僕たちはその歪みに気付くべきだった。

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歪みの起源・回想

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「お父さん、お母さん……、ふうか……。どこ?」

 見事に、はぐれてしまった。
 クラスで流行っているカードゲームのコーナーを通りがかった時に、立ち止まって見ていたら、お父さんたちに置いていかれてしまった。
 小学校に入学して、半年も経つというのに情けない……。

 今日は、家から少し離れたショッピングモールに来ていた。
 どうやら、今年小学校に入学したボクへの、ちょっと遅めの進学祝い? というヤツらしい。
 お父さんとお母さんは、いつも忙しそうにしている。
 土曜日も日曜日も家にいないことがほとんどだから、学校が休みの日はいつも風霞とお留守番している。
 だからこうして、どこかへ連れていってくれること自体、とても珍しい。

 カードに、そこまで興味があったわけじゃない。
 ルールだって、全部は覚えきれていない。
 みんながやってるところを眺めていたら、ちょっとだけ楽しそうに思えた。
 ただ、それだけだ。
 欲しい、なんて言えるわけない。
 たぶん、お父さんたちはは嫌いだろう。

 『もうお兄さんなんだから、遊んでばかりいないで勉強しなさい』

 これが最近のお父さんたちの口癖だ。
 だから、おねだりするならもっと、こう、タメになる……。
 よし! 進学祝いには、新しいペンケースが欲しいと言おう!
 それも、何時になるかは分からないけど!
 ……もし。
 ボクがカードが欲しいと言ったら、お父さんたちはどんな顔をするんだろう。

 ……いや。今はそんなこと、どうでもいいんだ。
 お父さんたちに迷惑を掛けてしまった。
 風霞にも心配をさせてしまった。
 泣いちゃいけない。
 ボクはお兄ちゃんだ!

 こういう時は、迷子センター? に行けばいいことくらいは分かる。
 でも……。それは出来ない。
 もし、誰かクラスメイトが来ていたら、学校で馬鹿にされてしまう。
 そうなったら、来年から一緒の学校に通う風霞にも迷惑が掛かる。
 お父さんたちにも、恥をかかせることになる。
 そう思ったボクは、震える足を引きずりながら、お父さんたちを探すしかなかった。


「うーん……。どこだろ……」

 お父さんたちを探して、あちこち歩き回っている内に、フードコートに辿り着いた。
 フロアには、ざっと数十席くらいのテーブル席が並べられている。
 それを囲むように、ハンバーガーやうどん、カレー、ラーメン、アイスクリームのお店があって、中では店員さんたちが忙しそうに動き回っていた。

 ボクは、フロアのちょうど真ん中辺りの柱に掛けられた時計に、目を向ける。
 時計の針を見ると、『6時』を過ぎていた。
 フロアにはボクの他にも、家族連れのお客さんが次々にテーブルに着席していき、気付けば満席に近いくらいに一杯になっていた。
 もう、夕飯時だ。
 ボクがはぐれてさえいなければ、もう今頃家族揃ってご飯を食べていたのかもしれない……。
 罪悪感やら、不安やら、惨めさやらで、今にも涙が溢れてきてしまいそうになる。

 そんな時だった。
 ヒュン、という空気が鳴る音と一緒に、女の人が、もの凄いスピードでボクの横を通り過ぎていった。

「ひゃっ!?」

 あまりの勢いに、ボクは思わず変な声を上げてしまった。
 彼女はそんなボクに構うことなく、一目散に走っていく。
 そのまま、フードコートを抜けて、最上階に繋がる上りエスカレーターの方へ行ってしまった。

 普通……、じゃなかった。
 顔は一瞬しか見えなかったけど、スゴくきれいな人だった気がする。
 制服を着ていたから、たぶん中学生か高校生だろう。

 直感的? というのか?
 なんとなく、放っておいてはいけない気がした。
 ボクは、気付けば彼女の後を追っていた。


 ボクは彼女を夢中で追いかけ、屋上の駐車場に到着する。
 大型のショッピングモールということもあってとても広く、ぱっと見で数百台くらいの車で埋め尽くされていた。
 そんな状況だからか、せっかく追いついたというのに、彼女を見失ってしまった。

 ……彼女は、どんな人なんだろう。
 お父さんやお母さんは一緒じゃないのかな?
 それとも友達と一緒だったのかな?
 だとしたら、ケンカでもしたのかな?
 彼女を探しながら、そんなことを考えてしまうくらい、ボクは自分の立場のことなんてすっかり忘れていた。
 
 そんな時だ。
 たくさんの自動車の隙間から、駐車場の端の方で金網に掴まりながら立っている彼女の姿を見つけた。

 ボクは、ゆっくりと彼女へと近付く。
 少しずつ、少しずつ……。
 大きな物音を立てないように、ゆっくりと近付いていく。
 あんまり、驚かせちゃいけない。
 彼女のことなんて何も知らないけど、何となくそんな気はした。

 そして、ようやく彼女の真後ろへ辿り着いた。

「………っ!」

 ……なんて、声を掛ければいいのだろう。
 自己紹介から?
 いやっ! そんなことしてる場合じゃないぞ! たぶん……。
 ここまで軽はずみに追いかけてきてしまったことを、今さらになって後悔した。

「あっ、あのっ!!」

 今出せる限りの、精一杯の声を出した。

「……へっ!? キミ! だれ!?」

 彼女は振り向き、目を丸くさせて言う。
 結局、驚かせてしまったようだ。

「え、えっと。そ、その……」

 言葉が出てきてくれない。
 これが見切り発車? という奴なのだろうか。
 何も話せずにモジモジとしていると、彼女はどこか疲れたような笑顔で言う。

「あ! ひょっとして、さっきフードコートに居た子? ごめんね。驚かせちゃって」

 驚いた。
 ボクのことなんて、見てすらいなかったと思っていたのに。

「い、いや、それは別に……」
「キミ、お父さんとお母さんは? もしかして一人? ひょっとして、お父さんたちとはぐれちゃったのかな?」

 彼女は優しく笑いながら、聞いてくる。
 何だか、恥ずかしい……。
 色々と聞こうと思っていたのに、逆に心配をされてしまった。
 ボクは観念して、彼女の質問に黙って首を縦に振った。

「そっか。家族連れ、か」

 彼女はぼそりと、そう呟いた。

「それで、どうしてキミはココに来たのかな?」
「あの……、おねえちゃんが気になって……。スゴく苦しそうな顔してたから」

 ボクがそう言うと、彼女から笑顔が消えた。

「迷子になったんならさ。ちゃんと迷子センターに行かなきゃ……。1階に受付があるからさ。おねえちゃんも一緒に行ったげるよ」

 彼女は話をはぐらかし、ボクに近付き、手を引こうとする。
 なんとなく、だ……。
 ボクと別れた後の彼女が、どうなるのか想像するのが怖かった。
 そう思い、ボクは彼女の手を振り払った。
 
「で、でも! おねえちゃんは、どうするの? ……」
「ん? 私? なんで?」
「い、いや、うまく言えないんだけど、あの、妹も……」
「ん? 妹?」

「ボクの妹も、時々おねえちゃんみたいな顔するからっ!」

 思わず、自分でもよく分からないことを叫んでしまった。

「えっと」
「ご、ごめん、なさい!」
「ううん。大丈夫だよ。それより、ってどういう意味なのかな?」
「え、えっと。ボクの家、お父さんもお母さんも忙しくて、今日みたいにおでかけするの、スゴく珍しいんだ」

「へぇ……」

「そ、それでさっ! 今日、ホントはボクの進学祝いだったんだけど、妹も来年から小学生だからってさ。ランドセルとか、色々買うことになったんだ。今日を逃したら、次は何時になるか分からないって言って……」

「それはそれは……、災難だったね」
 
「でも、分かってるんだ。ボクがワガママ言ったところで『お兄ちゃんなんだから、我慢できるよね?』って言われることくらい。あっ! 別に、妹が特別ひいきされてるってワケじゃないよ? ただ、たまたまタイミングっていうのかな? だからボクは全然構わないんだ。でも……」

「でも?」

「何故か、妹がスゴく悲しそうな顔をしてたんだ。ボク、それを見て何だかスゴく怖くなった。どこかに行っちゃいそうっていうか、壊れちゃいそうっていうか……。おねえちゃんも、何だかそんな顔してたから……」

「ふーん……、そうなんだ」

 彼女はそう呟くと、また黙り込んだ。

「あ、あのさ! おねえちゃんはさ、ココで何してたの?」

 勢いのまま、聞いてしまった。
 聞きたいような、聞きたくないような。


「私? 今からちょっと死んでみようかなって」


 嫌な予感が、カタチとなって現れてしまった。
 
「あはは。驚いてる」

 言葉を失う僕を見て、彼女は何故か嬉しそうな顔をする。

「ど、どうして……」
「キミ、随分踏み込むねぇ~。そんなに知りたい?」

 ボクは、ホントに知りたいのだろうか。
 そう言われた瞬間、ボクは急に後ろめたい気分になった。
 実際、ココに来た理由なんて、ほとんど興味本位のようなものだ。
 
「い、いや」

「生きてるとさ。自分ていうパーツが無い方が、世の中上手く回っていくんじゃないかって、思う瞬間があるんだよね……」

 ボクの回答を遮るように、彼女は応える。

「そ、そうなんだ」

「うん」

 彼女はそう頷くと、また空を見上げた。
 すっかり日は沈んでいて、月が顔を出している。

「……おねえちゃん、ちょっと聞いていい、かな?」
「何かな?」

「この高さで死ねるのかな?」

 頭が混乱していたから、だろうか。
 ボクは思わぬことを口走ってしまった

 や、やってしまった!
 自分でも分からない。
 何故、こんなことを聞いたのだろう。
 ただただ、この沈黙が怖かった。
 このまま、いけば、何かが終わってしまう。そしてその後、スゴく後悔する。
 そんなよく分からない気持ちが湧いてきて、咄嗟に言ってしまった。

「……ぷ。アハハハハッ! アハハハハハッ!」

 彼女は少し沈黙した後、爆笑し始めた。
 
「キミ、面白いね」

「えっ、えっと……」

、そういうこと言わないよ! ココはね。『そんなことない! キミは必要とされている人間だ!』って言って優しく抱きしめるところなんだよ!」

「そ、そうなんだ。ボク、そういうのよく分かんないや……」

「分からなくていいよ、そんなこと……。でも、まぁそうだね! キミの言う通りだ。確かに、ちょっとこの高さだと中途半端かもしれないね。でも、ココがこの建物で一番高い場所だからなー」

「そ、そっか……」

「でも、他の人にはあんまり迂闊なこと言っちゃダメだよ。さっきの妹ちゃんの話でも感じたんだけどさ。キミ、ちょっと変わってるって言われない? 何ていうんだろ? 、的な?』

「え……。ご、ごめんなさいっ!」

「あ。怒ってるわけじゃないからね! ただ、ずっとそんな感じだとさ。この先、苦労するかもって思っただけだから。おねえちゃんみたいに……」

 彼女はそう言うと、また空を見上げた。

「あ、あの!」

「ん? 何かな?」

「ボク、おねぇちゃんに死んで欲しくない……」

 そう言うと、彼女はまたしばらくの間、黙り込む。

「キミはんだね」

「妹にも言われる……」

「そっか。でもさ……。キミのその優しさって誰のため、なのかな?」

「え?」

「ううん。やっぱ何でもない! 変なこと聞いちゃってごめんね。これからも、妹ちゃんに優しくしてあげてね」

 彼女はそう言って、ニコリと笑った。
 その笑顔を見た時、また嫌な予感におそわれた。
 彼女をこのままにしてはいけない。
 そう思った瞬間、ボクは声をあげていた。

「い、いつかっ!」

 ボクの急な呼びかけに、彼女は一瞬びくついた。

「ボ、ボクが……、おねえちゃんを確実に死ねる場所に連れてってあげる! だからソレまで待って!」

「ぷっ! 何それ! 私をどこに連れていってくれるって言うのかな?」

 勢いのまま、言ってしまっただけだ。
 だから具体的な答えは、ない。
 ボクは、苦し紛れに夜空を指差す。

「こ、この場所より、お空より、もっと高い場所! 宇宙!」

 彼女は、ぽかんとした顔をする。
 しばらく呆けた後、また大きく吹き出す。

「あのね、キミ! 宇宙には重力がないから、落ちることが出来ないんだよ! まぁ宇宙みたいに過酷な環境ならどの道死ねるし、結果オーライかもしれないけどさ! キミはその辺りから、もっと勉強した方がいいかもね!」

「っ!?」

「あーあ! 何かキミの話聞いてたら、ちょっと萎えちゃったかも。今日は止めとこっかな……」

 それを聞いたボクは、全身の力が抜け、その場でへたりこんでしまった。

「心配させちゃったみたいでごめんね。でも、おねえちゃん。考えを変えるつもりはないから……」

「そ、そっか」

「でも、まぁそうだね。宇宙にでも行ったら、全部どうでも良くなったりするのかな……」

「う、うんっ! ボク、これからたくさん勉強して、おねえちゃんを絶対に宇宙に連れてくよ!」

「うん! ガンバって! まぁ、もし駄目だったら、罰としてキミには一緒に死んでもらおうかな?」

「へっ!?」

「アハハ! うそうそ! ジョーダン、ジョーダン! いよっ! 未来の宇宙飛行士! ん? それとも宇宙開発技術者? いや、天文学者という線も……。ま、いっか。何でも!」

 彼女がどんな辛い目にあってきたのかは分からない。
 正しいことをしたのかも分からない。
 それでもいい。
 ボクはこの時。
 彼女の笑顔を見て、心底ホッとした。
 それだけは確かだった。


   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 その後、僕が彼女と会うことはなかった。
 物心がつくかつかないかのギリギリの年齢だったと言うと、言い訳染みて聞こえるかもしれないが、実際今の今まで、顔どころか会ったことすら忘れていた。
 朧げながらも断片的に覚えていたのは、と交わした、死ぬだの死なないだのといった物騒なやりとりだけだった。
 
 恐らくそれから、だろう。
 宇宙について、少しずつ興味を持つようになったのは。
 進路もはっきり決めていたわけではなかったが、宇宙工学系に進みたいとは薄っすらと考えていた。
 しかし、時間の流れとは容赦のないものだ。
 せっかく出来た人生の目標らしきものも、日々の生活の中で、少しずつその熱は失われていく。
 婆ちゃんが入院する頃には、すっかり頭の片隅にもなくなっていた。
 高校も、家から一番近くて、病院との行き来も楽だという理由だけで、今の学校を選んでしまっていた。
 
 きっかけは些細なものだし、歪だったかもしれない。
 でも、僕はこの時。間違いなく。
 その場しのぎで交わされた彼女との約束によって、つくられた。与えられた。
 役割を。価値を。自分がこれから先も生きていい理由を。
 これこそが、『風霞の兄』というアイデンティティにひたすら縋りついてきた僕に、唯一残された可能性なのかもしれない。
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