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第一章

10 姉は家を追い出される

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家から追い出され、キャリーケースをガラガラとひきながら、歩いていた。
窓の隙間から、甘い煮物の匂いやフライの揚げた匂いがした。
夕飯の仕度の時間だからか、その匂いや音が余計に寂しくさせた。
仲良さそうな親子連れを見る度に泣きそうになる。
ここまで反対されるとは思ってもみなかった。
「私が雅冬まさとさんといるのって、そんな駄目なことなのかな」
霧雨が肩をぬらし、冷たかった。
電灯がつきはじめ、薄暗くなってきた。
さすがに野宿はしたくない。
「今日はビジネスホテルにでも泊まろう……」
大学に復学したくて、貯めていたお金があるから、それでアパートを借りればいいだけ。
そんな難しいことじゃないと自分に言い聞かせた。
「……大学だって、私の方がいいところに入ってたのに諦めて…働いてたのに」
涙がこぼれてきた。
菜々子ななこ!?」
声に顔を上げると、同じ年齢くらいの男の人が立っていた。
きょうくん?」
少しだけ付き合ったことのある元彼だった。
凛々子りりこがその後、付き合っていたけれど。
「なんで、泣いてるんだ?」
相変わらず、スポーツをしているのか、短い髪とがっしりとした体をしていた。
就職したのか、スーツを着ていた。
「ちょっとね…」
家から追い出されました、なんて言えるわけがなく、うつむくしかなかった。
「寒いし、その辺の店に入ろう」
こっちの返事も待たずにひょいっと荷物を持つと、腕を掴み、近くのファーストフード店に連れていき、座らせた。
「菜々子、何か食べる?」
「ううん、大丈夫」
「そっか」
恭くんはホットコーヒーを二つ、持ってくると前に置いた。
「ありがとう」
「いや、いいよ。なあ、凛々子から聞いたけど」
凛々子?なぜ凛々子の名前が出てくるんだろう。
「菜々子が悪い男と付き合っているって聞いてさ」
「そんなことない!」
「うん、菜々子はそういうだろうって凛々子は言っていたよ」
また何を吹き込んでくれたのだろう。
「やめておけよ」
「だから、悪い人じゃないってば!」
恭くんは単純で人の言葉を信用しやすいところがあった。
だから、凛々子に簡単にだまされてしまったのだけど。
「今だって、男の家から追い出されたんだろ?」
「違うっ!凛々子の言うことは嘘なの。だから、絶対に信じないで!悪い男になんて騙されてない。恭くんこそ、凛々子に騙されないでよ!」
「凛々子に?」
きょとんとした顔をしていた。
遊ばれ、捨てられたというのに恭くんは凛々子のことを疑っていない。
「私は大丈夫だから。恭くんこそ、凛々子に気を付けてね」
席から立ち上がり、荷物を手に店の外に出た。
なんで、みんな、すぐに凛々子に騙されてしまうんだろう。
凛々子の言葉の嘘がわかるだけに腹が立って仕方がなかった。
おかげで涙が引っ込んだ。
近くのビジネスホテルと不動産屋を検索していると、スマホが鳴った。
雅冬さんだった。
そういえば、電話すると言っていたのを思い出した。
「もしもし?」
『菜々子。今、どこにいる!?』
焦っているのが、声でわかった。
「えっと、ファーストフード店にいましたけど」
『迎えに行くから、待ってろ!』
「え?」
『菜々子の家に電話したら、俺の両親がお前の家に来たていうから』
「うん…」
『そこから一ミリも動くな』
「一ミリも!?」
一方的に切られた。
「……なんで?」
GPSでもつけられてるのかと思うくらい、早くに迎えに来てくれた。
「すぐに連絡しろよ!なにしてたんだ!」
なぜか、怒鳴られ、運転手さんがまあまあ、となだめてくれた。
運転手さんは荷物を素早くトランクに入れた。
「……すみません」
「謝るな」
イライラとした口調で雅冬さんは言い、車に押し込んだ。
「俺の両親が会社にきたんだろ」
「はい」
「何を言われた」
「私がマンションに出入りするのは嫌だって。相応ふさわしくないって言われました」
「それは俺が決めることだ」
運転手さんの表情も険しい。
「引っ越すか」
「え?」
「別にあのマンションじゃなくてもいい。今日はあのマンションしか行けないから、我慢しろ」
冷えた目をしていた。
「なにが妹なら、結婚していい、だ。結婚するのにババアの許可なんかいるか」
黙って俯いた。
「すみません」 
「いや、悪いのは俺だ。家から追い出されたんだろ」
黙って首を縦に振った。
「絶対に俺は別れないからな」 
そう言って、雅冬さんは手を力強く握りしめた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


部屋に着くと、すぐに雅冬さんはバスタオルを放り投げた。
「寒かっただろ。風呂に入っとけ」
「あ、ありがとうございます」
「着替えはあるか?」
「はい」
ちゃんとお風呂も沸かしてある。
お湯に浸かると、緊張が解けて、涙がこぼれた。
バスルームの窓からは雅冬さんと出会ったベイエリアが見えた。
見慣れた黒い海とライトアップされた橋がいつもと変わらず、そこにあった。
何もかも、失ったわけじゃない。
バスタブのふちに額をつけ、涙を消した。
なんとか、平常心を保ち、バスルームから出ると難しい顔で雅冬さんがソファーに座っていた。
「お風呂ありがとうございました」
「ああ」
ホッとしているのは私だけじゃないみたいだった。
雅冬さんは立ち上がり、側によると抱き寄せて髪を撫でた。
「次からはすぐに連絡しろよ」
心配をかけてしまったようだった。
はっ、と体を離し、雅冬さんが声を張り上げた。
「おい、熱があるぞ!」
「え?まさか」
「わからなかったのか」
「なんだが疲れてるな、とは思ってましたけど……」
ひょいっと抱えられ、ベッドに運ばれると、額に手をあてられた。
手が冷たくて、気持ちいい。
「どうだ?」 
「平気です」
それよりも、疲れて眠かった。
「そうか。今、薬と水持ってくるから」
「雅冬さん」
「なんだ?」
「このベッド、雅冬さんの匂いがします」
「ばっ、ばかっ!」
うとうととして、まぶたが閉じていった。
「今、言うなよっ!」
なにか、言っていたけど言い返す力は残っていなかった。

 
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