死配人ー勒死の狂ーCRIMSON CHAIN of DEATHー

不幸中の幸い

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Chain_9

選別遊戯 ― Threads of Judgement

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Scene1:「沈黙の観測者 - Ayumu’s Shadow」
12月28日(日) 午後03時16分。
南秋大学・文学部棟 講義室D-203。
 
「はい、それではここで15分休憩にしましょう」
 
教授の声が、くぐもったマイク越しに響いた。
空調の風の音、筆記具の擦れる音、椅子を引く微かな雑音が、
ようやくざわめきへと変わる。
 
伊藤歩夢は、前列寄りの席でノートPCの画面を閉じ、
ふうっと短く息をついた。
 
彼女の指先には、鉛筆の痕が淡く残っていた。
ノートの端に手を置いたまま、少しだけ身体を起こす。
まるで、少しずつ日常から“浮かび上がろう”としているような。
 
窓の外には、午後の光が差し込んでいる。
だが、その光はどこか冷たく、空気は静謐に濁っていた。
木々の枝が、何かを指差すようにゆらりと揺れる。
その枝先には、重たい何かが引っかかっているように見えた。
 
歩夢は席を立ち、講義室の出入口へと向かう。
誰かに呼び止められるでもなく、視線を向けられるでもなく。
彼女の存在は、どこか薄く、通り過ぎる空気のようだった。
 
——ただ一人を除いて。
 
講義室の最後列、窓際。
宇田川梓がその姿を見つめていた。
 
(……歩夢)
 
声に出すこともなく、ただ、目で追っていた。
 
最近、彼女の周囲で違和感が増している。
笑顔の裏でどこか虚ろ。言葉の端々が、浮いて聞こえる。
 
まるで、彼女自身が“誰かの芝居”を演じているような。
 
違和感は、昨日今日に始まったことではない。
むしろ、“数日前から急に”演出されたような浮き方。
——まるで、誰かの意図で“歩夢という存在”が変質しているような。
 
廊下へ出た歩夢は、自販機の前で立ち止まる。
何を買うでもなく、ただディスプレイを見つめている。
 
彼女の顔には、焦点の定まらない静けさがあった。
喉が渇いているのかどうか、自分でさえ把握していないような。
 
その背後。
廊下の隅に備え付けられた掲示板に、
貼られていた一枚の紙が“音もなく”剥がれて床に落ちた。
 
誰もいないはずの空間に、微かな風。
講義棟の廊下に風が吹くなど、本来あり得ない。
 
だが、歩夢の背中には確かに“何か”がすれ違った痕跡が残っていた。
髪の先がふっと浮いた。
その一瞬だけ、空気が冷えた。
 
歩夢は振り返らない。
その“無関心”がむしろ、恐ろしかった。
 
スマホを取り出し、電源を入れる。
だが、画面は黒いまま。
 
「……?」
 
再度ボタンを押すと、液晶がゆっくり明るくなった。
その瞬間、画面に何かが一瞬だけ映った。
 
——“REVERB”の文字。
 
(……見間違い、か?)
 
画面は通常のロック画面へと戻っている。
その間に、背後の掲示板に再び別の紙が“貼りつけられる”ように、
元に戻っていた。
 
誰が、いつ——
 
歩夢は気づかない。
ただ、どこか肩の後ろに重みを感じた。
その重みは、筋肉ではなく“神経の一点”にのしかかる感覚だった。
 
(……今、何か)
 
講義室の中で、宇田川梓は歩夢の背中を見つめたまま、眉を寄せた。
 
風が吹いた。
冬のはずなのに、室内の空気が一瞬だけ湿り気を帯びた。
 
廊下の照明が一つ、パチンと音を立てて点滅する。
その下で、歩夢は一瞬だけ目を伏せた。
 
(見られている……)
 
自分の影が、いつもより長く伸びている。
いや、長すぎる。
照明の位置からは計算できないはずの角度。
影が、何かに引っ張られているように見えた。
 
それでも歩夢は、足を止めない。
ただ、静かにその影と一緒に歩く。
 
講義室の扉の隙間から、誰かが見ていた。
 
宇田川梓は、その“誰か”が、歩夢自身ではないような感覚に陥っていた。
 
歩夢のスマホに、ノイズ混じりの通知が一瞬だけ表示された。
 
【Message:REVERB】
《照合支点:伊藤歩夢》
《ファイル生成中……》
 
——だが、彼女はその通知に気づかなかった。
 
そのまま、画面は暗転し、再び沈黙が戻った。
 
廊下の奥、誰もいない曲がり角。
 
そこには、歩夢がすれ違ったはずの“誰か”の残像のような気配だけが、留まり続けていた。
 
時間は進む。
だが、何かはずっとその場に留まり、歩夢の背後に絡みついていた。
 
 
Scene2:「予見 - Before Dying」
12月28日(日) 午後05時07分。
南秋大学 女子寮 共同キッチン棟。
 
湯沸かしポットの蒸気が、天井の蛍光灯にゆらりと溶けていた。
 
——コポコポ、と沸騰音。
——パチン、と温度スイッチが切れる音。
 
それ以外は、何もなかった。
 
伊藤歩夢は、その音の中で、ただ立っていた。
ポットの取っ手に手をかけたまま、動かない。
カップラーメンのフタは、まだ開かれていない。
 
天井の蛍光灯が、ジジ……と微かな音を立てる。
明るさは変わらない。
だが、その“明るさ”の中に“黒い粒子”のようなものが混じり始めていた。
 
(……また)
 
手元のスマホが震えた。
 
一度だけ。けれど、それがすべてを変える振動だった。
 
画面が光る。
白地に黒。
それは、見覚えのある——否、覚えたくなかった——あの文字列。
 
【Message:REVERB】
《観測支点:伊藤歩夢》
《映像生成完了》
《再生まで10秒》
 
(いや……)
 
親指が、画面を触る。
 
——再生。
 
映像が始まった。
 
カメラ視点は、天井。
暗く湿った空間。濡れたタイル。どこかで、水がしたたる音。
視点がゆっくり回転して、天井から床へと傾く。
 
そこに、自分がいる。
自分の後ろ姿。
 
白いニット。
黒髪。
 
首を、何かの“紐”が締めつけている。
 
ガガガ。
ノイズ。
 
映像の中で、自分の背中が引きつるように跳ねる。
 
「っあ、か……が、は……っ」
 
音が、耳元で鳴っている。
それが映像の中の自分の声だと、すぐには理解できなかった。
 
苦しんでいる。
死にかけている。
だが、それを“観ている”もう一人の自分は——
何も感じない。
 
視点が、歩夢の首筋へと近づく。
 
そこに見えたのは、指。
女の指だ。
赤いマニュキュアを施した長い爪。
血で染まったリング。
 
——視点が突如、暗転。
 
「——っは!」
 
現実に引き戻された瞬間。
歩夢は、キッチンの床にへたり込んでいた。
スマホが手から落ちている。
 
だが画面は、まだ“最後のフレーム”を表示していた。
 
【映像終了】
《観測ログ保存済》
《照合完了》
 
——終わった。
 
歩夢は震えながら立ち上がる。
汗で髪が額に張りついている。
脚が、力を失っている。
 
「……これは、夢、じゃない」
 
誰もいないキッチン。
けれど、音が消えた空間に、
“自分の死を観た”という現実だけが、無音で鳴り続けていた。
 
 
Scene3:「痕跡 - Whisper After」
12月28日(日) 午後05時54分。
南秋大学・女子寮 2階階段踊り場。
 
カツ、カツ……と足音が反響する。
宇田川梓は、階段をゆっくりと上がっていた。
夕暮れの赤みはすでに消えかけ、廊下の非常灯が静かに灯っている。
その光の中で、空気はやけに乾いていた。
 
女子寮のこの階には、奇妙な静けさが漂っていた。
誰かが部屋にいる気配はある。だが、声も音も聞こえない。
まるで、建物全体が“音を吸い込んでいる”ような錯覚。
 
階段の途中、梓は一度足を止めた。
耳の奥で、何かが囁いた気がした。
それは風の音ではなかった。
金属の擦れるような……もしくは、
水面をなぞるような……そんな不定形の“音”。
 
(……歩夢)
 
心に浮かんだ名前が、そのまま唇の裏で震えた。
キッチンに向かうつもりだった。理由はない。ただ、引っかかる。
 
さっき、別の階から小さな“崩れる音”を聞いた。
それが現実だったのか、自分の妄想だったのかもわからない。
だが、その予感だけは、確かに胸の奥に張りついて離れなかった。
 
階段の踊り場に差し掛かる。
梓の視界の端、床の隅に何かが落ちていた。
黒いスマートフォン。
 
「……え?」
 
近づいていくと、それは見覚えのあるケースだった。
裏側に貼られたマスコット。細かい傷。
キーホルダーの金具の部分が、擦り切れかけている。
間違いなく、伊藤歩夢のスマホ。
この場所にある理由がない。
 
梓は屈み込み、スマホを拾い上げた。
その瞬間、背後から風が吹いた。
窓は、閉まっている。廊下の窓も、階段室の非常口も。
だが、確かに髪が揺れた。首筋に、冷たい空気が触れた。
 
背中に何かの気配が走る。
(見られている……?)
だが振り返っても、誰もいない。
 
スマホの画面は、沈黙のまま。梓の手の中で、重さを持っていた。
だが次の瞬間、画面が突然明るくなった。
——白地に黒の文字。
 
【再生履歴:Last Playback】
《Message:REVERB》
《観測支点:伊藤歩夢》
 
「……これ……」
 
梓の眉が僅かに歪む。
“REVERB”——その文字列を、どこかで見た気がする。
いつだったか、ほんの一瞬だけ。誰かのスマホ画面に、
かすかに浮かび上がった白黒の通知。
 
けれど、それが何だったのか、明確には思い出せない。
ただ、今、歩夢のスマホに、それと“そっくりなもの”が残っている。
背筋に、冷たい何かが這い上がる。
 
再生ボタンを押しかけた指が、一瞬止まる。
(でも、違う……)
指を引っ込めた。今、自分がこれを見ることは、何か違う気がした。
 
スマホの裏側。ケースの内側に、印刷の薄れかけた紙片が挟まれていた。
 
——《観測ログ保存済》
——《照合支点:伊藤歩夢》
——《照合主:Unknown》
 
「……Unknown……」
 
その単語が、奇妙な重量を持って胸に落ちた。
この紙が誰の手で、どこから挟まれたのか。
 
梓はスマホを静かに閉じた。
何かが、どこかで、確実にズレている。
 
彼女は階段の手すりに手をかけた。
静かな廊下の奥から、何かが自分を見ているような気がして、再び視線を後ろへ滑らせる。
 
廊下の電灯は点いていた。
だが、光の届かない一角——非常口の前に、淡い影のようなものがあった。
人の形をしているわけでもない。けれど確かに“そこ”にある気配。
 
心拍がひとつ、跳ねた。
 
(……見えているわけじゃない)
(でも、確かに“感じて”いる)
 
ふと、スマホが震える。
通知ではない。着信音もない。ただ、温もりが一瞬だけ消えるような、
冷たい振動。
 
まるで、何かの生体反応のように、手の中の機械が“呼吸”していた。
 
その感覚を振り払うように、梓はスマホをポケットへ押し込む。
だが、胸の奥の不安は、ますます濃くなるばかりだった。
 
階段の上から、誰かの足音。
気のせいかもしれない。
でも、その足音は、
上からではなく“背中の裏”から聞こえたような錯覚を与えた。
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