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第2章 侵食
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夏本番を控えているとはいえ、夏の初めにしては暑い。じりじりと肌を焼く風に、周は瞬く間に汗だくになる。
「……この辺りかな……?」
到着したのは、周の家とは大学を挟んで反対側の学生街。新築のマンションから、旧いアパートまで、多種多様な建物が犇めきあっている。琉依はきょろきょろと辺りを見回しながら、目的の建物を探す。
「岡さん、ちょっと見せてもらっていいかな?」
周は琉依から受け取ったスマホの画面上のピンと、現在の位置とを重ね合わせる。
「えーと、こっちかな?」
滲み出る汗を手の甲で拭いながら、目的地へ足を運んでいく。その間、二人の間に会話はない。
緊迫感と共に辿りついた目的地に、
「え……ここ?」
周は思わず呆気にとられる。そこには想像していた立派なマンションとは全く似ても似つかない、かなり年季の入ったアパートが、静かに佇んでいる。
「……ちょっと、意外だね。」
琉依も隣で驚いている風だ。周は、勝手に、秀人のことを良い家のお坊っちゃんだと思っていた自分の考えを改める。
「ここのアパートの……」
琉依は地図アプリを閉じると、今度はメッセージアプリを立ち上げる。そこに部屋の場所が書かれているらしい。
「あそこみたい。」
琉依が、その部屋に目を向ける。声はどこか固い。
「……行こう。」
二人は、アパートに向かって歩き出す。
琉依が部屋の呼び鈴を鳴らすと、無機質な音を立て、鍵が開く。ドアノブが、ゆっくりと回った。
「……秀人、大丈夫か?」
ドアの隙間に見えた秀人の姿に、周は一旦胸を撫で下ろす。
「お前達、何で……俺の家……」
驚いたような、混乱したようにも見える秀人の顔は、どこか窶れて見えた。
「ごめんねー、お友達に聞いて、来ちゃった」
周の隣からひょっこりと姿を現す琉依は、先程までとはうって変わって、いやに明るく返す。しかし次の瞬間、秀人の視線は琉依と周の足元に移っていた。無表情な顔に、微かな恐怖の色が浮かぶ。
「……帰れ。」
「……は?」
急変した態度に呆気にとられる周と琉依の肩を押し、秀人はそのまま玄関の扉を締める。
「おい、ちょっと……」
そのまま、あからさまに大きな音で、鍵まで掛けてしまったのだ。
「おい、どうしたんだよ!」
「秀人くん!」
二人は近所迷惑も気にせず、ドアを叩く。が、
「いいから帰れ。」
秀人は帰れの一点張り。
「何だよ、俺ら友達じゃん! 悩みぐらい相談しろよ!」
周の呼び掛けに、一瞬、ドア越しに息を呑むような声が、聞こえた気がした。その場に、束の間の静寂が訪れる。
「秀人くん、お話聞かせてくれないかな……?」
懇願するような琉依の声。
「無理だよ。」
力なく言う秀人の対応は変わらない。
「……は?」
それに、周は怒りにも似た感情を覚える。
「……お前達と俺では、根本的に見えてる世界が違いすぎるんだよ……」
ぽつりと飛び出たその言葉に、周は腸が煮えくり返る感覚を覚えた。
「……見えてる世界が違う? お前何様だよ……」
腹の底から沸き上がるのは、怒りか、劣等感か、その両方か。
「周くん?」
制止しようとする琉依に目もくれず、周はない交ぜの感情をドアの向こうの優等生にぶつける。
「そりゃあ、お前と違って俺は頭も良くないし何も考えてないからさあ……お前からしたら大層つまらねえ人間なんだろうよ……」
「ねえっ……」
怒りが向くのは、自分を見下してくる優等生に対してか、はたまた不甲斐ない自分に対してか……
「……そんなに信用できないんなら勝手にしろよ! じゃあな!」
返事の無い扉に向かって、言葉をぶつけた相手の心を、周は何も分かっていない。怒りに任せて踵を返す。自分の顔が涙でくしゃくしゃに歪んでいることに、初めて気づく。
「……周くん……」
部屋から離れて行く周背中を、琉依は止めることができない。
「……秀人くん、また来るね」
そう言って、琉依は周に着いていく。
外から聞こえる怒鳴り声を聴きながら、秀人は子供の様に膝を抱いて蹲る。怒鳴り声に紛れ込んだその声を、必死に振り払う。
「……ねえ」
いつの間にか止んでいた怒鳴り声。だからより一層、その無邪気な声が際立つ。
ーー風の音風の音かぜのおとカゼノオト
耳を塞いでも聞こえてくる声。動いていないのに、息が、上がる。
「ねえねえ、おにいちゃん、ぼくのことみえてるよね?」
ーーミルナミルナミルナミルナ
手放しそうな意識を必死に繋ぎ止めようとする。じっとりした脂汗が、からだ中に、張り付く。
「ねえ、どうしてむしするの?」
ぴくりと、秀人の肩が震える。悲痛なその声に、膝に埋めた顔を上げてしまう。
そこには、ぐにゃりと歪んだ、子供だったナニかの顔があった。鼻が触れるくらいの距離にある、何もない、顔。
「っ……」
声にならない悲鳴を上げ、秀人の意識は闇に落ちた。
「……この辺りかな……?」
到着したのは、周の家とは大学を挟んで反対側の学生街。新築のマンションから、旧いアパートまで、多種多様な建物が犇めきあっている。琉依はきょろきょろと辺りを見回しながら、目的の建物を探す。
「岡さん、ちょっと見せてもらっていいかな?」
周は琉依から受け取ったスマホの画面上のピンと、現在の位置とを重ね合わせる。
「えーと、こっちかな?」
滲み出る汗を手の甲で拭いながら、目的地へ足を運んでいく。その間、二人の間に会話はない。
緊迫感と共に辿りついた目的地に、
「え……ここ?」
周は思わず呆気にとられる。そこには想像していた立派なマンションとは全く似ても似つかない、かなり年季の入ったアパートが、静かに佇んでいる。
「……ちょっと、意外だね。」
琉依も隣で驚いている風だ。周は、勝手に、秀人のことを良い家のお坊っちゃんだと思っていた自分の考えを改める。
「ここのアパートの……」
琉依は地図アプリを閉じると、今度はメッセージアプリを立ち上げる。そこに部屋の場所が書かれているらしい。
「あそこみたい。」
琉依が、その部屋に目を向ける。声はどこか固い。
「……行こう。」
二人は、アパートに向かって歩き出す。
琉依が部屋の呼び鈴を鳴らすと、無機質な音を立て、鍵が開く。ドアノブが、ゆっくりと回った。
「……秀人、大丈夫か?」
ドアの隙間に見えた秀人の姿に、周は一旦胸を撫で下ろす。
「お前達、何で……俺の家……」
驚いたような、混乱したようにも見える秀人の顔は、どこか窶れて見えた。
「ごめんねー、お友達に聞いて、来ちゃった」
周の隣からひょっこりと姿を現す琉依は、先程までとはうって変わって、いやに明るく返す。しかし次の瞬間、秀人の視線は琉依と周の足元に移っていた。無表情な顔に、微かな恐怖の色が浮かぶ。
「……帰れ。」
「……は?」
急変した態度に呆気にとられる周と琉依の肩を押し、秀人はそのまま玄関の扉を締める。
「おい、ちょっと……」
そのまま、あからさまに大きな音で、鍵まで掛けてしまったのだ。
「おい、どうしたんだよ!」
「秀人くん!」
二人は近所迷惑も気にせず、ドアを叩く。が、
「いいから帰れ。」
秀人は帰れの一点張り。
「何だよ、俺ら友達じゃん! 悩みぐらい相談しろよ!」
周の呼び掛けに、一瞬、ドア越しに息を呑むような声が、聞こえた気がした。その場に、束の間の静寂が訪れる。
「秀人くん、お話聞かせてくれないかな……?」
懇願するような琉依の声。
「無理だよ。」
力なく言う秀人の対応は変わらない。
「……は?」
それに、周は怒りにも似た感情を覚える。
「……お前達と俺では、根本的に見えてる世界が違いすぎるんだよ……」
ぽつりと飛び出たその言葉に、周は腸が煮えくり返る感覚を覚えた。
「……見えてる世界が違う? お前何様だよ……」
腹の底から沸き上がるのは、怒りか、劣等感か、その両方か。
「周くん?」
制止しようとする琉依に目もくれず、周はない交ぜの感情をドアの向こうの優等生にぶつける。
「そりゃあ、お前と違って俺は頭も良くないし何も考えてないからさあ……お前からしたら大層つまらねえ人間なんだろうよ……」
「ねえっ……」
怒りが向くのは、自分を見下してくる優等生に対してか、はたまた不甲斐ない自分に対してか……
「……そんなに信用できないんなら勝手にしろよ! じゃあな!」
返事の無い扉に向かって、言葉をぶつけた相手の心を、周は何も分かっていない。怒りに任せて踵を返す。自分の顔が涙でくしゃくしゃに歪んでいることに、初めて気づく。
「……周くん……」
部屋から離れて行く周背中を、琉依は止めることができない。
「……秀人くん、また来るね」
そう言って、琉依は周に着いていく。
外から聞こえる怒鳴り声を聴きながら、秀人は子供の様に膝を抱いて蹲る。怒鳴り声に紛れ込んだその声を、必死に振り払う。
「……ねえ」
いつの間にか止んでいた怒鳴り声。だからより一層、その無邪気な声が際立つ。
ーー風の音風の音かぜのおとカゼノオト
耳を塞いでも聞こえてくる声。動いていないのに、息が、上がる。
「ねえねえ、おにいちゃん、ぼくのことみえてるよね?」
ーーミルナミルナミルナミルナ
手放しそうな意識を必死に繋ぎ止めようとする。じっとりした脂汗が、からだ中に、張り付く。
「ねえ、どうしてむしするの?」
ぴくりと、秀人の肩が震える。悲痛なその声に、膝に埋めた顔を上げてしまう。
そこには、ぐにゃりと歪んだ、子供だったナニかの顔があった。鼻が触れるくらいの距離にある、何もない、顔。
「っ……」
声にならない悲鳴を上げ、秀人の意識は闇に落ちた。
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