拾ってくれたスパダリ(?)が優しすぎて怖い

澪尽

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 ――十日以上経ったけど、あれから何の音沙汰もないな。

 脱衣所兼洗面所の鏡に映る自分の顔をじっと見つめながら、朝哉は小さく嘆息した。風呂上りの上気した頬に化粧水を叩き、ヘアオイルをさらりと毛先にまとわせる。途端に身も心もほぐれるような香りに包まれ、無意識のうちに深く息を吸い込んでいた。

 ――仙崎さんと同じ匂いがしてる。

 まるであの人に抱きしめられてるみたいだ。そう認識させられるたび、全身が燃えるように熱くなった。当然だ、洗剤や柔軟剤、スキンケア用品に至るまで、家主の厚意に甘えて用意されたものを使用させてもらっているのだから。

 多幸感のあと、必ず罪悪感に押しつぶされそうになる。何せ仙崎は、純粋な親切心から朝哉の世話を焼いてくれているのだ。そんな人の厄介になることが嬉しいだなんて歪んでいる。近頃、朝哉の心を占めているのが恐怖心や閉塞感ではなく、久しく忘れていた安心感であることも、彼の心配を裏切るような気分を増長させる。

 鏡の中の自分の顔はどこか沈鬱で冴えない。それなのに肌つやがよくて、いつの間にか目の下の隈も消えていたようだ。皮肉にも、住処をなくした今の方が、がここ数年で最も健康的な生活を送れている。

 ――本当、感謝してもしきれないな。

 取り留めのないことを考えつつ、あまり長湯をしても迷惑だろうと思い至り、髪を拭いながら廊下へ続くドアを開く。

 すると、普段より硬い、仙崎の話し声が溢れてきて反射的に動きを止めた。通話中のようだ。込み入った話では邪魔をしてしまうのではないかと逡巡しているうちに、自然と声が耳に入り込んでしまう。

「……ああ、そうそう、上手くいきそうだよ、彼の件。おかげさまで」

 盗み聞きは良くない、いったん浴室の方へ引き返そう――身を翻しかけた朝哉は、その次に続いた台詞で縫い留められたようにその場から動けなくなる。

『ええ? ああ、大丈夫、まだ偶然だと思ってるみたい。手紙のことも気づかれてないはずだ、スタッフにも協力してもらったからね』
『それはもちろん、驚かせすぎちゃったところはあるかもしれないけれどね。でも仕方がないよね、――あんなこと、書き込む方が悪いわけで』
『……そうだね、俺は当日までおあずけだから。いいな、ネタばらしされた時のあの子の顔、俺も見たかったよ』

 ――彼の件。偶然。手紙。驚かせすぎた。書き込み。

 仙崎はいったい、誰の、何の話をしている?
 彼の発した複数のワードが繋がり、絡み合い、既に硬直していた肉体が雁字搦めになる。朝哉の身に覚えのある単語が、たまたま何も知らないはずの仙崎の口から紡ぎだされる、そんな偶然があるだろうか。あったとして、そのまま無関係だとなんの裏付けもないまま断言できるだろうか。朝哉にはできなかった。

 ――俺とコンビニ帰りに会ったのも、家に置いてくれるのも、あの手紙も、全部、計算のうちだった? 全部、俺が話す前に知ってた? 俺を騙して……何か、良くないことを考えている?
 服装が被ったのも、偶然を装って俺の気を引くためだった――?
 風呂上がりの火照った体からすうっと熱が引いていく。

 ――そんなことして、いったい何になるんだ?

 一見、仙崎には何の利益もないような話に思える。しかし、朝哉はただ「面白いから」とか「その場のノリ」で大した悪意もないまま、人の個人情報を勝手にばら撒くような人間が存在していることを身をもって知っている。

 仙崎がそちら側の人間である可能性も考慮しなかったわけではない。ただ、時折見かける憧れの人を信じてみたかった。
 いっそこのまま飛び込んで、直接、真相を問いただしてもいい。むしろこれから身に降りかかる事態を想定するとそうすべきなのだろう。

 ――でも、家に置いてくれたのも、優しくしてくれたのも、それが嬉しくて楽しかったのも本当なんだ。

 不安と不信感で冷静さを欠いた今では、正しい答えを導き出すことは難しい。朝哉は足音を忍ばせて洗面所へ戻り、仙崎の声が途絶える時を待ちわびた。
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