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4 騎士と破壊のお姫さま編
1-9 騎士は嘆く
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ネージュ様が現れる。
上流階級から庶民にいたるまで、人気を集めているシュタム劇場。
そこへ、ネージュ様が観劇にいらっしゃるとの話を受けて、俺たちはやってきた。
ルバルト叔父さんの話では、おそらく、特別観覧席ではないか、とのこと。
父さんの伝手から、特別観覧席と同じ階層の席を確保し、ネージュ様が現れるのを静かに待った。
同じ階層といっても、特別観覧席は枠で囲われていて、近寄ることはできない。少し離れたところから眺めるだけだ。
開演時間に合わせて、ネージュ様がやってくる。
この前お会いしたときは、第六師団の制服だったが、今日は白い開襟シャツに、メイ群島の伝統衣装のような柄のスカート。
グランフレイムでは着たことがないような、服装をされていた。
実際の年齢より、ずっと大人びて見えて、思わず息を飲む。
隣には、ネージュ様と同じ柄のタイを付けた第六師団長が、当たり前のように手を取って歩いていて、腹立たしさを感じた。
「父さん、母さん。ネージュ様に間違いないだろう」
俺は振り返って、父と母を見る。
父も母も感慨深い様子で、声を失っていた。
俺たちは観劇そっちのけで、離れたところにいるネージュ様を眺める。
手が届くようで届かない距離に、苛立ちが募った。
「父さん、どうだい?」
「あぁ、そっくりだ」
「本人だよ、間違いない」
「そう見えるな」
どう見たって、あれはネージュ様だ。
劇が終わると、ネージュ様はさっと姿を消した。後を追うこともできなかった。
何人も護衛がついているから、後を追いかけない方がいいんだと、叔父さんは言っていたが、なんとも言えない気分になった。
「ねぇ、ジン」
そんな俺に、母さんが不思議とスッキリした表情で話しかけてくる。
「あの方がネージュ様でも、ネージュ様でなくても。あの方はご自分の居場所を見つけられたのよ」
「母さん、何を言ってるんだ?」
突然、母さんが訳の分からないことを言い出した。母さんの言葉が頭に入らない。母さんはいったい何を言ってるんだ?
「ジンも見たでしょう。見ているこちらの心も温かくなるような、素敵な笑顔だったわ」
「ネージュ様は騙されているんだよ、母さん」
「あれが騙されている人の顔かしら?」
「そうだよ。ネージュ様は隣にいた男に騙されて、無理やり婚姻を結ばされてるんだよ」
あんなネージュ様の姿を見て、どうしてそんなことを言えるんだ?
母さんのホッとしたような、安心しきった表情が俺には理解できなかった。
「それで、ジンはどうしたいんだ?」
父さんも似たような表情をしていたが、父さんは俺の話を理解してくれているようだ。
「ネージュ様にご自分のことを思い出していただく。そうすれば、ネージュ様はグランフレイムに戻っていらっしゃる」
俺は言葉を続けた。
「グランフレイムがネージュ様を否定するのなら、俺がネージュ様をお支えする」
ネージュ様は俺がお守りするんだ。
今までずっと、そうしてきたじゃないか。
「分かった」
「兄さん。あの方はもうネージュ嬢ではないんだ。それに記憶を取り戻すと言ったって」
俺に同意してくれる父さんに対して、叔父さんが異を唱える。
「記憶を取り戻すのが無理でも、ネージュ様として生きてきた日々のことを、話して聞かせることはできるだろう?」
「しかし」
「ルバルト。ジンのやりたいように、させてやりたいんだ」
「父さん、ありがとう」
「兄さん」
父さんだけだ、俺を信じてくれたのは。
ありがとう、父さん。
父さんも俺も、意見を曲げないと分かったのか、叔父さんも渋々同意してくれた。
そんな俺たちを母さんは静かに見守るだけだった。
それから数日後。
俺は第二師団にやってきていた。
目的は叔父に会うこと。そして、あの男に直談判すること。
今日、叔父は第六師団との話し合いがあるそうなので、そこに同行させてもらえることになっていた。
もちろん、部外者だから話し合いには入れない。部屋の外で待機し、話し合いが終わってから、直談判する予定だ。
もしかしたら、第六師団にいるネージュ様とも、どこかで鉢合わせするかもしれない。そんな期待もあった。
話し合いの場所までは、すんなりと行けた。が、話し合いにネージュ様は現れなかった。
そして、ネージュ様のことを臆面もなく伴侶などと呼ぶあの男からは、拒否を受けた。
話し合いからの帰り道、第二師団までを散策しながら話をする。
「グランフレイム卿は、ネージュ様の生存にまったく興味がないんだ」
「マズいな。グランフレイムが完全に知らぬ存ぜぬだと、こっちの大義名分が揺らぐ」
そう。どう頑張っても、俺たちはネージュ様とは他人。
縁談が結ばれていれば良かったが、まだ結ぶところまでは話が進んでいなかった。
実の家族のグランフレイムがネージュ様の死亡を認めている以上、他人が騒いだところで、取り上げてはもらえない。
「グランミストは? ネージュ様の母方の実家だろう?」
「あぁ、グランミストを巻き込むのは得策だな。少し問題はあるが」
グランミストの筆頭は現総師団長だ。
叔父の憂鬱そうな顔を見る限り、いい話はないんだろう。
「総師団長も、第六師団長の味方なのか」
「いや、そういうわけではないと思うんだが」
俺は暗い思考を消そうと、叔父さんから目を反らした。その拍子に、キラキラしたものが視界の端に映る。
「あの銀髪は!」
ネージュ様だ。ここで銀髪といえばネージュ様しかいない。
「待て、ジン」
俺は引き止める叔父さんを振り切って、銀髪を追いかけた。
「ごごごごごめんなさい。また、本部の場所にたどり着けなくて」
「ネージュ様じゃない」
俺が捕まえたのは、ネージュ様とは似ても似つかない女性だった。
銀髪と背格好が似ているくらいで、顔立ちとなると、なんとなく程度。
銀髪が似ているとはいえ、ネージュ様より少し色味が明るい。
ネージュ様が肩より少し長い程度なのに対して、こちらは腰に届く長さ。
目の色は緑色でまったく違うし、声もやや低い。
背格好も似てはいるが、ネージュ様は剣術や体術など身体を鍛えてらしたから、体幹がしっかりしていて、細いというより引き締まった感じだ。
対して、この女性は細いというより、か細い。折れてしまいそうな弱々しさを感じる。
銀髪を見て、ネージュ様かと思ったのに、がっかりだ。
ため息が出そうになった俺の耳に、その女性の言葉が飛び込んできた。
「ネージュ・グランフレイム嬢なら、確か従妹よ。会ったことはないけど」
そうだ。なんで、すぐ気がつかなかったんだ。
ネージュ様の銀髪はグランミストの色。この銀髪の女性もグランミストの縁者だろうに。
俺の後からやってきた叔父が、銀髪の女性を見て、声をかけた。
「グランミスト嬢か。ここへは何の用だ? 父君の総師団長へは連絡してないのか?」
「いいいえ! 内緒で来たの。あの、その、この前もらってきた応募書類を出そうと思って」
グランミスト嬢の返答にほくそ笑む叔父。俺にこっそり目配せして話を続ける。
「ほう。師団員の応募か。推薦があると優遇されるという話はご存知か?」
「はひ? 推薦?」
「知らんのか。例えば、第二師団長の俺が、君の身元だとか実力だとかを保証すれば、採用されやすいということだ」
「えええ。本当?!」
推薦制度の話は俺も聞いたことがある。
どうやら叔父は師団推薦と引き換えに、こちらの話を持っていく魂胆のようだ。
「あの、その、ここで会ったのも何かの縁てことで、推薦してもらえたりは……」
「こちらの頼み事を引き受けてくれるのなら」
叔父は慎重に話を進める。
「えーっと、どんな頼み事、ですか?」
「何、簡単なことだ」
そう言って叔父は最初から説明を始め、グランミスト嬢は真剣に耳を傾けてくれた。
これがネージュ様へと繋がることを、俺は心の中で祈るしかなかった。
上流階級から庶民にいたるまで、人気を集めているシュタム劇場。
そこへ、ネージュ様が観劇にいらっしゃるとの話を受けて、俺たちはやってきた。
ルバルト叔父さんの話では、おそらく、特別観覧席ではないか、とのこと。
父さんの伝手から、特別観覧席と同じ階層の席を確保し、ネージュ様が現れるのを静かに待った。
同じ階層といっても、特別観覧席は枠で囲われていて、近寄ることはできない。少し離れたところから眺めるだけだ。
開演時間に合わせて、ネージュ様がやってくる。
この前お会いしたときは、第六師団の制服だったが、今日は白い開襟シャツに、メイ群島の伝統衣装のような柄のスカート。
グランフレイムでは着たことがないような、服装をされていた。
実際の年齢より、ずっと大人びて見えて、思わず息を飲む。
隣には、ネージュ様と同じ柄のタイを付けた第六師団長が、当たり前のように手を取って歩いていて、腹立たしさを感じた。
「父さん、母さん。ネージュ様に間違いないだろう」
俺は振り返って、父と母を見る。
父も母も感慨深い様子で、声を失っていた。
俺たちは観劇そっちのけで、離れたところにいるネージュ様を眺める。
手が届くようで届かない距離に、苛立ちが募った。
「父さん、どうだい?」
「あぁ、そっくりだ」
「本人だよ、間違いない」
「そう見えるな」
どう見たって、あれはネージュ様だ。
劇が終わると、ネージュ様はさっと姿を消した。後を追うこともできなかった。
何人も護衛がついているから、後を追いかけない方がいいんだと、叔父さんは言っていたが、なんとも言えない気分になった。
「ねぇ、ジン」
そんな俺に、母さんが不思議とスッキリした表情で話しかけてくる。
「あの方がネージュ様でも、ネージュ様でなくても。あの方はご自分の居場所を見つけられたのよ」
「母さん、何を言ってるんだ?」
突然、母さんが訳の分からないことを言い出した。母さんの言葉が頭に入らない。母さんはいったい何を言ってるんだ?
「ジンも見たでしょう。見ているこちらの心も温かくなるような、素敵な笑顔だったわ」
「ネージュ様は騙されているんだよ、母さん」
「あれが騙されている人の顔かしら?」
「そうだよ。ネージュ様は隣にいた男に騙されて、無理やり婚姻を結ばされてるんだよ」
あんなネージュ様の姿を見て、どうしてそんなことを言えるんだ?
母さんのホッとしたような、安心しきった表情が俺には理解できなかった。
「それで、ジンはどうしたいんだ?」
父さんも似たような表情をしていたが、父さんは俺の話を理解してくれているようだ。
「ネージュ様にご自分のことを思い出していただく。そうすれば、ネージュ様はグランフレイムに戻っていらっしゃる」
俺は言葉を続けた。
「グランフレイムがネージュ様を否定するのなら、俺がネージュ様をお支えする」
ネージュ様は俺がお守りするんだ。
今までずっと、そうしてきたじゃないか。
「分かった」
「兄さん。あの方はもうネージュ嬢ではないんだ。それに記憶を取り戻すと言ったって」
俺に同意してくれる父さんに対して、叔父さんが異を唱える。
「記憶を取り戻すのが無理でも、ネージュ様として生きてきた日々のことを、話して聞かせることはできるだろう?」
「しかし」
「ルバルト。ジンのやりたいように、させてやりたいんだ」
「父さん、ありがとう」
「兄さん」
父さんだけだ、俺を信じてくれたのは。
ありがとう、父さん。
父さんも俺も、意見を曲げないと分かったのか、叔父さんも渋々同意してくれた。
そんな俺たちを母さんは静かに見守るだけだった。
それから数日後。
俺は第二師団にやってきていた。
目的は叔父に会うこと。そして、あの男に直談判すること。
今日、叔父は第六師団との話し合いがあるそうなので、そこに同行させてもらえることになっていた。
もちろん、部外者だから話し合いには入れない。部屋の外で待機し、話し合いが終わってから、直談判する予定だ。
もしかしたら、第六師団にいるネージュ様とも、どこかで鉢合わせするかもしれない。そんな期待もあった。
話し合いの場所までは、すんなりと行けた。が、話し合いにネージュ様は現れなかった。
そして、ネージュ様のことを臆面もなく伴侶などと呼ぶあの男からは、拒否を受けた。
話し合いからの帰り道、第二師団までを散策しながら話をする。
「グランフレイム卿は、ネージュ様の生存にまったく興味がないんだ」
「マズいな。グランフレイムが完全に知らぬ存ぜぬだと、こっちの大義名分が揺らぐ」
そう。どう頑張っても、俺たちはネージュ様とは他人。
縁談が結ばれていれば良かったが、まだ結ぶところまでは話が進んでいなかった。
実の家族のグランフレイムがネージュ様の死亡を認めている以上、他人が騒いだところで、取り上げてはもらえない。
「グランミストは? ネージュ様の母方の実家だろう?」
「あぁ、グランミストを巻き込むのは得策だな。少し問題はあるが」
グランミストの筆頭は現総師団長だ。
叔父の憂鬱そうな顔を見る限り、いい話はないんだろう。
「総師団長も、第六師団長の味方なのか」
「いや、そういうわけではないと思うんだが」
俺は暗い思考を消そうと、叔父さんから目を反らした。その拍子に、キラキラしたものが視界の端に映る。
「あの銀髪は!」
ネージュ様だ。ここで銀髪といえばネージュ様しかいない。
「待て、ジン」
俺は引き止める叔父さんを振り切って、銀髪を追いかけた。
「ごごごごごめんなさい。また、本部の場所にたどり着けなくて」
「ネージュ様じゃない」
俺が捕まえたのは、ネージュ様とは似ても似つかない女性だった。
銀髪と背格好が似ているくらいで、顔立ちとなると、なんとなく程度。
銀髪が似ているとはいえ、ネージュ様より少し色味が明るい。
ネージュ様が肩より少し長い程度なのに対して、こちらは腰に届く長さ。
目の色は緑色でまったく違うし、声もやや低い。
背格好も似てはいるが、ネージュ様は剣術や体術など身体を鍛えてらしたから、体幹がしっかりしていて、細いというより引き締まった感じだ。
対して、この女性は細いというより、か細い。折れてしまいそうな弱々しさを感じる。
銀髪を見て、ネージュ様かと思ったのに、がっかりだ。
ため息が出そうになった俺の耳に、その女性の言葉が飛び込んできた。
「ネージュ・グランフレイム嬢なら、確か従妹よ。会ったことはないけど」
そうだ。なんで、すぐ気がつかなかったんだ。
ネージュ様の銀髪はグランミストの色。この銀髪の女性もグランミストの縁者だろうに。
俺の後からやってきた叔父が、銀髪の女性を見て、声をかけた。
「グランミスト嬢か。ここへは何の用だ? 父君の総師団長へは連絡してないのか?」
「いいいえ! 内緒で来たの。あの、その、この前もらってきた応募書類を出そうと思って」
グランミスト嬢の返答にほくそ笑む叔父。俺にこっそり目配せして話を続ける。
「ほう。師団員の応募か。推薦があると優遇されるという話はご存知か?」
「はひ? 推薦?」
「知らんのか。例えば、第二師団長の俺が、君の身元だとか実力だとかを保証すれば、採用されやすいということだ」
「えええ。本当?!」
推薦制度の話は俺も聞いたことがある。
どうやら叔父は師団推薦と引き換えに、こちらの話を持っていく魂胆のようだ。
「あの、その、ここで会ったのも何かの縁てことで、推薦してもらえたりは……」
「こちらの頼み事を引き受けてくれるのなら」
叔父は慎重に話を進める。
「えーっと、どんな頼み事、ですか?」
「何、簡単なことだ」
そう言って叔父は最初から説明を始め、グランミスト嬢は真剣に耳を傾けてくれた。
これがネージュ様へと繋がることを、俺は心の中で祈るしかなかった。
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