93 / 100
第九十三話:届かぬ声、届いた温もり
しおりを挟む
「アッシュ様……」
リリアはゆっくりと、一歩、また一歩と狂気の嵐の中心へと歩みを進めていた。彼女の周りを、暴走するアッシュと虚無の導師が放つエネルギーの余波が刃のように吹き荒れる。だが、彼女は怯まなかった。その小さな体には、傷だらけの仲間たちにも、そしてアッシュ自身にさえも理解できない絶対的な覚悟が宿っていた。
「リリア、危ない!戻れ!」
セレスティアの悲鳴に近い制止の声が飛ぶ。
ガイウスも彼女を止めようと手を伸ばしかけた。だが、彼はその手を下ろした。リリアの横顔に浮かぶ表情を見て、彼は悟ったのだ。彼女はもはや誰にも止められない。そして、もしかしたらこの絶望的な状況を覆せる唯一の存在が彼女なのかもしれないと。
リリアの耳には、仲間たちの声は届いていなかった。
彼女の世界には、ただ一人、闇に飲まれ苦しんでいる主の姿があるだけだった。
(……痛い……)
リリアは、自分の胸がまるで引き裂かれるように痛むのを感じていた。
それは壁に叩きつけられた物理的な痛みではない。
アッシュが苦しんでいる。独りで、暗闇の中で泣いている。
彼女の獣としての共感能力が、暴走するアッシュの魂の叫びを痛いほどに感じ取っていた。
彼は拒絶した。自分に触るな、と。
でも、それは本心じゃない。
本当は助けてほしいと叫んでいる。誰かにこの苦しみから救い出してほしいと願っている。
(……私が、行かなきゃ)
誰にも彼の声は届かない。
セレスティア様の正義の声も、ガイウス様の忠義の声も、今の彼には届かない。
なぜなら彼は誰も信じていないから。心の奥底でずっと独りだったから。
奴隷だった自分と同じ。
でも、私は知っている。
アッシュ様が、本当はとても優しい人だってことを。
私に温かいスープをくれた。
私にメイド服をくれた。
私にふかふかの寝床をくれた。
そして、私の力を信じて「護衛」という大切な役目をくれた。
彼は私を独りじゃなくしてくれた。
だから今度は、私が彼を独りにさせない。
リリアは、暴走するアッシュのがら空きの背後にたどり着いた。
アッシュは彼女の気配に気づいていない。彼の全ての意識は、目の前の敵、虚無の導師を破壊することだけに集中していた。
リリアは深呼吸を一つした。
そして、その小さな両腕を大きく広げた。
彼女は、アッシュの背中を強く、強く抱きしめた。
その瞬間。
アッシュの体を駆け巡っていた黒い破壊衝動の嵐が、ぴたりと止まった。
背中に触れた小さな温もり。
それはあまりにも場違いで、あまりにも柔らかく、そして、あまりにも温かかった。
『……なんだ……これは……?』
アッシュの狂気の意識の中に、一つの純粋な感情が流れ込んできた。
それは怒りでも、憎しみでも、絶望でもない。
これまで彼のスキル【感情経済】が一度も正確に測定できたことのない、規格外の感情。
『リリア・感情ステータス:愛情 測定不能』
測定不能。
それは彼の理解と計算を完全に超えた領域の力だった。
それは見返りを求めない。損得を考えない。ただ、相手の存在そのものを肯定する力。
彼女が奴隷としてではなく、一人の少女としてアッシュに対して抱いた、純粋で、そして強大な想い。
「アッシュ様」
リリアはアッシュの背中に顔を埋め、囁いた。
「もう大丈夫です。あなたは独りじゃありません。私がここにいます」
その言葉と背中の温もりが、アッシュの精神の最も深い部分にゆっくりと染み渡っていく。
前世の孤独な記憶も、この世界での絶望も、復讐の果ての虚無も。その全てを彼女の温かさが優しく包み込んでいく。
アッシュの赤い瞳から、一筋、涙が零れ落ちた。
それは彼が二つの人生を通じて、初めて流した本物の涙だった。
彼の体から黒いオーラが、まるで朝霧が晴れるようにすうっと消えていった。暴走していたスキルが再び彼の制御下へと戻ってくる。
流れ込んできていた百万の民の負の感情は、もはや彼を飲み込む濁流ではなく、彼が制御できる膨大なエネルギーの奔流となっていた。
「……リリア……」
アッシュはかすれた声で彼女の名を呼んだ。
「……おかえりなさい、アッシュ様」
リリアは顔を上げ、涙で濡れた顔で最高の笑顔を見せた。
届かなかった、どんな英雄の言葉も。
届いたのは、たった一つの少女の温もりだった。
その温もりこそが、最強の悪魔を再び一人の人間に引き戻した唯一無二の奇跡だった。
リリアはゆっくりと、一歩、また一歩と狂気の嵐の中心へと歩みを進めていた。彼女の周りを、暴走するアッシュと虚無の導師が放つエネルギーの余波が刃のように吹き荒れる。だが、彼女は怯まなかった。その小さな体には、傷だらけの仲間たちにも、そしてアッシュ自身にさえも理解できない絶対的な覚悟が宿っていた。
「リリア、危ない!戻れ!」
セレスティアの悲鳴に近い制止の声が飛ぶ。
ガイウスも彼女を止めようと手を伸ばしかけた。だが、彼はその手を下ろした。リリアの横顔に浮かぶ表情を見て、彼は悟ったのだ。彼女はもはや誰にも止められない。そして、もしかしたらこの絶望的な状況を覆せる唯一の存在が彼女なのかもしれないと。
リリアの耳には、仲間たちの声は届いていなかった。
彼女の世界には、ただ一人、闇に飲まれ苦しんでいる主の姿があるだけだった。
(……痛い……)
リリアは、自分の胸がまるで引き裂かれるように痛むのを感じていた。
それは壁に叩きつけられた物理的な痛みではない。
アッシュが苦しんでいる。独りで、暗闇の中で泣いている。
彼女の獣としての共感能力が、暴走するアッシュの魂の叫びを痛いほどに感じ取っていた。
彼は拒絶した。自分に触るな、と。
でも、それは本心じゃない。
本当は助けてほしいと叫んでいる。誰かにこの苦しみから救い出してほしいと願っている。
(……私が、行かなきゃ)
誰にも彼の声は届かない。
セレスティア様の正義の声も、ガイウス様の忠義の声も、今の彼には届かない。
なぜなら彼は誰も信じていないから。心の奥底でずっと独りだったから。
奴隷だった自分と同じ。
でも、私は知っている。
アッシュ様が、本当はとても優しい人だってことを。
私に温かいスープをくれた。
私にメイド服をくれた。
私にふかふかの寝床をくれた。
そして、私の力を信じて「護衛」という大切な役目をくれた。
彼は私を独りじゃなくしてくれた。
だから今度は、私が彼を独りにさせない。
リリアは、暴走するアッシュのがら空きの背後にたどり着いた。
アッシュは彼女の気配に気づいていない。彼の全ての意識は、目の前の敵、虚無の導師を破壊することだけに集中していた。
リリアは深呼吸を一つした。
そして、その小さな両腕を大きく広げた。
彼女は、アッシュの背中を強く、強く抱きしめた。
その瞬間。
アッシュの体を駆け巡っていた黒い破壊衝動の嵐が、ぴたりと止まった。
背中に触れた小さな温もり。
それはあまりにも場違いで、あまりにも柔らかく、そして、あまりにも温かかった。
『……なんだ……これは……?』
アッシュの狂気の意識の中に、一つの純粋な感情が流れ込んできた。
それは怒りでも、憎しみでも、絶望でもない。
これまで彼のスキル【感情経済】が一度も正確に測定できたことのない、規格外の感情。
『リリア・感情ステータス:愛情 測定不能』
測定不能。
それは彼の理解と計算を完全に超えた領域の力だった。
それは見返りを求めない。損得を考えない。ただ、相手の存在そのものを肯定する力。
彼女が奴隷としてではなく、一人の少女としてアッシュに対して抱いた、純粋で、そして強大な想い。
「アッシュ様」
リリアはアッシュの背中に顔を埋め、囁いた。
「もう大丈夫です。あなたは独りじゃありません。私がここにいます」
その言葉と背中の温もりが、アッシュの精神の最も深い部分にゆっくりと染み渡っていく。
前世の孤独な記憶も、この世界での絶望も、復讐の果ての虚無も。その全てを彼女の温かさが優しく包み込んでいく。
アッシュの赤い瞳から、一筋、涙が零れ落ちた。
それは彼が二つの人生を通じて、初めて流した本物の涙だった。
彼の体から黒いオーラが、まるで朝霧が晴れるようにすうっと消えていった。暴走していたスキルが再び彼の制御下へと戻ってくる。
流れ込んできていた百万の民の負の感情は、もはや彼を飲み込む濁流ではなく、彼が制御できる膨大なエネルギーの奔流となっていた。
「……リリア……」
アッシュはかすれた声で彼女の名を呼んだ。
「……おかえりなさい、アッシュ様」
リリアは顔を上げ、涙で濡れた顔で最高の笑顔を見せた。
届かなかった、どんな英雄の言葉も。
届いたのは、たった一つの少女の温もりだった。
その温もりこそが、最強の悪魔を再び一人の人間に引き戻した唯一無二の奇跡だった。
1
あなたにおすすめの小説
隠して忘れていたギフト『ステータスカスタム』で能力を魔改造 〜自由自在にカスタマイズしたら有り得ないほど最強になった俺〜
桜井正宗
ファンタジー
能力(スキル)を隠して、その事を忘れていた帝国出身の錬金術師スローンは、無能扱いで大手ギルド『クレセントムーン』を追放された。追放後、隠していた能力を思い出しスキルを習得すると『ステータスカスタム』が発現する。これは、自身や相手のステータスを魔改造【カスタム】できる最強の能力だった。
スローンは、偶然出会った『大聖女フィラ』と共にステータスをいじりまくって最強のステータスを手に入れる。その後、超高難易度のクエストを難なくクリア、無双しまくっていく。その噂が広がると元ギルドから戻って来いと頭を下げられるが、もう遅い。
真の仲間と共にスローンは、各地で暴れ回る。究極のスローライフを手に入れる為に。
大器晩成エンチャンター~Sランク冒険者パーティから追放されてしまったが、追放後の成長度合いが凄くて世界最強になる
遠野紫
ファンタジー
「な、なんでだよ……今まで一緒に頑張って来たろ……?」
「頑張って来たのは俺たちだよ……お前はお荷物だ。サザン、お前にはパーティから抜けてもらう」
S級冒険者パーティのエンチャンターであるサザンは或る時、パーティリーダーから追放を言い渡されてしまう。
村の仲良し四人で結成したパーティだったが、サザンだけはなぜか実力が伸びなかったのだ。他のメンバーに追いつくために日々努力を重ねたサザンだったが結局報われることは無く追放されてしまった。
しかしサザンはレアスキル『大器晩成』を持っていたため、ある時突然その強さが解放されたのだった。
とてつもない成長率を手にしたサザンの最強エンチャンターへの道が今始まる。
最強のアラサー魔導師はかつての弟子達に迫られる~ただ冒険者を始めようとしただけなのに弟子達がそれを許してくれない~
おやっつ
ファンタジー
王国魔導師団指南役をしていたシューファはある日突然、王様に追放されてしまう。王様曰く、シューファみたいなアラサーが教えていたら魔導師団が衰えるとのことだった。
突然の追放で行く場所を失ったシューファは貴族社会の王国では卑下されていた冒険者での強さが全ての帝都に行くことにした。
シューファが帝都に行ったと報告を受けたかつての弟子達はガクに会いに自分の仕事を放棄して帝都に向かう。
そう、彼女らの仕事は国の重鎮だというのに───
小説家になろうにも投稿中です!
毎日投稿していこうと思うので、ブクマなどをしていただけると励みになります。
貴族に無茶苦茶なことを言われたのでやけくそな行動をしたら、戦争賠償として引き抜かれました。
詰んだ
ファンタジー
エルクス王国の魔法剣士で重鎮のキースは、うんざりしていた。
王国とは名ばかりで、元老院の貴族が好き勝手なこと言っている。
そしてついに国力、戦力、人材全てにおいて圧倒的な戦力を持つヴォルクス皇国に、戦争を仕掛けるという暴挙に出た。
勝てるわけのない戦争に、「何とか勝て!」と言われたが、何もできるはずもなく、あっという間に劣勢になった。
日を追うごとに悪くなる戦況に、キースへのあたりがひどくなった。
むしゃくしゃしたキースは、一つの案を思いついた。
その案を実行したことによって、あんなことになるなんて、誰も想像しなかった。
【本編45話にて完結】『追放された荷物持ちの俺を「必要だ」と言ってくれたのは、落ちこぼれヒーラーの彼女だけだった。』
ブヒ太郎
ファンタジー
「お前はもう用済みだ」――荷物持ちとして命懸けで尽くしてきた高ランクパーティから、ゼロスは無能の烙印を押され、なんの手切れ金もなく追放された。彼のスキルは【筋力強化(微)】。誰もが最弱と嘲笑う、あまりにも地味な能力。仲間たちは彼の本当の価値に気づくことなく、その存在をゴミのように切り捨てた。
全てを失い、絶望の淵をさまよう彼に手を差し伸べたのは、一人の不遇なヒーラー、アリシアだった。彼女もまた、治癒の力が弱いと誰からも相手にされず、教会からも冒険者仲間からも居場所を奪われ、孤独に耐えてきた。だからこそ、彼女だけはゼロスの瞳の奥に宿る、静かで、しかし折れない闘志の光を見抜いていたのだ。
「私と、パーティを組んでくれませんか?」
これは、社会の評価軸から外れた二人が出会い、互いの傷を癒しながらどん底から這い上がり、やがて世界を驚かせる伝説となるまでの物語。見捨てられた最強の荷物持ちによる、静かで、しかし痛快な逆襲劇が今、幕を開ける!
ギャルい女神と超絶チート同盟〜女神に贔屓されまくった結果、主人公クラスなチート持ち達の同盟リーダーとなってしまったんだが〜
平明神
ファンタジー
ユーゴ・タカトー。
それは、女神の「推し」になった男。
見た目ギャルな女神ユーラウリアの色仕掛けに負け、何度も異世界を救ってきた彼に新たに下った女神のお願いは、転生や転移した者達を探すこと。
彼が出会っていく者たちは、アニメやラノベの主人公を張れるほど強くて魅力的。だけど、みんなチート的な能力や武器を持つ濃いキャラで、なかなか一筋縄ではいかない者ばかり。
彼らと仲間になって同盟を組んだユーゴは、やがて彼らと共に様々な異世界を巻き込む大きな事件に関わっていく。
その過程で、彼はリーダーシップを発揮し、新たな力を開花させていくのだった!
女神から貰ったバラエティー豊かなチート能力とチートアイテムを駆使するユーゴは、どこへ行ってもみんなの度肝を抜きまくる!
さらに、彼にはもともと特殊な能力があるようで……?
英雄、聖女、魔王、人魚、侍、巫女、お嬢様、変身ヒーロー、巨大ロボット、歌姫、メイド、追放、ざまあ───
なんでもありの異世界アベンジャーズ!
女神の使徒と異世界チートな英雄たちとの絆が紡ぐ、運命の物語、ここに開幕!
※不定期更新。最低週1回は投稿出来るように頑張ります。
※感想やお気に入り登録をして頂けますと、作者のモチベーションがあがり、エタることなくもっと面白い話が作れます。
防御力を下げる魔法しか使えなかった俺は勇者パーティから追放されたけど俺の魔法に強制脱衣の追加効果が発現したので世界中で畏怖の対象になりました
かにくくり
ファンタジー
魔法使いクサナギは国王の命により勇者パーティの一員として魔獣討伐の任務を続けていた。
しかし相手の防御力を下げる魔法しか使う事ができないクサナギは仲間達からお荷物扱いをされてパーティから追放されてしまう。
しかし勇者達は今までクサナギの魔法で魔物の防御力が下がっていたおかげで楽に戦えていたという事実に全く気付いていなかった。
勇者パーティが没落していく中、クサナギは追放された地で彼の本当の力を知る新たな仲間を加えて一大勢力を築いていく。
そして防御力を下げるだけだったクサナギの魔法はいつしか次のステップに進化していた。
相手の身に着けている物を強制的に剥ぎ取るという究極の魔法を習得したクサナギの前に立ち向かえる者は誰ひとりいなかった。
※小説家になろうにも掲載しています。
(完結)魔王討伐後にパーティー追放されたFランク魔法剣士は、超レア能力【全スキル】を覚えてゲスすぎる勇者達をザマアしつつ世界を救います
しまうま弁当
ファンタジー
魔王討伐直後にクリードは勇者ライオスからパーティーから出て行けといわれるのだった。クリードはパーティー内ではつねにFランクと呼ばれ戦闘にも参加させてもらえず場美雑言は当たり前でクリードはもう勇者パーティーから出て行きたいと常々考えていたので、いい機会だと思って出て行く事にした。だがラストダンジョンから脱出に必要なリアーの羽はライオス達は分けてくれなかったので、仕方なく一階層づつ上っていく事を決めたのだった。だがなぜか後ろから勇者パーティー内で唯一のヒロインであるミリーが追いかけてきて一緒に脱出しようと言ってくれたのだった。切羽詰まっていると感じたクリードはミリーと一緒に脱出を図ろうとするが、後ろから追いかけてきたメンバーに石にされてしまったのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる