死配人ー勒死の狂ーCRIMSON CHAIN of DEATHー

不幸中の幸い

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崩壊前夜 ― Retrospect Collapse

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Scene1:「疑似記録」
2026年1月12日(火) 午後2時48分。
南秋大学・構内ゼミ棟・2階ロビー
 
「……それ、記録に残っていなかったということですか?」
 
ソファの端で身を乗り出すように尋ねた松本沙雪に、
宇田川梓はゆっくりと頷いた。
窓の外には曇天が広がり、午後の光すら湿った空気に吸い込まれている。
1月とは思えない気温の高さ。だが、どこか肌寒い。
いや、それは——記憶のズレによる寒気だ。
 
「うん。“通知音”が鳴ったのに、スマホの履歴には残ってなかった。 
……あれ、私だけじゃない。堀川さんのときも——同じだった」
 
「でも、通知はあったんですよね?」
 
「音も、バイブも、ちゃんと鳴ってた。画面も点いてた。
でも……録音も、記録も、スクショも“残せなかった”の」
 
沙雪は黙り込んだ。彼女の指が、無意識に膝の上で揺れている。
やがて、ぽつりと漏らすように言った。
 
「……違和感って、こういうことを言うのですね……」
 
それは、同意であり、警戒でもある返答だった。
まるで、自分もまたその現象に巻き込まれていると
——うすうす勘づいている人間の声音。
 
 ゼミ棟のロビーには、数人の学生がいるだけだった。
冬休み明けのこの時期、構内には未だ“空気の張り”が漂っている。
報道陣も、警備も、明らかに“普通じゃない”警戒態勢。
そしてそれら全てが——もう一人の“死”に繋がっていた。
 
南雲拓。
 
元旦の深夜、備品倉庫で首を裂かれて死亡。
頭部は割られ、脳は床に撒かれた。
スマホの画面には、発見当時“REVERB”と記された未読通知が点灯していた——と、
現場に最初に駆けつけた職員が証言している。
あまりに異常で、あまりに静かな死だった。
 
「……これ、申し上げてもいいかわかりませんけど……」
 
沙雪が息を吸い、ためらいがちに声を落とした。
 
「高田さんに……もう一度お話を伺ってみませんか?」
 
梓は少しだけ視線を上げる。
 
「地下資料課のこと?」
 
「はい。前にお聞きした“黒塗りの診療記録”
……あれ、今のこの状況と繋がっている気がいたします」
 
「……神谷家のこと、か」
 
一拍。思考の沈黙。
 
「沙雪」
 
「はい?」
 
「もし、また“通知”が来たら——録音だけじゃ、ダメだと思う」
 
「……どういう意味でしょうか?」
 
「“記録”そのものが、見えなくされてる。
“あれ”は、“観測者がいる時”だけ、存在するのかもしれない」
 
「……観測者、ですか?」
 
「うん。誰かが見ている。“それ”がいないと、通知も存在できない。
 見ている存在がいるから、初めて記録される。
 ……まるで、逆説的だけど」
 
沙雪は言葉を失い、何かをのみ込むように唇を結んだ。
「……神谷さん、最近はどうされていますか?」
 
不意に投げられた質問に、梓は返事を返せなかった。
それはただの雑談ではなく、核心に触れる一手だったからだ。
 
彼女の“無音”——それが何より、恐ろしかった。
 
そのとき、ロビーの掲示板に張り出された“死亡者への追悼文”が
風で揺れた。
かすかな風。だが、誰もドアを開けていない。
 
一瞬、室内の空気がピリついた。
 
「……風、入ったのでしょうか?」
 
「違う。……誰かが、見てる」
 
梓の声は確かに震えていた。
 
それは気配ではない。観測されたという、ただ一点の確信だった。
 
スマホがかすかに震えた。だが画面は、点いていない。
——それでも、そこにあった。見えない“記録”が、確かに存在していた。
 
 
Scene2:「黒塗りの資料」
2026年1月15日(金) 午後2時16分。
東雲日報・地下資料課
 
「……これ、本当に“最初から”こうだったんですか?」
 
松本沙雪が指先でページを押さえながら、慎重に問いかけた。
地下階の照明はやや暗く、古い蛍光灯のちらつきが微かに紙面を
揺らしているようだった。
コンクリ打ちっぱなしの壁、鉄製の書架、酸化した金属臭のような空気。
湿度の高い地下独特の重苦しさが、静かに三人を包んでいる。
 
壁一面に並んだ引き出し式の資料棚。
その取っ手には白いラベルが整然と貼られているが、どこか“記録されていること自体”が、すでに旧世代的な儀式のようにも見える。
パソコンはあるものの、検索用端末のブラウン管モニターは画面がちらつき、通電時に「ピッ……」という高音を残して消えた。
 
「間違いない」
 
低く、けれどはっきりした声で答えたのは高田実。
東雲日報で、かつて神谷家関連の取材や報道に関わったこともある。
眼鏡の奥の視線が、一枚のファイルに吸い込まれるように注がれている。
 
「この“黒塗り”処理は……後から消されたんじゃない。
 最初から、“見えていない”ように作られてる」
 
「黒塗り、じゃない……ですか?」
 
沙雪が困惑の表情を浮かべ、少し身体を引いた。
彼女の指先には、薄く汗が浮いていた。
寒くも暑くもない、湿った地下の空気。
それなのに、背中を伝う一筋の冷たい感触が、妙にリアルだった。
 
横でメモを取っていた宇田川梓が、静かに補足する。
 
「“処理された”痕跡がない。
 もともとこの部分に、何も“記載されていなかった”って言ってるの」
 
紙の表面はきれいだった。
インクの重なりも、消去の痕跡もない。
けれどその中身には“決定的な空白”があった。
 
神谷家の家庭診療記録。
2008年から2015年にかけての通院履歴は詳細に残っている。
だが——2016年から2019年の間、
特に「麻里子」の記録だけが、
まるで“存在しないかのように”失われていた。
 
沈黙が落ちた。
地下室の中で響くのは、どこかの換気ダクトから微かに伝わってくる
「カタン、カタン」という金属の反響音だけ。
時計の秒針すら存在しない空間で、時間の流れが不明瞭になっていく。

「当時、町の診療所で“異常行動”を起こしたって報告が
 あったはずなんだ」
 
高田の声は、過去の自分に対する悔しさを滲ませていた。
その目は資料に注がれながら、
かつて自ら取材した何かを“探り返している”ようだった。
 
「急に泣き出す。叫ぶ。暴れる。誰かと話している“フリ”をする。
でも、公式記録には一切残っていない。
……それどころか、彼女が診察室を訪れた形跡すら消えてる」
 
「……まるで、“最初から”存在していなかったみたいですね……」
 
沙雪の声は震えていた。
彼女の視線は、ファイルのページではなく、
その向こうにある“誰かの
痕跡”を見ているようだった。
 
「この空白のあと、姉の麻里子さんは……」
 
高田が静かに口を開いた。
 
「……首を吊って亡くなった。2019年春、自宅で家族が遺体を見つけた」
 
その声は冷静だったが、手にしていたボールペンがわずかに震えていた。
「でも、“公式記録”には何も残っていない。
 警察にも診療記録にも、“最初からいなかった”みたいに……。」
 
その声は冷静だったが、手にしていたボールペンがわずかに震えていた。
彼もまた、“神谷”という名前を口にすることに、
何かしらの葛藤を抱えている。
 
沙雪は息を詰めたように目を伏せた。
そこには、同情よりも“理解してはいけない恐怖”が浮かんでいた。
 
そのとき、引き出しの奥で何かが“コン”と小さく鳴った。
 
誰も触れていない。
けれど、誰かが“そこにいた”ような気配が残る。
資料棚の背後にある空調パイプがわずかに揺れ、
地下の空気が淀んでいることを伝えていた。
 
高田が視線を横にずらし、資料の末尾を指差した。
 
「……これを、見てくれ」
そこには、手書きの走り書きが残されていた。
コピー印字の余白に、かすれたペン跡。
《紅い紐。私じゃない。見ていた子がいる》
 
「これ……誰が書いたんですか?」
 
「分からない」
 
高田の声が低くなる。
それはまるで、あらかじめ“それ以上の詮索”を拒むような口調だった。
 
「でも、これが書かれたのは——麻里子の失踪から、ちょうど三日後だ」
 
沈黙。
その空白が、逆に“記録”の存在を浮き彫りにする。
 
「見ていた子……って」
 
沙雪が、誰かを思い浮かべたような声で呟いた。
 
梓は、何も答えなかった。
けれど、心の中では——たった一人の少女の名前を呼んでいた。
神谷千咲。
 
 
Scene3:「麻里子視点 – 紅い部屋」
2018年10月25日(木) 午後4時09分。
神谷家・リビング
 
テレビの音が、ずっとついたままだった。
ワイドショーのナレーションが遠くから届くように、
麻里子の耳に淡く響いている。
けれど、内容はまったく頭に入ってこない。
映っている画面は、事故のニュースか、政治家の不倫か、
あるいは誰かの涙か。
 
ソファに座った麻里子は、膝の上で両手を組んだまま、
微動だにしなかった。
 
リビングは、妙に静かだった。
テレビの音すら、この家の“無音”には勝てない。
なぜなら、この部屋には“息遣い”がないからだ。
 
生きている人間が集まっているのに、なぜこんなにも空虚なのか。
 
その理由は、目の前の空間にあった。
 
リビングの真ん中、天井の照明フックに吊るされた“紅い紐”。
すでに誰も何も言わなくなったそれは、
まるでカーテンレールの一部のように、天井から垂れ下がっていた。
 
母が干した洗濯物の一部——ではない。
子供の遊び道具——でもない。
ただ、“そこにある”ことが、日常になってしまった何か。
 
麻里子は、あの紅い紐を“見ないふり”をしながら、いつも見ていた。
見ないようにしても、視界のどこかに、必ず映るからだ。
 
「……晩ごはん、どうする?」
 
台所の奥から、母・智恵の声がした。妙に明るく、抑揚が壊れている声。
感情の波がすでに断絶している。
 
「今日の特売、卵が安かったのよ。だから、親子丼とか、どうかしら?」
 
返事をしようとして、麻里子は唇を噛んだ。
返事をすると、“会話”が始まってしまうからだ。
母との会話は、常に“何かが壊れるきっかけ”になっていた。
 
バン、と何かを落とす音がした。
振り返ると、父・正彦が食卓の椅子を蹴って立ち上がったところだった。
額に皺を寄せ、無言のまま、キッチンの奥へ向かっていく。
 
「いい加減にしろって言ってんだ、毎日毎日……あのガキがどうとか……!」
 
「違うの、私が言ってるのはそうじゃなくて……」
 
父の声は、すぐに母の声をかき消した。
 
「また“あの子”が見てるって言うのか?いつまで狂ってるつもりだ! 
 麻里子まで黙ってないで、何とか言えよ!」
 
麻里子は、静かに目を閉じた。
心臓の鼓動が、外音を遮断するように耳の中で響いている。
 
「あの子は……私たちのこと、ずっと見てるのよ……」
 
母の声が、怯えと愛情の狭間で揺れていた。
だがその声のなかにあるのは“真実”ではなく、“確信”だった。
 
——神谷千咲。
 
あの妹が、この家のすべてを“記録している”という妄信。
 
麻里子は、その視線の意味を知っていた。
千咲は、怒らない。叫ばない。何も主張しない。ただ、じっと“見ている”。
真っ黒な瞳で、息も殺して、家族の崩壊を——見届けている。
 
そして、紅い紐があるのは、あの子の“提案”だった。
 
風呂場。
窓の曇りガラスから差し込む夕陽の残光が、
浴槽の白いタイルにぼんやり映っていた。
麻里子は湯船につかっていた。
お湯はぬるく、肌にまとわりつくような感触がする。
 
バスルームのドアが開いた。入ってきたのは、——千咲だった。
 
「どうしたの?」と麻里子が言うと、
千咲は何も言わずに風呂のふちに腰を下ろした。
 
湯気のなか、二人は黙っていた。
 
「……さっきの、聞いてた?」
 
千咲は頷かない。ただ、ゆっくりと視線だけを向ける。
 
その目は、姉の言葉を“採点”するかのようだった。
 
「紅い紐のこと……なんで、あれを残したの?」
千咲は、小さな声で言った。
 
「あると、いいから」
 
「何に?」
 
「全部」
 
それ以上の説明はなかった。けれど麻里子は理解した。
この妹は、家のなかの“全ての風景”をコントロールしている。
紐の場所も、長さも、結び目の数も——
それを意識せずにはいられないように、“記号”として配置している。
 
「……怖いよ」
 
麻里子が漏らすように呟く。
 
「ねえ千咲……あなた、ほんとうに、まだ子どもなの?」
 
その言葉に、千咲はうっすらと微笑んだ。
 
「お姉ちゃんは、大人なの?」
 
そう言われて、麻里子は答えられなかった。
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