「……は?」
まぬけな声が出た。無理もない。私は何の前触れもなく、突然、婚約を破棄されたのだから。
何でもするって言うと思いました?
糸雨つむぎ
恋愛
ここ(牢屋)を出たければ、何でもするって言うと思いました?
王立学園の卒業式で、第1王子クリストフに婚約破棄を告げられた、'完璧な淑女’と謳われる公爵令嬢レティシア。王子の愛する男爵令嬢ミシェルを虐げたという身に覚えのない罪を突き付けられ、当然否定するも平民用の牢屋に押し込められる。突然起きた断罪の夜から3日後、随分ぼろぼろになった様子の殿下がやってきて…?
※他サイトにも掲載しています。
【完結】お父様。私、悪役令嬢なんですって。何ですかそれって。
紅月
恋愛
小説家になろうで書いていたものを加筆、訂正したリメイク版です。
「何故、私の娘が処刑されなければならないんだ」
最愛の娘が冤罪で処刑された。
時を巻き戻し、復讐を誓う家族。
娘は前と違う人生を歩み、家族は元凶へ復讐の手を伸ばすが、巻き戻す前と違う展開のため様々な事が見えてきた。
婚約者の態度が悪いので婚約破棄を申し出たら、えらいことになりました
神村 月子
恋愛
貴族令嬢アリスの婚約者は、毒舌家のラウル。
彼と会うたびに、冷たい言葉を投げつけられるし、自分よりも妹のソフィといるほうが楽しそうな様子を見て、アリスはとうとう心が折れてしまう。
「それならば、自分と妹が婚約者を変わればいいのよ」と思い付いたところから、えらいことになってしまうお話です。
登場人物たちの不可解な言動の裏に何があるのか、謎解き感覚でお付き合いください。
※当作品は、「小説家になろう」、「カクヨム」にも掲載しています
断罪前に“悪役"令嬢は、姿を消した。
パリパリかぷちーの
恋愛
高貴な公爵令嬢ティアラ。
将来の王妃候補とされてきたが、ある日、学園で「悪役令嬢」と呼ばれるようになり、理不尽な噂に追いつめられる。
平民出身のヒロインに嫉妬して、陥れようとしている。
根も葉もない悪評が広まる中、ティアラは学園から姿を消してしまう。
その突然の失踪に、大騒ぎ。
婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?
ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」
華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。
目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。
──あら、デジャヴ?
「……なるほど」
【完結】え?今になって婚約破棄ですか?私は構いませんが大丈夫ですか?
ゆうぎり
恋愛
カリンは幼少期からの婚約者オリバーに学園で婚約破棄されました。
卒業3か月前の事です。
卒業後すぐの結婚予定で、既に招待状も出し終わり済みです。
もちろんその場で受け入れましたよ。一向に構いません。
カリンはずっと婚約解消を願っていましたから。
でも大丈夫ですか?
婚約破棄したのなら既に他人。迷惑だけはかけないで下さいね。
※ゆるゆる設定です
※軽い感じで読み流して下さい
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる