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ニコル

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 おばあ様の前からマデリン姉様の部屋へと向かった僕たちは、そのまま少し話をしようとマデリン姉様に誘われた。僕は少しだけ考えて頷く。僕もマデリン姉様から話が聞きたかった。

 僕も姉様も勉強はしなくてはいけないけれど、それでも毎日きちきちに勉強の時間が組まれているわけではない。
 今日の僕は、これから鍛錬の時間だったけれど、僕に剣を教えてくれるのは、屋敷の警備を担当している警邏けいらの人たちだから、一刻ほど時間をずらして欲しいと言づければ大丈夫だ。

 まあ、そんな事を頻繁ひんぱんにやっていたら、父に呼び出しをくらって怒られるかもしれないけれど、僕だってこんな事ばかりしている訳じゃない。

 姉様のマナーの勉強も、母上に教えを乞うか、マナーの教本を読むくらいのものだ。
 話をする時間くらいなら、いくらでも作ろうと思えば作れる。

「おばあ様のあれはね、もう病気だと思うの」

 そう言って話し出したマデリン姉様が言うには、サーシャ姉様もマデリン姉様も、おばあ様から事あるごとに、ああいうことを言い聞かせられているそうだ。

 ただ最近は、サーシャ姉様もマデリン姉様もおばあ様の話をあまり聞かないのが分かっているせいか、あまり話しかけてこなくなったと言う。

「サーシャ姉様の場合は、長女だからちゃんとした貴族に嫁がなくてはいけません、とか。父さまの言うことは聞かなくてはいけません、とか。家の役に立ちなさい、とかね」

 そしてマデリン姉様には、次女だから持参金が用意できるかは分からない、でも家のために結婚してもらう。その時のお相手がどんな方でも我慢するしかないなどと、色々と言われたのだそうだ。

 しかも、そんな話を小さい頃から刷り込むように淡々と話すのだという。

「実を言えば、お母様もお父様と結婚した当初に言われたそうよ」

 メイドに用意してもらった紅茶とクッキーを齧りながら、マデリン姉様は困ったものね、と溜息をついた。

「夫で家長であるお父様の言うことは絶対だから、あなたは夫のいう事を聞かなくてはなりません。貴族に嫁いできたのなら、まずは嫡男を生む努力をしなさい。社交界などは嫡男を生んでから行けばいい。あなたは夫をたて、家の中を取り仕切り、嫡男を生むのが仕事です、だったかしら。あの優しそうな顔で淡々と嫁の心得を語られたらしいわよ、お母様」

 そしてルーベンス子爵家には、そんな家訓があるのかと、母上は戦々恐々としておじい様に尋ねたという。だが母上の杞憂は、おじい様が否定した。
 
 そして当然のように、そんな話をしたおばあ様に、おじい様は諭したらしい。
 その時のおばあ様は、どこか不満そうではあったけれど、おじい様の言葉に殊勝に頷いた、のだが。

「結局のところ、おばあ様のあの考えは変わらず、お父様が絶対だ、お父様のいう事を聞け、所詮女性は夫の、家長の所有物であり、駒であり、家の役に立つことだけが全て、らしいのよね」
「この国は、そこまでの考え方はしていないですよね?」
「んー、どうなのかしらね。私はあまり外を知らないからよく分からないわ。でも、お母様が言うには、あまりにも極端な考えなのですって。確かに家のために政略結婚する人は多いし、そういうのはだいたい家長が主導権を握っているでしょ。でも、たとえそうだとしても、家に入ったからって社交界にも出ずに嫡男を生むまで家に居ろ、なんてことは言われないし、社交シーズンに姿を見せないと心配されるみたいだし、慈善活動だって芸術の支援だって、やっている夫人は多いってお母様もお母様のお友達もそう言っていたわ」

 そう言えば母上の友人たちも、頻繁に遊びに来ることはないけれど、今では数年に一度の頻度でルーベンス子爵家を尋ねてくる。

 母上を訪ねてくる彼女たちは皆、楽しげで幸せそうに笑う人たちだった。
 もちろん政略結婚をした女性の方が多い。しかし、彼女たちには政略結婚だから、とか、家に尽くさなくては、という悲壮さは見当たらない。

 サーシャ姉様やマデリン姉様は、母上のお客様と話しをするのが大好きで、お客様がくるとそういう話もうまく聞き出すのだ。姉様たちは姉様たちで、おばあ様の言葉に惑わされないよう、情報収集しているのだろう。

 そう考えると、ルーベンス子爵家の一番の問題は、おばあ様だと思えてくる。
 けれど、おばあ様に悪意があるのかと言われたら、悪意はないと僕は思うのだ。

 なぜなら今のルーベンス子爵家では、五人もいる娘全員に持参金の用意ができないのは、どうしようもない事実で、現実にそうだからだ。

 では、悪意がないからと、それを許容できるかと聞かれたら、僕はできないと答えるだろう。

 だって、おばあ様の考える女性という駒は、僕の大事な家族なんだ。

 それでもこれから先、父に政略結婚を望まれることはあると思う。ルーベンス子爵家は大した力も持ってはいないから。でも、こんな小さな家だからこそ抱えている領民のために、領主の子供である僕たちは望まない結婚だとしても受け入れざるを得ない事は納得しているのだ。

 けれど、おばあ様のそれは、僕たちの覚悟とはどこかが違う。まるで何かの型にはめられたかのような、自分の考えを持っていないような、何とも言えない薄気味悪さを、僕はおばあ様に感じてしまう。

 たぶんそれはサーシャ姉様もマデリン姉様も同じなんだと思う。だからこそ二人は、おばあ様の言葉を鵜吞みにせずに、母上や母上の友人たちに話を聞き、自分たちの中の判断基準を作り上げているのだ。

 ではバーバラは?

 にこやかに笑って、「はい、おばあ様」と応えるバーバラをサロンで見てしまったとき、バーバラはおばあ様の言うことをすべて受け入れているように見えた。

「バーバラはおばあ様の事とか、姉様たちに何か言ったり、聞いたりとかしてこないの?」

 僕がそう聞くとマデリン姉様は、またも大きなため息を吐く。
 
「私もサーシャ姉様も、あまりバーバラとは話しはしないのよ。勘違いはしないでね? 別にバーバラの事を嫌っているとかでもないのよ? でも、やっぱり、あの人の事があったから、かしらね。私にはあの人の記憶はないのだけれど、サーシャ姉様は、バーバラを見るとあの人を思い出すのですって」

 物心がつく前に妹であるバーバラがいた僕とは違って、七歳だったサーシャ姉様にはあの時の記憶がしっかりと刻み込まれているらしい。そう思うと僕は何も言えなかった。

「私はサーシャ姉様にたくさん構って貰っていたでしょう? だから自然と私もバーバラとはあまり話をしなくなったのよね。バーバラもほとんど話しかけてこないし」

 それについては僕にも原因があるような気がする。
 妊娠期間中に体調を崩していた母上は、娘たちの面倒を見ることもできず、かといって専属の子守をつけることもできなかった。

 父は父で子供の面倒を見るはずもないし、おばあ様が姉様たちの面倒を見ることもなくーーもし万が一、姉様たちの面倒をおばあ様が見ようと言い出しても、偏った考え方のおばあ様だと知っている母上なら確実に断る事だろうーーそして実際、マデリン姉様の面倒を見ていたのは、メイドのフォローがあったとしても、まだ幼いサーシャ姉様だったようなものだ。

 そんなサーシャ姉様があまり近づこうとしない幼子に、マデリン姉様が近づくはずもなく。

 ふと俯いた僕を見ていたマデリン姉様は、またも大きくため息をついた。

「ごめんなさい、バーバラの事、ニコルがそんなに気にしているなんて思わなかったわ。これからはちゃんと気にかけるし、サーシャ姉様にもちゃんと話をしておくわ」

 マデリン姉様の顔に浮かぶのは、後悔、なんだろうか。ほんの少し気まずげな様子に、僕はコクリと頷いてみせた。

 サーシャ姉様とマデリン姉様が、バーバラを気にしてくれるというのなら、状況は少しずつ良くなっていくだろう。いい意味でも悪い意味でも姉様たちはパワフルだ。

 そうなると後はおばあ様をバーバラから完全に引き離さなくてはならない。

 マデリン姉様とのお茶会を終わらせた僕は、孫として最低なお願いをするために、屋敷内のどこかにいるだろうおじい様を探すことにしたのだった。


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 更新頻度は1日1回程度で更新できればと思っています。今のところ少しストックはできたので。

 あと2話くらいでニコルの回は終わりです。
 さてこのままバーバラに戻るかリカルドを書くか。
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