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第22話 暗闇の中の記憶
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ルナリアの涙がようやく止まった頃には、湖面を渡る風は少しだけ冷たさを帯び始めていた。
俺は彼女が落ち着くまで、ただ黙ってその隣に座っていた。
彼女の涙は悲しみのものではないと分かっていたからだ。それでも、彼女のあんなにも綺麗な笑顔が涙で濡れてしまうのは胸が痛んだ。
「すみません…お見苦しいところをお見せしました」
彼女は、まだ少し赤みの残る目で恥ずかしそうに俯きながら小さな声で謝った。
「気にしないでくれ。俺の方こそ、変なこと言ったかな」
「いいえ、違います!」
彼女はきっぱりと首を横に振ると、真っ直ぐに俺の目を見つめた。
その瞳には先ほどまでの涙の跡はなく、ただひたすらに澄んだ決意のようなものが宿っていた。
「ユウキ様だから…お話したいのです。私が今まで誰にも話せなかったことを」
その真剣な眼差しに、俺はゴクリと喉を鳴らした。
そして黙って彼女の次の言葉を待った。
彼女は視線を遠く、きらめく湖面へと移した。
その思い出を一つ一つ手繰り寄せるかのように、静かな声で語り始めた。
「私が物心ついた時から、私の世界には色がありませんでした」
その言葉は、静かに、しかし重く俺の胸に響いた。
「私の世界にあったのは、音と匂いと肌で感じる空気の流れだけ。窓の外から聞こえてくる鳥のさえずりや子供たちの楽しそうな声。庭に咲く薔薇の甘い香り。頬を撫でる春の優しい風。それらが私の世界の全てでした」
彼女の声は淡々としていた。自分の不幸を嘆くような色合いはどこにもない。
「もちろん、寂しくなかったと言えば嘘になります。楽しそうな声を聞くたびに、私もそこへ行ってみたいと何度も思いました。けれど、私の足は病のせいで自由に動いてはくれなかったのです」
俺は何も言えなかった。
ただ、彼女の言葉が描く音と匂いだけの孤独な世界を想像していた。
光を知らない少女が、屋敷の一室でたった一人、外の世界に思いを馳せている姿。
それはあまりにも切なく、胸が締め付けられるような光景だった。
「お父様やお母様、屋敷の使用人たちは皆、私にとても優しくしてくれました。毎日新しい本を読んでくれたり、美しい音楽を聴かせてくれたり。そのおかげで、私の心は闇に飲まれずに済んだのだと思います」
彼女はそこで一度言葉を切り、小さく微笑んだ。
「でも、だからこそ…辛かったのです」
「辛かった?」
「はい。皆が私に優しくしてくれるたびに、私は自分が皆にとっての『重荷』なのだと感じてしまいました。『呪われた令嬢』…陰でそう呼ばれていることも知っていました。聞こえないふりをしていましたが、その言葉は小さな棘のように、ずっと私の胸に刺さっていたのです」
未来への希望などどこにもなかった、と彼女は言った。
この色のない世界が、動かない体が一生続くのだと。
いつか家族に愛想を尽かされ、完全に一人きりになってしまうのではないかという恐怖。
その見えない闇の中で、彼女はずっと一人で震えていたのだ。
「でも」
彼女の声のトーンが、少しだけ明るくなった。
彼女は視線を湖から俺へと戻す。その瞳には確かな光が宿っていた。
「あの日、ユウキ様と出会いました」
その声は愛おしい宝物の名前を呼ぶかのように、甘く響いた。
「ぶつかった時の衝撃、擦りむいた膝の痛み、そして…『大丈夫ですか』と私を気遣ってくださるユウキ様の優しい声。その全てを今でもはっきりと覚えています」
彼女は胸元で七色に輝くペンダントを、そっと握りしめた。
「そして、貴方様の手が私に触れた時、感じたことのない温かい光が私を包み込みました。それはまるで春の日差しのような、心地よい光でした」
「光が収まって、私がゆっくりと目を開けた時…私の世界は一変したのです」
彼女の声が歓喜に震える。
「初めて見た空の青さ。雲の白さ。木々の緑。そして…私の目の前で心配そうに私を見つめる、貴方様の優しい瞳の色。その全てがあまりにも美しくて…私は涙が止まりませんでした」
彼女にとって、俺はただ病を治してくれた恩人ではなかったのだ。
絶望の闇に閉ざされていた彼女の世界に、初めて「色」を与え「光」をもたらした、唯一無二の存在。
それがユウキ・アスカワという男だった。
「だから、私は誓ったのです。この新しい世界を、この光をくださった貴方様に、私の全てを捧げようと」
彼女は話し終えると、少し不安そうに俺の顔を窺った。
「すみません…暗いお話をしてしまいましたわね。ご気分を害されたのでは…」
そう言って、彼女は寂しそうに俯いた。
俺は、その言葉を聞いてたまらない気持ちになった。
彼女の小さな肩が背負ってきたものの重さ。
彼女の心に刺さっていた無数の棘の痛み。
それを想像すると、胸が張り裂けそうだった。
俺は何も言わずにそっと手を伸ばした。
そして彼女の小さな頭を、優しく、壊れ物を扱うかのようにそっと撫でた。
びくり、と彼女の肩が小さく跳ねる。
「…よく、頑張ったな」
俺の口から、自然とそんな言葉が零れ落ちていた。
その一言に、彼女ははっと顔を上げた。
その空色の瞳が、信じられないものを見るかのように大きく見開かれていた。
そしてその瞳から、再び透明な雫がぽろぽろと零れ落ち始めた。
今度の涙は、先ほどの嬉し涙とはまた違う意味を持っているように見えた。
ずっと胸の奥に閉じ込めていた孤独と痛みが、俺のたった一言でようやく癒やされ、溶け出していくような。
そんな安堵の涙に見えた。
俺はただ黙って、彼女が泣き止むまでその銀色の髪を優しく撫で続けた。
心の中で、一つの固い誓いを立てながら。
俺は彼女が落ち着くまで、ただ黙ってその隣に座っていた。
彼女の涙は悲しみのものではないと分かっていたからだ。それでも、彼女のあんなにも綺麗な笑顔が涙で濡れてしまうのは胸が痛んだ。
「すみません…お見苦しいところをお見せしました」
彼女は、まだ少し赤みの残る目で恥ずかしそうに俯きながら小さな声で謝った。
「気にしないでくれ。俺の方こそ、変なこと言ったかな」
「いいえ、違います!」
彼女はきっぱりと首を横に振ると、真っ直ぐに俺の目を見つめた。
その瞳には先ほどまでの涙の跡はなく、ただひたすらに澄んだ決意のようなものが宿っていた。
「ユウキ様だから…お話したいのです。私が今まで誰にも話せなかったことを」
その真剣な眼差しに、俺はゴクリと喉を鳴らした。
そして黙って彼女の次の言葉を待った。
彼女は視線を遠く、きらめく湖面へと移した。
その思い出を一つ一つ手繰り寄せるかのように、静かな声で語り始めた。
「私が物心ついた時から、私の世界には色がありませんでした」
その言葉は、静かに、しかし重く俺の胸に響いた。
「私の世界にあったのは、音と匂いと肌で感じる空気の流れだけ。窓の外から聞こえてくる鳥のさえずりや子供たちの楽しそうな声。庭に咲く薔薇の甘い香り。頬を撫でる春の優しい風。それらが私の世界の全てでした」
彼女の声は淡々としていた。自分の不幸を嘆くような色合いはどこにもない。
「もちろん、寂しくなかったと言えば嘘になります。楽しそうな声を聞くたびに、私もそこへ行ってみたいと何度も思いました。けれど、私の足は病のせいで自由に動いてはくれなかったのです」
俺は何も言えなかった。
ただ、彼女の言葉が描く音と匂いだけの孤独な世界を想像していた。
光を知らない少女が、屋敷の一室でたった一人、外の世界に思いを馳せている姿。
それはあまりにも切なく、胸が締め付けられるような光景だった。
「お父様やお母様、屋敷の使用人たちは皆、私にとても優しくしてくれました。毎日新しい本を読んでくれたり、美しい音楽を聴かせてくれたり。そのおかげで、私の心は闇に飲まれずに済んだのだと思います」
彼女はそこで一度言葉を切り、小さく微笑んだ。
「でも、だからこそ…辛かったのです」
「辛かった?」
「はい。皆が私に優しくしてくれるたびに、私は自分が皆にとっての『重荷』なのだと感じてしまいました。『呪われた令嬢』…陰でそう呼ばれていることも知っていました。聞こえないふりをしていましたが、その言葉は小さな棘のように、ずっと私の胸に刺さっていたのです」
未来への希望などどこにもなかった、と彼女は言った。
この色のない世界が、動かない体が一生続くのだと。
いつか家族に愛想を尽かされ、完全に一人きりになってしまうのではないかという恐怖。
その見えない闇の中で、彼女はずっと一人で震えていたのだ。
「でも」
彼女の声のトーンが、少しだけ明るくなった。
彼女は視線を湖から俺へと戻す。その瞳には確かな光が宿っていた。
「あの日、ユウキ様と出会いました」
その声は愛おしい宝物の名前を呼ぶかのように、甘く響いた。
「ぶつかった時の衝撃、擦りむいた膝の痛み、そして…『大丈夫ですか』と私を気遣ってくださるユウキ様の優しい声。その全てを今でもはっきりと覚えています」
彼女は胸元で七色に輝くペンダントを、そっと握りしめた。
「そして、貴方様の手が私に触れた時、感じたことのない温かい光が私を包み込みました。それはまるで春の日差しのような、心地よい光でした」
「光が収まって、私がゆっくりと目を開けた時…私の世界は一変したのです」
彼女の声が歓喜に震える。
「初めて見た空の青さ。雲の白さ。木々の緑。そして…私の目の前で心配そうに私を見つめる、貴方様の優しい瞳の色。その全てがあまりにも美しくて…私は涙が止まりませんでした」
彼女にとって、俺はただ病を治してくれた恩人ではなかったのだ。
絶望の闇に閉ざされていた彼女の世界に、初めて「色」を与え「光」をもたらした、唯一無二の存在。
それがユウキ・アスカワという男だった。
「だから、私は誓ったのです。この新しい世界を、この光をくださった貴方様に、私の全てを捧げようと」
彼女は話し終えると、少し不安そうに俺の顔を窺った。
「すみません…暗いお話をしてしまいましたわね。ご気分を害されたのでは…」
そう言って、彼女は寂しそうに俯いた。
俺は、その言葉を聞いてたまらない気持ちになった。
彼女の小さな肩が背負ってきたものの重さ。
彼女の心に刺さっていた無数の棘の痛み。
それを想像すると、胸が張り裂けそうだった。
俺は何も言わずにそっと手を伸ばした。
そして彼女の小さな頭を、優しく、壊れ物を扱うかのようにそっと撫でた。
びくり、と彼女の肩が小さく跳ねる。
「…よく、頑張ったな」
俺の口から、自然とそんな言葉が零れ落ちていた。
その一言に、彼女ははっと顔を上げた。
その空色の瞳が、信じられないものを見るかのように大きく見開かれていた。
そしてその瞳から、再び透明な雫がぽろぽろと零れ落ち始めた。
今度の涙は、先ほどの嬉し涙とはまた違う意味を持っているように見えた。
ずっと胸の奥に閉じ込めていた孤独と痛みが、俺のたった一言でようやく癒やされ、溶け出していくような。
そんな安堵の涙に見えた。
俺はただ黙って、彼女が泣き止むまでその銀色の髪を優しく撫で続けた。
心の中で、一つの固い誓いを立てながら。
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