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6 狼の獲物

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泉地いずちは不思議そうな顔をして私に近づいた。

適合者マリアの匂いがするけど?」

慌てて泉地から体を離した。

「どうして気づいたの!? 薬を飲んでいるのに!」

獣人の中には適合者マリアの香りに誘われる獣人もいるため、政府は適合者マリアの安全を考慮し、薬を開発した。
薬を飲んでいる間は匂いは抑えられ、普通の人間と変わらない。
それなのに―――

「理由は二つある。力の強い獣人か薬が効きにくいかだ」

そんなこと知っている。

「その様子だと初めてバレたみたいだから、前者だね」

うん、と泉地は頷いた。
泉地がそれだけ上位の獣人であるということだったけど、私も悪い。
今ままで誰も気づかれなかったから、完全に油断していた。
それに自分なんかに上位の獣人が近寄ることもないと思ってた。
だから、薬で十分抑えられると思っていたのに。

「お願い。他の人には言わないで。仕事がなくなると困るの」

母への仕送りがいるし、もし解雇になろうものなら、学園から追い出され、母の所に連れ戻されてしまう。
母は適合者マリアであった私という子供がいたから、政府から生活費を支給されて生きてきた。
その私がマリアステラ学園を卒業すると、そのお金は止まり、今度は私に生活費を稼げと言ってきたのだ。
伴侶である獣人に選ばれなかった私を母は嗤った。
美知みちは誰にも選ばれないって思ってたわ』
そんな私に獣人を探してきてあげると言い出して、私は母から逃げ出した。
逃げた私を保護してくれたのが、卒業したマリアステラ学園だった。
学園はセキュリティが厳しく身内であれど、一般人は敷地内に入れないから、安心だったのに―――

「わかった」

青い顔をしている私を見て、泉地は素直に頷いてくれた。
その返事にホッとして胸をなでおろした。

「ありがとう。助かるわ。これには色々事情があるの……」

「そのかわり、付き合ってくれる?」

「脅すつもり!?」

「正攻法でいったら、時間がかかりそうだから」

正攻法でいっても私をおとせると思っているらしく、これが若さゆえの慢心ねと呆れた。
この自信はどこから来ているのだろう。
泉地が獣人の中でもエリートなのはわかっている。
このマリアステラ学園に入学できるだけでも獣人の中でも特別な存在なのだから。
それもすでに一年生にして、名前があがるくらい。
さらに上位六名の中に入れば、将来は約束されたようなもの。

「黙っていてあげるし、俺というボディガードもタダで使える。薬を飲む必要もなくなって、美知には悪い話じゃないと思うけど?」

泉地は私に取引材料を持ち出して、微笑んだ。
彼は本当に高校一年生なのだろうか。
大人相手に駆け引きをしてくるなんて、とんでもない。

「で、でも」

「あ。美知に選択権はないか」

「ちょっと!?」

「それじゃ、よろしく。俺のカヴァリエ」

手の甲に口づけをし、上目遣いで私を見る。
声にならない悲鳴が頭の中で渦巻き、そのままのポーズで固まっていた。

「美知。今度、ちゃんとしたマーキングしてあげるよ」

「けっ、結構ですっ!」

ずさぁっと距離をとった。

「まだ十六歳でしょ!? なんてこと言うのよ!」

「人の世界のルールは俺達の世界では適用されない」

「え?」

「獣人の世界は至ってシンプル。強い者が上に立つ。それだけ」

「私は人間だし……」

「人間だけど、適合者マリアだよ。獣人が人間を理解するように適合者マリアも俺達獣人を理解しなきゃいけない」

―――そのためにこのマリアステラ学園がある。
私を助けてくれた恩師はそう言っていた。
獣人は人間を知り、人間は獣人を知る。
泉地は私の恩師と同じことを言う。

「こっちは死と隣り合わせの世界だから、せめて悔いがないように生きているだけ」

「マリアステラ学園にいる限り、そんな物騒なことにはならないわよ」

私と同じで、泉地もマリアステラ学園の庇護のもとで生きているんじゃないの?
ここにいる限りは安全で、命の危険なんてない。
泉地は私の言葉に答えず、曖昧な笑みを浮かべて、ひらひらと手を振って去って行った。
まるで、私がなにも知らない人みたいに扱って。
私はカヴァリエにならないことを選んだとはいえ、マリアステラ学園を卒業しているのにそれはない。

「なんなの、あの子は……? 本当に十六歳なの!?」

一人取り残された私は手の甲に触れた唇の感触を思いだして、泉地がいなくなった後も胸がざわついて仕方なかった。
もう二十五歳だっていうのに!
頭を抱えて暴れたせいで、まとめた髪はぼさぼさになってしまった。
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