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1章 竹の春
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仕事を辞めて数か月経ち、なにをするわけでもなく、ただ鬱々とした毎日を送っていた。
辞めた最初の頃は、辛くて起き上がれず、なにもできなくなかった。
日常の雑事さえ、うまくこなせず、時間ばかりが過ぎていった。
負の感情から抜け出せないまま、季節はすでに秋。
ようやく起き上がれるようになり、なんとか日常を過ごせるようになった。
動けるうちにと、アパートを出て食料品と日用品の買い物へ向かう。
「今年の夏……。私、なにしてたっけ……?」
すっかり空は高くなり、風は涼しいよりも肌寒いと感じるくらいだ。
地面に落ちた街路樹の葉が、靴底に降れるたび、乾いた音を鳴らす。緑は雑草ばかりで、葉は黄色と赤色に染まっていた。
「そろそろ働かないと、貯金がなくなっちゃう……」
スーパーのお惣菜と日用品が入った袋を持ったまま、『派遣スタッフ募集』『急募アルバイト』という張り紙をぼんやり眺めた。
働かなければと焦っているせいか、どうしても目がそっちにいってしまう。
料亭『吉浪』を辞めてから、私はずっと無職だ。
実家に帰るのも億劫で、最近は帰っていない。
無職独身への風当たりはビュンビュン強く、台風並みである。
父は働かないなら結婚しろの一点張りで、会話にならない。
母は母で、『お見合い結婚も悪くないわよ。一度、会ってみたら?』とやんわり勧めてくる。
減っていく貯金残高と精神的な余裕――私が自分で生活できなくなり、追い詰められたところで、父は結婚させるつもりでいる。
実家の世話になれば、父が勧める相手との結婚から、私は逃げられない。
父が得意顔で、『ほら、やっぱり失敗しただろ』と言うところを想像しただけで、ゾッとした。
「私、いつまでこうしているんだろう……」
自分の手をじっと眺めた。
水仕事で荒れていた手は綺麗になり、包丁を使わなくなって、手のひらの皮膚は柔らかくなっていた。
飾り切りの練習、料理長たちに食べてもらう賄いの研究――毎日やっていたのに、辞めてから料理らしい料理を一度も作ってない。
――作ってない? 違う。私は作れない。
作ろうとすると、吉浪のことを思い出してしまう。
辞めると決めた時、気持ちの整理がついたはずだった。
けれど、女だからという理由の他にまだあったのではとか、実力があれば女でも関係ないとか、考え出したらキリがない。
どんどん気持ちが沈んでいった。
――料理人が嫌になったなら、別の仕事をすればいい。
こんなふうに苦しんでまで、料理人にこだわる必要はないのだ。
ちゃんと頭ではわかってるし、割りきってしまえば楽になる。
それなのに、私はまだ諦めきれてなかった。
「落ち込んでる余裕もない生活の癖にね……」
でも、タイムリミットはある。
私の貯金が残りわずかという切実な現実が迫ってきていた。
仕事なんて、なんでもいいのだ。
お金を稼ぐだけで立派なもの。
頭ではわかっているのに、体も心も動かない。
「どうしよう。働かないとアパートにもいられなくなっちゃう……」
冷たい秋風が首筋を通り抜けていった。
生きていくためには、お金が必要だ。
両親は料理学校までなら、花嫁修業になるだろうと言って賛成してくれていた。
けれど、卒業後、料理人の道を選んだら、父に激怒されてしまったのだ。
『趣味や遊びでやるのはいいが、仕事は別だ!』
ほとんど勘当同然で、家を飛び出した。
だから、実家に金銭的な援助は期待できない。
今でさえ、私が仕事を辞めたと知って、両親は怒るどころか、大喜びで早く実家に戻れと催促するくらいなのだ。
――実家に戻ったら、お父さんが決めた相手と結婚させられてしまう!
父は祖父の跡を継がなかった。
祖父は山路という仕出し屋をやっていたけど、父は料理人ではなく経営者の道を選んだ。
父は複数の飲食店を経営している。経営者として成功した父は、それで祖父に勝ったと思っていた。
でも、祖父は負けていなかった。
仕出し屋なんて儲からないと笑った父に、祖父は美味しい料理を出し、父を唸らせ黙らせた。
『食べたいものを出せるのは、客の顔が見えているからこそだ。きちんと客の顔を見て料理を出すんだぞ』
祖父は絶対に父の仕事を否定せず、祖父なりのアドバイスをし、調子に乗っていた父を諫めた。
そんな祖父がかっこよくて、私の誇りであり、憧れだった。
――おじいちゃんが今の私を見たら、なんて言うんだろう。
一年前に他界した祖父。
祖父をを思いだし、空を見上げていると、父から電話がかかってきた。
『立栞か』
私のスマホの番号にかけたのだろうから、私で間違いないはずだ。
こんな感じで、父は数日に一度、仕事の合間に連絡してくる。
「そうですけど、なにかご用ですか……」
父からの電話はつい身構えて、他人行儀になってしまう。
『貯金もそろそろ尽きるだろう』
――なぜわかるのか。
私はドキッとして、スマホを落としかけた。
「そ、そんなことない!」
『諦めて帰ってきなさい。お前の結婚相手を用意してある』
その結婚相手は私のためじゃなくて、父の仕事にとって都合のいい結婚相手である。
娘の結婚さえ、金儲けの手段なのだ。
「帰らないわ……!」
頑として拒み、いつもと同じ返事をした。
「私はお父さんの仕事の道具じゃない!」
いつもなら反抗した私に父が怒り、ここで会話が終わって、電話を一方的に切られる。
けれど、今日はため息が返ってきた。
――おかしいわね? 説教をして、怒ってガチャンじゃない?
『まあ、いい。お前はヒマだろう。ヒマだな?」
「そんなヒマを連呼しなくても、無職だって知ってるでしょ」
『念のためだ』
無職である私の立場をわからせるために、わざと連呼したくせに、なにが念のためなのか。
『立栞。死んだ親父の家を片付けてくれ。結局、俺があの不気味な家を相続することになってな』
――ああ、なるほど。これがため息の理由。
仕出し屋『山路』。
山路は祖父が経営していた仕出し屋で、市内では名の知れた老舗店である。
店の歴史だけで言えば、吉浪よりも古い。
吉浪は江戸時代末期、山路を目指し、惣菜を売って、その後に料亭となった。
山路は初代から祖父に至るまで、市内で冠婚葬祭があれば、必ず山路というくらい繁盛していた。
でも、人気だけではどうにもならないこともある。
時代の変化によって、冠婚葬祭は減り続け、たくさんあった仕出し屋は閉店していった。
山路も例外ではなかったけれど、祖父は赤字にならない程度に、細々と店を続けた。
祖父は跡取りとなる料理人がおらず、自分の代で山路は終わりだと思っていたからか、吉浪のように大きくするつもりはなかったようだ。
祖父は体が動かなくなるまで包丁を握り、山路の料理を作り続けていたため、家も店もまだそのままだ。
「形見分けはしなくていいの?」
『家にあるものは、全部好きにしていいらしいぞ。……こっちには持ってくるなよ。呪われたくないからな』
「呪われるって……。そんなわけないでしょ」
『ある!』
山路の家をどうするか、父たちは揉めに揉めたのは、金銭的理由ではなかった。
土地屋敷が古いせいか、父たちは幼い頃から、不思議な体験をしたらしい。
――う、うーん? 私は不思議なことなんて、なにもなかったと思うけど……。もしかして、お父さんたちに比べて、私が鈍いってこと?
祖父の家を思い浮かべた。
自宅兼店に続く道には、広い竹林があり、道の途中には祠が一つある。
道を歩けば、賑やかな大通りに出て、買い物ができる昔ながらの商店が並ぶ。
とても便利な場所なのだが、父たちは誰も祖父の家を欲しがらなかった。
昔から祖父の家には、人間ではない『なにか』がいると言われていて、父たちはそれを恐れているのだ。
――いい年して、お化けが怖いなんて、どういうことよ。
父は拝金主義の現実主義者で、幽霊なんて信じそうにない性格のくせに気が弱いところがあるみたいだ。
幼い時の体験が、どんなものだったのか知らないけど、祖父の家に父たちは極力近寄らないようにしていた。
『化け物がいる家だが、お前なら平気だろう。昔から親父と相性もいい』
「なに言ってるの? 遊んでる子供は多かったけど、化け物なんて見たことないわ」
『いるんだよ。化け物さえいなかったら、駐車場にでもしてやったのに』
父はブツブツ文句を言っている。
『お前は仕事を辞め、結婚の予定もない。金もなくて住む場所にも困ってる。まったくもって、ちょうどよかった。親父の遺品の整理と家を片付けてくれ』
「ちょっ……! 人を便利屋みたいに!」
利用できるものは徹底的に利用するのが、私の父である。
『嫌なら家に戻って見合いしろ。どちらでもいいぞ』
「わかりました。おじいちゃんの家に行きます」
あっさり観念した。
お見合いより、引っ越しの面倒さを選んだ。
それにアパート代がかからなくなるのはありがたい。
「おじいちゃんの家を私に管理させていいの? もう実家に帰らないかもよ?」
父にとって、私に住居を与えるのは、敵に塩を送るようなものだ。
私の言葉に、父は声を立てて笑った。
『はははっ! あんな古くて、化け物がでる家に、若い娘が長く住めるか。すぐに嫌になって、結婚したくなるだろう』
「そんなこと……」
『電話を切るぞ。俺は忙しい。いいか、立栞。化け物に呪われないよう気をつけろよ』
父は言うだけ言って電話を切った。
私の返事を待たないのはいつものことで、一方的に話して終わる。
だから、合わないのだ。
でも、父を怒らせずに済んだのは、仕事を辞めてから初めてのことだった。
よほど父は祖父の家が苦手らしい。
「でも、たしかに不思議。おじいちゃんが言ってたとおりになったわ」
『自分が死んだら、立栞が家に住む』
祖父が私によく言っていた言葉だ。
父とその兄弟がいたから、祖父の冗談だと思って、笑って聞いていた。
まるで祖父が仕向けたかのように、自然な流れで私が住むことになった。
ちょうど仕事を辞めたタイミングだったのも不思議だ。
――ううん。不思議なんかじゃない。おじいちゃんは私が仕事で悩んでいたことを知っていた。
もしかしたら、この鬱々とした生活から抜け出せるかもしれない。
苦しいばかりだった心の中に生まれた希望。
さっきまで冷たいだけだった秋風が、私の背中をとんっと優しく押したような気がした。
辞めた最初の頃は、辛くて起き上がれず、なにもできなくなかった。
日常の雑事さえ、うまくこなせず、時間ばかりが過ぎていった。
負の感情から抜け出せないまま、季節はすでに秋。
ようやく起き上がれるようになり、なんとか日常を過ごせるようになった。
動けるうちにと、アパートを出て食料品と日用品の買い物へ向かう。
「今年の夏……。私、なにしてたっけ……?」
すっかり空は高くなり、風は涼しいよりも肌寒いと感じるくらいだ。
地面に落ちた街路樹の葉が、靴底に降れるたび、乾いた音を鳴らす。緑は雑草ばかりで、葉は黄色と赤色に染まっていた。
「そろそろ働かないと、貯金がなくなっちゃう……」
スーパーのお惣菜と日用品が入った袋を持ったまま、『派遣スタッフ募集』『急募アルバイト』という張り紙をぼんやり眺めた。
働かなければと焦っているせいか、どうしても目がそっちにいってしまう。
料亭『吉浪』を辞めてから、私はずっと無職だ。
実家に帰るのも億劫で、最近は帰っていない。
無職独身への風当たりはビュンビュン強く、台風並みである。
父は働かないなら結婚しろの一点張りで、会話にならない。
母は母で、『お見合い結婚も悪くないわよ。一度、会ってみたら?』とやんわり勧めてくる。
減っていく貯金残高と精神的な余裕――私が自分で生活できなくなり、追い詰められたところで、父は結婚させるつもりでいる。
実家の世話になれば、父が勧める相手との結婚から、私は逃げられない。
父が得意顔で、『ほら、やっぱり失敗しただろ』と言うところを想像しただけで、ゾッとした。
「私、いつまでこうしているんだろう……」
自分の手をじっと眺めた。
水仕事で荒れていた手は綺麗になり、包丁を使わなくなって、手のひらの皮膚は柔らかくなっていた。
飾り切りの練習、料理長たちに食べてもらう賄いの研究――毎日やっていたのに、辞めてから料理らしい料理を一度も作ってない。
――作ってない? 違う。私は作れない。
作ろうとすると、吉浪のことを思い出してしまう。
辞めると決めた時、気持ちの整理がついたはずだった。
けれど、女だからという理由の他にまだあったのではとか、実力があれば女でも関係ないとか、考え出したらキリがない。
どんどん気持ちが沈んでいった。
――料理人が嫌になったなら、別の仕事をすればいい。
こんなふうに苦しんでまで、料理人にこだわる必要はないのだ。
ちゃんと頭ではわかってるし、割りきってしまえば楽になる。
それなのに、私はまだ諦めきれてなかった。
「落ち込んでる余裕もない生活の癖にね……」
でも、タイムリミットはある。
私の貯金が残りわずかという切実な現実が迫ってきていた。
仕事なんて、なんでもいいのだ。
お金を稼ぐだけで立派なもの。
頭ではわかっているのに、体も心も動かない。
「どうしよう。働かないとアパートにもいられなくなっちゃう……」
冷たい秋風が首筋を通り抜けていった。
生きていくためには、お金が必要だ。
両親は料理学校までなら、花嫁修業になるだろうと言って賛成してくれていた。
けれど、卒業後、料理人の道を選んだら、父に激怒されてしまったのだ。
『趣味や遊びでやるのはいいが、仕事は別だ!』
ほとんど勘当同然で、家を飛び出した。
だから、実家に金銭的な援助は期待できない。
今でさえ、私が仕事を辞めたと知って、両親は怒るどころか、大喜びで早く実家に戻れと催促するくらいなのだ。
――実家に戻ったら、お父さんが決めた相手と結婚させられてしまう!
父は祖父の跡を継がなかった。
祖父は山路という仕出し屋をやっていたけど、父は料理人ではなく経営者の道を選んだ。
父は複数の飲食店を経営している。経営者として成功した父は、それで祖父に勝ったと思っていた。
でも、祖父は負けていなかった。
仕出し屋なんて儲からないと笑った父に、祖父は美味しい料理を出し、父を唸らせ黙らせた。
『食べたいものを出せるのは、客の顔が見えているからこそだ。きちんと客の顔を見て料理を出すんだぞ』
祖父は絶対に父の仕事を否定せず、祖父なりのアドバイスをし、調子に乗っていた父を諫めた。
そんな祖父がかっこよくて、私の誇りであり、憧れだった。
――おじいちゃんが今の私を見たら、なんて言うんだろう。
一年前に他界した祖父。
祖父をを思いだし、空を見上げていると、父から電話がかかってきた。
『立栞か』
私のスマホの番号にかけたのだろうから、私で間違いないはずだ。
こんな感じで、父は数日に一度、仕事の合間に連絡してくる。
「そうですけど、なにかご用ですか……」
父からの電話はつい身構えて、他人行儀になってしまう。
『貯金もそろそろ尽きるだろう』
――なぜわかるのか。
私はドキッとして、スマホを落としかけた。
「そ、そんなことない!」
『諦めて帰ってきなさい。お前の結婚相手を用意してある』
その結婚相手は私のためじゃなくて、父の仕事にとって都合のいい結婚相手である。
娘の結婚さえ、金儲けの手段なのだ。
「帰らないわ……!」
頑として拒み、いつもと同じ返事をした。
「私はお父さんの仕事の道具じゃない!」
いつもなら反抗した私に父が怒り、ここで会話が終わって、電話を一方的に切られる。
けれど、今日はため息が返ってきた。
――おかしいわね? 説教をして、怒ってガチャンじゃない?
『まあ、いい。お前はヒマだろう。ヒマだな?」
「そんなヒマを連呼しなくても、無職だって知ってるでしょ」
『念のためだ』
無職である私の立場をわからせるために、わざと連呼したくせに、なにが念のためなのか。
『立栞。死んだ親父の家を片付けてくれ。結局、俺があの不気味な家を相続することになってな』
――ああ、なるほど。これがため息の理由。
仕出し屋『山路』。
山路は祖父が経営していた仕出し屋で、市内では名の知れた老舗店である。
店の歴史だけで言えば、吉浪よりも古い。
吉浪は江戸時代末期、山路を目指し、惣菜を売って、その後に料亭となった。
山路は初代から祖父に至るまで、市内で冠婚葬祭があれば、必ず山路というくらい繁盛していた。
でも、人気だけではどうにもならないこともある。
時代の変化によって、冠婚葬祭は減り続け、たくさんあった仕出し屋は閉店していった。
山路も例外ではなかったけれど、祖父は赤字にならない程度に、細々と店を続けた。
祖父は跡取りとなる料理人がおらず、自分の代で山路は終わりだと思っていたからか、吉浪のように大きくするつもりはなかったようだ。
祖父は体が動かなくなるまで包丁を握り、山路の料理を作り続けていたため、家も店もまだそのままだ。
「形見分けはしなくていいの?」
『家にあるものは、全部好きにしていいらしいぞ。……こっちには持ってくるなよ。呪われたくないからな』
「呪われるって……。そんなわけないでしょ」
『ある!』
山路の家をどうするか、父たちは揉めに揉めたのは、金銭的理由ではなかった。
土地屋敷が古いせいか、父たちは幼い頃から、不思議な体験をしたらしい。
――う、うーん? 私は不思議なことなんて、なにもなかったと思うけど……。もしかして、お父さんたちに比べて、私が鈍いってこと?
祖父の家を思い浮かべた。
自宅兼店に続く道には、広い竹林があり、道の途中には祠が一つある。
道を歩けば、賑やかな大通りに出て、買い物ができる昔ながらの商店が並ぶ。
とても便利な場所なのだが、父たちは誰も祖父の家を欲しがらなかった。
昔から祖父の家には、人間ではない『なにか』がいると言われていて、父たちはそれを恐れているのだ。
――いい年して、お化けが怖いなんて、どういうことよ。
父は拝金主義の現実主義者で、幽霊なんて信じそうにない性格のくせに気が弱いところがあるみたいだ。
幼い時の体験が、どんなものだったのか知らないけど、祖父の家に父たちは極力近寄らないようにしていた。
『化け物がいる家だが、お前なら平気だろう。昔から親父と相性もいい』
「なに言ってるの? 遊んでる子供は多かったけど、化け物なんて見たことないわ」
『いるんだよ。化け物さえいなかったら、駐車場にでもしてやったのに』
父はブツブツ文句を言っている。
『お前は仕事を辞め、結婚の予定もない。金もなくて住む場所にも困ってる。まったくもって、ちょうどよかった。親父の遺品の整理と家を片付けてくれ』
「ちょっ……! 人を便利屋みたいに!」
利用できるものは徹底的に利用するのが、私の父である。
『嫌なら家に戻って見合いしろ。どちらでもいいぞ』
「わかりました。おじいちゃんの家に行きます」
あっさり観念した。
お見合いより、引っ越しの面倒さを選んだ。
それにアパート代がかからなくなるのはありがたい。
「おじいちゃんの家を私に管理させていいの? もう実家に帰らないかもよ?」
父にとって、私に住居を与えるのは、敵に塩を送るようなものだ。
私の言葉に、父は声を立てて笑った。
『はははっ! あんな古くて、化け物がでる家に、若い娘が長く住めるか。すぐに嫌になって、結婚したくなるだろう』
「そんなこと……」
『電話を切るぞ。俺は忙しい。いいか、立栞。化け物に呪われないよう気をつけろよ』
父は言うだけ言って電話を切った。
私の返事を待たないのはいつものことで、一方的に話して終わる。
だから、合わないのだ。
でも、父を怒らせずに済んだのは、仕事を辞めてから初めてのことだった。
よほど父は祖父の家が苦手らしい。
「でも、たしかに不思議。おじいちゃんが言ってたとおりになったわ」
『自分が死んだら、立栞が家に住む』
祖父が私によく言っていた言葉だ。
父とその兄弟がいたから、祖父の冗談だと思って、笑って聞いていた。
まるで祖父が仕向けたかのように、自然な流れで私が住むことになった。
ちょうど仕事を辞めたタイミングだったのも不思議だ。
――ううん。不思議なんかじゃない。おじいちゃんは私が仕事で悩んでいたことを知っていた。
もしかしたら、この鬱々とした生活から抜け出せるかもしれない。
苦しいばかりだった心の中に生まれた希望。
さっきまで冷たいだけだった秋風が、私の背中をとんっと優しく押したような気がした。
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