38 / 43
38 祖母
しおりを挟む「どうして、スーツを着ているの?」
日曜日の朝、部屋から出てきた夏向はスーツを着ていた。
もしかして寝ぼけた?
「今日は日曜日よ」
「知ってるよ」
寝ぼけてなくて、きちんスーツを着ている―――それだけでも驚きなのに前髪をあげてセットし、前に見た雑誌のモデルの夏向みたいだった。
モデルをした時よりは気の抜けた炭酸水ってかんじでぽやんとしてるけど、問題はそこではない。
「やればできるんじゃないの!!」
「感想がそれ?」
「他になにがあるのよ」
他にあるとするなら、朝起こされずに自分で起きて、服を用意し、髪をセットするという流れを人並みにできたことに『この詐欺師がっ!』と叫びたいところよ。
いつものあの手のかかりようはなによ!?
「今日は特別」
「なにが特別よ!」
はあ、これを毎日やりなさいよ。
言っても無駄だろうけど。
「でかけるから」
「そうなの?どこに行くの?」
「倉永に行く」
「えっ!大丈夫なの!?」
「心配しないで」
「するわよ!私も一緒に行こうか?」
「桜帆が嫌なことを言われるかもしれないから」
「そんなのいいわよ」
倉永の家に夏向を一人で行かせる方が心配だった。
あの家にはいい思い出がないから。
叔父夫婦に会っただけで、調子を崩すくらいなのに……。
「絶対に一緒に行くわよ」
拳を握りしめ、強く言い切った私に夏向はうなずいた。
「わかった」
そういえば、何しに行くか聞かなかったけど、よかったのかなと思いながら、私も無難そうなスーツを選んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夏向を迎えに行って以来、初めて訪れた倉永の家は相変わらず、ドーンとしていて、田舎の名家ってかんじだった。
まさか、またここにくるなんて思いもしなかったけれど。
しかも、夏向と結婚して。
インターホンを押すと奥から、年配のお手伝いさんがさらさらと静かな足音をたてて現れた。
「ようこそお越しくださいました。大奥様がお待ちです」
「あ、あの、これ大したものではありませんけど」
焼き菓子の詰め合わせをお手伝いさんに渡すと深々と頭を下げられ、私もつられて頭を下げたのに隣の夏向は知らん顔をしていた。
「ちょっと!夏向っ!」
「別に手土産とかいらなかったんじゃないかな」
「ば、馬鹿っ!」
せっかく好印象でいこうと思っているのに夏向は出だしから喧嘩腰だった。
「おじゃまします」
お手伝いさんは夏向に苦笑していた。
ほら、みなさいよ!
礼儀知らずとか、思われているわよ。絶対。
長い廊下を庭づたいに歩き、障子戸の前で足を止めると、お手伝いさんは戸に手を添えた。
「大奥様、お待ちの方がいらっしゃいました」
「おはいりなさい」
「はい」
す、とお手伝いさんが戸を開けるとそこには白髪で厳しそうなおばあさんがいた。
迫力あるな、と思いながら、お手伝いさんが勧めてくれた座布団に座るとおばあさんは夏向に言った。
「初めてこの倉永の家に来た時は私が入院中で会えなかったけれど、後から倉永の家が嫌だから施設に戻ったと聞いたよ。今まで祖母である私に挨拶もなく、一度も顔を出さなかったお前が今になって、倉永にくるなんてね」
夏向はうつむいた。
本当は嫌だったに違いない。
それなのになんでわざわざ。
「私に頼みがあると聞いたのだけど?」
夏向はうなずいた。
「土地を売ってください」
「土地?」
「この住所の土地です」
夏向はメモを渡すと、おばあさんは笑った。
「ああ、そういうこと」
「もしかして、カモメの家の土地って」
「叔父さんがカモメの家の土地を買ったんだ。けれど、自分の金じゃなく」
「そう、私のだよ。名義もね。あの子にそんな甲斐性はないよ」
おばあさんは自分の息子であるはずの叔父さんのことをよく思っていないようだった。
「そうだねえ」
値踏みするように夏向と私をおばあさんは交互に見たその時、ドタドタと荒々しい足音が響いた。
「母さん!」
「うるさいねえ」
叔父さん夫婦がギロリと私と夏向をにらんだ。
「なんだ!今さら、惜しくなったか」
「これだから、嫌なのよ!無欲ですって顔をして、お金をせびりにきたんでしょ」
「カモメの家の土地を買わなければ、来なかった」
夏向は冷ややかな目をし、スーツケースを出した。
「倉永の金に興味はない。いくらなら、土地を売ってくれる?」
ま、まさか。
夏向。
スーツケースをドンッと皆の前に置き、開いた。
札束がぎっしり隙間なく詰まっていた。
さすがのおばあさんも虚を衝かれたのか、言葉をしばし、失っていた。
「どおりで珍しくカバンを持っていると思っていたわ」
「重かった」
でしょうね。
ため息をつき、夏向の肩を叩いた。
「取りあえず、片付けて」
「ダメだった?時任のみんなに聞いたら、これだけあれば、黙るだろうって言うから」
「あー、うん。違う意味でね、確かに黙ったわね」
時任の人達の感覚って、本当にやることなすことがデカイというか、ぶっとんでいるっていうか。
叔父さん達に至っては座ることも忘れ、中腰で立ったまま、固まっていた。
お金を片付けるとやっと我に返り、叔父さんが夏向に怒鳴り付けた。
「なんでもかんでも金で解決しようと思うなよ!あの土地は売らん!第一、正式に倉永を継いだのは私だ!今さら、口を挟むな!」
パンッとおばあさんが手を叩くと叔父さんは黙った。
「金も名義も私だよ。決定権は私にある。それにお前が勝手に自分が跡継ぎだと騒ぎ立ててパーティーを開いただけで私は認めていない」
「母さん!」
叔父さんは悲鳴のような声をあげたけれど、おばあさんは無視した。
「本当に倉永の男ときたら、どうしようもないのばかりだね」
おじいさんもそうだったのか、仏間をちらりと横目で見ていた。
「私も入退院を繰り返している。確かに倉永の家を絶やさないように跡継ぎを選ばなくてはいけない」
「俺は別に」
「土地と引き換えだと言ったら?」
夏向の顔が強張った。
「か、母さん、まさか」
「私は倉永の家さえ守れたらそれでいいんだよ。馬鹿な息子に家を継がせるのもどうかと思っていた」
熱のこもらない淡々とした口調で言うと、おばあさんは何かを決めたように一人うなずいた。
「こうしよう。半年の猶予をあげるから、私が喜ぶものを持ってきなさい。勝った方を倉永の跡継ぎとする。いいね?」
「そんな!母さん!」
「俺はカモメの家の土地とさえあればそれでいいのに」
「跡を継がない人間にはやらないよ。半年後が楽しみだねぇ」
ほほほ、とおばあさんは楽しそうに笑っていた。
叔父さんも夏向も考えていることは別なのに二人とも苦い表情をしていたーーー
37
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
フッてくれてありがとう
nanahi
恋愛
「子どもができたんだ」
ある冬の25日、突然、彼が私に告げた。
「誰の」
私の短い問いにあなたは、しばらく無言だった。
でも私は知っている。
大学生時代の元カノだ。
「じゃあ。元気で」
彼からは謝罪の一言さえなかった。
下を向き、私はひたすら涙を流した。
それから二年後、私は偶然、元彼と再会する。
過去とは全く変わった私と出会って、元彼はふたたび──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる