僕たちはその歪みに気付くべきだった。

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婆ちゃんの痛み④

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 父さんが高校に入学した頃の話だ。
 当時、とある事件が世の中を賑わせていた。
 それは、主に小学生の女児を狙った連続誘拐殺人事件である。

 もちろん、天ケ瀬家にとっては全く無縁の話だった。
 しかしどういう訳か、警察のプロファイリング捜査の過程で、爺ちゃんに疑いを掛けられてしまう。
 爺ちゃんは無罪を主張をするが、弁明も虚しく逮捕にまで至る。
 当然、そうなったからには、とはいかない。
 判決を待つことなく、爺ちゃんは当時の勤務先から解雇を言い渡されてしまう。

 文字通り、踏んだり蹴ったりの状況だったが、ある時を境に流れが変わる。
 というのも、被害者女児の衣服から検出された体液のDNA鑑定の結果、となったからだ。
 これにより、爺ちゃんの疑いは晴れることとなる。
 比較的早期での釈放に爺ちゃんは胸を撫で下ろすが、結果としてこれが悪い方向へ進んでしまう。
 何故なら、既に全国紙やテレビでは大々的に実名報道がされていて、父さんたちはとして衆目に晒されていた。
 父さんは、もう少し長く捜査がもつれ込んでいれば、弁護士や冤罪被害の支援団体と連携して、世論を動かせたかもしれなかったと話すが、結果論でしかない。
 絶望的なその状況に、婆ちゃんはとうとう精神を病んでしまう。
 それを見た爺ちゃんが自責の念に駆られたのは言うまでもない。

 そして、釈放から1ヶ月が経った日の朝方。
 爺ちゃんは、書斎で首を吊っているところを婆ちゃんに発見される。

「あの時、マスコミが先走ったおかげで、俺たちは滅茶苦茶だよ……。なんたって、容疑者の段階であんだけ大々的に報道しやがるんだからな!」

 父さんは、自嘲気味に笑いながら話す。
 犯人が誰であろうと、新聞社からしてみれば格好のネタだ。
 ビジネスの性質上とは言え、その実情は冷酷極まりない。
 メディアが『国民の知る権利』とやらを振りかざし、散々に吊し上げた結果、爺ちゃんは不本意な道を選ばざるを得なくなったわけだ。
 そう考えれば、法律や権利という後ろ盾を持っているだけのゴロツキとさえ思えてくる。

「そっか。じゃあ、父さんが今の仕事を選んだのも……」

 父さんは静かに頷く。

「父さんな。変えたかったんだよ。メディアのあり方って奴をさ。もうあんなつまらん事件は、後にも先にも俺たちで最後にしたくてな」

 そう話す父さんに、不思議と合点がいく。
 単にメディアを目の敵にするのではないところが、実に合理的な父さんらしいと思った。

 ……いや。実際はそんな単純な話じゃないはずだ。
 合理的、なんて所詮は僕の中のイメージでしかない。
 これまで何も知らずに、呑気に過ごしてきた僕では想像もできないほどの、割り切れない想いがあるのだろう。
 改めて思う。
 僕は家族のことを何も知らない。

「婆ちゃん。嬉しかったんじゃない、かな……」

 言ったそばから、後悔する。
 僕なんかに分かるはずがない。
 でも『そうあって欲しい』といった、希望的観測が頭を過ぎってしまった。
 我ながら、無責任極まりない。
 そんな僕のを気に留める様子もなく、父さんは投げやりに笑う。

「どうだったかな。そう言えば、父さんが記者を目指すって言った時は、黙って笑ってたっけな? もう何年も前のことだからよく覚えてないけどな」

 何のことはない。
 父さんも、いわゆるの大人だった。
 日々の暮らしに忙殺されている内に、いつしか初心がぼやけてしまったのだろう。
 遠い目をして、どこか口惜しそうに話す父さんの姿を見て、そう実感する。
 父さんでもそんな顔をするのかと、僕は呑気にもそう思ってしまった。

「つっても地方紙だし、大手の新聞社からみればおもちゃみたいなもんさ! だからメディアを変えたいだなんて、大層なこと言ったら笑われちまうかもしれない。それでも、何か少しでも変わっていけばって思ってたんだけどな……」

「そうだったんだ……」

「まぁ昔の話だよ。疑いはとっくに晴れてるし、奇異の目とやらを向けてくる世間様自体が変わっちまってるんだ。だから気にする必要はない。ただな……。それでも、気持ちの良い話じゃない。だからわざわざ、燈輝や風霞に話すまでもないって思ったんだよ。悪かったな。今まで黙ってて」

 父さんはそう言うと、僕と風霞に頭を下げてくる。

「まぁ。それは別にいいんだけど、さ……」

 僕は精一杯、その場を取り繕って応える。
 そんな僕を見て、父さんはハッとした表情になった。

「わ、分かってる! それだけじゃないよな! 父さんたち、全然お前たちに……」

 特段、含みを込めて言ったわけじゃない。
 父さんなりに、を感じ取ったらしい。
 だけど、きっと……。もう遅い。
 これから何かをやり直すには、色々と壊れすぎてしまった気がする。
 既に僕や風霞は、これまで嫌というほど人の醜い本質に触れてしまった。

 それにしても、情けない。
 どうやら僕自身も、『普通の高校生』であることを捨てきれていないようだ。
 今この場にホタカ先生が居たら、きっと褒めてくれるに違いない。
 僕はそんな妙な気恥しさからか、父さんを直視できずにいた。

「燈輝……」

 ちらりと視線を逸らすと、そこには僕に負けじと神妙な面持ちをしている母さんが居た。
 バツが悪そうに僕の名を呟く姿を見るに、少なからず後ろめたさを感じているようだ。 
 これまで僕と風霞は、母さんに色々なものを押し付けられてきた。
 だからこそ、僕は言うべきことがある。

「母さん。僕も母さんと同じだよ」

 母さんは何を言うでもなく、大きく目を見開く。

「母さんから、婆ちゃんが危ないって電話があった時さ。正直、ホッとしたんだ。これで、もうお見舞いに行かなくていいって」
「そ、そう……」
「でも、それと同じくらい不安にもなったんだ。僕の存在意義もなくなる気がして……」
「っ!?」

 僕の言葉に、母さんは更に顔を曇らせる。
 
「その時、気付いたんだ。婆ちゃんが何処にもいないって。何ていうか、最低だよ……。自分のことばっかりで。一番辛かったのは婆ちゃんなのに……。そう考えたら、何か急に後ろめたい気分になってさ。今日もホントは来ようか迷ってたくらいだったし……」

 母さんには、酷なやり方かもしれない。
 ただ、僕が母さんと同類である以上、こういう言い方しかできない。

「でも、に言われたんだ。『そんなおぞましい僕の姿を見せてこい』って」

 僕がそう言うと、母さんは膝から崩れ落ちしまう。

「あのさ……、母さん。僕、分からないんだ。婆ちゃんが死んで悲しいのかどうか」

 母さんは俯いたまま、何も応えない。
 そんな母さんを見て、僕は少し情けないと思ってしまう。
 その反面、誰かとを共有できた嬉しさもあったりする。

「……いや。ちょっと違う、か。単純に怖いだけなんだ。婆ちゃんがいなくなったことで生まれる変化が。それって悲しんでるって言えるのかな。母さんはどう思う?」

 聞いてしまったからには、もう戻れない。
 きっと、何かが変わってしまう。
 このモヤモヤを抱えて生きていた方が、いくらか楽だったかもしれない。
 それでも、こうして変節を受け入れようとしている自分に、嫌悪感すら湧いてくる。
 これも、それも、全部ホタカ先生のせいだ。
 
「燈輝。母さん、間違ってた」

 ゆっくりとそう溢す母さんには、普段の仕事人間の面影が何処にもない。

「……何が、かな?」

 僕が聞くと、母さんはますますその表情に悲痛さを滲ませる。
 
「母さん、自分しか見てなかった。今の今まで。燈輝や風霞のことなんて……」

 わざわざ言われなくとも、分かる。
 母さんは僕の写し鏡と言ってもいい。
 だから、きっと、母さんなりのエクスキューズがあるに違いない。
 僕と同じように。

「……実はね。お爺ちゃんが巻き込まれた事件の被害者の一人にね。母さんの妹が居たの」

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