死配人ー勒死の狂ーCRIMSON CHAIN of DEATHー

不幸中の幸い

文字の大きさ
8 / 19
Chain_7

記録汚染 ― Echo of the Red

しおりを挟む
Scene1:「記録された沈黙 - The Echo Within」
2025年12月26日(金) 午後05時52分。
南秋大学 女子寮・神谷千咲の部屋。
 
窓の外では風が吹いている。
枯れ枝が揺れ、時折、雨粒のように小さな葉がガラスを叩く。
 
千咲はベッドに腰掛け、スマートフォンを手にしていた。
液晶は暗く、室内灯の反射だけが画面に映っている。
 
そのとき——
 
“ブルッ”
 
スマホが、一瞬だけ震えた。
通知音は鳴らない。画面に表示されるのは、ただの通知ヘッダー。
 
【Message_REVERB】
《件名:nakahara_finalcut.mp4》
添付映像ファイル受信。
 
「……あおい……」
 
千咲は眉をひそめ、無意識にスリープボタンを解除した。
 
指先が、再生ボタンに触れる。
 
映像は、無音から始まった。
 
地下閲覧室の静けさ。資料机の上に広げられたノート。
中原あおいが、俯きながら何かを書き込んでいる。
 
カメラは斜め上から、第三者的な視点。
——固定ではなく、確かに“動いている”。
 
映像の端に、何かの影。
あおいの手元。首筋。耳の奥。
 
(やめて……やめて……)
 
千咲の指が微かに震える。
だが、映像は止まらない。
 
次の瞬間、耳奥へ何かが差し込まれる。
 
——ぐちゅ、ぐちゅ、という鈍音。
 
脳幹に達した何かが、あおいの身体を弾かせる。
彼女の目が大きく見開かれ、口元が勝手に笑うように歪む。
 
机に崩れ落ちる瞬間、映像は揺れた。
 
そこで、カメラがあおいのノートを映す。
 
ページの一部。
 
《観測対象:神谷千咲》
 
その文字に、千咲は一瞬、息を呑んだ。
 
(……どこかで、見た気がする——)
 
心の奥底に、ひと筋のひっかかりが残る。
筆跡。インクの滲み方。行間。
 
まるで、自分のノートの端にある走り書きと“同じ癖”を感じたような。
 
「……でも、違う。これは……あおいの、ノート……」
 
安堵。
ほんの僅かな、誤魔化しにも似た自己説得。
 
(誰かが、私を観測してるって……彼女が、思い込んでた……それだけ)
 
画面の映像が暗転する。
けれど、次の瞬間。
 
ごく短いカットで、“カメラのレンズに映り込む白い布”が見える。
——視点が一瞬だけ下を向き、
机の向こうにある「足元」へと滑るように揺れた。
 
それは……自分のものに似た、マフラーの端のようだった。
 
(いや、違う。たまたま似てただけ)
 
千咲は即座に否定した。
心拍数が早くなっているのを、指先の震えで自覚しながら。
 
映像の終盤、カメラが停止する前に一瞬だけ、
画面右下に“REVERB”のマークが浮かぶ。
それは、正式な記録である証拠のように、淡く明滅していた。
 
——記録された。
 
自分がではない。けれど、“あの瞬間”が、誰かの手に保存された。
その確かさだけが、千咲の背筋を冷やしていく。
 
白文字が浮かび上がる。
 
《観測:完了》
《映像:保存済》
《実行主体:未特定》
 
千咲は、唇を噛みしめた。
 
「誰が……こんな記録を……」
 
それは、自分に向けた問いだった。
——あるいは、心のどこかで知っている“何か”を、
必死に押しとどめるための言葉だった。
 
カーテンの隙間から、冷たい風が流れ込む。
部屋の奥、ポトスの葉がわずかに揺れた。
 
スマートフォンの画面は、再び暗転した。
だが、その表面には——
 
《再観測:進行中……》の微かな文字が、
画面を照らす角度で浮かび上がっていた。
 
千咲はその言葉を、指先でなぞるように見つめた。
“観測される”ということが、どういう意味を持つのか。
 
その正体に、まだ自分は——触れていない。
……触れていない、はずだった。
 
 
Scene2:「視られている - Another Pair of Eyes」
2025年12月26日(金) 午後06時25分。
南秋大学女子寮・神谷千咲自室。
 
湯気の残る風呂場から出て、千咲はタオルを手にもったまま、
静かに鏡を見つめた。
 
浴室の曇った鏡の奥に、もう一人の自分がいる。
けれど、曇りガラスに浮かぶその顔は、
なぜか“自分”ではないように感じた。
 
視線が、あっていない。瞳が、動かない。
 
(……これ、私?)
 
鏡の向こうで“視られている”ような錯覚。
そんな感覚は、以前にもあった気がする。
 
——幼いころ、誰にも見られていないはずの場所で、何かに見られていた。
——気配だけが肌に貼りついて離れなかった、あの夜のこと。
 
タオルを握る指先に力がこもる。
「……バカみたい」
 
呟いた瞬間、スマートフォンが震えた。
 
【Message_REVERB】
——通知なし。ログだけが残る“空の記録”。
 
(……また、来てる)
 
画面には何も表示されない。
それでも、届いていることだけはわかる。
 
今、この瞬間。
——誰かが、“何か”を記録している。
 
千咲は、タオルを棚に置き、部屋の明かりを消した。
 暗がりの中、スマートフォンの画面だけが、ぼんやりと光を放っていた。
 
―――
 
12月26日(金) 午後06時42分。
南秋大学 女子寮・共用キッチン前。
 
宇田川梓は、夕食を終えたばかりの寮内をゆっくり歩いていた。
 
ラーメンの匂い。コンビニ弁当の包装音。
他愛のない談笑と電子レンジの加熱音が混ざる中で、
彼女だけが、その空間に溶け込めずにいた。
 
(……あおいのこと、誰も気づいてない)
 
あの文学部 地下閲覧室で、あの後何かあったのか。
彼女にあって話をしたはずなのに、それが消えていくような感覚。
 
「……宇田川」
 
呼びかけられた。
 
静かな声。けれど、どこか人工的な抑揚。
 振り返ると、そこには野瀬蓮がいた。
 
都市伝説研究会の仲間であるのにも関わらず、
その存在は、ひどく無機質だった。
どこにでもいるようで、決して誰にも属さない。
 
梓は反射的に立ち止まった。
 
「中原さん、今朝から姿が見えません。知ってますか?」
 
その声音は無感情に近い。
けれど、その無表情の奥に、なにか“計っている”気配があった。
 
「……知らない。どうして、私に?」
 
「最近、よく一緒にいるように見えたので」
 
野瀬は一歩、近づいた。
それだけで、梓の喉がわずかに鳴った。
 
(この人……私の反応を見てる?)
 
視線。
まるで——“実験体の観察”をしているようだった。
 
「じゃあ、また」
 
野瀬は、それだけ言って去っていった。
廊下の奥、階段を降りていく足音。
その背中を見送りながら、梓は知らぬ間に、両手を強く握りしめていた。
 
(何かが——また始まってる)
 

Scene3:「未送信 - Precursor」
2025年12月26日(金) 午後07時15分。
南秋大学文学部 地下閲覧室。
 
夜の大学は、別の顔をしていた。
灯りの落ちた廊下。冷たい空気。床を這うように漂う埃の匂い。
 
階段をひとつ下りるごとに、空気が変わっていくのがわかる。
湿気。古い金属の酸化臭。紙とインクが死んだような匂い。
神谷千咲は、文学部 地下閲覧室の扉の前に立っていた。
今は警察の立ち入り禁止のテープが張られ中には入れない。
 
「……あのとき、あおい……ここで……」
 
誰に言うでもない声。
けれど、その小さな音さえも壁に反響し、やけに大きく聞こえた。
 
扉には鍵がかかっていた。
当然だ。事件の“現場”なのだから。
 
それでも、千咲は扉にそっと手を触れた。
 
(もう、ここには何も残っていない。
けれど——何かが、まだここにいる)
 
背後に気配。
振り返っても、誰もいない。
ただ、蛍光灯の明滅が一つだけ、執拗にチカチカと明るさを変えていた。
 
千咲は、スマートフォンを取り出す。
その瞬間——
 
“ブル……ッ”
 
震える。
 
【Message_REVERB】
 
……だが、通知は未開封のまま。
詳細もない。
画面には、ただ「Now preparing...」の表示。
 
「……準備中?」
 
呟いた千咲の眉が、かすかに動いた。
 それは、何かが“始まりかけている”証。
 
でも、まだ始まっていない。
まだ“誰が対象か”もわからない。
 
それなのに——
この場所に来ただけで、通知が反応した。
 
(……何かが、私を通して観測を開始しようとしている)
 
けれど、それは“私の意志”ではない。
千咲はスマートフォンを見つめた。
画面の端には、見覚えのないアイコンが、
一つだけ小さく、点滅していた。
 
タップしようとしたそのとき。
照明が、一瞬だけ——消えた。
そして、すぐに復旧した。
 
……誰かが、階段を降りてきた音が、聞こえた気がした。
 
千咲はスマートフォンを胸元に押し当て、
静かに、しかし確かな足取りでその場を後にした。
 
背後では、何も起きなかった。
けれど、何かが“始まらなかったこと”そのものが、逆に不気味だった。
―――
 
同日 午後07時24分。
女子寮。
 
千咲の部屋では、スマートフォンが伏せられていた。
その背面、カメラレンズの周辺が——微かに赤く、点滅していた。
 
 
Scene4:「照合 - Matching」
2025年12月26日(金) 午後08時09分。
南秋大学 理学部・地下試験観測室。
 
青白い非常灯が、コンクリート壁を這うように照らしている。
冷気が残る無機質な実験室。
空調の唸りもなく、ただコンソール端末の駆動音だけが室内に響いていた。
野瀬 蓮は、白衣の袖をまくり上げたまま、
淡々とディスプレイを見つめていた。
 
スクリーンには、複数の映像ファイルが一覧表示されている。
 
・ashihara_log.rec
・sahara_proof.mov
・takano_clip.mkv
・horikawa_raw.mov
・nakahara_finalcut.mp4
 
再生ウィンドウが自動で開き、映像が流れる。
 
首の折れた少女。眼球をくり抜かれた裸身。
黒髪の女が、血の海の中で手を伸ばす。
 
何も言わず、表情ひとつ変えず、蓮はそれらを眺めていた。
まるで、“動作確認”だけをしているような態度で。
 
映像再生が終わると、自動で保存フォルダが表示された。
 
フォルダ名:【REVERB-LOCAL-CACHE】>【final_cut】>【series_001】
ファイルはすべて——REVERBから出力された“本物”だ。
 
次のタブが開く。
 
【REVERB照合システム】
《観測支点No.007 生成完了》
《照合対象:伊藤 歩夢(文学部4年)》
《状態:照合中》
 
照合項目: 感情変動/ 行動予測/観測耐性
 
その下には、新たな送信準備情報。
 
《送信予定端末ID:001-DLX_09(神谷 千咲)》
《メッセージ:未送信(準備中)》
 
蓮は、モニターから目を離さず、右手でわずかにクリック音を鳴らした。
 
——その仕草は、まるで“送信を許可した者”のようだった。
 
けれど、実際には何も発信していない。
ただ、彼は見ている。
見つめて、記録して、保持している。
 
「……私はただ——見ている。すべて、手に入る」
 
その呟きが空間に吸い込まれる。
 
「神谷千咲。君はどこまで“私に見せるつもり”なんだ……」
 
ログが点滅を始める。
【ayumu_watch_test.mov】
ステータス:準備中
送信予定:2025年12月27日(土) 午後11時30分
 
蓮は、立ち上がると照明のスイッチを押し、室内を闇に沈めた。
 
最後に見えたのは、ディスプレイの片隅で光るロゴだった。
 
【Message_REVERB】
 
そして、その下に、細く小さな文字で——
《発信元:非開示》
《観測支点:確定中……》
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

不倫妻への鎮魂歌 ―サレ夫が選んだ、最も残酷で静かな復讐―

MisakiNonagase
大衆娯楽
「サレ夫、再生。不倫妻、転落。──その代償は、あまりに重い。」 「嘘で塗り固めた20年より、真実で歩む明日がいい。」 失って初めて気づく、守られていた日々の輝き。 46歳の美香にとって、誠実な夫と二人の息子に囲まれた生活は、退屈で窮屈な「檻」だった。若い男からの甘い誘惑に、彼女は20年の歳月を投げ打って飛び込んだ。 しかし、彼女が捨てたのは「檻」ではなく「聖域」だったのだ。 不倫、発覚、離婚、そして孤独。 かつての「美しい奥様」が、厚化粧で場末のスナックのカウンターに立つまでの足取りと、傷つきながらも真実の幸福を掴み取っていく夫・徹の再生を描く。 家族とは何か、誠実さとは何か。一通の離婚届が、二人の人生を光と影に分かつ。

処理中です...