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33 恋と復讐【知久】
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俺が正しく彼女を手に入れようと考え、決めたのは早いうちだったと思う。
すべては高窪毬衣と婚約したところから始まっていた。
それはすべて小百里を手に入れるためだと誰が気づいただろう。
兄の部屋には夜の女王のアリアが流れていた。
華やかな高音の声はどこかバイオリンの音色に似ている。
高校三年の秋。
俺は兄に自分の白紙の進路希望調査を差し出した。
「どうした?」
「兄さん。頼みがあるんだ」
オペラが好きな兄は両親よりも、俺の音楽に理解を示してくれている。
ただ、音楽に理解を示していると言っても俺の結婚相手となると別だ。
陣川の家と対等か、それ以上の家が望ましいと父も兄も考えている。
俺が学生だからといってそれが免罪符になるわけじゃない。
陣川の息子なら、わかっていることだろうとあえて言わないだけなのだ。
「頼みか。お前が追いかけている彼女のことか?」
「やっぱり兄さんにはバレてたか」
「当たり前だ。お前はうまく隠しているようだが、目は嘘をつけない」
決定的な現場を見たわけではなく、俺の目が小百里を追っていたから―――ということらしい。
俺は兄を甘く見ていたようだ。
けど、それは大した問題じゃない。
むしろ、バレているというのなら、話が早くて助かる。
なぜなら、兄には俺の味方になってもらわなければならないからだ。
兄は笑みを浮かべ、足を組み、ソファーに座って王のように振舞う。
そして、俺がなにを考えているかを探っていた。
俺と違って兄は陣川製薬の跡継ぎとして育てられ、まだ大学生だというのに、すでに陣川製薬で働いている。
父は社会勉強と言っているが、大学卒業を見据えて仕事を覚えさせているのだ。
兄は父の期待に応え、有名大学の経済学部に入学し、周囲の信頼も厚い。
「俺にお前の恋の共犯者になれって話か?」
「そうだよ」
「知久。お前には陣川の家が決めた婚約者がいるな?」
兄の声に重なるようにしてドラマチックコロラトゥーラソプラノの声が力強く響く。
『復讐の炎は地獄のように我が心に燃え 死と絶望が私の周りで燃え上がる』
夜の女王が歌っている。
「いるね」
俺は冷めた声で答えた。
ただし、笑顔を崩さず。
「陣川の家に生まれたからには、責任が生じる。お前はその責任を果たしているか?」
まるで、審問されているようだ。
陣川の家―――か。
『それができぬならお前は私の子ではない!』
『永遠に勘当し 永遠に見捨て 永遠に粉砕する 血肉を分けたすべての絆を』
夜の女王が歌っていたが、俺との会話に集中するためか、兄は画面を停止させた。
静寂の中、俺と兄は対峙した。
陣川の家で一番厄介なのは父じゃない。
兄だ。
「婚約者が確かにいるね。けど、その決定は正しかったのかな。兄さんは陣川のプラスにならない結婚だと、疑わなかった?」
「つまり、お前は高窪に対して、なにかやらかそうとしている。そういうわけか」
「兄さんは察しがよくて助かるよ。説明する手間がはぶけた」
「なにが『助かるよ』だ! お前がおとなしく高窪の娘との婚約を承諾したのもおかしいと思っていたところだ! なにを企んでいる」
「五年間」
「五年?」
「兄さんが俺を自由に利用できる期間をあげるよ」
「利用か」
兄は苦笑した。
悪い話ではないと思ったらしい。
話に乗って来るのはわかっていた。
「俺の人気を利用できるのは兄さんにとって有益だろ? これから上を目指す兄さんが取り入りたい相手は山ほどいるはずだ」
俺は自分自身と自由になる時間を差し出した。
正直、自由になれる時間を捨てるのはきつい。
けれど、その先にあるものは俺にとって失っていいものじゃない。
五年という時間よりもずっと重いものだ。
「なるほどね」
兄の部屋の棚には唯冬と俺、逢生のデビューCDが置かれている。
少なくとも、今の俺は兄が利用したいと思える人間になっているはずだ。
そのために音楽事務所に自分を売り込み、二人を巻き込んだ。
一人より三人のほうが売れると俺は読んだからだ。
唯冬も逢生も性格はともかく、顔だけは抜群によかった。
それにピアノとチェロの腕も悪くない。
その読み通り、俺達は学生ながら、そこそこ有名になることができた。
「いいだろう。知久。お前は留学しろ。今のままでは、ただのアイドルだ。俺の役に立つにはまだ弱い」
白紙の進路希望にドイツの名門音楽大学の名を俺ではなく、兄が書いた。
そこに行けというわけだ。
「留学……」
その可能性を考えなかったわけじゃなかった。
けれど、俺がいない間、小百里はどうなるのだろう。
「四年たっても、まだお互いが好きでいられたなら、協力してやろう。その頃には俺も陣川製薬の重役の椅子に座っているだろうからな」
俺が悪魔なら兄は魔王だ。
四年もあれば、俺も小百里も気持ちが冷めると兄は考えている。
「卒業して帰った来たら、俺が兄さんを利用させてもらうよ」
俺はそう言ってドイツに旅立った。
小百里を置いて。
離れている間に心が離れてしまったら、話は終わり?
まさか。
俺はそんな素直で諦めがいい人間じゃないよ。
逃げるなら、捕まえるだけ。
簡単に諦められるのなら、恋に身を溺れさせるなんて馬鹿なことはしない。
―――五年後、俺は恋と復讐のすべてを叶えるのだから。
すべては高窪毬衣と婚約したところから始まっていた。
それはすべて小百里を手に入れるためだと誰が気づいただろう。
兄の部屋には夜の女王のアリアが流れていた。
華やかな高音の声はどこかバイオリンの音色に似ている。
高校三年の秋。
俺は兄に自分の白紙の進路希望調査を差し出した。
「どうした?」
「兄さん。頼みがあるんだ」
オペラが好きな兄は両親よりも、俺の音楽に理解を示してくれている。
ただ、音楽に理解を示していると言っても俺の結婚相手となると別だ。
陣川の家と対等か、それ以上の家が望ましいと父も兄も考えている。
俺が学生だからといってそれが免罪符になるわけじゃない。
陣川の息子なら、わかっていることだろうとあえて言わないだけなのだ。
「頼みか。お前が追いかけている彼女のことか?」
「やっぱり兄さんにはバレてたか」
「当たり前だ。お前はうまく隠しているようだが、目は嘘をつけない」
決定的な現場を見たわけではなく、俺の目が小百里を追っていたから―――ということらしい。
俺は兄を甘く見ていたようだ。
けど、それは大した問題じゃない。
むしろ、バレているというのなら、話が早くて助かる。
なぜなら、兄には俺の味方になってもらわなければならないからだ。
兄は笑みを浮かべ、足を組み、ソファーに座って王のように振舞う。
そして、俺がなにを考えているかを探っていた。
俺と違って兄は陣川製薬の跡継ぎとして育てられ、まだ大学生だというのに、すでに陣川製薬で働いている。
父は社会勉強と言っているが、大学卒業を見据えて仕事を覚えさせているのだ。
兄は父の期待に応え、有名大学の経済学部に入学し、周囲の信頼も厚い。
「俺にお前の恋の共犯者になれって話か?」
「そうだよ」
「知久。お前には陣川の家が決めた婚約者がいるな?」
兄の声に重なるようにしてドラマチックコロラトゥーラソプラノの声が力強く響く。
『復讐の炎は地獄のように我が心に燃え 死と絶望が私の周りで燃え上がる』
夜の女王が歌っている。
「いるね」
俺は冷めた声で答えた。
ただし、笑顔を崩さず。
「陣川の家に生まれたからには、責任が生じる。お前はその責任を果たしているか?」
まるで、審問されているようだ。
陣川の家―――か。
『それができぬならお前は私の子ではない!』
『永遠に勘当し 永遠に見捨て 永遠に粉砕する 血肉を分けたすべての絆を』
夜の女王が歌っていたが、俺との会話に集中するためか、兄は画面を停止させた。
静寂の中、俺と兄は対峙した。
陣川の家で一番厄介なのは父じゃない。
兄だ。
「婚約者が確かにいるね。けど、その決定は正しかったのかな。兄さんは陣川のプラスにならない結婚だと、疑わなかった?」
「つまり、お前は高窪に対して、なにかやらかそうとしている。そういうわけか」
「兄さんは察しがよくて助かるよ。説明する手間がはぶけた」
「なにが『助かるよ』だ! お前がおとなしく高窪の娘との婚約を承諾したのもおかしいと思っていたところだ! なにを企んでいる」
「五年間」
「五年?」
「兄さんが俺を自由に利用できる期間をあげるよ」
「利用か」
兄は苦笑した。
悪い話ではないと思ったらしい。
話に乗って来るのはわかっていた。
「俺の人気を利用できるのは兄さんにとって有益だろ? これから上を目指す兄さんが取り入りたい相手は山ほどいるはずだ」
俺は自分自身と自由になる時間を差し出した。
正直、自由になれる時間を捨てるのはきつい。
けれど、その先にあるものは俺にとって失っていいものじゃない。
五年という時間よりもずっと重いものだ。
「なるほどね」
兄の部屋の棚には唯冬と俺、逢生のデビューCDが置かれている。
少なくとも、今の俺は兄が利用したいと思える人間になっているはずだ。
そのために音楽事務所に自分を売り込み、二人を巻き込んだ。
一人より三人のほうが売れると俺は読んだからだ。
唯冬も逢生も性格はともかく、顔だけは抜群によかった。
それにピアノとチェロの腕も悪くない。
その読み通り、俺達は学生ながら、そこそこ有名になることができた。
「いいだろう。知久。お前は留学しろ。今のままでは、ただのアイドルだ。俺の役に立つにはまだ弱い」
白紙の進路希望にドイツの名門音楽大学の名を俺ではなく、兄が書いた。
そこに行けというわけだ。
「留学……」
その可能性を考えなかったわけじゃなかった。
けれど、俺がいない間、小百里はどうなるのだろう。
「四年たっても、まだお互いが好きでいられたなら、協力してやろう。その頃には俺も陣川製薬の重役の椅子に座っているだろうからな」
俺が悪魔なら兄は魔王だ。
四年もあれば、俺も小百里も気持ちが冷めると兄は考えている。
「卒業して帰った来たら、俺が兄さんを利用させてもらうよ」
俺はそう言ってドイツに旅立った。
小百里を置いて。
離れている間に心が離れてしまったら、話は終わり?
まさか。
俺はそんな素直で諦めがいい人間じゃないよ。
逃げるなら、捕まえるだけ。
簡単に諦められるのなら、恋に身を溺れさせるなんて馬鹿なことはしない。
―――五年後、俺は恋と復讐のすべてを叶えるのだから。
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