拾ってくれたスパダリ(?)が優しすぎて怖い

澪尽

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「今飲み物用意するから、テレビでも見てて」
「あっいえ、お構いなく……!」

 木枠に囲われた洒落たガラステーブルの前に腰を下ろして、朝哉は身を小さくした。

 ――本当に来てしまった……!

 心臓がばくばくうるさくて、妙に口の中が渇いていた。背後のキッチンで仙崎が動き回る音を聞きながら部屋の様子を窺う。
 仙崎の住まいは、六階建てのアパートの五階だった。玄関を入ると廊下が続き、その左手に沿うかたちでバストイレ、簡易キッチンと水回りが並んでいる。朝哉が通されたのはその先の十畳ほどの小洒落たリビングだった。アラベスク調のライトブラウンのカーテンに、ひんやりと触り心地のいいダークブルーのマット、窓際には観葉植物が飾られている。物は少ない方だと思うが、テレビ台や本棚にはファッション誌やカタログのような分厚い書籍がずらりと並んでいた。テレビの対面には三人掛けの黒いレザーのソファがあるばかりで寝具は見当たらない。おそらくソファの裏手の引き戸の向こうが寝室なのだろう。

 ――まずい、こんなにきょろきょろしてたら変なヤツだと思われてしまう。

 まだ夢見心地というか、現実として受け止めきれていないような感覚だった。コンビニで顔を合わせていただけだけれど、朝哉にとっては憧れの人なのだ。

「はいどうぞ、ペットボトルのお茶だけど」
「! すみません、ありがとうございます」
「いえいえ」

 緑茶の満たされたグラスが二つ、揃いの青いコースターの上に置かれる。仙崎はソファの端に腰を下ろして、じいっと朝哉の顔を見下ろした。

「……あの?」
「ああ、いや、飲まないのかなって」

 虚を突かれたように口ごもった仙崎が、ごまかすように苦笑した――ように見えた。緑がかった琥珀色の水色を見下ろして、ふと嫌な想像が過る。
 まさか、薬か何か仕込まれてるなんてことは。
 考えすぎだし、あまりにも失礼だ、と脳内で頭を振った。少なくとも金銭目的で朝哉に手を出すことは無い。なにせ帰る家さえ失った貧乏学生だ、脅したって大したものは出てこない。であれば何か恨みがあるとか、性的な暴行が目当てだとか、彼がシリアルキラーであった方が話の筋は通る。ただ、どれも覚えがない。仙崎であれば引く手あまただろうし、家はなくとも家族や友人のいる朝哉を殺すなんてリスクが高すぎる。

「もしかして、警戒してる?」
「えっ」
「まあ、疑うか。変なクスリとか入ってないよ、ほら」

 仙崎は喉の奥で笑って、朝哉と自分の手元のグラスを取り換え、にやにやしながら口をつけた。
 グラスを一気にあおり、ごくりと飲み下す。

「ほら……っあ?」

 その仙崎の顔が不快そうに歪んだ。かと思うと「うえ」と声を漏らしながら身を折り、朝哉はぎょっと目を見開いて腰を浮かせた。

「えっ……、せ、仙崎さん⁉」
「っうあ、朝哉くん、これ飲んじゃだめだ……!」
「えっ?」
「これ、たぶん消費期限切れてた……」

 口をもごもごさせながら、仙崎が呻くように言う。
 朝哉は目をぱちくりさせたまま、すとん、と脱力したようにその場に座り直した。

「……ごめん。思い出してみると、二日前からずっと廊下に出しっぱなしで……猛暑の日もそのまま……」
「び、びっくりした……ああっ大丈夫ですか? 今、水……えと、水道水? それともミネラルウォーターとか?」
「あ、大丈夫、自分で行く……口をゆすぎたい、最悪だ……」

 一気に老け込んだような仙崎の背中を見送ったあと、朝哉は思わず頬を緩ませた。なんでも出来る大人な男性かと思いきや、意外とうっかりしたところもあるらしい。
 仙崎が戻る気配に表情を引き締めると、彼は「最悪だった」と笑いながら未開封の清涼飲料水を差し出してくれた。朝哉が受け取ると同時にソファに座ると、咳ばらいをして照れたように笑った。

「いやあ、お客さんの前でカッコ悪い真似を。せっかく場の空気を和ませて、色々話を聞こうと思ったのに」
「あはは、でも、おかげさまでなんだか気が楽になりましたよ」

 朝哉は屈託なく笑った。
 そう、呟いた仙崎と視線が交差して、ちょっと驚く。先ほどまでとは違う微笑みだったからだ。胸の辺りをくすぐるような、どこか甘い眼差しに、つい視線を逸らしてしまう。

「それで、朝哉くん、家を追い出されたっていうのは? 大学行ってないのがバレたとか、浮気したとか?」
「そういうのではなくて……」

 仙崎が茶化すことで話しやすい空気を作り出そうとしてくれたのはよく分かる。けれど、聞いてもあまり面白くない話だ。朝哉自身が面白くない人間であることを証明するような、至って普通の失敗談。
 どうせ赤の他人なのだから恥もへったくれもないな、と思い直し、朝哉は重い口を開いた。それでも、なんだそんなことか、元気出してね、と笑ってくれることを期待して自嘲気味に。

「俺、今まで彼女のアパートに住んでて……いえ、住まわせてもらってて、ですね」

 フラれたのだ、とまるで家政夫扱いだった生活を思い出しながら、ここに辿り着くまでの経緯を語った。不思議なことに微塵も悲しくなかった。頼りない男の面倒を見させて申し訳ないことをしたな、という負い目だけがくすぶっている。ぽつぽつと掻い摘んで説明するも、まるで遠い過去の出来事のようによどみなく言葉が出た。

「ネカフェに行こうにも、ここからだとバスでないと駅まで遠くて、今晩だけ野宿になるかもなあって覚悟してて……本当に助かりました。いつか改めてお礼させてください」
「いや、それぐらいいいんだよ気にしなくて。まだ、泊めてないわけだしね、まずは休んでから……しかし」

 何か小さく唸るような声を出した仙崎が、眼鏡をはずして眉間を揉んだ。すぐにかけ直してしまったけれど、一瞬、素顔が見えることを期待した自分に朝哉は驚く。

「……いや、何でもない、ひとの恋人に苦言を呈するなんてちょっと良くないし」
「え?」

 何を言われたのか、呆けていた朝哉にはわからなかった。首を傾けた瞬間、テーブルの上で仙崎のスマホが軽快な音楽を奏でた。

「あ、もう十一時半か……さて、ぼちぼち寝支度しようか、もっと話を聞きたいところだけど精神的に疲れてるだろうし」
「あ、はい。お気遣い……」
「いいからいいから、固くならないで」

 仙崎は言いながら冷房のリモコンを調整し始めた。

「とりあえず、朝哉くんはここのソファーで休んでもらえる? 来客用の布団があったんだけど、いま俺の寝室すごく散らかってるの忘れてて……引っ張り出すのも簡単じゃなさそうなんだ」
「あっ、もちろんです。床でも平気なぐらいですし」

 朝哉が首をぶんぶんと横に振ると、仙崎は申し訳なさそうに眼鏡の奥で苦笑いした。

「ごめん、俺が呼んだのに。あ、今ブランケットか何か持ってくるから。で、気温は二十八度に設定しておくけど、暑かったら適当に下げてね。テレビとか自由に見てもらっていいし、雑誌もその辺のは引っ張り出しても平気だから。あと、風呂とトイレは開ければ分かると思うんで適当に」

 今、バスタオルとか出すからね、と仙崎が立ち上がって自室へ消えた。一瞬だけ開かれた引き戸の隙間の奥には暗闇が広がっていて、中の様子を窺い知ることは出来なかった。

 ――うわ、また失礼な真似しようとしてる、俺。

 まるでストーカーだ、恩人に申し訳ない、と顔を伏せてペットボトルのキャップを取った。みかんの風味の香る水がすうっと喉を伝う。
 その冷ややかな感触に癒されながら、仙崎は『俺みたいな経験とは無縁の人なのだろうな』と思った。
  
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