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戦争編
第十七章 ラクニア陥落-2
しおりを挟む「君は……元気だねぇ、ディルク」
そんな様子を横で見ていたガルが、ふと呟いた。
「元気じゃねぇよ、もークタクタだって……」
手を休めずにディルクは答えた。ガルは月を見上げる。
「そうじゃないよ。こんなに看病してるのに、君は病気にかからないねってことさ」
実際今病気になっていない者は、病人に近づいていない者であり、看病など、深く病人と関わった者達は例外なく倒れている。サヤも木子もそうだ。
無事なのは四聖二人くらいではないだろうか。
ディルクはふと手を休めてガルに聞き返した。
「そういえば、お前こそ……平気なのか?」
その言葉が明らかに自分より相手を優先してるのに、ガルはふっと笑った。
「自分の心配しろよなぁ」
「俺は! 大丈夫なんだよ!!」
ディルクは言い張った。ガルはそれを聞いて思わず言い返したくなる。
「俺だってな……」
だがガルが言い終える前に、ディルクは遮っていた。
「俺は! 科学世界で何本か予防接種受けてんだから!」
「は?」
ガルはいきなり言われた意外な言葉に、思わず間の抜けた声をあげた。
科学世界では全員、様々なワクチンを接種することが義務付けられている。
ディルクも以前、科学世界に行っては、皆に混じっていろいろな予防接種を受けたのだと言う。
このウイルスにワクチンは極めて有効なのだ。
「だから、平気なんだよ。強がり言ってるわけじゃねーんだ」
ディルクは言い返し、そしてあらためて目の前の同朋を心配する。
ガルはひどく感心した声をあげた。
「……君は……本当に、すごいなぁ……」
ガタンと壁に崩れるようにもたれかかりつつ、心の底から感嘆する。
「ガル?」
ディルクの中に不安がよぎる。
「誰もが恐れた科学世界にあっさり行き、しかも平然とそれを受け入れて……魔法と絡めようとしたり……」
ガルはディルクを見てはいなかった。斜め上、天井の方を向いていたが、焦点はおそらく合っていないだろう。
彼の体からは汗がどっとふき出してきた。
体温が急激に上昇する。体中に発疹らしきものが数多く現れた。
「お、おい、ガルっ! お前まさかっ!」
ディルクは驚いて、彼に駆け寄る。
ガルは壁にもたれたまま崩れ落ちた。ディルクが慌ててそれを支える。
「悪いな……とうに……感染してたんだ、すまない……」
ガルが荒い息をしながら真実を告げる。
彼は今まで、魔法を自分にかけて何でもないように振舞っていたのだ。
自分が倒れてはいけない。絶対に倒れてはいけなかった。
そしてそれは、彼の体に必要以上に負担をかけていたのだ。
彼の容態は酷かった。よく今まで立っていたものだと感心するほどだ。
ディルクは急いで回復魔法をかけようとするが、ガルはその彼の手を止めた。
「……ク……すまないな、あと……たのむよ……」
「おい、ガルっ!?」
苦しそうにゼィゼィ息を吐きながら、尚もディルクに話しかける。
「これからはきっと……君みたいな、考え……だいじに、なる……魔法も、科学もひっくるめて……そういう世界……見てみたかったな、俺も……」
ディルクは必死で呪文を編み出そうとしたが、無駄とわかっているのか、ガルがしっかりと遮ってしまう。
何とかしたいのに考えが浮かばない。心臓が早鐘を打つ。頭の中がぐるぐるまわる。
「ディルク!!」
ガルが名前を強く呼んだ。ディルクはびくっとして、同朋を見る。
ガルの目は殆ど生気が感じられなかった。それでも精一杯言葉を伝えようとしていた。
「いいか! 惚れてんなら、殺しあうなよ。後悔するぞ、絶対だ……!」
その言葉が誰を指しているかは明白だった。
どんな魔法使いでもない、既に遠くへ行ってしまった異国の少女。
敵となっても自分と同じ間違いをするなと、殺しあうなと繰り返す。
彼は、これからも生きていく、世界を変える可能性を秘めた同朋に、精一杯の言葉を残そうと必死だった。
「どちらかが残るんじゃ、駄目だ……二人でないと、駄目、なんだ……」
ネスレイの予言はどちらでもない、二人の協力が吉だったと何度も何度も念を押す。
ディルクは言葉が出ない。
だってもう既に取り返しのつかない所まで来てしまった。
目に熱いものを浮かべながら、ただ死にゆく者の言葉を聞くことしか出来ない。
「君なら……! 君達なら……世界の壁なんて、越えられるだ、ろ……」
「もういい……あいつはもう……!」
言おうとして、ディルクはガルが息をひきとったのを感じた。
あれだけ熱を帯びていた体が冷たくなっていく。
「ガル……っ!」
ディルクは彼の体をそっと横たえた。
何年ぶりかに見る己の涙が亡骸にぽたぽたと滴り落ちて行く。
溢れでる悔しさと悲しみをぐっとかみ締め、彼は静かにその場で頭を垂れた。
◇◆◇◆◇
男は珍しくラクニアの中心部に来ていた。以前見たときよりも更に酷い惨状にため息をつく。
仲間三人との待ち合わせのため、公園の噴水に腰を下ろしていると、隣の少女に声をかけられた。
「帰ってまうんか?」
十一、十二歳くらいの少女である。
とある区画を拠点に活動をしていた時、大抵は一度会ったら忘れ去られていたのに、彼女だけは毎日毎日飽きもせず男の所を訪れていた。
そして男のやることを興味深く観察すると、驚くことに翌日からは手伝いを始めたのだ。
お互いに理由も話さないまま、黙々と作業をこなして行く。
街の人達も彼女がいたおかげで、警戒心を持たずに気軽に来てくれた。
効率良く作業を進めることができたので、感謝している。
「ああ、そのつもりだよ。今まで手伝ってくれてありがとう、お嬢さん」
「そか。こっちこそありがとうな。助かったわ」
「ん? 私が何をしていたか、知っていたのかい?」
それは男にとって、とても驚くべき内容だった。
少女は何か言おうとして口を開くが、そのままピタリと止まる。
広場のほうから少年の声が聞こえてきたのだ。
『ラクニアの民達よ、聞け!』
以前この街を見守る者が、頼れと言っていた少年だと男は気づいた。
といっても広場はここから一キロほど離れており、こんなに明確に地声が聞こえる筈はない。
少年は魔法を使って、ラクニアの街全体に声をとどろかせていた。
『たった今、西聖ガルデルマ・ステブ・フィンデルソンが亡くなった』
一斉に驚きと嘆きの声が聞こえてきた。泣き崩れるものもいる。隣の少女も涙を浮かべていた。
西聖がいかに頼りにされていたか、一目瞭然である。
声はなおも続く。
『知ってのとおり、科学世界の攻撃に遭い、この街は危機状態だ。このままでは全滅も考えられる! そこで、皆のものには一端この街を退去していただきたい! 隔離結界のある区画を中心に、この街を焼き払う!』
ざわざわとまわりが動揺し始めた。男も驚いた。
街を、焼却するというのだ。この巨大な街を。
「どうやってやるん」「並大抵の魔法じゃ無理やろ」「あの坊主、何者なん」ーーあちこちから動揺と疑問の声が湧き上がる。
それはそうだ、どこの誰ともわからぬ者に、自分の街を燃やされてはたまらない。
「あんたこの前、西聖様の代理をしとったね。どこの誰や? それは西聖様の御意志なん? 街を焼き払うってどうやるん?」
傍にいた中年の女性が、広場に向かって話し掛けた。それで聞こえるらしい。
すると数人の兵士がやってきて、女性を含めその場にいる者をたしなめ始めた。
「控えろ、女! あの方はな……」
『俺の名はディルシャルク・アルナ・ロードリー。四聖が一、現東聖だ。西聖ガルデルマは俺に一任した。これは俺の一存だ。俺が焼き払う!』
兵士が一斉に控えると、周りの民達も、それにならってピタリと喧騒が止まり、皆少年に向き直り頭を下げた。
男は再度感嘆のため息を吐く。
(ほほう、東聖……なるほど。西聖が頼れと言ったのは東聖だったのか)
と、傍らの少女のみ、頭を下げずにじっと少年を見据えていることに気がついた。
「ディルク……兄ちゃん……」
「……君はあの少年を知っているのかい?」
その少女の呟きに、男は尋ねずにいられなかった。
少女は答えず少し考えると、大の男を相手に驚くべき取引を持ちかける。
「おっちゃん、その答え知りたかったら、うちを連れて行ってくれへんか?」
聞けば少女は唯一の家族だった母をこの病で亡くし、もう待っている人も帰る家もないのだという。
王宮に上がる話もあったが戦争でうやむやになり、後は孤児院の道しかない。
しかし自分達が帰る所はーーと男が躊躇っていると、
「うちの名はリーニャ。おっちゃん、うちを、科学世界へ連れてってや!」
思考を遮り言われた言葉に、今度こそ男は仰天した。彼女に対する疑問が山のように生まれる。
その晩、一夜のうちにラクニアの街は炎に包まれ、同時に科学世界の者四人と、リーニャの姿が人知れず消えて行った。
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