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15 祖父の遺志 (3)
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壱都さんはこうなることがわかっていたかのように車を玄関前に待機させてあった。
「樫村。車を出せ」
ドアを開けて、私と荷物をおもむろに後部座席に押し込むと、車は走り出し、井垣の家の門を抜けて、外に出た。
遠ざかる井垣の家を背に壱都さんは笑った。
「樫村。お前にも見せたかったな。あんな状況はなかなか見られない」
運転席にいる強面の運転手さん、樫村さんが私を見て申し訳なさそうに言った。
「ご本人にしたら、笑い事ではないですよね。すみません。お祖父さんを亡くして不安でしょう。壱都さんは性格も口も悪いですが、根は優しい人ですから安心してください」
性格も口も悪かったら、安心できないと思う。
壱都さんは樫村さんから言われた言葉を気にする様子もない。
「運転席にいるのは俺の秘書で樫村と言う。気心の知れた相手だから、何でも頼めばいいよ」
「壱都さんほど無茶振りはしてこないと思いますが、できる範囲でお願いします」
「さてと。まずは白河の祖父に報告しないとな」
「な、なんの報告ですか」
嫌な予感しかしない。
「もちろん、朱加里と結婚することを報告するんだよ。それと、俺が井垣グループの社長になるということも」
「本気ですか?」
「そのために海外支店で働いていたんじゃないか。少しずつ井垣グループに影響を与えるためにね」
「もしかして、数年前に壱都さんがお祖父さんに呼ばれたのは自分が死んだ後の話をするためだったんですか?」
「そう。井垣グループをやるから君と結婚するように言われた」
そんな取引が裏で行われていたなんて知らなかった。
じゃあ、壱都さんは井垣グループが欲しくて私と婚約したということ?
優しくしてくれたのは―――全部。
「私、壱都さんとは結婚しません」
空気が凍ったのがわかった。
「ふうん。結婚しなくて、どうするのかな?」
「就職して、アパートを借りて暮らします」
「井垣会長が君のために遺した財産はどうする?」
「放棄します」
急にブレーキが踏まれ、座席に頭をぶつけそうになったのを壱都さんの手が受け止めた。
「樫村。気をつけろ」
「すっ、すみません。あまりに無欲すぎて驚きました。いつも、白河家の人間に囲まれているせいか、自分の心が汚れていることに気づきませんでした」
「誰が強欲だって?」
さすがの壱都さんもそれは聞き逃さなかった。
「一応、自覚はあるみたいですね」
「欲がないなら、生きていても人生が退屈でしかたないよ」
「壱都さんは退屈が嫌いですからね」
「そうだよ?どうせなら、楽しい方がいい」
私は壱都さんが善意や好意から、助けてくれたのだと思っていた。
そんなわけなかったのに。
私だけなにも知らず、馬鹿みたいに彼を信じて、好意まで持って。
「助けていただいてありがとうございました。申し訳ないのですが、町まで送っていただけますか?後は自分でなんとかできますから」
「怒った理由がわからないけど、なにか気に障った?」
「お祖父さんが死んだら、私は井垣と縁を切って、一人静かに暮らしていくつもりでした。だから、もう関係ありません」
これでわかってくれただろう。
そう思っていたのに呆れた顔で、壱都さんは私を見ていた。
「死ぬ気かな?」
「えっ!」
し、死ぬ?私がってことよね?
青い顔をした私に答えてくれたのは壱都さんではなく、樫村さんだった。
「井垣グループは白河財閥と並ぶ巨大企業です。社長の座を狙う方など、大勢いるでしょう。狙っているのは親族だけじゃない。社長になりたい人間は重役の中にもいるんです」
樫村さんは私の顔色をうかがいながら、話を続けた。
「あなたがいなくなれば、井垣会長の遺言は無効になる。つまり、血で血を争う惨状になるでしょうね」
樫村さんが淡々と説明してくれたけど、それが余計に現実味を帯びて聞こえた。
「でも、財産放棄すれば、狙われませんよね!?」
「放棄する前に殺されなければいいね」
「……お、脅し?」
綺麗な顔で壱都さんはにっこりと微笑んだ。
「俺なら君を守ってあげられるよ」
まるで、悪魔のささやきだ―――
「誰も白河家に手を出そうとは思いませんよ。性格の悪さと欲深さでは定評がありますから」
それは胸を張って言っていいことなんだろうか……
命を狙われたことなんてないし、こんな時、どうしたらいいかわからない。
「決まったみたいだね。俺が君を守る、君は俺と結婚する。これでいいんじゃないかな」
「結婚なんて困ります!」
「それじゃ、他にいい案はある?」
いい案?
一般人でしかない私が身を守る方法なんてわかるわけがない。
「話はまとまりましたね」
樫村さんが満足そうにうなずいた。
「これから、祖父に会うけど、呼び方はどうする?朱加里、それとも奥さん呼びがよかった?」
「どっちって……。奥さんは困ります。まだ結婚していないのに」
「じゃあ、朱加里で」
わかっていて、聞いたとしか思えない。
顔を覗き込まれ、名前を呼ばれると心臓が跳ねた。
わ、わざとなの!?
「祖父には俺が海外支店に転勤前の挨拶に伺った際、朱加里を紹介され、付き合い始めた。それを知っていたのは井垣会長だけ。この機会に結婚しますと言う。はい、解決」
「解決してません!絶対に信じませんよ……」
失礼だけど、壱都さんにそんな純粋さがあるとは思えない。
私でさえ、そう感じるのにいくらなんでも無理がある。
「大丈夫。必要なのは疑問に対する答えだけ。納得できるかどうかだけだ」
車は大きな洋館の前にとまった。
門に繋がる塀には葉のない棘だらけのつる薔薇の枝が這い、正面には煉瓦造りの洋館が私を迎えた。
薔薇の棘がまるで白河家を守っているように見える。
車から降りると、外は冷たい風が吹きつけて、緊張からか、寒さからなのか、身震いをして門扉の前に立ち尽くした。
私の人生が大きく変わろうとしている。
目の前の壱都さんと共に。
そんな予感がした。
「ようこそ、白河家本邸へ」
善人ではないとわかっているのに微笑みを浮かべ、手を差し伸べた壱都さんの姿はまるで王子様のようだった。
「樫村。車を出せ」
ドアを開けて、私と荷物をおもむろに後部座席に押し込むと、車は走り出し、井垣の家の門を抜けて、外に出た。
遠ざかる井垣の家を背に壱都さんは笑った。
「樫村。お前にも見せたかったな。あんな状況はなかなか見られない」
運転席にいる強面の運転手さん、樫村さんが私を見て申し訳なさそうに言った。
「ご本人にしたら、笑い事ではないですよね。すみません。お祖父さんを亡くして不安でしょう。壱都さんは性格も口も悪いですが、根は優しい人ですから安心してください」
性格も口も悪かったら、安心できないと思う。
壱都さんは樫村さんから言われた言葉を気にする様子もない。
「運転席にいるのは俺の秘書で樫村と言う。気心の知れた相手だから、何でも頼めばいいよ」
「壱都さんほど無茶振りはしてこないと思いますが、できる範囲でお願いします」
「さてと。まずは白河の祖父に報告しないとな」
「な、なんの報告ですか」
嫌な予感しかしない。
「もちろん、朱加里と結婚することを報告するんだよ。それと、俺が井垣グループの社長になるということも」
「本気ですか?」
「そのために海外支店で働いていたんじゃないか。少しずつ井垣グループに影響を与えるためにね」
「もしかして、数年前に壱都さんがお祖父さんに呼ばれたのは自分が死んだ後の話をするためだったんですか?」
「そう。井垣グループをやるから君と結婚するように言われた」
そんな取引が裏で行われていたなんて知らなかった。
じゃあ、壱都さんは井垣グループが欲しくて私と婚約したということ?
優しくしてくれたのは―――全部。
「私、壱都さんとは結婚しません」
空気が凍ったのがわかった。
「ふうん。結婚しなくて、どうするのかな?」
「就職して、アパートを借りて暮らします」
「井垣会長が君のために遺した財産はどうする?」
「放棄します」
急にブレーキが踏まれ、座席に頭をぶつけそうになったのを壱都さんの手が受け止めた。
「樫村。気をつけろ」
「すっ、すみません。あまりに無欲すぎて驚きました。いつも、白河家の人間に囲まれているせいか、自分の心が汚れていることに気づきませんでした」
「誰が強欲だって?」
さすがの壱都さんもそれは聞き逃さなかった。
「一応、自覚はあるみたいですね」
「欲がないなら、生きていても人生が退屈でしかたないよ」
「壱都さんは退屈が嫌いですからね」
「そうだよ?どうせなら、楽しい方がいい」
私は壱都さんが善意や好意から、助けてくれたのだと思っていた。
そんなわけなかったのに。
私だけなにも知らず、馬鹿みたいに彼を信じて、好意まで持って。
「助けていただいてありがとうございました。申し訳ないのですが、町まで送っていただけますか?後は自分でなんとかできますから」
「怒った理由がわからないけど、なにか気に障った?」
「お祖父さんが死んだら、私は井垣と縁を切って、一人静かに暮らしていくつもりでした。だから、もう関係ありません」
これでわかってくれただろう。
そう思っていたのに呆れた顔で、壱都さんは私を見ていた。
「死ぬ気かな?」
「えっ!」
し、死ぬ?私がってことよね?
青い顔をした私に答えてくれたのは壱都さんではなく、樫村さんだった。
「井垣グループは白河財閥と並ぶ巨大企業です。社長の座を狙う方など、大勢いるでしょう。狙っているのは親族だけじゃない。社長になりたい人間は重役の中にもいるんです」
樫村さんは私の顔色をうかがいながら、話を続けた。
「あなたがいなくなれば、井垣会長の遺言は無効になる。つまり、血で血を争う惨状になるでしょうね」
樫村さんが淡々と説明してくれたけど、それが余計に現実味を帯びて聞こえた。
「でも、財産放棄すれば、狙われませんよね!?」
「放棄する前に殺されなければいいね」
「……お、脅し?」
綺麗な顔で壱都さんはにっこりと微笑んだ。
「俺なら君を守ってあげられるよ」
まるで、悪魔のささやきだ―――
「誰も白河家に手を出そうとは思いませんよ。性格の悪さと欲深さでは定評がありますから」
それは胸を張って言っていいことなんだろうか……
命を狙われたことなんてないし、こんな時、どうしたらいいかわからない。
「決まったみたいだね。俺が君を守る、君は俺と結婚する。これでいいんじゃないかな」
「結婚なんて困ります!」
「それじゃ、他にいい案はある?」
いい案?
一般人でしかない私が身を守る方法なんてわかるわけがない。
「話はまとまりましたね」
樫村さんが満足そうにうなずいた。
「これから、祖父に会うけど、呼び方はどうする?朱加里、それとも奥さん呼びがよかった?」
「どっちって……。奥さんは困ります。まだ結婚していないのに」
「じゃあ、朱加里で」
わかっていて、聞いたとしか思えない。
顔を覗き込まれ、名前を呼ばれると心臓が跳ねた。
わ、わざとなの!?
「祖父には俺が海外支店に転勤前の挨拶に伺った際、朱加里を紹介され、付き合い始めた。それを知っていたのは井垣会長だけ。この機会に結婚しますと言う。はい、解決」
「解決してません!絶対に信じませんよ……」
失礼だけど、壱都さんにそんな純粋さがあるとは思えない。
私でさえ、そう感じるのにいくらなんでも無理がある。
「大丈夫。必要なのは疑問に対する答えだけ。納得できるかどうかだけだ」
車は大きな洋館の前にとまった。
門に繋がる塀には葉のない棘だらけのつる薔薇の枝が這い、正面には煉瓦造りの洋館が私を迎えた。
薔薇の棘がまるで白河家を守っているように見える。
車から降りると、外は冷たい風が吹きつけて、緊張からか、寒さからなのか、身震いをして門扉の前に立ち尽くした。
私の人生が大きく変わろうとしている。
目の前の壱都さんと共に。
そんな予感がした。
「ようこそ、白河家本邸へ」
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