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第三十五話:正義と悪の対峙
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アッシュとセレスティア。二人の間の空気は、まるで張り詰めた弦のように、いつ切れてもおかしくないほどの緊張に満ちていた。互いの瞳に宿るのは、相容れない信条を持つ者同士の、冷たい敵意だった。
「あなたのような存在を、野放しにはしておけない」
セレスティアは、フードの下から鋭い視線をアッシュに突き刺した。
「あなたのやり方は、いずれ帝国に大きな災いをもたらすわ。私が、そうなる前に、あなたの悪事を白日の下に晒し、裁きを受けさせてみせる」
それは、帝国魔導師団筆頭としての、そして高潔な貴族としての、彼女の正義感から来る純粋な宣言だった。彼女の感情には、「正義感:95」「使命感:90」という、一点の曇りもない強い光が輝いていた。
アッシュは、そんな彼女の理想論を、鼻で笑うことさえしなかった。ただ、冷めた目で現実を突きつける。
「結構なことだ。だが、貴女の言う『正義』は、一体誰のためのものだ?帝都の暖かい部屋で、満たされた腹を抱えて理想を語る貴族たちのためのものか?それとも、今日を生きるためのパンにさえ事欠き、ただ死を待つだけだった、ここの民のためのものか?」
アッシュは、窓の外で働く領民たちを指差した。
「彼らに、貴女の言う高潔な正義が必要だったか?いいや、違う。彼らに必要だったのは、食料と、安全と、そして明日への希望だ。俺は、それを与えた。そのために、どんな汚い手を使ったとしても、彼らにとって俺は『悪』ではない」
その言葉は、セレスティアの胸に深く突き刺さった。彼女は、村に来てから見た光景を思い出していた。領民たちの顔に浮かんでいたのは、恐怖や絶望ではなく、確かに活気と希望だった。自分の信じる正義が、目の前の現実と矛盾している。その事実に、彼女の心はわずかに揺らいだ。「困惑:60」「葛藤:50」。
だが、彼女は決して己の信念を曲げなかった。
「それは、まやかしの希望よ!恐怖と利益で縛り付けた、偽りの忠誠に過ぎないわ!あなたは、人の心を弄んでいるだけだ!」
「その通りだ」
アッシュは、あっさりと認めた。
「俺は、人の心を弄んでいる。感情を分析し、欲望を刺激し、恐怖を植え付ける。そうやって、彼らを俺の望む方向へと導いている。それが、俺のやり方だ。だが、その結果として、彼らは救われている。この現実を、貴女はどう見る?」
二人の議論は、平行線を辿るだけだった。
光の下を歩んできた者と、影の中を生き抜いてきた者。その見る世界は、あまりにも違っていた。
セレスティアは、これ以上の問答は無意味だと悟った。
「あなたの化けの皮、必ず剥がしてみせるわ」
彼女はそう言い残し、供の者を伴って執務室を出て行った。アッシュは、彼女たちに宿を提供し、しばらく村に滞在することを許可した。彼女が何をしようと、今のヴァイスラントには、揺るがぬ自信があったからだ。
その日から、セレスティアによる「査察」が始まった。
彼女は商人の娘という仮面を被り、領民たち一人一人に話を聞いて回った。アッシュにどんな酷い扱いを受けているのか、どんな不正が行われているのか。その証拠を掴むために。
だが、彼女が得た答えは、予想とは全く逆のものだった。
「領主様かい?あのお方が来てから、俺たちの暮らしは天国だ」
鉱山で働く男は、汗を拭いながら誇らしげに語った。
「働けば腹一杯食える。夜は盗賊に怯えずに眠れる。こんな当たり前のことが、どれだけありがたいことか」
「アッシュ様は、私の子供の病気を治してくれたんだよ」
ある母親は、涙ながらに語った。
「ドベルグから、高価な薬を持ってきてくださったんだ。あのお方がいなければ、あの子は今頃……」
セレスティアは、村に診療所が設けられ、ジョセフが集めた薬草で簡単な治療が行われていることを知った。彼女は、ガイウスがアッシュの持ってきたポーションで一命を取り留めたという話も耳にした。
彼女は、義勇兵の訓練にも足を運んだ。そこで見たのは、恐怖で縛られた兵士ではなく、師であるガイウスと、リーダーであるアッシュを心から信頼し、仲間と共に強くなろうとする若者たちの姿だった。
セレスティアは、混乱していた。自分の信じる正義の物差しが、この土地では全く役に立たない。アッシュのやっていることは、手段だけを見れば確かに「悪」なのかもしれない。だが、その結果として生まれているのは、紛れもない「善」の光景だった。
(私の正義は、間違っているの……?)
彼女の心に、生まれて初めて、自らの信条に対する疑念が生まれた。「葛藤」の数値が、日に日に大きくなっていく。
そんな彼女の迷いを知ってか知らずか、アッシュはセレスティアの行動を一切妨害しなかった。彼はただ、自らの計画を淡々と進めていくだけだった。
ある夜、セレスティアは一人、建設途中の新しい村を丘の上から眺めていた。ブロックが描いた設計図通りに、家々が整然と並び、その中心には、いずれ広場となるべき空間が用意されている。それは、希望に満ちた未来の街の姿だった。
その時、背後から静かな声がした。
「眠れないのか、『帝国の薔薇』殿」
振り返ると、そこにアッシュが立っていた。彼は、セレスティアが変装していることなど、最初からお見通しだったのだ。
セレスティアは、もはや正体を隠すことをやめた。
「……なぜ、あなたがここにいると分かったの?」
「貴女ほどの魔力を持つ人間が、そう何人もいるはずがない」
アッシュは、セレスティアの隣に立つと、同じように村を見下ろした。
「どうだ、俺の『悪事』の証拠は見つかったか?」
その声には、嘲笑の色はなかった。ただ、純粋な問いかけだった。
セレスティアは、答えることができなかった。彼女は、唇を噛み締め、悔しげに俯いた。
「……分からないわ。あなたがやっていることが、正しいのか、間違っているのか……。もう、私には分からない」
それは、正義の執行者としての、彼女の敗北宣言にも似ていた。
アッシュは、そんな彼女に静かに語りかけた。
「正義も悪も、立場によって変わる。帝都の貴族にとっての正義が、ここの民にとっての正義とは限らない。俺は、俺が守ると決めた者たちのための『正義』を成す。たとえ、それが世界の全てを敵に回す『悪』だとしてもな」
その言葉は、セレスティアの心を深く、そして強く揺さぶった。
二人の間には、まだ決して埋まることのない深い溝があった。だが、その夜、彼らは初めて、敵としてではなく、一人の指導者として、互いの存在を認め合ったのかもしれない。
ヴァイスラントの冷たい夜風が、二人の間を吹き抜けていった。彼らの対立の行方は、まだ誰にも予測できなかった。
「あなたのような存在を、野放しにはしておけない」
セレスティアは、フードの下から鋭い視線をアッシュに突き刺した。
「あなたのやり方は、いずれ帝国に大きな災いをもたらすわ。私が、そうなる前に、あなたの悪事を白日の下に晒し、裁きを受けさせてみせる」
それは、帝国魔導師団筆頭としての、そして高潔な貴族としての、彼女の正義感から来る純粋な宣言だった。彼女の感情には、「正義感:95」「使命感:90」という、一点の曇りもない強い光が輝いていた。
アッシュは、そんな彼女の理想論を、鼻で笑うことさえしなかった。ただ、冷めた目で現実を突きつける。
「結構なことだ。だが、貴女の言う『正義』は、一体誰のためのものだ?帝都の暖かい部屋で、満たされた腹を抱えて理想を語る貴族たちのためのものか?それとも、今日を生きるためのパンにさえ事欠き、ただ死を待つだけだった、ここの民のためのものか?」
アッシュは、窓の外で働く領民たちを指差した。
「彼らに、貴女の言う高潔な正義が必要だったか?いいや、違う。彼らに必要だったのは、食料と、安全と、そして明日への希望だ。俺は、それを与えた。そのために、どんな汚い手を使ったとしても、彼らにとって俺は『悪』ではない」
その言葉は、セレスティアの胸に深く突き刺さった。彼女は、村に来てから見た光景を思い出していた。領民たちの顔に浮かんでいたのは、恐怖や絶望ではなく、確かに活気と希望だった。自分の信じる正義が、目の前の現実と矛盾している。その事実に、彼女の心はわずかに揺らいだ。「困惑:60」「葛藤:50」。
だが、彼女は決して己の信念を曲げなかった。
「それは、まやかしの希望よ!恐怖と利益で縛り付けた、偽りの忠誠に過ぎないわ!あなたは、人の心を弄んでいるだけだ!」
「その通りだ」
アッシュは、あっさりと認めた。
「俺は、人の心を弄んでいる。感情を分析し、欲望を刺激し、恐怖を植え付ける。そうやって、彼らを俺の望む方向へと導いている。それが、俺のやり方だ。だが、その結果として、彼らは救われている。この現実を、貴女はどう見る?」
二人の議論は、平行線を辿るだけだった。
光の下を歩んできた者と、影の中を生き抜いてきた者。その見る世界は、あまりにも違っていた。
セレスティアは、これ以上の問答は無意味だと悟った。
「あなたの化けの皮、必ず剥がしてみせるわ」
彼女はそう言い残し、供の者を伴って執務室を出て行った。アッシュは、彼女たちに宿を提供し、しばらく村に滞在することを許可した。彼女が何をしようと、今のヴァイスラントには、揺るがぬ自信があったからだ。
その日から、セレスティアによる「査察」が始まった。
彼女は商人の娘という仮面を被り、領民たち一人一人に話を聞いて回った。アッシュにどんな酷い扱いを受けているのか、どんな不正が行われているのか。その証拠を掴むために。
だが、彼女が得た答えは、予想とは全く逆のものだった。
「領主様かい?あのお方が来てから、俺たちの暮らしは天国だ」
鉱山で働く男は、汗を拭いながら誇らしげに語った。
「働けば腹一杯食える。夜は盗賊に怯えずに眠れる。こんな当たり前のことが、どれだけありがたいことか」
「アッシュ様は、私の子供の病気を治してくれたんだよ」
ある母親は、涙ながらに語った。
「ドベルグから、高価な薬を持ってきてくださったんだ。あのお方がいなければ、あの子は今頃……」
セレスティアは、村に診療所が設けられ、ジョセフが集めた薬草で簡単な治療が行われていることを知った。彼女は、ガイウスがアッシュの持ってきたポーションで一命を取り留めたという話も耳にした。
彼女は、義勇兵の訓練にも足を運んだ。そこで見たのは、恐怖で縛られた兵士ではなく、師であるガイウスと、リーダーであるアッシュを心から信頼し、仲間と共に強くなろうとする若者たちの姿だった。
セレスティアは、混乱していた。自分の信じる正義の物差しが、この土地では全く役に立たない。アッシュのやっていることは、手段だけを見れば確かに「悪」なのかもしれない。だが、その結果として生まれているのは、紛れもない「善」の光景だった。
(私の正義は、間違っているの……?)
彼女の心に、生まれて初めて、自らの信条に対する疑念が生まれた。「葛藤」の数値が、日に日に大きくなっていく。
そんな彼女の迷いを知ってか知らずか、アッシュはセレスティアの行動を一切妨害しなかった。彼はただ、自らの計画を淡々と進めていくだけだった。
ある夜、セレスティアは一人、建設途中の新しい村を丘の上から眺めていた。ブロックが描いた設計図通りに、家々が整然と並び、その中心には、いずれ広場となるべき空間が用意されている。それは、希望に満ちた未来の街の姿だった。
その時、背後から静かな声がした。
「眠れないのか、『帝国の薔薇』殿」
振り返ると、そこにアッシュが立っていた。彼は、セレスティアが変装していることなど、最初からお見通しだったのだ。
セレスティアは、もはや正体を隠すことをやめた。
「……なぜ、あなたがここにいると分かったの?」
「貴女ほどの魔力を持つ人間が、そう何人もいるはずがない」
アッシュは、セレスティアの隣に立つと、同じように村を見下ろした。
「どうだ、俺の『悪事』の証拠は見つかったか?」
その声には、嘲笑の色はなかった。ただ、純粋な問いかけだった。
セレスティアは、答えることができなかった。彼女は、唇を噛み締め、悔しげに俯いた。
「……分からないわ。あなたがやっていることが、正しいのか、間違っているのか……。もう、私には分からない」
それは、正義の執行者としての、彼女の敗北宣言にも似ていた。
アッシュは、そんな彼女に静かに語りかけた。
「正義も悪も、立場によって変わる。帝都の貴族にとっての正義が、ここの民にとっての正義とは限らない。俺は、俺が守ると決めた者たちのための『正義』を成す。たとえ、それが世界の全てを敵に回す『悪』だとしてもな」
その言葉は、セレスティアの心を深く、そして強く揺さぶった。
二人の間には、まだ決して埋まることのない深い溝があった。だが、その夜、彼らは初めて、敵としてではなく、一人の指導者として、互いの存在を認め合ったのかもしれない。
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