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第53話 運命の夜会
しおりを挟むそして運命の夜が訪れた。
王城へと向かう馬車の中、俺は生まれて初めて経験する本当の緊張に固く体をこわばらせていた。
シルフィード公爵家が総力を挙げて仕立てたという礼服は、寸分の狂いもなく俺の体にフィットしている。だが、その着心地の良さも今の俺の心臓の鼓動を和らげてはくれなかった。
「ユウキ、大丈夫? そんなに固くならなくても」
隣に座るルナが心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
俺は彼女の姿を見て、再び息を呑んだ。
今夜の彼女は、これまで見たどんな姿よりも圧倒的に美しかった。
身に纏っているのは純白のシルクで仕立てられたシンプルなデザインのロングドレス。だがその生地には月の光を浴びると淡く輝くという魔法の糸が織り込まれており、彼女が動くたびにまるで銀河をその身に纏っているかのように幻想的な光を放っていた。
結い上げた銀髪には小さなダイヤモンドが星屑のように散りばめられ、首元にはあの日俺が呪いを解いた七色に輝く涙の雫のペンダントが揺れている。
その姿はもはや公爵令嬢というよりは、夜空を統べる月の女神そのものだった。
「…綺麗だ」
俺の口から無意識にため息のような言葉が漏れた。
「君を見ていると、緊張なんてどうでもよくなるな」
俺の正直な言葉に、彼女は嬉しそうに、そして愛おしそうに微笑んだ。
「わたくしの方こそ、ユウキの凛々しい姿に心臓がずっとドキドキしておりますわ」
彼女はそう言うと、そっと俺の手を取り自分の手に重ねた。
その温かい感触が、俺の強張った心を少しずつ解きほぐしていく。
やがて馬車は王城の正門をくぐり、壮麗な玄関ポーチの前で静かに停止した。
俺が先に降り、練習通りに完璧な所作で彼女に手を差し伸べる。
ルナはその手を優雅に取り、馬車から降り立った。
その瞬間、俺たちはその場にいた全ての人間たちの視線を一身に浴びることになった。
玄関前にはパーティーに招かれたであろう綺羅びやかなドレスや礼服に身を包んだ貴族たちが、何組も談笑していた。
だが俺たちが現れた瞬間、その全ての会話がぴたりと止んだ。
誰もが息を呑んで俺たち二人を凝視している。
特に月の光を浴びて淡く輝くドレスを纏ったルナの姿は、彼らの目にまさしく神々しい存在として映ったのだろう。
「まあ…あの方は、シルフィード公爵家のご令嬢…?」
「なんと美しい…。噂には聞いていたが、これほどとは…」
「隣にいる青年は誰だ? 見たことのない顔だが…なんと凛々しい…」
そんな驚嘆と好奇が入り混じった囁き声が、あちこちから聞こえてくる。
俺は背筋を伸ばし、堂々と振る舞うことを心掛けた。
今夜、俺はただのユウキ・アスカワではない。
ルナリア・フォン・シルフィードをエスコートする、一人の騎士なのだから。
俺たちは人々の視線の中をゆっくりと歩き始めた。
そしてパーティー会場である大広間の巨大な扉の前に立つ。
扉の前で控えていた侍従が俺たちの名前を確認すると、朗々とした声で高らかに来訪を告げた。
「シルフィード公爵家ご令嬢、ルナリア・フォン・シルフィード様! 並びに、エスコート役、ユウキ・アスカワ様のご入場!」
その声と共に重厚な扉がゆっくりと内側へと開かれていく。
目の前に現れたのは、夢の世界としか思えない圧倒的にきらびやかな光景だった。
天井からは数え切れないほどの水晶で作られたシャンデリアが、眩いばかりの光を放っている。
磨き上げられた床は鏡のようにその光を反射し、空間全体が光で満たされていた。
会場にはすでに数百人もの貴族たちが集い、優雅な音楽に合わせて談笑している。
その熱気と華やかさに、俺は一瞬眩暈を覚えた。
だが、俺たちの入場を告げる声は、その会場の喧騒を一瞬で静寂に変えた。
全ての視線が扉の前に立つ俺たち二人へと一斉に注がれる。
それはまるで舞台の上の役者に向けられるスポットライトのようだった。
驚き、称賛、好奇、そしてわずかな嫉妬。
様々な感情が渦巻く無数の視線。
俺はその視線の奔流の中で、隣に立つルナの手をそっと強く握った。
彼女もまた俺の手を優しく握り返してくる。
それだけで俺の心に不思議なほどの勇気が湧いてきた。
「行こうか」
「はい、ユウキ」
俺たちは顔を見合わせ、小さく、しかし確かな信頼を込めて微笑み合った。
そしてその無数の視線の中を、一歩、また一歩と堂々と歩き始めた。
まるで物語の主人公が、運命の舞踏会へと足を踏み入れるかのように。
今夜この場所で、何が起ころうとしているのか。
俺たちの物語は、どこへ向かうとしているのか。
まだ何も分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。
この愛おしい少女が隣にいてくれる限り、俺はどんな運命にも立ち向かえる。
運命の夜会はまだ始まったばかりだ。
そして俺たちの入場は、これから始まる波乱のほんの序曲に過ぎないことを、俺はまだ知らなかった。
ただ今は、この最高のパートナーと共に最高の舞台に立てるという高揚感だけが、俺の全身を駆け巡っていた。
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