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しおりを挟む 翌日、目が覚めれば妙にベッドが窮屈だと思った。片方は熱く片方は少しだけひんやりする。さらにたくましい腕が体に回っていて身動きがとれない。
唯一動く首を右に向ければハリューシカの寝顔があり、左を向けばゲオルグの寝顔がある。真っ白な天井を見上げて謎の状況を整理しようと思ったが、二匹の行動原理が理解できないためまったく考えがまとまらない。
「とりあえず起きるか」
と口にしてみるものの両脇からがっしりと抱きしめられて動けなかった。二匹の顔を見比べた後、比較的クローツェルの意思を尊重するハリューシカの方を起こすことにした。
「ハリューシカ」
小声で名前を呼べば、パチッとハリューシカの目覚める。真っ青な瞳と間近で見つめ合っていれば、ハリューシカの切れ長の目尻が下がり一段と甘く微笑んでくる。
「おはようございます、陛下」
「ああ、おはよう。起きたいから腕を放してくれ」
「どうしてもですか?」
眉を下げて聞き返すハリューシカに頷けば「わかりました」と項垂れてながらも解放してくれた。両腕が動くようになったため体に抱きついているゲオルグの腕を外す。
少し乱れた髪を手で流した後、ハリューシカの視線を感じて振り返る。
「どうした」
「いえ、こうして陛下とともに朝を迎えられてこのハリューシカ、とても光栄です」
「そうか」
ハリューシカが胸に手を当てて会釈すれば、まとめられていない青い髪がサラサラと音を立てて背中から流れていく。
あらためてみれば、ハリューシカはクローツェルと一緒にいる時の格好と比べてずいぶん簡素な格好だ。それ比べ、まだ眠っているゲオルグは上半身裸に黒い薄手のズボンを履いているだけだ。
「考えることは同じなのに不思議なものだな」
「陛下、せっかくですし私に髪をいじらせていただきたいのですが、いかがでしょうか?」
「かまわぬ。好きにしろ」
ベッドからでて、ドレッサーのところへ歩いて行く。イスを引こうとすれば、先にハリューシカが引いてくれた。
「どうぞ、陛下」
「ん」
イスに座れば、髪を一束手に取って丁寧に梳かされていく。あまりの気持ちよさにうとうとしてしまうぐらいだ。
「陛下?」
「終わったのか?」
ハリューシカの声かけにいつの間にか閉じていた目蓋を持ち上げる。鏡越しにハリューシカと目が合えば、ハリューシカが微笑んだ。
「はい、ご確認ください」
鏡に映った自分の髪は丁寧に櫛を通してもらったおかげかいつもより艶がいい。こめかみ部分の髪が大きめの三つ編みになっており、後頭部で薔薇の花のように綺麗にまとめられていた。
「器用なものだな」
「陛下の御髪に触れる機会があれば、ぜひしていただきたいと練習していたんです」
「お前は本当に努力家だな」
「なぁにが努力家だよ、ただの変態なだけじゃねえか」
大きなあくびとともにゲオルグが起きてくる。視線だけ向ければ、隣に来たゲオルグがクローツェルの肩に手を置いてくると息をするように触れるだけのキスをしてきた。
途端に背後でハリューシカの殺気が吹き上がった。
「貴様っ、なにをしている!」
「キスだけど。恋人なら朝起きたら一つや二つするだろ」
「なっ……」
絶句したハリューシカもゲオルグがふんと鼻で笑った。
「なんだよ、上品な水竜様にとっちゃキスはセックスに入るのか」
「は、入りはしないが……、陛下のご意向を無視してするわけには」
ハリューシカがしどろもどろ返せば、ゲオルグが肩をすくめた。そして、黙って様子を眺めているクローツェルに聞いてきた。
「だとさ。女王様のお考えは?」
「……特に言うことはない」
「陛下ぁ~!」
涙をにじませてぎゅうぎゅうと抱きしめて首元に顔を埋めてくるハリューシカの頭を優しく叩く。
舌をいれたりされればさすがに抵抗するが、慣れなのか唇が触れるぐらいなら特に思うことはない。ゲオルグは「あほらし」と言うと部屋を出て行った。
二匹だけになるとまだ泣いているハリューシカに声をかけた。
「ハリューシカ、顔を上げろ」
「……はい」
すんすんと鼻を鳴らしながら顔を上げたハリューシカをじっと見つめた後、そっと目を閉じた。途端にハリューシカが息をのむのが空気で伝わってくる。かすかに髪がこすれる音とともにためらいがいちにハリューシカの唇が押しつけられる。
唇が離れていく感触に目蓋を持ち上げれば、ハリューシカの瞳が一段と潤んでいた。だがさっきとは違い、その顔には柔らかな笑みが浮かんでいた。
「なんだかてれくさいですね」
「そうなのか?」
何事も無難にこなす印象があるせいかハリューシカの言葉は意外だった。まじまじと見つめているとハリューシカは少し眉を下げて続けた。
「私にとって陛下は傍に仕えることが出来ても、こうして触れあうことは生涯ないと思っておりましたので……」
「私もついこの間までは信じていたものから媚薬を盛られて襲われるとは思ってもいなかったな」
「その節は誠に申し訳ございませんでした」
苦しげに呻くハリューシカに「もう終わったことだ」と短く返す。
「今のお前なら私に媚薬など盛らないだろう?」
「あぁ、陛下っ! 私は、私は……っ!」
感極まると言いたげに再び抱きしめてくる。すっきりとした爽やかなハリューシカの匂いに包まれながら解放するよう背中を叩く。途端にしょぼくれつつも腕を緩めてくれた。
「まったくなにがお前をそこまでさせるのだ」
「それはまた今度二匹だけの時にお話しします。さ、玉座に行きましょう」
そういってハリューシカが手を差し伸べてくる。はぐらかされたことが気になったが、問い詰めたり命令して話させるのはなんだか違う気がした。
そのためあえて触れることはせず、手を取って立ち上がり一緒に外へと出た。
玉座に行けば、セレンケレンが待っていた。目が合うとセレンケレンが一瞬目をそらしたがすぐにいつも通り微笑んだ。
「おはようございます、クローツェル様、ハリューシカさん」
「おはようございます、セレンケレン。私は紅茶を持ってきますので、陛下を少しの間よろしくお願いしますね」
「わかりました」
ハリューシカが足音を立てることなく部屋を出て行く。
クローツェルは玉座に腰を下ろすと頬杖をついてじっとセレンケレンを見つめた。あからさまな視線にセレンケレンが不思議そうに首をかしげた。
「あの、クローツェル様。僕の顔になにかついてますか?」
「キスしないのか」
「え? 急に何言い出すんですか?」
きゅっと眉を寄せていぶかしむセレンケレンにクローツェルは逆に聞き返した。
「恋人は朝起きたらキスするものではないのか?」
「ええっと、それは竜によると思います」
ゲオルグが当たり前のようにしてきたのに加えてハリューシカも喜んでしてきた。てっきりセレンケレンもそういうものだと思っていた。けれど、セレンケレンの言い分からどうやら違ったようだ。
「そうなのか。一応聞くがセレンケレンはなぜ私にキスをしようと思わないのだ」
「だって仕事中じゃないですか。僕は今竜将としておそばにいるんです」
「なるほど、私とのキスが嫌というわけではないのだな」
ところ構わず発情されるよりはずっとましだろう。
一人納得していれば、セレンケレンが「嫌なら恋人になりたいなんて思いませんよ」と小さな声で呟いた。その思いはあいにくクローツェルの耳には届かなかった。
そんなやりとりをしていると、ハリューシカがワゴンを引きながら戻ってきた。
「陛下、お待たせしました」
ハリューシカがそういうなり手際よく紅茶を入れた。どうやら今日はミルクティーのようだ。セレンケレンにもハリューシカが紅茶を渡せば「ありがとうございます」と礼を述べた。
セレンケレンが一口飲んで息をつくと思い出したかのようにハリューシカに尋ねた。
「あの、ハリューシカさんだって仕事中ならいくらクローツェル様のおねだりでも断りますよね?」
同意を求めるようにセレンケレンにたいし、ハリューシカは茶器の片付けをしていた手を止めてきっぱりと断言した。
「私は陛下が望むのであれば、どんな状況下であれ全力でお応えするのみです。ましてや今は恋人なのだから。セレンケレンこそ、なぜ陛下からの誘いを断るのです?」
「僕は愛する人との時間をほかの人に見せつけたり共有したいとは思わないからですよ」
「確かにそれは一理ありますね」
セレンケレンの言い分にハリューシカは鷹揚に頷いた。
二人のやりとりはクローツェルにも興味深いものだ。頭の上で交わされる会話に耳を澄ましながら、ベルケットならどう応えるのだろうと思った。今日の責務が終わったら西棟にある土の竜将の部屋――ベルケットのもとへと行くことをひっそりと決めた。
ベルケットに用事があると帰り際に伝えたおかげかハリューシカとセレンケレンはクローツェルをベルケットの部屋まで送り届けた後、おとなしく各々の部屋へと戻って行った。
セレンケレンはもちろんのこと、ベルケットの次に仕えるようになったハリューシカさえベルケットにたいして多少なりとも遠慮があるのかもしれない。
久しぶりに入るベルケットの部屋は初めて入った時と変わっておらず、まるで時が止まったかのように錯覚する。
突然の訪問にさすがのベルケットも驚いたようだった。
「王よ、どうされた」
「少しお前と話したいことがあってな」
「ではこちらに」
イスから立ち上がったベルケットに促されてソファーへと腰をかける。ついで目の前のローテーブルの上に地竜の地域で愛飲されるカカオコーヒーとベルケットが焼いたドライフルーツが混ぜ込んであるクッキーが現れる。
「どうぞ」
「ああ」
一枚クッキーを摘まんで口へと運ぶ。サクサクとした食感とほのかなドライフルーツの甘さと味が舌の上へじわりと広がっていく。繊細な味わいがベルケットは厳つい見た目にあった無骨な手から作りだされていると思うと不思議でならない。
「それで王よ、話とはいったいなんのことだろうか」
「話というのはな……」
今日ハリューシカとセレンケレンが交わしていた会話をかいつまんで話せば微動だにしない眉がかすかだがよっていた。
「自分の場合はセレンケレンとほぼ同じ、かと」
「ほぼ?」
「本音を言うと、自分はまだ王と恋人になった実感がないのです」
「それは私もだ」
昨日ゲオルグの提案で竜将たちとは恋人になったものの一日目ということもあって大きくなにかが変わったというのはあまり感じられない。こうしてベルケットの部屋に訪れてやりとりするのだって以前からあったことだ。
「それにしてもお前が作るクッキーはうまいが、なぜどれもこれも形が違うのだ」
口に運んでいた手を止めてクッキーを見下ろす。皿に盛られたクッキーはどれもこれも愛らしい動物の形をしている。口の中に入れてしまえばみな同じなのに昔からベルケットはさまざまな型を使ってクッキーを作るのだ。
クローツェルの声にベルケットはゆっくり瞬きをした。
「ただ食べるだけだと単調で飽きると思ったので」
「目で楽しむ、というやつか」
改めて手にしているクッキーを眺める。地上にいる動物はもちろん魔物さえクローツェルにとってみな同じようなものだ。
すべての生き物は生まれたときから死ぬ運命から逃れられない。それは竜とて同じだ。だが、クローツェルだけは違う。
「前の私でない私がこうするよう命じたのか?」
「いいえ、自分が勝手にしていることです」
「そうか」
一般的な死を迎える時、竜王は眠りにつく。そして、新たな自我が芽生えて以前の自我は消滅する。初代竜王が竜王の個の部分を未来に残す行為はすべて禁忌としたため過去の自分がどんな竜だったかは竜王自身さえわからない。
「ベルケット、さっきの言葉は訂正する。いろんな形があるのはいいことだな」
まるで今の自分たちの関係のようだ。そう思うとなんだか食べるのがおしい気がしてくるが、しけらせるのはもっともったいない。
結局、クローツェルはだされたクッキーとカカオコーヒーをきっちりと味わっていると、黙って見つめていたベルケットがおもむろに口を開いた。
「王よ、この後お時間はありますか」
「あるぞ」
「それなら二匹だけで出かけませんか」
「私はかまわないが……」
外に出かけるというのであれば、いつものベルケットならもう一匹護衛に呼ぶはずだ。ベルケットの提案を不思議に思いつつもあえて気にとめないことにした。
唯一動く首を右に向ければハリューシカの寝顔があり、左を向けばゲオルグの寝顔がある。真っ白な天井を見上げて謎の状況を整理しようと思ったが、二匹の行動原理が理解できないためまったく考えがまとまらない。
「とりあえず起きるか」
と口にしてみるものの両脇からがっしりと抱きしめられて動けなかった。二匹の顔を見比べた後、比較的クローツェルの意思を尊重するハリューシカの方を起こすことにした。
「ハリューシカ」
小声で名前を呼べば、パチッとハリューシカの目覚める。真っ青な瞳と間近で見つめ合っていれば、ハリューシカの切れ長の目尻が下がり一段と甘く微笑んでくる。
「おはようございます、陛下」
「ああ、おはよう。起きたいから腕を放してくれ」
「どうしてもですか?」
眉を下げて聞き返すハリューシカに頷けば「わかりました」と項垂れてながらも解放してくれた。両腕が動くようになったため体に抱きついているゲオルグの腕を外す。
少し乱れた髪を手で流した後、ハリューシカの視線を感じて振り返る。
「どうした」
「いえ、こうして陛下とともに朝を迎えられてこのハリューシカ、とても光栄です」
「そうか」
ハリューシカが胸に手を当てて会釈すれば、まとめられていない青い髪がサラサラと音を立てて背中から流れていく。
あらためてみれば、ハリューシカはクローツェルと一緒にいる時の格好と比べてずいぶん簡素な格好だ。それ比べ、まだ眠っているゲオルグは上半身裸に黒い薄手のズボンを履いているだけだ。
「考えることは同じなのに不思議なものだな」
「陛下、せっかくですし私に髪をいじらせていただきたいのですが、いかがでしょうか?」
「かまわぬ。好きにしろ」
ベッドからでて、ドレッサーのところへ歩いて行く。イスを引こうとすれば、先にハリューシカが引いてくれた。
「どうぞ、陛下」
「ん」
イスに座れば、髪を一束手に取って丁寧に梳かされていく。あまりの気持ちよさにうとうとしてしまうぐらいだ。
「陛下?」
「終わったのか?」
ハリューシカの声かけにいつの間にか閉じていた目蓋を持ち上げる。鏡越しにハリューシカと目が合えば、ハリューシカが微笑んだ。
「はい、ご確認ください」
鏡に映った自分の髪は丁寧に櫛を通してもらったおかげかいつもより艶がいい。こめかみ部分の髪が大きめの三つ編みになっており、後頭部で薔薇の花のように綺麗にまとめられていた。
「器用なものだな」
「陛下の御髪に触れる機会があれば、ぜひしていただきたいと練習していたんです」
「お前は本当に努力家だな」
「なぁにが努力家だよ、ただの変態なだけじゃねえか」
大きなあくびとともにゲオルグが起きてくる。視線だけ向ければ、隣に来たゲオルグがクローツェルの肩に手を置いてくると息をするように触れるだけのキスをしてきた。
途端に背後でハリューシカの殺気が吹き上がった。
「貴様っ、なにをしている!」
「キスだけど。恋人なら朝起きたら一つや二つするだろ」
「なっ……」
絶句したハリューシカもゲオルグがふんと鼻で笑った。
「なんだよ、上品な水竜様にとっちゃキスはセックスに入るのか」
「は、入りはしないが……、陛下のご意向を無視してするわけには」
ハリューシカがしどろもどろ返せば、ゲオルグが肩をすくめた。そして、黙って様子を眺めているクローツェルに聞いてきた。
「だとさ。女王様のお考えは?」
「……特に言うことはない」
「陛下ぁ~!」
涙をにじませてぎゅうぎゅうと抱きしめて首元に顔を埋めてくるハリューシカの頭を優しく叩く。
舌をいれたりされればさすがに抵抗するが、慣れなのか唇が触れるぐらいなら特に思うことはない。ゲオルグは「あほらし」と言うと部屋を出て行った。
二匹だけになるとまだ泣いているハリューシカに声をかけた。
「ハリューシカ、顔を上げろ」
「……はい」
すんすんと鼻を鳴らしながら顔を上げたハリューシカをじっと見つめた後、そっと目を閉じた。途端にハリューシカが息をのむのが空気で伝わってくる。かすかに髪がこすれる音とともにためらいがいちにハリューシカの唇が押しつけられる。
唇が離れていく感触に目蓋を持ち上げれば、ハリューシカの瞳が一段と潤んでいた。だがさっきとは違い、その顔には柔らかな笑みが浮かんでいた。
「なんだかてれくさいですね」
「そうなのか?」
何事も無難にこなす印象があるせいかハリューシカの言葉は意外だった。まじまじと見つめているとハリューシカは少し眉を下げて続けた。
「私にとって陛下は傍に仕えることが出来ても、こうして触れあうことは生涯ないと思っておりましたので……」
「私もついこの間までは信じていたものから媚薬を盛られて襲われるとは思ってもいなかったな」
「その節は誠に申し訳ございませんでした」
苦しげに呻くハリューシカに「もう終わったことだ」と短く返す。
「今のお前なら私に媚薬など盛らないだろう?」
「あぁ、陛下っ! 私は、私は……っ!」
感極まると言いたげに再び抱きしめてくる。すっきりとした爽やかなハリューシカの匂いに包まれながら解放するよう背中を叩く。途端にしょぼくれつつも腕を緩めてくれた。
「まったくなにがお前をそこまでさせるのだ」
「それはまた今度二匹だけの時にお話しします。さ、玉座に行きましょう」
そういってハリューシカが手を差し伸べてくる。はぐらかされたことが気になったが、問い詰めたり命令して話させるのはなんだか違う気がした。
そのためあえて触れることはせず、手を取って立ち上がり一緒に外へと出た。
玉座に行けば、セレンケレンが待っていた。目が合うとセレンケレンが一瞬目をそらしたがすぐにいつも通り微笑んだ。
「おはようございます、クローツェル様、ハリューシカさん」
「おはようございます、セレンケレン。私は紅茶を持ってきますので、陛下を少しの間よろしくお願いしますね」
「わかりました」
ハリューシカが足音を立てることなく部屋を出て行く。
クローツェルは玉座に腰を下ろすと頬杖をついてじっとセレンケレンを見つめた。あからさまな視線にセレンケレンが不思議そうに首をかしげた。
「あの、クローツェル様。僕の顔になにかついてますか?」
「キスしないのか」
「え? 急に何言い出すんですか?」
きゅっと眉を寄せていぶかしむセレンケレンにクローツェルは逆に聞き返した。
「恋人は朝起きたらキスするものではないのか?」
「ええっと、それは竜によると思います」
ゲオルグが当たり前のようにしてきたのに加えてハリューシカも喜んでしてきた。てっきりセレンケレンもそういうものだと思っていた。けれど、セレンケレンの言い分からどうやら違ったようだ。
「そうなのか。一応聞くがセレンケレンはなぜ私にキスをしようと思わないのだ」
「だって仕事中じゃないですか。僕は今竜将としておそばにいるんです」
「なるほど、私とのキスが嫌というわけではないのだな」
ところ構わず発情されるよりはずっとましだろう。
一人納得していれば、セレンケレンが「嫌なら恋人になりたいなんて思いませんよ」と小さな声で呟いた。その思いはあいにくクローツェルの耳には届かなかった。
そんなやりとりをしていると、ハリューシカがワゴンを引きながら戻ってきた。
「陛下、お待たせしました」
ハリューシカがそういうなり手際よく紅茶を入れた。どうやら今日はミルクティーのようだ。セレンケレンにもハリューシカが紅茶を渡せば「ありがとうございます」と礼を述べた。
セレンケレンが一口飲んで息をつくと思い出したかのようにハリューシカに尋ねた。
「あの、ハリューシカさんだって仕事中ならいくらクローツェル様のおねだりでも断りますよね?」
同意を求めるようにセレンケレンにたいし、ハリューシカは茶器の片付けをしていた手を止めてきっぱりと断言した。
「私は陛下が望むのであれば、どんな状況下であれ全力でお応えするのみです。ましてや今は恋人なのだから。セレンケレンこそ、なぜ陛下からの誘いを断るのです?」
「僕は愛する人との時間をほかの人に見せつけたり共有したいとは思わないからですよ」
「確かにそれは一理ありますね」
セレンケレンの言い分にハリューシカは鷹揚に頷いた。
二人のやりとりはクローツェルにも興味深いものだ。頭の上で交わされる会話に耳を澄ましながら、ベルケットならどう応えるのだろうと思った。今日の責務が終わったら西棟にある土の竜将の部屋――ベルケットのもとへと行くことをひっそりと決めた。
ベルケットに用事があると帰り際に伝えたおかげかハリューシカとセレンケレンはクローツェルをベルケットの部屋まで送り届けた後、おとなしく各々の部屋へと戻って行った。
セレンケレンはもちろんのこと、ベルケットの次に仕えるようになったハリューシカさえベルケットにたいして多少なりとも遠慮があるのかもしれない。
久しぶりに入るベルケットの部屋は初めて入った時と変わっておらず、まるで時が止まったかのように錯覚する。
突然の訪問にさすがのベルケットも驚いたようだった。
「王よ、どうされた」
「少しお前と話したいことがあってな」
「ではこちらに」
イスから立ち上がったベルケットに促されてソファーへと腰をかける。ついで目の前のローテーブルの上に地竜の地域で愛飲されるカカオコーヒーとベルケットが焼いたドライフルーツが混ぜ込んであるクッキーが現れる。
「どうぞ」
「ああ」
一枚クッキーを摘まんで口へと運ぶ。サクサクとした食感とほのかなドライフルーツの甘さと味が舌の上へじわりと広がっていく。繊細な味わいがベルケットは厳つい見た目にあった無骨な手から作りだされていると思うと不思議でならない。
「それで王よ、話とはいったいなんのことだろうか」
「話というのはな……」
今日ハリューシカとセレンケレンが交わしていた会話をかいつまんで話せば微動だにしない眉がかすかだがよっていた。
「自分の場合はセレンケレンとほぼ同じ、かと」
「ほぼ?」
「本音を言うと、自分はまだ王と恋人になった実感がないのです」
「それは私もだ」
昨日ゲオルグの提案で竜将たちとは恋人になったものの一日目ということもあって大きくなにかが変わったというのはあまり感じられない。こうしてベルケットの部屋に訪れてやりとりするのだって以前からあったことだ。
「それにしてもお前が作るクッキーはうまいが、なぜどれもこれも形が違うのだ」
口に運んでいた手を止めてクッキーを見下ろす。皿に盛られたクッキーはどれもこれも愛らしい動物の形をしている。口の中に入れてしまえばみな同じなのに昔からベルケットはさまざまな型を使ってクッキーを作るのだ。
クローツェルの声にベルケットはゆっくり瞬きをした。
「ただ食べるだけだと単調で飽きると思ったので」
「目で楽しむ、というやつか」
改めて手にしているクッキーを眺める。地上にいる動物はもちろん魔物さえクローツェルにとってみな同じようなものだ。
すべての生き物は生まれたときから死ぬ運命から逃れられない。それは竜とて同じだ。だが、クローツェルだけは違う。
「前の私でない私がこうするよう命じたのか?」
「いいえ、自分が勝手にしていることです」
「そうか」
一般的な死を迎える時、竜王は眠りにつく。そして、新たな自我が芽生えて以前の自我は消滅する。初代竜王が竜王の個の部分を未来に残す行為はすべて禁忌としたため過去の自分がどんな竜だったかは竜王自身さえわからない。
「ベルケット、さっきの言葉は訂正する。いろんな形があるのはいいことだな」
まるで今の自分たちの関係のようだ。そう思うとなんだか食べるのがおしい気がしてくるが、しけらせるのはもっともったいない。
結局、クローツェルはだされたクッキーとカカオコーヒーをきっちりと味わっていると、黙って見つめていたベルケットがおもむろに口を開いた。
「王よ、この後お時間はありますか」
「あるぞ」
「それなら二匹だけで出かけませんか」
「私はかまわないが……」
外に出かけるというのであれば、いつものベルケットならもう一匹護衛に呼ぶはずだ。ベルケットの提案を不思議に思いつつもあえて気にとめないことにした。
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