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第5章 終幕
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真っ白な部屋の、少しだけ開いた窓の隙間から、夏の夜風が吹き込んでくる。冷房の効いた室内に、温もりを運んでくる。
「……」
そこに眠っている友達の顔を、ずっと眺めていた。改めて見ると、整った顔。そこに長い睫が影を落とす。
「……ごめんな……」
痛々しく巻かれた左手の包帯と、首筋に貼られたガーゼが、事の重大さを物語る。誰にともない謝罪は、夏の夜風に流れていった。
少し前のこと。意識の無い秀人を廃墟から連れ出し、救急車を待っていた。その間も、祈るように、縋るように、琉依はその手を決して離さなかった。
「……ごめんね、私、ちょっと着替えて来るね……」
やっと救急車が到着して、琉依はその手を隊員に託す。泣き腫らした顔を、くしゃりと歪めた。周は、静かに頷く。よくよく見ると、琉依の服は、秀人の血にまみれてしまっていた。
「病院……着いたら連絡するから。」
互いに連絡先を交換してから、周は救急車に乗り込んだ。ちらりと振り返った先に、廃墟はなかった。
警察からの聴取もあったが、秀人の自殺未遂で片が付きそうだ。一応、琉依にも話を聞く予定だそうだが、形式のみのものに留まるだろう。
「またここか。」
舌打ち混じりに、警察官の吐いたため息が、この事件の全てを物語っていたようにも思う。
秀人の両親は、今日はどうしても来られないらしい。がらんとした、ナースセンター前の病室で、周はぽつりと、パイプ椅子に座っている。その背中は、どこか心許ない。
琉依の処置が適切だったこともあり、秀人の命に別条はない。しかし、いつ目覚めるかは分からないらしい。精神的な負担が大きすぎたのだろうと言った、医師の説明が、頭から離れない。思えば、ここまで心細いことは、今まで無かったような気がする。いつも、隣には、琉依が、秀人がいた。当たり前のように。今は、その当たり前が、どこか遠くのものに感じた。周は、眠る秀人の顔を見る。ただ、その当たり前を胸に刻み付ける。
「ごめんね、遅くなっちゃった。」
がらんとした病室に、琉依の声が響く。パイプ椅子を隣に持ってきて座る琉依からは、微かに石鹸の香りがした。
「岡さん……」
隣をみると、真っ直ぐ秀人の顔を見つめる琉依がいた。琉依は、そっと秀人に近づくと、包帯だらけの左手に、自分の手を添える。
「俺、さ、」
ぽつりと、周はその背中に投げ掛ける。
「多分、こいつのこと何にも分かろうとして無かったんだなって……」
それは、懺悔にも似た独白。
「住む世界が違うんだって。アイツは頭が良いからって。」
琉依は、周に背を向けたまま、秀人の顔をじっと見つめる。
「……諦めてたんだ。」
心の片隅で、認めていた。嫌でも突きつけられる、秀人との決定的な違い。けれど、目を逸らそうとした。それは、ちっぽけなプライドのため。そして、大切なことも、全て見逃してしまっていた。
「……私も。」
気付けば琉依は、隣のパイプ椅子に座り直していた。
「私も一緒だよ。」
琉依は力無く笑う。
「人のことって、分かんないよね……」
琉依は、周の瞳を真っ直ぐ見る。周は、目を逸らすことができない。
「仕方ないんだって、思ってたよ。」
どこか、遠くを見るような目。そんな彼女は、なぜかとても大人びて見えた。
「特に秀人くんってさ、頭良すぎて何考えてるのか全っ……然分かんないんだもん。」
段々と、いつもの調子に戻っていく。ぷっくりと膨れた頬には、幾重にも重なる涙の痕が刻まれている。
「でもね、一緒にいても、いいんだよね?」
困ったように笑う琉依に、周は静かに、首を縦に振る。
「また一緒にご飯食べようよ。部活もまだまだしたいし……」
段々と、琉依の声に涙が混ざる。
「……できるよ。」
喉に突っかかりそうな言葉。気休めですらない、これは願望。そうと分かっていても、周は敢えて口に出す。無理やり作った笑顔は、きっと歪だろう。窓から吹き込む暖かい風が三人を優しく撫でた。
「……」
そこに眠っている友達の顔を、ずっと眺めていた。改めて見ると、整った顔。そこに長い睫が影を落とす。
「……ごめんな……」
痛々しく巻かれた左手の包帯と、首筋に貼られたガーゼが、事の重大さを物語る。誰にともない謝罪は、夏の夜風に流れていった。
少し前のこと。意識の無い秀人を廃墟から連れ出し、救急車を待っていた。その間も、祈るように、縋るように、琉依はその手を決して離さなかった。
「……ごめんね、私、ちょっと着替えて来るね……」
やっと救急車が到着して、琉依はその手を隊員に託す。泣き腫らした顔を、くしゃりと歪めた。周は、静かに頷く。よくよく見ると、琉依の服は、秀人の血にまみれてしまっていた。
「病院……着いたら連絡するから。」
互いに連絡先を交換してから、周は救急車に乗り込んだ。ちらりと振り返った先に、廃墟はなかった。
警察からの聴取もあったが、秀人の自殺未遂で片が付きそうだ。一応、琉依にも話を聞く予定だそうだが、形式のみのものに留まるだろう。
「またここか。」
舌打ち混じりに、警察官の吐いたため息が、この事件の全てを物語っていたようにも思う。
秀人の両親は、今日はどうしても来られないらしい。がらんとした、ナースセンター前の病室で、周はぽつりと、パイプ椅子に座っている。その背中は、どこか心許ない。
琉依の処置が適切だったこともあり、秀人の命に別条はない。しかし、いつ目覚めるかは分からないらしい。精神的な負担が大きすぎたのだろうと言った、医師の説明が、頭から離れない。思えば、ここまで心細いことは、今まで無かったような気がする。いつも、隣には、琉依が、秀人がいた。当たり前のように。今は、その当たり前が、どこか遠くのものに感じた。周は、眠る秀人の顔を見る。ただ、その当たり前を胸に刻み付ける。
「ごめんね、遅くなっちゃった。」
がらんとした病室に、琉依の声が響く。パイプ椅子を隣に持ってきて座る琉依からは、微かに石鹸の香りがした。
「岡さん……」
隣をみると、真っ直ぐ秀人の顔を見つめる琉依がいた。琉依は、そっと秀人に近づくと、包帯だらけの左手に、自分の手を添える。
「俺、さ、」
ぽつりと、周はその背中に投げ掛ける。
「多分、こいつのこと何にも分かろうとして無かったんだなって……」
それは、懺悔にも似た独白。
「住む世界が違うんだって。アイツは頭が良いからって。」
琉依は、周に背を向けたまま、秀人の顔をじっと見つめる。
「……諦めてたんだ。」
心の片隅で、認めていた。嫌でも突きつけられる、秀人との決定的な違い。けれど、目を逸らそうとした。それは、ちっぽけなプライドのため。そして、大切なことも、全て見逃してしまっていた。
「……私も。」
気付けば琉依は、隣のパイプ椅子に座り直していた。
「私も一緒だよ。」
琉依は力無く笑う。
「人のことって、分かんないよね……」
琉依は、周の瞳を真っ直ぐ見る。周は、目を逸らすことができない。
「仕方ないんだって、思ってたよ。」
どこか、遠くを見るような目。そんな彼女は、なぜかとても大人びて見えた。
「特に秀人くんってさ、頭良すぎて何考えてるのか全っ……然分かんないんだもん。」
段々と、いつもの調子に戻っていく。ぷっくりと膨れた頬には、幾重にも重なる涙の痕が刻まれている。
「でもね、一緒にいても、いいんだよね?」
困ったように笑う琉依に、周は静かに、首を縦に振る。
「また一緒にご飯食べようよ。部活もまだまだしたいし……」
段々と、琉依の声に涙が混ざる。
「……できるよ。」
喉に突っかかりそうな言葉。気休めですらない、これは願望。そうと分かっていても、周は敢えて口に出す。無理やり作った笑顔は、きっと歪だろう。窓から吹き込む暖かい風が三人を優しく撫でた。
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