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がつ子、隘路を逆走する
14.
しおりを挟む「しゅにん、は?」
「きみは俺の大切なひと――」
囁きが唇を擽る。
「俺はきみと出会って幸せだ、樹子」
溜め息と紛うばかりの囁き。小さくほのかに落とした明かりを映す淡い目の色。頬を撫でる掌。あと少しで触れる唇。
目の前の男のすべてを感じとり記憶にとどめよう。樹子は体の感覚を開いた。
額に落ちた髪のひと筋。吐息の乱れ。視線の揺らぎ。愛のことば。
熱い。
自分に向けられるすべてが熱く、愛しい。
そして悲しい。
広居主任のことばに嘘がないからこそ、悲しい。何度名を呼ばれても、応えるわけにいかない。明日からこのひとはほんとうの恋に戻る。自分でない、大事なひととの。
しゃ――。
窓の向こう、マンション近くの路地を車が鋭く水音を立て通り過ぎるのが聞こえる。
降れ。雨よ、降れ。もっと降れ。
このまま恋しい男とふたり、雨声の底へ沈んでしまいたい。
「ここ、薄くなったな」
乳房と乳房の間に主任が顔を埋め
じゅ。
肌に口づけた。
「もっと、――もっと強くして」
新たに胸もとに刻まれた所有の印が熱く疼く。
夜が明けるまで幾度も、樹子は男の求めに応えた。
前夜の雨が嘘のよう。梅雨晴れの朝だ。
すでに日が高い。朝の光の中、疲れの脱けきらない広居主任の寝顔はそれでも満足げだった。
頬を撫で
――利章、さん……。
名を呼びそうになり、唇を噛む。樹子は逞しい腕からそっと脱け出した。
身支度をすませたとき、広居主任が目を覚ました。肘をついて上半身を起こし、ぼんやりと樹子を見上げて首を傾げる。
「――帰るのか?」
「はい」
「どうして? まだ、土曜なのに」
髪をくちゃくちゃに乱し半ば寝ぼけたままの広居主任は隙だらけでとろんとしていて、眩しげな顔がいとけなくかわいい。
カーテンの隙間から射し込む光が明るい。
逞しい首や肩、腕が照らされている。気怠げな寝起き姿もやはり、はるか外宇宙からやってきたスーパーなヒーローを演じたマッチョ俳優を昆布のお出汁であっさりテイストに仕上げた感があって美しい。
樹子の手をまるで大切なものをいただくように両掌で包むと、主任は口づけて頬ずりをした。
ちく、く。
ほんの少し伸びた髭が肌を擦る。
くい、と手を引かれぎゅう、と抱き締められる。
「駄目ですよ。もう帰ります」
「やだ」
熱い掌が背中から腰、さらにスカートの中へと潜り込む。樹子はいたずらな手を阻もうと上から抑えようとした。ガーターベルトのストラップをなぞっていた指が足の付け根へ伸びる。
「しゅに、ん……っ、駄目」
「いいじゃないか。せっかくの休みなんだから」
ショーツのクロッチと肌の間から忍びこんできた指が
く、ちゅ。
ぬかるんだ秘所をなでた。ひとつだけボタンを外している襟もとに熱い唇が押しつけられる。
「きょ、うは約束が――」
「やく、そく?」
避妊具を装着しながら広居主任が唇をへの字にした。
「ああ、河合か。何の用だろうな。約束は昼前だから、まだ時間はある。――おいで」
「や、っめ……っ」
大きな手に導かれて膝に乗る。
明け方まで睦み合った余韻が覚めきっていない。制止の言葉と裏腹に体は喜んで主任を迎え入れた。相手は裸なのに自分だけ服を――しかも仕事用の服を着たまま貫かれていた。
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