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帰りのバスの車窓から流れる景色をぼうっと眺めながら、朝哉は大学でのやり取りを思い起こしていた。
朝哉が家を追い出されたことを心配した友人がバイト先を紹介してくれたのだけれど、すぐに返事を返せなかった。理由は、仙崎の家から遠かったから。仙崎の家に居候していることは誰にも話していないため、考慮されないのは当然のことだが、朝哉は後になって愕然としてしまった。
――ダメだな。仙崎さんに甘えることが普通になっちゃってる。
バスを降り、真っ赤に燃える夕陽を右手に帰路を辿る。生命力みなぎる蝉時雨が、蜩の声に移り変わる時刻。その切なげな音色が、朝哉の胸に空いた針の先ほどの穴を埋めることなく吹き抜けていく。痛いわけではない。ただ漠然と違和感が拭えない。沸き上がる感情がそこから少しずつ漏れてしまって、後には虚しさだけが残る。
午後の講義はほとんど頭に入らなかった。その後もどこか上の空で、どこでどうやって彼と別れたのか定かではない。これまでの行動を思い起こそうとして、朝哉ははっとした。大学を出てから今までスマホを確認するのを忘れていた。今日は休日で家を出る予定はないから、もしかしたらお使いを頼むかもしれないと朝、言づけられていたのに。
歩きざまに教材の詰まったエコバッグを覗き――見慣れない紙切れが大小一枚ずつ、紛れ込んでいることに気付いた。不吉な予感にどくん、と大きく心臓が脈打つ。
「――……っ⁉」
おそるおそる、大きめの紙の方。半分に折られたA4のコピー用紙を開いて、絶句した。
――『最近雰囲気変わったよね、新しい髪形も可愛いよ。また会いに来てほしいな』
油性ペンの殴り書きだった。添えられていたもう一枚は大学の敷地内、庭園の隅で談笑する朝哉自身の姿で、ここ数日以内に撮影されたもの。隣に映る知人の顔は黒く塗りつぶされ、教科書を抱えた朝哉が深緑を背後に微笑んでいる。確実に盗撮だった。
きょろきょろと周囲を見回す。仙崎のアパートまで、車が二台ギリギリすれ違える程度の、格子状の路地が続く。角に不審者が待ち構えていてもすぐには気づけない。そんな妄想より先に脳裏を過ったのは、既に通り過ぎた曲がり角で、あるいは住宅の庭先で、アパートの上の階から――朝哉にレンズを向ける、何者かの影。
背筋をぞっと何かが這い上がり、朝哉は脇目も振らずに真っすぐな道を駆けだした。
横を通り過ぎる普通の軽自動車さえ、自分にカメラを向けているような錯覚を覚えて身の毛がよだつ。
「っ、はぁ、はぁっ……!」
息が上がる。足がもつれる。荒い呼吸と自分の足音にかき消されて、ひぐらしの侘しささえ気にならなくなる。夕暮れに朱く染まる道がひどくおぞましいものに見えた。
無人のエントランスに飛び込み、運よく一階に待ち構えていたエレベーターに飛び込む。五階を連打していると、戸惑うように扉が閉じた。
早く、安全な場所に逃れたい。四六時中、人目を気にして出歩いた昨年の記憶がまざまざと蘇り恐怖を煽った。もうあんな思いはしたくない、早く安全な場所に行きたい。普段は気にならない、ふわっと浮くような感覚に吐き気を催した。チン、と目的の階に到着し、薄く開いた扉をこじ開けるように密室を飛び出した。足ががくがくしていたけれど、なりふり構っていられない。
――嫌だ、変な人も怖いけど、そのせいでみんなに遠巻きにされるのがいやだ。
ドアノブをひねるが、鍵がかかっているらしく開かない。震える手で合鍵を探そうとするが、バックパックのファスナーすらまともに開けられない。早くしないとエレベーターから不審者が上がってくるかもしれない。焦れば焦るほど手が滑り、気がせいでまともな判断ができなくなってしまう。
血の気が引いたのか、寝不足の影響か――視界にさあっと、金色の砂嵐がかかり気を失いかけたそのとき、室内からがちゃりと硬質な音が響いた。
「――朝哉くん? どうかした?」
「仙崎さん……!」
開かれた扉の先に仙崎の姿を視認した瞬間、胸にじわりと安堵が滲む。首を捻る仙崎を前に呆けたのち、はっと我に返って周囲を警戒し、室内に飛び込む。
「はあっ、はぁっ……!」
もたつく手で鍵を閉めてチェーンをかけると、全身から力が抜けてよろよろその場にしゃがみこんでしまう。仙崎が動揺しながら屈むのが気配で分かった。
「……走って来たのか? 待ってて、今何か飲み物持ってくる」
「あ……」
ほとんど反射的に立ち上がりかけた仙崎の袖を掴んで、自分に驚いた。一人になりたくなかった。今も、ドアの目の前に何者かが待ち構えていて、聞き耳を立てたりドアスコープを覗き込んだりしている――そんな妄想が頭にこびりついて、心細くて、怖い。
無言のまま視線で「行かないでほしい」訴えかける朝哉に、仙崎は「大丈夫、いったん落ち着こう」と子供に言い含めるように頬を緩ませ、そっと乱れた前髪を分けてくれた。少し触れられただけなのに、なぜか恐怖が薄れた。
ぱたぱたと引っ込んだ仙崎が、すぐにスポーツドリンクとタオルを持って駆け寄ってくる。
すすめられるままに汗を拭い、一息でペットボトルの三分の二を空にした。
朝哉が家を追い出されたことを心配した友人がバイト先を紹介してくれたのだけれど、すぐに返事を返せなかった。理由は、仙崎の家から遠かったから。仙崎の家に居候していることは誰にも話していないため、考慮されないのは当然のことだが、朝哉は後になって愕然としてしまった。
――ダメだな。仙崎さんに甘えることが普通になっちゃってる。
バスを降り、真っ赤に燃える夕陽を右手に帰路を辿る。生命力みなぎる蝉時雨が、蜩の声に移り変わる時刻。その切なげな音色が、朝哉の胸に空いた針の先ほどの穴を埋めることなく吹き抜けていく。痛いわけではない。ただ漠然と違和感が拭えない。沸き上がる感情がそこから少しずつ漏れてしまって、後には虚しさだけが残る。
午後の講義はほとんど頭に入らなかった。その後もどこか上の空で、どこでどうやって彼と別れたのか定かではない。これまでの行動を思い起こそうとして、朝哉ははっとした。大学を出てから今までスマホを確認するのを忘れていた。今日は休日で家を出る予定はないから、もしかしたらお使いを頼むかもしれないと朝、言づけられていたのに。
歩きざまに教材の詰まったエコバッグを覗き――見慣れない紙切れが大小一枚ずつ、紛れ込んでいることに気付いた。不吉な予感にどくん、と大きく心臓が脈打つ。
「――……っ⁉」
おそるおそる、大きめの紙の方。半分に折られたA4のコピー用紙を開いて、絶句した。
――『最近雰囲気変わったよね、新しい髪形も可愛いよ。また会いに来てほしいな』
油性ペンの殴り書きだった。添えられていたもう一枚は大学の敷地内、庭園の隅で談笑する朝哉自身の姿で、ここ数日以内に撮影されたもの。隣に映る知人の顔は黒く塗りつぶされ、教科書を抱えた朝哉が深緑を背後に微笑んでいる。確実に盗撮だった。
きょろきょろと周囲を見回す。仙崎のアパートまで、車が二台ギリギリすれ違える程度の、格子状の路地が続く。角に不審者が待ち構えていてもすぐには気づけない。そんな妄想より先に脳裏を過ったのは、既に通り過ぎた曲がり角で、あるいは住宅の庭先で、アパートの上の階から――朝哉にレンズを向ける、何者かの影。
背筋をぞっと何かが這い上がり、朝哉は脇目も振らずに真っすぐな道を駆けだした。
横を通り過ぎる普通の軽自動車さえ、自分にカメラを向けているような錯覚を覚えて身の毛がよだつ。
「っ、はぁ、はぁっ……!」
息が上がる。足がもつれる。荒い呼吸と自分の足音にかき消されて、ひぐらしの侘しささえ気にならなくなる。夕暮れに朱く染まる道がひどくおぞましいものに見えた。
無人のエントランスに飛び込み、運よく一階に待ち構えていたエレベーターに飛び込む。五階を連打していると、戸惑うように扉が閉じた。
早く、安全な場所に逃れたい。四六時中、人目を気にして出歩いた昨年の記憶がまざまざと蘇り恐怖を煽った。もうあんな思いはしたくない、早く安全な場所に行きたい。普段は気にならない、ふわっと浮くような感覚に吐き気を催した。チン、と目的の階に到着し、薄く開いた扉をこじ開けるように密室を飛び出した。足ががくがくしていたけれど、なりふり構っていられない。
――嫌だ、変な人も怖いけど、そのせいでみんなに遠巻きにされるのがいやだ。
ドアノブをひねるが、鍵がかかっているらしく開かない。震える手で合鍵を探そうとするが、バックパックのファスナーすらまともに開けられない。早くしないとエレベーターから不審者が上がってくるかもしれない。焦れば焦るほど手が滑り、気がせいでまともな判断ができなくなってしまう。
血の気が引いたのか、寝不足の影響か――視界にさあっと、金色の砂嵐がかかり気を失いかけたそのとき、室内からがちゃりと硬質な音が響いた。
「――朝哉くん? どうかした?」
「仙崎さん……!」
開かれた扉の先に仙崎の姿を視認した瞬間、胸にじわりと安堵が滲む。首を捻る仙崎を前に呆けたのち、はっと我に返って周囲を警戒し、室内に飛び込む。
「はあっ、はぁっ……!」
もたつく手で鍵を閉めてチェーンをかけると、全身から力が抜けてよろよろその場にしゃがみこんでしまう。仙崎が動揺しながら屈むのが気配で分かった。
「……走って来たのか? 待ってて、今何か飲み物持ってくる」
「あ……」
ほとんど反射的に立ち上がりかけた仙崎の袖を掴んで、自分に驚いた。一人になりたくなかった。今も、ドアの目の前に何者かが待ち構えていて、聞き耳を立てたりドアスコープを覗き込んだりしている――そんな妄想が頭にこびりついて、心細くて、怖い。
無言のまま視線で「行かないでほしい」訴えかける朝哉に、仙崎は「大丈夫、いったん落ち着こう」と子供に言い含めるように頬を緩ませ、そっと乱れた前髪を分けてくれた。少し触れられただけなのに、なぜか恐怖が薄れた。
ぱたぱたと引っ込んだ仙崎が、すぐにスポーツドリンクとタオルを持って駆け寄ってくる。
すすめられるままに汗を拭い、一息でペットボトルの三分の二を空にした。
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