18 / 44
18 失われた場所
しおりを挟む
ああ、久しぶりの俗世よ―――
服やバッグ、靴が並ぶショップの店先、お気に入りのカフェやスイーツ店。
まだ開店前で人もいないけど、山奥の寺から降りてきた修行僧みたいな気分よ。
一年や二年も離れていたわけじゃないのに懐かしく感じた。
「朝早く出てきたから眠いなー」
追悼個展の打ち合わせまでにはまだ時間がある。
島から出るついでに私には行きたい所があった。
朝早く白い霧の中、始発のバスに乗って島を出た。
電車に乗り、私が来たのは以前住んでいた場所。
そう―――斗翔と暮らしていた家に向かっていた。
「……ちらっとだけね。うん。ほんの少しだけ顔を見るだけだし!」
『監視がいる』なんて物騒なことを言われて気にならないほうがおかしいわよ。
今の時間なら、まだ出勤前だろうし。
さりげなく、通り過ぎるくらいならいいわよね。
そう思って、斗翔の家の前に来ると―――
「え?」
これは夢?
それとも私の目がおかしいの?
私と斗翔が住んでいた古い家があった場所は更地になっていた。
庭の木も草も何一つない。
「……どういうこと」
ふらりと足を前に出した。
思い出の欠片一つさえ、見当たらない乾いた土がスニーカーの底に触れ、じゃりっ音をたてた。
足に力が入らない。
こんなことがあるの?
だって、斗翔と会ったのは先週の土曜日だよ?
呆然と立ち尽くしていると、隣の家のドアが開く音がして、見知った顔のおばさんが近づいてきた。
「あら?夏永ちゃん?どうかしたの?」
「あのっ!斗翔はどこに行ったんですか?」
「夏永ちゃんに言ってもいいのかしら?斗翔君と別れたそうじゃないの」
「そうなんですけど……」
「私から聞いたって言わないでちょうだいね。婚約者の女性とマンションに引っ越して一緒に暮らしているらしいの」
頭が横殴りされたかのような衝撃を受けた。
一緒に暮らしているって……。
「夏永ちゃんも早くいい人が見つかるといいわね。元気でね」
早口でお隣のおばさんはそう言って、また家の中に入って行った。
おばさんの態度からは『面倒なことには関わりたくない』というのが伝わってきた。
お隣の家のドアは開くことなく、私はなにもなくなった場所に一人取り残された。
「婚約者……」
優奈子さんと暮らすから、ここはもう必要ないってこと?
それで、斗翔は私を愛人にでもするつもり?
斗翔に限ってそんなことするわけない!
気づくと手が震えていた。
「どういうこと……」
連絡したくても以前のスマホの番号じゃつながらない。
私と斗翔を繋ぐものは何一つなく、会いたくても私は斗翔に近づけなくなってしまっていた。
私の声は斗翔には届かない。
更地の土の感触がいつまでも私の中に残り、頭の中がざらざらして、考えがうまくまとまらなかった。
私から斗翔に会いに行くことはできないということだけは理解できた。
―――もう涙すらでなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
どうやってそこまで行ったのか、覚えていない。
追悼個展の打ち合わせ場所は会場予定のデパートの催事場で広々とした白い空間に気づいたらぼんやり立っていた。
「清本夏永さんですか?」
そう名前を呼ばれて、自分を取り戻すことができた。
しっかりしなければ。
おばあちゃんの代理で今日は来ているようなものだ。
そう思って振り返る。
「はじめまして。須麻馨介です!君がお孫さん?唄代先生に似ているなぁ」
電話と同じ、夏の日差しのように明るい声だった。
ぼうっと須麻さんを眺めた。
華やかな容姿に堂々とした振る舞い、女性にモテそうな雰囲気のある男の人で年齢は私より上みたいだけどどこか子供みたいに無邪気だった。
「ん?なんか俺、おかしかった?」
「いいえ。草木染めに興味がある方と聞いていたので、もっと年配の方だと思っていました」
「え、そうなんだ?じゃあ、得したな。意外性がある男はモテるっていうしね。あ、ちょっと待って。宮光!」
「なんですか。社長」
宮光と呼ばれた人は童顔な男の人で可愛い顔をしていた。
宮光さんは須麻さんの秘書らしく、分厚いスケジュール帳を手に駆け寄ってきた。
「これは秘書の宮光」
「これって酷い扱いですね。はじめまして。須麻社長の秘書の宮光です。このたびは社長がすみません。清本先生には生前お世話になっておりまして。草木染めが持つ色の研究を一緒にやってきたんです。色のサンプリング表を……」
「宮光、待った!話は後だ。椅子を持ってきてくれ」
「え?そこに椅子が」
「背もたれがあるやつ」
「わかりました」
宮光さんは走っていなくなると、座り心地がよさそうなソファータイプの椅子を置いてくれた。
「どうぞ。座って。顔色がよくない」
「……ありがとうございます」
気づかれた。
薄くチークをいれたはずなのに私の顔色は相当よくなかったに違いない。
「体調が悪いなら、無理しない方がいい」
「大丈夫です」
「ちょっと待ってて」
須麻さんはいきなり目の前からいなくなると、足早で戻ってきて冷たいレモンのサイダーを額にあてた。
「さっぱりするから、どうぞ」
ペットボトルのキャップを回し、開けるとシュッと炭酸が抜ける音がした。
二つ開けると自分の分と私の分をテーブルに置いた。
「飲みながら話をしようか。これ、けっこううまいよ。さっぱりしてて」
いい人だな―――
レモンのサイダーを一口飲むと涙がでそうになって、誤魔化すためにごくごくとサイダーを飲んだ。
人の優しさが今はいつもより私の心に響いていて、私を弱くする。
更地になった光景が忘れられず、頭の隅でいつまでも私を苦しめていた。
斗翔の名前をずっと呼んでいた。
届くわけがないのに―――
服やバッグ、靴が並ぶショップの店先、お気に入りのカフェやスイーツ店。
まだ開店前で人もいないけど、山奥の寺から降りてきた修行僧みたいな気分よ。
一年や二年も離れていたわけじゃないのに懐かしく感じた。
「朝早く出てきたから眠いなー」
追悼個展の打ち合わせまでにはまだ時間がある。
島から出るついでに私には行きたい所があった。
朝早く白い霧の中、始発のバスに乗って島を出た。
電車に乗り、私が来たのは以前住んでいた場所。
そう―――斗翔と暮らしていた家に向かっていた。
「……ちらっとだけね。うん。ほんの少しだけ顔を見るだけだし!」
『監視がいる』なんて物騒なことを言われて気にならないほうがおかしいわよ。
今の時間なら、まだ出勤前だろうし。
さりげなく、通り過ぎるくらいならいいわよね。
そう思って、斗翔の家の前に来ると―――
「え?」
これは夢?
それとも私の目がおかしいの?
私と斗翔が住んでいた古い家があった場所は更地になっていた。
庭の木も草も何一つない。
「……どういうこと」
ふらりと足を前に出した。
思い出の欠片一つさえ、見当たらない乾いた土がスニーカーの底に触れ、じゃりっ音をたてた。
足に力が入らない。
こんなことがあるの?
だって、斗翔と会ったのは先週の土曜日だよ?
呆然と立ち尽くしていると、隣の家のドアが開く音がして、見知った顔のおばさんが近づいてきた。
「あら?夏永ちゃん?どうかしたの?」
「あのっ!斗翔はどこに行ったんですか?」
「夏永ちゃんに言ってもいいのかしら?斗翔君と別れたそうじゃないの」
「そうなんですけど……」
「私から聞いたって言わないでちょうだいね。婚約者の女性とマンションに引っ越して一緒に暮らしているらしいの」
頭が横殴りされたかのような衝撃を受けた。
一緒に暮らしているって……。
「夏永ちゃんも早くいい人が見つかるといいわね。元気でね」
早口でお隣のおばさんはそう言って、また家の中に入って行った。
おばさんの態度からは『面倒なことには関わりたくない』というのが伝わってきた。
お隣の家のドアは開くことなく、私はなにもなくなった場所に一人取り残された。
「婚約者……」
優奈子さんと暮らすから、ここはもう必要ないってこと?
それで、斗翔は私を愛人にでもするつもり?
斗翔に限ってそんなことするわけない!
気づくと手が震えていた。
「どういうこと……」
連絡したくても以前のスマホの番号じゃつながらない。
私と斗翔を繋ぐものは何一つなく、会いたくても私は斗翔に近づけなくなってしまっていた。
私の声は斗翔には届かない。
更地の土の感触がいつまでも私の中に残り、頭の中がざらざらして、考えがうまくまとまらなかった。
私から斗翔に会いに行くことはできないということだけは理解できた。
―――もう涙すらでなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
どうやってそこまで行ったのか、覚えていない。
追悼個展の打ち合わせ場所は会場予定のデパートの催事場で広々とした白い空間に気づいたらぼんやり立っていた。
「清本夏永さんですか?」
そう名前を呼ばれて、自分を取り戻すことができた。
しっかりしなければ。
おばあちゃんの代理で今日は来ているようなものだ。
そう思って振り返る。
「はじめまして。須麻馨介です!君がお孫さん?唄代先生に似ているなぁ」
電話と同じ、夏の日差しのように明るい声だった。
ぼうっと須麻さんを眺めた。
華やかな容姿に堂々とした振る舞い、女性にモテそうな雰囲気のある男の人で年齢は私より上みたいだけどどこか子供みたいに無邪気だった。
「ん?なんか俺、おかしかった?」
「いいえ。草木染めに興味がある方と聞いていたので、もっと年配の方だと思っていました」
「え、そうなんだ?じゃあ、得したな。意外性がある男はモテるっていうしね。あ、ちょっと待って。宮光!」
「なんですか。社長」
宮光と呼ばれた人は童顔な男の人で可愛い顔をしていた。
宮光さんは須麻さんの秘書らしく、分厚いスケジュール帳を手に駆け寄ってきた。
「これは秘書の宮光」
「これって酷い扱いですね。はじめまして。須麻社長の秘書の宮光です。このたびは社長がすみません。清本先生には生前お世話になっておりまして。草木染めが持つ色の研究を一緒にやってきたんです。色のサンプリング表を……」
「宮光、待った!話は後だ。椅子を持ってきてくれ」
「え?そこに椅子が」
「背もたれがあるやつ」
「わかりました」
宮光さんは走っていなくなると、座り心地がよさそうなソファータイプの椅子を置いてくれた。
「どうぞ。座って。顔色がよくない」
「……ありがとうございます」
気づかれた。
薄くチークをいれたはずなのに私の顔色は相当よくなかったに違いない。
「体調が悪いなら、無理しない方がいい」
「大丈夫です」
「ちょっと待ってて」
須麻さんはいきなり目の前からいなくなると、足早で戻ってきて冷たいレモンのサイダーを額にあてた。
「さっぱりするから、どうぞ」
ペットボトルのキャップを回し、開けるとシュッと炭酸が抜ける音がした。
二つ開けると自分の分と私の分をテーブルに置いた。
「飲みながら話をしようか。これ、けっこううまいよ。さっぱりしてて」
いい人だな―――
レモンのサイダーを一口飲むと涙がでそうになって、誤魔化すためにごくごくとサイダーを飲んだ。
人の優しさが今はいつもより私の心に響いていて、私を弱くする。
更地になった光景が忘れられず、頭の隅でいつまでも私を苦しめていた。
斗翔の名前をずっと呼んでいた。
届くわけがないのに―――
31
あなたにおすすめの小説
【完結】愛する人はあの人の代わりに私を抱く
紬あおい
恋愛
年上の優しい婚約者は、叶わなかった過去の恋人の代わりに私を抱く。気付かない振りが我慢の限界を超えた時、私は………そして、愛する婚約者や家族達は………悔いのない人生を送れましたか?
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜
紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。
連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
今さらやり直しは出来ません
mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。
落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。
そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる