婚約者を奪われ無職になった私は田舎で暮らすことにします

椿蛍

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17 染まる

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よく晴れた夏の朝、涼しい風が山には吹いていた。
縁側から入ってくる風は心地よく、風鈴をちりんと鳴らした。

「へぇー。莉叶りかちゃんに弟がいるんだ?」

「まだ赤ちゃんだけど、おばあちゃんが言うにはママに似てヤンチャだって」

そっかあ。
星名せなちゃん、二人も子供を産んだんだ。
あの男の子とケンカしていた星名ちゃんがね……
時の流れは早いものね。
周りの変化にしみじみしながら、ブドウを口に運んだ。

「このブドウ、おいしいね。島で育てているの?」

「うん。そうだよ」

「あの、染物をするんじゃなかったんですか?なぜ我々はブドウを食べるところから始めているんですか?」

昨日はやる気がなさそうだった納多さんだったけど、そうでもないのか、おしゃべりをしている私と莉叶ちゃんに物言いたげな視線を送っていた。
ガラスの器に入ったブドウをせっせと食べながら言った。

「染めるのに必要なのはブドウの皮なの。ほらっ!納多さんもどんどん食べて!」

「はあ」

三人でもぐもぐと無言でブドウを食べ続け、食べ終わると皮を綺麗に洗って、皮が入った鍋を持ちおばあちゃんの工房に移動した。
やっとスタートかと納多さんは私を見ていた。
まったく、わかってないわね?
ただブドウを食べていたわけじゃないんだから!
こほんっと咳払いをした。

「今日は莉叶ちゃんと一緒にやるから手に入りやすい材料にしました。ハンカチは昨日のうちに豆乳を水で薄めたもので洗ってあるものを使いまーす」

「はーい!」

莉叶ちゃんは星名せなちゃんの手作りバンダナとエプロン姿で元気よく手を上げた。
可愛いなぁ。
ほんわかしながら、染めるハンカチを並べた。
絞り染めもいいけど、今日は色を楽しむのにシンプルにやるつもりだった。

「それじゃあ、納多さん。このブドウの皮と水が入った鍋を火にかけて煮出してください」

「はあ……」」

鍋にいれたブドウの皮を沸騰させないように気を付けつつ、煮ていく。

「わー、紫!きれーい!」

うんうん。
反応が可愛いわね。
それに比べて納多さんは『なぜ自分がこんなことを?』という顔で鍋の前に立っていた。
まあ、莉叶ちゃんみたいに『わぁーすごーい』みたいな反応でも困るけど。

「煮出したら、こし布かザルでしっかりと液を切ります。ぎゅっと絞ってね」

「はーい」

ぎゅぎゅっと皮から汁がでなくなるくらいまで、しぼり終えたら染色液は完成!
水に濡らしたハンカチを入れていく。

「はい!納多さん。煮てください」

なぜ自分が!?という顔をしていたけど、菜箸を手に素直にぐるぐると鍋をかきまぜてくれた。

「これが終わったら、しばらくそのまま置いておくの。で、井戸水で洗って、焼きミョウバンを溶いた水に漬け込みます」

「けっこうすぐできるんだね」

「物によるかな。もっと濃い紫にしたいなら、煮る回数を増やすの」

「暑いから、もういいですよ」

納多さんはやれやれと鍋の火を止めた。

「じゃあ、しばらくこのまま置こうね」

「夏永ちゃん。庭をみてもいい?」

「いいわよ」

莉叶ちゃんは縁側から外に出て行った。

「納多さん。お茶でも飲みますか?」

「いえ。ブドウをたくさん食べたのでけっこうです」

「そうですか」

しーんと静かになって、カチカチと時計の音が響いていた。
テレビはないし、ラジオもない。
どうしたら、と思っていると納多さんが口を開いた。

「昨日、会った人物ですが、森崎建設の新社長の森崎もりさき斗翔とわさんではないですか?」

「よくわかりましたね」

「建設業界にいますので、多少一般の方よりは詳しいかと。有名な建築デザイナーじゃないですか。すごい方とお付き合いされているんですね」

「ううん。フラれたんです。一緒にはいられないって言われて。婚約してたけど、森崎建設を立て直すのに銀行頭取のお嬢様にとられちゃった。お嬢様は私のことが邪魔だったみたいで、森崎建設で私も働いていたんだけど追い出されて、このとおりの無職です」

はははっと力なく笑った。

「ああ、なるほど」

ん?それだけ?
ちらりと納多さんを見たけど、いつも通りの顔で変化はない。

「あのー、なにか慰めとかありません?」

「大変でしたね」

「なんですか!そのどうでもよさそうな口ぶりは!」

「どうでもいいわけではありませんが、ここにきた初日、あなたは死人みたいな顔で歩いて、フラフラと山道を登っていた理由がわかったってよかったと思ってますよ」

死人って。
言い返せず、うっーと唸っていると納多さんはため息をついた。

「それで収入ゼロになって、こんな山奥によくこようと思いましたね。稼ぐあてもなく。ご両親が心配されているのでは?」

い、いちいち、正論をぶちかますわね!
ぶるぶると手を震わせながら答えた。

「ま、まあねー。でも、ほら、おばあちゃんが亡くなって、この家もそのままにしておくわけにいかなかったし、次の仕事が決まるまでにはいるつもりよ」

「職探しですか。こんな山奥に住みながら働ける場所はないかと思いますが」

「ちょっとっー!なんなの?慰めてくれないの!?」

「慰めて欲しかったんですか?」

「ぐっ!いいです」

「働くところがないなら、染めたストールやハンカチを売ったらどうですか?」

「売る?」

「お土産売り場や道の駅に置いてもらえばどうですか。少しは収入になるでしょう」

出来上がったストールとハンカチを見た。
悪くはないけど―――どうなんだろう?

「でも、おばあちゃんと違って無名だし」

「関係ないですよ」

納多さんは水洗いしたハンカチを綺麗に伸ばしながら言った。

「できたのー!?」

莉叶ちゃんが縁側からかけこんでハンカチを見る。

「わぁ、綺麗な色!これが本当のブドウの色だねー」

莉叶ちゃんの顔を見て、売るのも悪くないかもと思えてきた。

「そうですね。考えてみます。ありがとうございます」

「いえ。売れるといいですね」

材料はある―――そして、親からはここを片付けるように言われているのだから、染料を使っても怒られないだろう。
うーん、でもまだハードルが高い気がするなー。
腕を組み悩んでいるとスマホが鳴った。
見知らぬ番号。

「もしもし?」

清本きよもと唄代うたよ先生の追悼個展の話をもってきた#須麻_すま__#馨介けいすけです』

お年寄りかと思っていたら、若そうな声だった。

「母から聞いております。水曜日に打ち合わせでしたよね?」

『そうです、その確認に』

「大丈夫です」

こっちは無職ですから、いつでも空いてますと心の中で付け加えた。

『それならよかった!』

明るい声。
繊維メーカーの社長らしいけど、いくつなんだろう。
ハキハキしていて、圧倒されてしまう。

『それじゃあ、水曜日に!楽しみにしていますよ』

「は、はい」

話が終わり、ホッと息をはいた。
須麻さんは話しやすそうな人だし、個展の打ち合わせも特に問題なさそう。

「夏永ちゃん。なんの電話?」

「デパートで染物作家だったおばあちゃんの追悼個展をやるの。ちょっとした私の稼ぎになるからね」

ふふっと笑うと納多さんはさっきは稼ぐことに大賛成だったくせに―――

「莉叶さんにそんな生臭い話をしないでください」

なぜか厳重注意されたのだった。
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