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十年待ったといわれても
6.
もとの主父娘からすれば、クショフレール大公国の競技会で見合い相手を探してやるはずが、素直なだけが取り柄だと侮っていた気弱な従騎士がいきなり聖騎士になると暇乞いをしてきたので驚いたに違いない。
次の引受先が決まる前に婚約破棄を実家に告げられては都合が悪い。
――聖騎士なんて華やかに見えて、領地もない根無し草だぞ?
騎士とその令嬢は慰留したが、結局約定を違えたことが露見し、団長の実家と諍いになりかけた。騎士令嬢の婚約破棄の前に従騎士が暇乞いを申し出たことを理由に違約金の支払いも持参金の返還も拒んだもと主は騎士としての面目を失った。
――面目など、何の得にもならん。
令嬢の新しい恋人は田舎のちまちました領地経営に汲々とする騎士たちと違い、格上の貴族だ。婚約者が自ら身を引いたので、うわばみ娘は大手を振って新しい恋人と結婚した。
聖騎士へ進路を変えた当初、ヴェーメル団長を突き動かしていたのは年端もいかぬ少女への恋情もさることながら、もとの主父娘を見返してやろうという気持ちだった。負の欲望は長続きしない。修練と勉学が身につき面白くなってきて、聖騎士に叙任され順調に昇進しはじめたころにはルドの恨み辛み、憎しみは薄らいでいた。
そんなときだった。もとの主父娘の訃報が風の噂として聞こえてきたのは。
うわばみ娘ももと主の娘婿もおとなしく田舎で領地経営に勤しむ柄ではなかった。しかも羽振りがいいと思われていた娘婿の実家の内証は火の車で、火の粉をかぶって大火事となり――つまるところ借金で首が回らなくなって領地を手放す羽目になったという。
「今、かの地を治めているのはかつての主と関係のない別の人々だ。その後もとの主も主の娘も亡くなったと聞いて俺が、――俺の憎み恨む気持ちが強すぎてかれらを不幸にしたのではないかと」
「団長のせいではありません」
後悔と恐れに打ち拉がれる大男の肩に、エステルは手を置いた。大きな手がそっと重ねられる。
「気持ちの強さが、俺の執着がきみを苦しめるかもしれないと思うと――それが何より、怖かった」
それまで近況報告がほとんどの恋文ともいえない幼い便りをまめに送っていたが、以来手紙を書くのをやめたという。
「祖母君は俺がきみに飽きたと考えたようだ。そんなことはなかったのだが」
団長は、ベッド脇のサイドチェストから小さな布を取り出した。縁に褪せた薄緑の糸で蔓草が刺繍してある。
「きみのハンカチだ。あのとき、無理をいって譲り受けた」
「そんなことが、あったんですね」
「十年、――長かった」
受け取った古いハンカチごと、団長がエステルの手をとり、頬ずりした。
エステルの覚えている限り、団長は十年前とだいぶ面差しが変わっている。同一人物とは思えないくらいだ。ひょろひょろ細長く頼りなかった体つきががっしり逞しくなり、やさしそうではあったがいかにも繊細な心根が透けて見えた佇まいがすっかり頼もしく変わっている。もともとが優れていたのかもしれないが、よほどに厳しく鍛えられもし、本人も励んだのだろう。
「本来俺のような若造が国一番の呪具師であるキヴァリ殿に枕をつくっていただくわけにいかないのだが、そうした因縁というか、つながりがあって特別に〈碧杖印〉をあつらえてもらうことになった。第三聖騎士団に団長として招聘された祝いでもあったのだが」
「じゃあ、抱き枕のステラって……」
「初めて会ったとき、きみがステラと呼ばれていたから。俺としては枕もさることながらきみも欲しかったのだが祖母君が、第三聖騎士団に赴任中にきみとの結婚を認めるわけにいかないと頑として拒まれてな。それであればと無理をいってきみの似姿を枕にしてもらった」
「ええっと、じゃあ、私の勘違いだったんですね」
「勘違い、とは?」
枕のステラに対する愛が昂じて枕に似た女が手に入ると都合がいい、ではなかったということになる。
「つまり俺はキヴァリ殿につくってもらった枕に似ているからとステラに迫っていたと思われていた、の、――か?」
「ええ、まあ」
「枕は、枕だぞ?」
「ええ、まあ、――そうですね」
「枕に愛を囁くと思われたり小児性愛者だと疑われたり、まるで俺が手に負えない変態のようではないか。――心外だ」
「すみません」
団長はエステルの掌に顔を押しつけたまま笑った。
次の引受先が決まる前に婚約破棄を実家に告げられては都合が悪い。
――聖騎士なんて華やかに見えて、領地もない根無し草だぞ?
騎士とその令嬢は慰留したが、結局約定を違えたことが露見し、団長の実家と諍いになりかけた。騎士令嬢の婚約破棄の前に従騎士が暇乞いを申し出たことを理由に違約金の支払いも持参金の返還も拒んだもと主は騎士としての面目を失った。
――面目など、何の得にもならん。
令嬢の新しい恋人は田舎のちまちました領地経営に汲々とする騎士たちと違い、格上の貴族だ。婚約者が自ら身を引いたので、うわばみ娘は大手を振って新しい恋人と結婚した。
聖騎士へ進路を変えた当初、ヴェーメル団長を突き動かしていたのは年端もいかぬ少女への恋情もさることながら、もとの主父娘を見返してやろうという気持ちだった。負の欲望は長続きしない。修練と勉学が身につき面白くなってきて、聖騎士に叙任され順調に昇進しはじめたころにはルドの恨み辛み、憎しみは薄らいでいた。
そんなときだった。もとの主父娘の訃報が風の噂として聞こえてきたのは。
うわばみ娘ももと主の娘婿もおとなしく田舎で領地経営に勤しむ柄ではなかった。しかも羽振りがいいと思われていた娘婿の実家の内証は火の車で、火の粉をかぶって大火事となり――つまるところ借金で首が回らなくなって領地を手放す羽目になったという。
「今、かの地を治めているのはかつての主と関係のない別の人々だ。その後もとの主も主の娘も亡くなったと聞いて俺が、――俺の憎み恨む気持ちが強すぎてかれらを不幸にしたのではないかと」
「団長のせいではありません」
後悔と恐れに打ち拉がれる大男の肩に、エステルは手を置いた。大きな手がそっと重ねられる。
「気持ちの強さが、俺の執着がきみを苦しめるかもしれないと思うと――それが何より、怖かった」
それまで近況報告がほとんどの恋文ともいえない幼い便りをまめに送っていたが、以来手紙を書くのをやめたという。
「祖母君は俺がきみに飽きたと考えたようだ。そんなことはなかったのだが」
団長は、ベッド脇のサイドチェストから小さな布を取り出した。縁に褪せた薄緑の糸で蔓草が刺繍してある。
「きみのハンカチだ。あのとき、無理をいって譲り受けた」
「そんなことが、あったんですね」
「十年、――長かった」
受け取った古いハンカチごと、団長がエステルの手をとり、頬ずりした。
エステルの覚えている限り、団長は十年前とだいぶ面差しが変わっている。同一人物とは思えないくらいだ。ひょろひょろ細長く頼りなかった体つきががっしり逞しくなり、やさしそうではあったがいかにも繊細な心根が透けて見えた佇まいがすっかり頼もしく変わっている。もともとが優れていたのかもしれないが、よほどに厳しく鍛えられもし、本人も励んだのだろう。
「本来俺のような若造が国一番の呪具師であるキヴァリ殿に枕をつくっていただくわけにいかないのだが、そうした因縁というか、つながりがあって特別に〈碧杖印〉をあつらえてもらうことになった。第三聖騎士団に団長として招聘された祝いでもあったのだが」
「じゃあ、抱き枕のステラって……」
「初めて会ったとき、きみがステラと呼ばれていたから。俺としては枕もさることながらきみも欲しかったのだが祖母君が、第三聖騎士団に赴任中にきみとの結婚を認めるわけにいかないと頑として拒まれてな。それであればと無理をいってきみの似姿を枕にしてもらった」
「ええっと、じゃあ、私の勘違いだったんですね」
「勘違い、とは?」
枕のステラに対する愛が昂じて枕に似た女が手に入ると都合がいい、ではなかったということになる。
「つまり俺はキヴァリ殿につくってもらった枕に似ているからとステラに迫っていたと思われていた、の、――か?」
「ええ、まあ」
「枕は、枕だぞ?」
「ええ、まあ、――そうですね」
「枕に愛を囁くと思われたり小児性愛者だと疑われたり、まるで俺が手に負えない変態のようではないか。――心外だ」
「すみません」
団長はエステルの掌に顔を押しつけたまま笑った。
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