拾ってくれたスパダリ(?)が優しすぎて怖い

澪尽

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 時刻は四時を過ぎ駅から徒歩十分。冬とは比べ物にならないほど高い位置に太陽がいて、やっと道行く人々の影を伸ばし始めたところだった。
 大通りを抜けると人ごみは薄れ、車もスーツ姿の人々の気配も消えていく。周囲には接客業か、その客であるラフな格好をした人々がまばらに歩いているばかりだった。それでも軒を連ねる居酒屋やカフェがガラス張りでこじゃれているのは、駅からそう離れていない、個人の店舗を構えやすい立地だからだろう。それぐらい店の入れ替わりは激しく、一年前に古着屋だったショップがたいやき専門店になっていた。

「……ここ、だよな」

 朝哉はそんな通りの中ほどに面した店先で、一面をガラスに覆われた美容室を前に呆然とその店構えを見つめていた。軒先のボードには、カットやシャンプー料金とともに流行りのカラー剤を割り引くキャンペーンについて記されている。平日の日中であれば炭酸シャンプーが無料で提供されるらしい。

 こういった店の前を通りがかるのは今回が初めてではない。それでも、内装の小奇麗さや施術を受けている女性の優雅さを見れば、それが朝哉のような貧乏学生をターゲットとする店でないことはたやすく察しがついた。

――どうしよ、これ、入っていいのかな?

 店内には客が一人。若い女性が髪をブローされているところで、奥の方でスタッフらしき人影が忙しなく動き回っている。受付に人の姿はないようだ。何となく入りづらい雰囲気を感じ、朝哉は用意していたお礼のショッパーの持ち手をぎゅっと握りしめる。コーヒーが好きだったようだから、ギフト用のセットをチョイスしてみた。

 このままでは不審者だ、変な目で見られていやしないだろうか、できれば目立ちたくない。そう思うものの踏ん切りがつかずおろおろしていると、カウンターの奥から人影が近づいてくるのが見えた。まずい、うろつくなと叱られるかもしれない、そう身を固くした朝哉の前で、なめらかにガラス戸が開け放たれた。

「ああ、朝哉くん! 来てくれたんだね、どうぞ」
「あ、はい、失礼します……」

 仙崎の登場にほっとしたのもつかの間。促されるままに入店してしまったが、あの場で全部渡してしまえばよかったのでは、と後悔が襲い来る。
 無慈悲に鳴り響くドアベルの音を背に、店内をさっと眼だけで確認した。ブラウンを基調とした店内は落ち着いた印象で、ランプ風の間接照明や、アンティーク調の木材を使用したカウンターの天板など随所にこだわりが見られた。適度な音量で流れるジャズも心地いい。全体の雰囲気としては流行りの美容室によく見られるタイプなのだろうけれど、外から見た通り洗練された印象だった。

 そんな店内を先導する仙崎の服装は、ダークグレーのシャツに黒い細身のパンツと朝哉と何一つ被っていやしない。本来ならば当然のことなのになんとなく違和感を覚えてしまう。同じなら同じでそわそわするくせに、随分と面倒な性分を築いてしまったものだ。

 ――それと、なんか少し寂しい気がする。

 胸の内で呟いて、そんなことを考えている自分にはっと驚く。他人とペアルックなんて気味が悪くて恥ずかしいだけじゃないか。でもコンビニで仙崎を探すときはわくわくしている自分がいて――何かいけないことに気付いてしまいそうな気がして、朝哉はいったん考えるのをやめた。

「はい、じゃあお荷物お預かりしますね~」

 振り返った仙崎が、にこにこ笑いながら手を差し伸べてくる。気づけば六脚ほどならんだサロンチェアの一番奥まで連れて来られていた。

「え……え⁉」
「昨日から気になってたんだよ、朝哉くん、髪型で損してるよな~って。あ、クロークには鍵かけるけど、もし貴重品とか気になるようだったら手元に残しておいて」

 髪を切るだなんて一言も聞いていなかったから、朝哉は狼狽した。カットだけでいくらぐらいするのだろう、手持ちで足りるだろうか。というか財布の中身はこれからを乗り切るための命綱なのだけれど。
 混乱で頭の中は真っ白だったが、身体は自然と荷物を手渡してしまっていた。バックパックと小さなショッパーは、仙崎の後ろに控えていた女性スタッフの手でカウンター裏へと運ばれていく。

「さあ、どうぞこちらに」
「あの、仙崎さん、俺、あんまりお金持ってなくて」
「ん? ああなんだ、気にしなくていいよそんなの」
「え⁉ いえ、でも俺、本当に金欠で」
「うん、事情は分かってる。だから安心して、どうぞ」

 ――安心して、っていったいいくらからどれぐらい割り引いた料金の話をしてるんだ……?

 一瞬きょとんと目を丸くしただけで、仙崎の笑顔は全く曇らない。押しに負ける形で、朝哉は椅子に着いた。こんな押し売りさえ断れないなんて、自分は自覚している以上に弱い人間なのかもしれない――。ここにはお返しに来ただけのつもりだったのだから。
 でも、ふと気づいた。彼の店で彼の客になることが一宿一飯の恩返しになるのではないかと。それならいい、朝哉も大したお返しが出来なくて心苦しい思いをしなくて済む。

 ――また改めて、なんてことになったら迷惑かもしれないし。

 大きなの鏡面には、陰気に前髪を伸ばしたごく普通の学生が、朝哉の姿が映りこんでいた。
仙崎からしてみれば、朝哉なんて何となく拾って一泊させただけの他人に過ぎない。年齢も違うし、きっと趣味も違う。友人のように親しくし続けたい相手ではないだろう。大した好意も抱いていない人間からの連絡なんて煩わしいだけに決まっている。自分のような暗くて面白みのない、そのうえ将来性も見込めないような二流大の学生なんて、眼中にないはずだ。朝哉としても、目をかけてもらったところで何も返せるものが思いつかない。

 ここですっぱり、お別れなのだろう。朝哉があのコンビニへ向かうことは二度とないだろうし、この店に来るのもこれが最後だろう。仙崎とは、顔見知り以下の関係になる。互いの人生の中で、再び路が触れ合ったり近づいたりすることはなくなる。

 ――運命的な偶然だなって、ちょっと楽しかった。
 まるで一夜の夢のように儚く終わる、短い間の奇跡だったけれど。

「うん、君を見かけるたびに気になってたんだよね」
「え、わ……」

 耳元で仙崎の声がして、朝哉は息を呑んだ。ぼうっとしていて気付かなかったが、いつの間にか鏡に映る自分の顔の横、頬と頬が触れ合いそうなほど近くに、仙崎の顔が並んでいた。
 いつの間にか準備が整えられていたらしい。真剣な面持ちの仙崎の手には目の細かいコームが掲げられている。

「ええと、気になって、ですか……?」

 距離の近さにどぎまぎしながら、おそるおそる、朝哉は尋ねた。

「うん。……ねえ朝哉くん、前髪、切ってみない?」
「えっ……」

 朝哉は無意識に自分の前髪を上から押さえつけた。まるで目元ごと隠すような仕草で。

「ど、どうして、ですか……?」
「君の顔が……特に目が見えないのがもったいないなって」
「目……?」

 押さえていた前髪を横に長し、人前では滅多に露にしない右目を晒した。鏡と向き合うけれど、どうということはない、一般的な濃い茶色の瞳がそこにあるだけだ。珍しい色をしているわけでもなく、もったいない、といえるような代物ではない。

「ああ、やっぱり見えた方がいいと思うな。せっかく華やかな顔をしてるんだし」
「華やか……んん? 俺の話ですよね」
「もちろんそうだよ。……あー、押しつけがましい、とかおせっかいだな、って自覚はあるんだけどね。一応こういう仕事してるから、俺ならもっと輝かせられるのに、とか考えちゃって、居てもたってもいられなかったっていうか」

 それで思い切って店に呼んだのだと、仙崎は苦笑する。

「後ろは少し整えるだけで十分だと思うけど、前髪はせめて眉下ぐらいにして、分け目をこの辺にして……毛先にだけ癖が出るタイプみたいだからだいぶ雰囲気変わると思うんだ。いっそ全体をすっきり短めにしてみても似合うだろうけど、……急に言われても困るよね、髪はすぐ戻らないし」

 細身の櫛を当てながら説明する仙崎の言葉は、丁寧で分かりやすい。朝哉の心情を慮りながら真剣に提案してくれているのが伝わる。それでも朝哉はすぐには頷けなかった。
前髪を切り、この顔をさらけ出すこと――今の朝哉にとっては、全裸で街中を出歩くのと同じぐらい恐ろしくておぞましいことだ。

「前髪はちょっと……できれば、今ぐらいの長さのままでお願いしたいんですが」

 あまり顔を見られたくない。もうすっかり忘れ去られた頃合いかもしれないけれど、この街の中に、確実に、朝哉の顔を知っている人々が存在する。


 一浪の末に地元の大学に進学して、すぐのことだった。その頃はまだ前髪も短くて目元も隠れていなかった。学科内に友人が出来始めたGW明けに、友人の一人の紹介で四年のグループに話を聞く機会を得た。外見は派手めだったけれど、食堂の空く穴場の時間帯や、単位を取得しやすい講義、サークルについて、と何くれとなく教えてくれる気のいい人達だった。

 悪い人たちではなかったのだ。悪ふざけが過ぎただけで。

 数日後に学食で再会したとき、彼らからアルコールの臭いがした。異変を察知してすぐに離れればあんなことにはならなかっただろう。朝哉はそのとき友人三人と行動を共にしていたが、なぜか一人ずつ、こじゃれた学食の一角を背景に撮影を要求された。それぞれ三枚ぐらい撮られただろうか。証明写真みたいな味気ないものではなく、ポートレートとか本の著者近影に近いイメージだなと、ネット上に掲載された画像を見て、呆然とした頭の片隅で思った。

 その日から、街中で意味ありげな視線を向けられたり、通りすがりに揶揄するような声をかけられることが続いた。目立つような真似をした覚えはない。
 妙だなと仲間内で不審に思っていたところ、たまに会話するようになった同期が難しい顔でスマホの画面を差し出してきた。

『これ、本当に堀末たちが登録したやつ?』
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