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21 竜の優しさ【黄】色のレモン

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「アリーチェ、熱があるんじゃないのか? 顔が赤いぞ?」

 慌ててラウリが私の額に手をあて、自分の額と比べて表情を曇らせた。
 私に熱があるとヨルン様も気がついたのか、顔色を変えた。

「今すぐ町へ行って医者に診てもらおう!」

 ヨルン様の言葉に私は首を振った。
 私の熱くらいで、ヨルン様が王子の権力を使って医者を呼んだら、ヨルン様は王妃様から嫌味を言われて、また迷惑がかかる。

「平気です。風邪がうつると困りますから、ヨルン様は王都へ帰ってください」

 熱が上がってきたのか、足がふらふらして頭がぼうっとする。
 でも、私はヨルン様に厳しい口調で言った。

「風邪をうつして、ヨルン様の努力を全部無駄にしたくないんです」

 私が風邪で寝込む一日とヨルン様の一日は違う。
 言っている意味がわかったのか、ヨルン様は顔を歪めた。

「また無駄にした分はすぐに取り戻せる。気にしなくていいんだよ、アリーチェ」
「その間、ヨルン様はまた王妃様に嫌味を言われるじゃないですか。それが、私のせいだなんて、絶対に嫌です。私はヨルン様がどれだけ頑張って今のヨルン様になったか、知っているんですよ」

 幼い頃から人一倍熱心に剣の練習をし、誰よりも強くなったヨルン様は直属の近衛隊を持てるようになり、誰よりも遅くまで図書室で勉強して知識を蓄えた。
 そして、今では国王陛下へ助言し、信頼を得て、次期王位継承権を手に入れた。
 それでも、まだ王妃様はヨルン様を引きずり落とそうと狙っている。

「王都へ戻ってください。私の代わりはいてもヨルン様の代わりはいないんです。この国の王子はヨルン様ただお一人だけなんですから」

 視界が揺れたかと思うと、私の体はひょいっとラウリに抱えられた。

「王位を望むのなら、得られないものもある。それがなんだかわかるか?」

 ラウリはヨルン様に対して、少しだけ優しい口調になり、口の端に笑みを浮かべた。その笑みは憐れみを含んでいるように思えた。

「王となる代償に自由を永遠に失う」

 それが嫌で国を飛び出したラウリ。王になるより、自由を選んだ。
 でも、ヨルン様は違う。王になるため、自由も自分の意思も捨ててきた。
 真逆の二人はお互いの目を見て、なにかを感じ取ったのか、険悪な雰囲気は消えた。

「……わかった。王都へ戻ろう」
「このままでよろしいのですか?」
「ヨルン様、この男は……」

 ヨルン様はもういいと言うように手綱を掴んで馬に乗り、馬上から私とラウリを見下ろした。

「ただし、アリーチェにおかしなことをすれば、お前をどこにいようが見つけ出し、殺す」 

 物騒な言い方だったけど、ヨルン様はラウリのことを認めてくれたようだった。

「ヨルン様……ありがとうございます……」
「俺を殺す言っているのに礼を言うな」
「ラウリ、ヨルン様なりの照れ隠しですよ」
「絶対に違うぞ」

 疑り深いラウリにヨルン様の信じる心をわけてあげたい。

「だが、気に入らないことには変わりない。記憶が戻ったら、すぐに出て行けよ」

 ……認めてくれたけど、ラウリのことを好きにはなれないようだった。

「俺は記憶喪失だからな。介抱してくれたこいつには恩がある。危害を加える気はない」

 ラウリは私の嘘に合わせてくれたことに気がついた。

「ヨルン様。ラウリは思い出したら、すぐにここからいなくなります」

 ラウリが私の家政夫でいてくれるのは今だけ。いずれいなくなることはわかっている。それは遠い日の話じゃない。
 もう借金のないラウリはいつでも出ていけるのだ。

「だから、ヨルン様。あと少しだけラウリと一緒にいさせてください」
「そんな泣きそうな顔でお願いされたら、なにも言えなくなるだろう?」
「ヨルン様、わがままを言ってしまって、ごめんなさい」
「アリーチェ。君がわがままだったことは一度もないよ」
「そんなことないです。ヨルン様がたくさん我慢してきたことを私は知っています。だから、ヨルン様に比べたら、自分がわがままだとしか思えないんです」

 少なくとも、私はヨルン様より自由の身だと思う。
 王都から出て、森に工房を構えることができたのだから。

「……アリーチェを頼むぞ、家政夫」

 険しかった表情をヨルン様は崩した。私の気のせいだろうけど、一瞬だけ泣きそうな顔をしたような気がした。

「王都へ戻り、公務をこなす」

 近衛隊は静かにうなずき、ヨルン様に従って馬に乗る。
 術の光のせいで、まだ目がチカチカするのか、何度かまばたきを繰り返しているヨルン様が少し心配だったけど、馬は賢く、主人を乗せると帰る方向へと顔を向けた。

「ヨルン様。今度来る時はお暇な時にいらしてください。私、ヨルン様にまだこの森をまだ案内していなかったので」

 湖や小川、木の実がなる木々をヨルン様にも見て癒されてほしい。そんな思いでヨルン様に言った。

「これはデートのお誘いでは?」
「ヨルン様、嫌われてはいないようですぞ!」
「まだ脈アリ!」

 近衛隊がヨルン様の気持ちを盛り上げようと、なにか声をかけている。その声に励まされたのか、馬に乗ったヨルン様は振り返り、私に微笑んだ。

「そうだね、アリーチェ。今はゆっくり休んで。今度来た時、その男がまだいるようだったら、僕が直々に家から叩き出すよ」
「は、はぁ……そ、そうですね……」

 近衛隊がなにを言ったのかわからないけど、励ましすぎじゃないかなと思った。

「僕にとってアリーチェは心配するだけの価値はあるんだ。君だけが僕を理解してくれる唯一の女性だから。それを覚えておいて」

 ウインクをしたヨルン様は王子らしい魅力にあふれ、私の熱が少し上がったような気がした。
 来た時よりも馬の蹄の音は穏やかで、森の小道を緩やかな速度で駆けていった。
 見えなくなると、ラウリはやれやれとため息をついて、私の抱えた体を家の中へと運ぶ。

「厄介な奴に気に入られているな」
「ヨルン様は厄介じゃないですよ。ロク先生がいない間、私のことを気にかけてくれて、会いに来た人はヨルン様くらい。今回もきっと同居人がどんな人なのか、知りたかっただけです」
「知りたかった? そんな生易しい雰囲気じゃなかったぞ。邪魔者を追い出すつもり満々で来ていただろうが」
「ラウリは邪魔なんかじゃないですよ!」
「お前、熱のせいで頭が回ってないぞ」

 ラウリは寝室のドアを開けて、ベッドに私の体を下ろしてくれた。
 ふわりとした羽根枕の感触に触れ、なんだかホッとした。
 ラウリが作ってくれた新しい羽根枕は私が染めたスズランの色の白の布で、私が枕カバーを縫った。ほんのり暖かみのある白色の枕カバーと同じシーツとベッドカバーは石鹸の香りがする。
 石鹸の香りの中で、清涼な香りに気づき、その香りのほうへ目を向けた。
 小さなガラス瓶にペパーミントが生けられている。あの小さなガラス瓶は私が集めていた空瓶のひとつで、ラウリは捨てずにとって置いていてくれたのだと知った。
 
「まったく、具合が悪いなら悪いとちゃんと言え。我慢するな。珍しく皿洗いやら、掃除をやるからおかしいと思ったが、いつもよりすばやく動いていたせいでわからなかった」

 熱で暴走しているみたいに言わないで欲しい。それも熱がある時のほうがすばやいと言われてしまった私の心境は複雑だった。
 でも、私に熱があるとわかった時のラウリの顔を思い出したら、文句は言えず、素直に謝った。

「ごめんなさい……」
「謝らなくていいから、もう寝ろ」
 
 何度か部屋と台所を往復し、ラウリは水に濡らしたタオルや温かいお茶を用意してくれた。
 
「食欲は?」
「なんでも食べられます!」

 そう答えたけど、ラウリはちゃんと熱があっても食べられそうなものを用意して持ってきた。
 パンをミルクで煮て、砂糖を加えた優しい甘さのパン粥。それにシナモンを加えると、また違う味に変化しておいしい。
 そして、私のお気に入りである緑の蔓が描かれた皿に入ってきたのは鮮やかな黄色のレモンだった。
 それは、ただのレモンではなく、薄く輪切りにしたレモンにとろりとした蜂蜜を絡ませたもので、爽やかな香りを漂わせていた。

「レモン……」
「レモンの蜂蜜漬けだ。甘くすれば食べられると言っていただろう?」

 ラウリは私が言ったことをちゃんと覚えていてくれたのだ。
 レモンの蜂蜜漬けは少しだけ酸っぱくて、皮の部分がほんのりと苦い。でも、それがほどよくレモンの味を残し、甘い蜂蜜の味とよく合っている。

「甘くておいしいです」
「そうか。それなら、よかった」

 レモンの蜂蜜漬けを食べながら、私は部屋の一角に置いてあった木製の籠を見た。籠の中には私の染めた特別な布が入っている。
 その布はラウリからもらった鱗をほんの少しだけ加えて染めた布だった。

「あの、ラウリ……。私、ラウリに話さなくてはいけないことがあるんです」
「熱が下がってからにしろよ」
「今、言いたいんです」

 ラウリは私が頑として譲らないと思ったのか、椅子を引きずってきて、その椅子に座った。

「わかった。聞こう」
「ラウリの鱗は人間の世界でとても価値があるんです」
「そうだろうな」
「だから、私が鱗を受け取った時点で借金はなくなりました。ラウリは自由なんです」

 ラウリは沈黙し、相づちや返事はなかった。顔を見ることができず、そのまま深々と頭を下げた。
 
「一緒にいて欲しくて、黙っていました。ごめんなさい……」
「そうか」

 怒るだろうと思っていたのにラウリは怒らなかった。
 そして、ラウリがいなくなるだろうと覚悟して言ったのに彼はその予想を裏切った。

「俺はどこにもいかないから、とっとと寝ろよ」
「まだいてくれるんですか?」
「必要なら」
「私に家政夫は必要です!」

 必死に答えた私にラウリは笑った。その笑みはあの凶悪な笑みや挑発的な笑みではなく、心からの微笑みだった。

「おい? 熱が上がったんじゃないか? 顔が赤くなったんだが?」
「きっ、き、き、気のせいです! も、もう、私は眠りますね!」
「ああ」

 ラウリは食器を手にすると、部屋から出て行った。
 いなくなっても、まだラウリがいた気配が残っている。頭の上のタオルも冷たいし、ミルク粥のおかげで体も暖かい。
 よろよろと起き上がり、棚の上からピコピコ竜たんを手に取る。
 黒のピコピコ竜たんを抱き抱えてベッドに戻り、目を閉じた。ラウリが来てから、私の好きな色は黒色。そのラウリに似た黒色に染めた布が入った籠を眺める。
 熱が下がったら、あの布でラウリの服を縫おう。
 そして、またあの嬉しそうに笑う顔が見たい。いつもの眉間にシワを寄せた顔じゃなく。
 寝室のドアの向こうではラウリが台所で食器を洗う音がする。その音が心地よく、うとうととして眠くなってきた。
 いつも病気の時は一人で寂しいと思っていたのに今は寂しくない。
 私の家を強くて黒い竜が守っていてくれる。
 今はまだ私のそばで。
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