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向背
18.
「困ったわね」
執務室にテイメンとふたりきりになって、ドミニクスは深々と溜め息をついた。
「砦の水はどうなる?」
「何とか、しのげるかと。幸いなことにもうすぐ雨季が来ます。厳しいことに変わりはありませんが、他の水源を利用しているグロムからしばらくの間、融通してもらえることになりました」
「ありがたい。助かる。心配だったのよ。ほんとうによかったわ。それにしてもああ、もう――」
ドミニクスが頭を抱えた。
「エステル・ランキラが奪われたのは痛い……」
「どういうことでしょう」
「あの子、たまたま魔人に気に入られたんじゃないのよ。これ、読んで」
テイメンはいわれるままミルヤ・キヴァリの手紙に目を通した。
「で、では、秘書官ちゃんは魔界の姫、ってことですか……」
「そういうこと。原因はよく分からないんだけど、魔人は人口問題に苦しんでいるの。人間に近い種のはずだけど寿命も違えば魔力も違う。もしかしたら生殖についても特殊な事情があるのかもしれない。返すがえすも到着が間に合わなかったのが悔やまれるわ。魔界に対する最強の手札を我々はむざむざ失ったってことよ」
夜の帳が下りても砦はざわついている。歩哨が常より多く立ち、シーララ門の修繕が突貫作業で続けられていた。
うつむいたまま立ち尽くしていたテイメンが顔を上げる。
「あ、あのっ――」
「んーーー、クラーセン。いいたいことは何となく分かるけどいわせてあげない。自分に落ち度があったと思うなら今は仕事に集中してちょうだい」
「はっ――」
テイメンを下がらせ、ドミニクスは溜め息をついた。
教会本山のマウエン教国ではこの失態の責任を誰がとるのかでもめているだろう。もちろんミヒル自身が罪を償うべきだ。だからこそ帰国後すぐに査問会議が開かれることになっている。同時にミヒルを指名しピネッキ砦に送り込んだ現法王の影響力低下は免れない。
――あほらしいったらない。
ドミニクスもかれらと同じ愚者のひとりだ。次の、さらに次の法王選挙に向けて権力の泥濘を這いまわる。砦をマウエン教界全体を覆う緊張を思い、ドミニクスは疲れの滲む顔を両手で覆った。
「何が何でも、帳尻を合わせなきゃ」
声はくぐもって小さく、誰の耳にも届かない。
* * *
夜更け、蜥蜴のような魔獣を走らせつづけ魔界使者団一行はニムーブ涸沼へ到着した。
砂丘に囲まれたそこは、太古の昔に涸れた湖の跡だという。中央に立ち枯れた木々が骨のように墓標のように、踊っている最中に死んだかのように円陣を組み並んでいる。
ちり、ち。
無数の星々が空で瞬く。
車からのっそりとクラディが降りる。魔人たちに従い、エステルも地面に降り立った。
「エステル、クラディの角を」
タピオが手を差し出した。
「つの?」
「おや、車に置いてきたかな?」
「そういえば、角、……どうしたっけ」
星降る砂漠にしばし沈黙が降りた。
「んーーー? もしかして、人間の砦に忘れてきちゃった、とか?」
角四本の魔人がおどけた。シピ・メリカントという名のその魔人はアウヌラ王国の王太子なのだという。
「たぶん、置いてきたと思います。すみません。いけなかったでしょうか」
「だいじょうぶだ」
タピオがうなずいた。
「あの角があれば地下迷宮への出入りが容易いというだけのこと。クラディが我らを導いてくれる」
「ばたついてたもんねえ。忘れてきちゃうのも仕方ないよ」
「人間のもとにあの角を置いてきたのが気がかりではあるが――ま、使い途も分からんだろうし、平気だろう。王家のゴーレムの角は貴重品だからな、今後は気をつけるように」
「すみません」
「いいって、いいって」
シピがへらら、と笑った。
「お嬢ちゃんを迎えられてほんと、よかった。これでやーっと王位継承権から解放されるよ」
「すまなかったな、シピ」
どやどやと車へ戻る。
「アウヌラの王位継承には後継者が不可欠なのだ」
「タピオ王子が人間と恋に落ちちゃって子どもつくれなくなっちゃったからさあ、王位を継いでも継承者がいないわけじゃない? 六十年前のあの事件には肝を冷やしたものね。何のことはない、こうしてご令孫までこしらえているのだから心配は要らなかったね」
あはは、と和やかに座席に腰を落ち着ける。
エステルも後に続きながら内心、首を傾げていた。
――どういうこと?
六十年前の事件というのはタピオ王子が祖母ミルヤと恋に落ちた件をいうのだろう。人間であるミルヤと恋に落ちると子どもをつくれなくなる、というあたりからして分からない。
――だって、ふたりが恋をしてお母さんが生まれたわけだし。
タピオは子どもができたことを知らずミルヤと別れ魔界へ戻ったわけだが、その後六十年の間、他の配偶者を探したり恋人をつくったりしなかったのだろうか。
「おいおい、子どもの前だぞ? 色恋の話はやめやめ」
タピオがシピを窘めた。
「エステルに恋の話はまだ早いだろう。まだ二十歳だぞ?」
「子どもではありませんけど?」
「ゆっくり大人になればよい」
「ですから、もう子どもではありませんと申し上げていますのに」
「子どもは背伸びをするものだ」
はっはっは、と魔人ふたりが笑う。和やかでけっこうな眺めだがエステルからすればふたりも自分とさして年齢が変わらないように見える。
――駄目だ、混乱しそう。
首を傾げていると乗っている車ごとぐん、と浮遊感に包まれた。
執務室にテイメンとふたりきりになって、ドミニクスは深々と溜め息をついた。
「砦の水はどうなる?」
「何とか、しのげるかと。幸いなことにもうすぐ雨季が来ます。厳しいことに変わりはありませんが、他の水源を利用しているグロムからしばらくの間、融通してもらえることになりました」
「ありがたい。助かる。心配だったのよ。ほんとうによかったわ。それにしてもああ、もう――」
ドミニクスが頭を抱えた。
「エステル・ランキラが奪われたのは痛い……」
「どういうことでしょう」
「あの子、たまたま魔人に気に入られたんじゃないのよ。これ、読んで」
テイメンはいわれるままミルヤ・キヴァリの手紙に目を通した。
「で、では、秘書官ちゃんは魔界の姫、ってことですか……」
「そういうこと。原因はよく分からないんだけど、魔人は人口問題に苦しんでいるの。人間に近い種のはずだけど寿命も違えば魔力も違う。もしかしたら生殖についても特殊な事情があるのかもしれない。返すがえすも到着が間に合わなかったのが悔やまれるわ。魔界に対する最強の手札を我々はむざむざ失ったってことよ」
夜の帳が下りても砦はざわついている。歩哨が常より多く立ち、シーララ門の修繕が突貫作業で続けられていた。
うつむいたまま立ち尽くしていたテイメンが顔を上げる。
「あ、あのっ――」
「んーーー、クラーセン。いいたいことは何となく分かるけどいわせてあげない。自分に落ち度があったと思うなら今は仕事に集中してちょうだい」
「はっ――」
テイメンを下がらせ、ドミニクスは溜め息をついた。
教会本山のマウエン教国ではこの失態の責任を誰がとるのかでもめているだろう。もちろんミヒル自身が罪を償うべきだ。だからこそ帰国後すぐに査問会議が開かれることになっている。同時にミヒルを指名しピネッキ砦に送り込んだ現法王の影響力低下は免れない。
――あほらしいったらない。
ドミニクスもかれらと同じ愚者のひとりだ。次の、さらに次の法王選挙に向けて権力の泥濘を這いまわる。砦をマウエン教界全体を覆う緊張を思い、ドミニクスは疲れの滲む顔を両手で覆った。
「何が何でも、帳尻を合わせなきゃ」
声はくぐもって小さく、誰の耳にも届かない。
* * *
夜更け、蜥蜴のような魔獣を走らせつづけ魔界使者団一行はニムーブ涸沼へ到着した。
砂丘に囲まれたそこは、太古の昔に涸れた湖の跡だという。中央に立ち枯れた木々が骨のように墓標のように、踊っている最中に死んだかのように円陣を組み並んでいる。
ちり、ち。
無数の星々が空で瞬く。
車からのっそりとクラディが降りる。魔人たちに従い、エステルも地面に降り立った。
「エステル、クラディの角を」
タピオが手を差し出した。
「つの?」
「おや、車に置いてきたかな?」
「そういえば、角、……どうしたっけ」
星降る砂漠にしばし沈黙が降りた。
「んーーー? もしかして、人間の砦に忘れてきちゃった、とか?」
角四本の魔人がおどけた。シピ・メリカントという名のその魔人はアウヌラ王国の王太子なのだという。
「たぶん、置いてきたと思います。すみません。いけなかったでしょうか」
「だいじょうぶだ」
タピオがうなずいた。
「あの角があれば地下迷宮への出入りが容易いというだけのこと。クラディが我らを導いてくれる」
「ばたついてたもんねえ。忘れてきちゃうのも仕方ないよ」
「人間のもとにあの角を置いてきたのが気がかりではあるが――ま、使い途も分からんだろうし、平気だろう。王家のゴーレムの角は貴重品だからな、今後は気をつけるように」
「すみません」
「いいって、いいって」
シピがへらら、と笑った。
「お嬢ちゃんを迎えられてほんと、よかった。これでやーっと王位継承権から解放されるよ」
「すまなかったな、シピ」
どやどやと車へ戻る。
「アウヌラの王位継承には後継者が不可欠なのだ」
「タピオ王子が人間と恋に落ちちゃって子どもつくれなくなっちゃったからさあ、王位を継いでも継承者がいないわけじゃない? 六十年前のあの事件には肝を冷やしたものね。何のことはない、こうしてご令孫までこしらえているのだから心配は要らなかったね」
あはは、と和やかに座席に腰を落ち着ける。
エステルも後に続きながら内心、首を傾げていた。
――どういうこと?
六十年前の事件というのはタピオ王子が祖母ミルヤと恋に落ちた件をいうのだろう。人間であるミルヤと恋に落ちると子どもをつくれなくなる、というあたりからして分からない。
――だって、ふたりが恋をしてお母さんが生まれたわけだし。
タピオは子どもができたことを知らずミルヤと別れ魔界へ戻ったわけだが、その後六十年の間、他の配偶者を探したり恋人をつくったりしなかったのだろうか。
「おいおい、子どもの前だぞ? 色恋の話はやめやめ」
タピオがシピを窘めた。
「エステルに恋の話はまだ早いだろう。まだ二十歳だぞ?」
「子どもではありませんけど?」
「ゆっくり大人になればよい」
「ですから、もう子どもではありませんと申し上げていますのに」
「子どもは背伸びをするものだ」
はっはっは、と魔人ふたりが笑う。和やかでけっこうな眺めだがエステルからすればふたりも自分とさして年齢が変わらないように見える。
――駄目だ、混乱しそう。
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