バロッコ

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〈七〉

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     *     *     *

 実家は関東の端っこ、とある地方都市にある。
 小学校入学を控えた春、隣に新しい家が建った。引っ越してきたのは若い夫婦、やんちゃな幼児、赤ん坊の絵に描いたように幸せな四人家族。

――おにいちゃんになってあげてね。

 やさしそうな母親に目線を合わせて頼まれて、大助はぽ、とのぼせたままうなずいた。目の前にニットの襟からわずかに、魅惑の谷間がのぞいている。

――さわってみたい。

 衝動を抑えた自分を褒めてやりたい。やんちゃで人なつっこい悟が羨ましい。赤ん坊が心底羨ましい。自分もこの人の息子に生まれていればあの大きくてふかふかのおっぱいを好きにできただろう。
 悟との出会いは同時に、巨乳好きの目覚めでもあった。


 隣家ほどではないがあのころ、大助の家もまだ幸せだった。
 商才に恵まれた父親は家に帰る暇もないほど忙しく、それでも年に一度は一週間、休みをとっていたものだ。毎年、楽しみにしていた。
 変わったのはいつからだったろうか。
 年の離れた兄が高校生になって家族より友人を優先するようになったころだったかもしれない。
 実家の医院を手伝うために母が看護師の仕事に復帰したころだったかもしれない。
 父親の年に一度の休みは一週間が三日になり、翌年には二日になり、さらに翌年にはなくなった。帰ってくることもなくなった父親は遠くで別の家庭を持ったそうだ。

 繊細なたちだった兄は元気を失い、鬱憤を晴らすために母や大助をののしり当たり散らした。そう長くは続かなかったが当時は終わりが見えず闇の中で立ち尽くしているように感じたものだ。
 しかし大助には支えがあった。悟だ。
 八つ当たりをする兄から逃れて外へ出ると、悟がやってきて庭の隅で寄り添う。兄ひとりが悪いわけではないと知っているのか、ただいっしょにめそめそと泣いてくれた。
 かたわらにぬくもりがあるのは、いいものだ。心が安らぐだけでない。

――だいすけは、すごい。かっこいい。
――だいすけはオレのおてほんなんだ。

 そう一心に仰ぎ慕ってくる幼い者の存在は、大助の自律の精神を養った。
 悟が憧れるにあたいする存在でなければ。
 勉強もスポーツも学校の課外活動も、糧にできるものは何もかも糧にした。悟の母親への恋心がほんとうは劣情だったということも、仮に露わにすればそれが周囲を困らせるものだということもすぐに呑みこんだ。兄は人生の局面局面で小さくつまずきながら成長していったけれど大助は努力を惜しまず人生を切りひらいていった。ネット上の一サービスから始めて事業を立ちあげて売却する。すべてではないが、ほとんどの事業が成功をおさめている。
 家庭を持った兄が二世帯同居するというのでリフォーム代金を大助が出した。
 とても喜ばれたけれど、実家の居心地はあまりよくない。
 思春期の暴言を兄はとても反省していて現在、関係は穏やかだ。でも大助の成功は商才豊かだった父親を思わせる。母や兄を、大助を捨て新しい家庭を築いた父親を。


――おにいちゃんになってあげてね。

 悟の母に頼まれたけれど、やはり生まれながらの兄ではなかったからか、他人ゆえの遠慮があったからか、大助はいい兄になれない。甘やかすばかりだ。
 悟はごくふつうにまっすぐ育ち、好青年になった。
 だからだろうか、世間でよいものとされている恋愛もすぐに覚えた。まだ若いから、パートナーを定めず短いスパンで多くの経験を積むのも悪いことではない。だが恋人ができるたびに紹介したがるのにはまいった。名前と顔が一致する前に相手が変わってしまうのだ。そして恋愛を当たり前のようによいもののようにこちらに勧めてくるのも困る。

――この子はどう?
――じゃあ、あの子は?

 陰茎が大きすぎてセックスがなかなかうまくいかないことも紹介された女の子を通じて悟に知られてしまっている。困ったものだ。
 しかし悟からの紹介がここ一年半、おさまっている。

――どうしてだろう。

 何かの拍子にふと疑問に思うことはあったが女に引き合わされなくなり面倒が減った、くらいの気持ちでいた。恋人に浮気がバレたから知恵を貸してほしいと泣きつかれるまでは。

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